第四十四話 その影を追って

 ゲートを抜けた先は霧に覆われた広大な湖の畔。先程の喧騒が嘘のように静まり返り、それは緩やかな風の音が聞こえるほどだった。


「あぁ、琵琶湖みたいだな」


 軽口で無理矢理笑ってみる。そうしなければ、感情が溢れてどうにかなりそうだった。

 引き攣った笑顔を地面に落として、少しずつ息を吐いた。大丈夫、あたしは冷静だ。


「こんな馬鹿デカい玉座にふんぞり返るには、ちょっと身体が小さ過ぎるんじゃねえか? なぁ、そうだろ··········七海」




「狭いから広げたつもりだったんだけど?」




 懐かしい声。間違えるはずなんてない。

 霧が泳ぐ湖の水面。背を向けたまま答えた人影は、冗談めいた口調で切り返す。

 幻覚ではない。彼女が纏う魔力は何度も傍で感じてきた七海の魔力。コアを使用したのに魔力を帯びていることは不思議だったけど、こうして生存を確認出来たことが嬉しくて飛び跳ねそうだった。

 そうはさせてもらえないのもまた、理解していた。


「貴方達の噂は聞いていたわ。冥王コルカドールと同盟を結んだそうね。残念だわ」

「そんな話し今は関係ないだろ。言いたいことが、聞きたいことが山ほどあるんだ」

「話しなんて、始めからするつもりもない。すぐに人間界へ帰りなさい。一度だけなら見逃してあげる。嫌だと言うなら·····」

「嫌だね」


 七海が振り向く。

 その目に龍の瞳を宿らせて。


「【ブルーパイル】!」

「【メタルドライブ】!」


 攻撃は同時に始まった。七海の手元から伸びる水の杭に、スリルドライブの攻撃派生魔法が衝突する。鋼にまで硬度を上げたメタルドライブだが、密度が高過ぎる水の杭打ちにあっさりと砕かれた。


「【クロスバーニア】」


 迫り来るブルーパイルの横っ面に二本の黒炎柱が十字に貫く。爆発した二つの魔法は濃霧を生み、視界が遮られた隙に七海から距離を離した。


「じばしり、手を抜いた。あれは七海だけど、七海と思っちゃだめ」

「··········抜いてねぇよ」


 心を見透かされ、あたしは歯噛みする。七海の姿、七海の声、七海の魔法。だけど、魔力が明らかに異質だ。ベースは彼女の物なのに、影のようになりを潜めている水神の魔力。どっちが乗っ取っているのか全くわからない。だからみくりは口を出したのだ。気を抜けば一瞬で命を奪われるほど強大な敵であると認識しろと。


「いい霧ね」


 七海の声が遠ざかる。彼女の存在が薄く消失していくにつれ、もう一つの魔力が徐々に膨らみ始めた。

 来る。


「飛ぶぞ!!」

「分かってる」


 スリルドライブを召喚。みくりは靴裏を爆発させ、濃霧の届かない遥か上空へ飛び上がった。

 下を見ると霧の中で何かが光る。そして、ビルを飲み込むほど大きな口を開いた水神リヴァイアサンが猛スピードであたし達目掛け突進してきた。


「合わせろみくり!!【ガイアゴーレム】」

「纏え【マイトフレア】」

「「【炎戒・ディアボロス】」」


 あたしとみくりは手を繋ぎお互いの魔力を共鳴させる。宙に炎の魔法陣を召喚し、黒炎を纏う超大型ゴーレムを出現させた。

 上半身だけのディアボロスは口から黒いマグマを垂らしながら両腕を広げ、リヴァイアサンの角を精確に掴んで突進を止める。巨獣同士の衝突は雲を消滅させ、辺りの大森林を暴風の渦に巻き込んだ。


「リヴァイアサン! 七海を返せ!」


 応えない。やっぱり本来の姿では目や耳が機能していないようだ。

 奴を追って昇ってきた深い霧が、あっという間にあたし達を包み込む。結界のように広がる霧の中では全ての動きを読まれてしまう。ディアボロスが掴んでいたはずなのに、いつの間にか両腕を落とされて全方位からくる水弾に蜂の巣にされていた。


「うぐっ」

「ふぁ·····」


 ディアボロスの防衛能力が落ちてしまい、あたしとみくりは一発ずつ被弾。繋いでいた手が離れ、ゴーレムは灰のように姿を消した。

 すぐさま体勢を立て直し、別々の方角へ回避。何とか貫通せずに受けきれたけど、前回はあたしの腹を貫いた包撃魔法だ。何度も受けられるものじゃない。

 段々濃くなる霧の中、縦横無尽に飛んでくる攻撃をサウザンドロックで爆散していく。遠くで聞こえる蒸発するような音は、みくりが凌いでいる証拠。どちらもこの攻撃に耐える力があるのなら、きっと勝機は見えてくるはずだ。


「みくり! この攻撃はほぼ無制限に撃ってくるぞ! あたしが何とかするから隙を作ってくれ!」

「何とかって·····ふぅ、【アポロンフール】」


 みくりの周りに彼女と似た気配が百近く出現する。炎の分身を出すアポロンフールが発動したということは、練習していたアレが来る。

 みくりを取り巻く分身は小さな球状に姿を変え、さらに上空へと打ち上げる。


「【メテオラ・バスターレイン】」


 みくりの手が振り下ろされた瞬間、小さな炎達は巨大な隕石地味た炎塊に変貌する。メテオラの進化系。流星群はリヴァイアサンへ降り注いだ。

 地鳴りのように低い唸り声を上げたリヴァイアサンは水弾を消し、その口を天に向け魔力を溜めると宇宙戦艦ばりの水波動で薙ぎ払っていった。

 この隙を逃すまいと、あたしはガイアロッドを身体の中へしまい込む。そのまま魔力を両腕に集中。


「【バトルフォーミュラ・オリオン】」


 神器は消滅魔力を纏い、チャクラムを象り再顕現する。

 消滅と地。二つの魔力を同時に扱えるようになっていたお陰でスリルドライブも健在。チャクラムを構えたあたしはリヴァイアサンの真下から思い切り顎を殴り上げた。


「どらぁ!!」


 障壁が一枚、二枚、三枚。破壊する度に勢いを落とされて、最後の五枚目を突破することは叶わなかった。首を切り落とすつもりだったのに、顔を跳ね上げる程度に終わる。

 仕切り直す為に地上へ降りると、先に退避していたみくりと目が合った。


「新魔法、どっちもだめ」

「まだ両方とも荒削りだからな。それより見たかよ、消滅魔法を素の魔力壁で防ぎ切りやがったぜ。こりゃさくらが手も足も出ないわけだ」

「どうするの?」

「考え中」


 余裕は見せているが、正直リヴァイアサンの底は計り知れない。あたし達二人とも二段階変身を残しているが、無駄打ちすれば大したダメージも期待できないだろう。二段階目だって制限はある。完全に使いこなしていない今ガス欠まで消耗すると、文字通り指一本動かせなくなってしまうのだ。


「作戦は整ったかしら」


 再び湖の水面まで落下してきた七海。空にリヴァイアサンの姿は無く、変身もしていない無防備な身体でそこに立っていた。


「七海、お前はどっちなんだ?」

「どっちもないわよ。私とリヴァイアサンは同じ存在。言っておくけど、精神を乗っ取られたりもしてないから」

「なら、なんで!」


 なんで、あたし達を攻撃するんだ。

 その言葉がどうしても言えなかった。聞きたくなかったんだと思う。七海の口からその答えが出るのを。

 でも、七海は馬鹿じゃない。それだけ聞けば意図を理解してしまう。


「貴方達の事だから、私の噂を耳にして助けに来てくれたんでしょう。わかるわ。そういうチームだもんね」


 七海の声に感情は含まれていない。


「だから答えをあげる。私は平気よ。だからもう関わらないで」

「そりゃ無理だ。あたしらは皆で一つなんだ。七海がいて、真島姉妹がいて、優香がいて、あたしがいて·····。今は下の魔法少女やさくら達もいるだろ。守りあって、支えあって、そうやってここまで来たんだ!」

「佳珠は呼んであげないのね」

「っ!!」


 息が詰まった。もちろん忘れてるわけなんかない。しかし、七海の考え方が変わった確信がそこにあるってことだった。優香の妹が、佳珠が関わる何かが起きているのか。

 七海は浮かび上がる。龍の目が強く光った。


「私の目的は変わった。私は貴方達と違って多くを知ったのよ。太古から世界を見てきた水神と一つになることで」

「だから、それを教えてくれよ·····」

「魔法少女は、弱い人を巻き込むわけにはいかないでしょ?」


 弱い? 弱いと言ったのか。あたしに向かって。

 口喧嘩に罵ったわけでもなく、よく考えた上でその答えに行き着いたと、そう言いたいわけだ。

なるほど、あの時の愛の気持ちも少しわかった気がする。これは·····辛いな。

 チャクラムを力いっぱい握り締め、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。


「七海、あたしとお前の戦績は覚えているか?」

「対面の訓練なら貴方が十八戦全勝ね」

「それでも弱いって?」


 七海は口元を緩ませ、困ったように笑う。


「ふふ、ばーか」


 反射的に、あたしの足は地を蹴っていた。

 空中の七海は武器を構えない。消滅魔法を前にして、余裕たっぷりに笑うばかりだ。

 きな臭い。本当に変身も神器も無しに耐えられると思っているのか。七海の顔が近付いていく間、妙に頭が冷えていた。

 どういうつもりなんだ。

 その問の答えも、あたしを止める方法も、七海はまとめて証明してみせた。たった一手で。


「守りなさいよ。魔法少女でしょ?」

「じばしり! 西側!」


 七海の動作とみくりの声。それだけで察してしまう。七海が狙いを定めるように持ち上げたその腕が、最適最悪の答えだ。


「てめぇ!」


 あたしは七海を目前に踵を返す。きっと間に合わないから。すぐに戻らないと。

 背中越しに膨張する魔力に首を掴まれる気持ちで、必死にさくらの魔力を探した。契約しているアイツなら、ゲートを使えるアイツなら、この距離でも捕らえきれるはず。

 見つけた。間に合え·····っ!


「【フラッグゲート】!!」

「もう遅いわよ」


 さくらの魔力にゲートを繋ぐ。これまでにない速さで飛び込んだのに、後ろから聞こえる轟音が意識を掻き乱してくる。

 撃ちやがった。あの七海が、仲間に向かって。







 ゲートを抜けるコンマ数秒。それが、まるでスローモーションのようにゆっくりと映し出された。

 傷だらけの仲間たちは全員呆気に取られていた。雨のように攻撃魔法を放っていた悪魔達が、巨大な水の塊に飲み込まれていく様に。

 音速を遥かに超える七海の魔法は、敵味方関係なく滅ぼしていく。不意打ちに誰も反応できていない。予想外の出来事に頭がついていかない。そんな顔をしていた。


 一人を除いて。



「こういう役回りじゃないんだけどなぁ〜」



 そう、真弓の口が動いた気がした。

 七海の魔法に一番近かった愛の首根っこを掴んで後ろに投げた真弓は、左手を前に、右手を空にかざす。その顔は、どこか諦めた様子だった。


 やめろ。

 逃げてくれ。

 お前じゃ耐えられるわけがない。


 声は届かない。

 その間に七海の魔法と真弓が接触。

 時間が急速に動き出す。


「真弓さん!!!!」


 愛の声が戦場に響き渡る。それを向けられた本人は、苦痛に耐えながら七海の魔力を吸収していく。

七海の莫大な魔力を吸い続ける左手は見る見る内側から血を吹き出し、新調したばかりの服が肩まで破けてしまっている。魔力上限に到達しないよう右手から凄まじい量の闇を噴射しているが、焼石に水だった。


「当てさせないか·····ら··········」


 一瞬稼いだ時間で方向転換を試みる真弓。

 その最中、彼女の声が掻き消える。


 吸収していた真弓の左腕が、千切れた。


 そして、その場面を一番見てはいけない人が見てしまったのだった。


「お姉··········ちゃん·····?」


 逸れた魔力が遠くの地面を抉り、大爆発の衝撃で地表を揺らす。定まらない視界で目にしたみくりの顔は、瞳から一切の光を失っていた。

 みくりは歩き、足元に転がる姉を見下ろす。傷口を滅茶苦茶に削られ血も流れず、朧気な目をする姉は口元だけで微笑んでいた。


「みくぅ···············」

「····················」

「心配で、見に来たの·····?」


 虚ろなままの真弓は、みくりの頭を撫でようと肩を動かす。既に存在しない左側を。


「あ·····えへ·····弱い、お姉ちゃんで、ごめん··········ね? あなたみたいに、うまく··········」

「·····お姉ちゃんは、世界一かっこいいよ」

「ふふっ·····褒められちゃった·····みくも、あとで、いっぱい、褒めて··········」


 真弓の意識が途切れる。息をしているから死んではいないが、そんな話ではない。

 七海は、みくりを追い詰めてしまった。

 みくりが天を仰ぐ。いま、どんな顔をしているのか誰にも分からない。


 もう、黒炎の毛皮で覆ってしまったから。


「【モード:テラー】メルトダウン・マザーグース」


 身体中から黒炎が漏れ出しては四肢に纏わりつく。煉獄の炎の中で、機械的に文字を重ねていくみくりはもはや人間の姿をしていなかった。


「···································ぅ·····ぁ」

「み、みくり! 行くな!!」


 意味なんて。止められるわけがない。

 言葉を忘れ、異形と化したみくりは、黒い炎に包まれたマザーグースを羽ばたかせ、周囲を焼き払いながら七海の元へ飛んだ。

 あたしは全員に撤退指示を出して、ガーデンで真弓の治療を優先するよう伝えた。そして、全速力でみくりの後を追う。

 みくりが危ない。二段階変身と神器を同時に使えていた。それはつまり、怒りを媒体にするテラーと、虚無を媒体にするマザーグースがみくりの心をぐちゃぐちゃに掻き回しているのだ。




 このままだと、みくりは精神崩壊する。

 どうかそれだけは·····。

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