五章

第三十二話 単身赴任ってことにしてた

「まさかここまでやるとは……」


 旦那の車から降りたあたしは、優香から「あ、ちなみに……」と雑に受け取ったプレゼントを見上げながら、彼女の破天荒ぶりに頭痛を感じていた。

 絢爛豪華な表門にどデカい駐車場。見るだけで格の違いを感じるお洒落すぎる庭園エリアまで携えた二十階はあろう高層マンション。

 そう、優香の奴はあたし達に家をプレゼントしてきた。もちろん賃貸だけど、家賃は彼女持ちらしい。

 あたしや真島姉妹が魔界に行っている間、雪とイブを無理矢理転校させたお詫びらしい。もちろん悪気を感じてのことではなく、子供達の通学がやたら遠くなってしまった事への改善策だ。今回の騒動が終わるまでの一時的な引越しで、住んでいた家もそのまま残っている。そっちは定期的に清掃を入れてくれるとか。やることは派手だが妙なところ細かいのが優香らしい。


「僕の給料が全部飛んじゃいそうなマンションだよね……」

「康介、優香と自分を比べるなよ。あいつは世界レベルの有名人だから」


 ローンを組んで何とか普通の一軒家を買った康介は誰がどう見てもちゃんとした良い男だ。金銭感覚の狂った変態と比べちゃいけない。だからちょっと寂しそうな顔をするなって。

 引越し作業自体は先に終わらせていたらしく、あたしがやることなんてない。さっさと中を確認して晩御飯の買い物をしたいくらいだ。

 長いエレベーターを一番上まで上がって、そこから慣れ親しんだ街を見下ろす。普段戦っている時はこれ以上高い所まで飛ぶことはあるけど、地に足をつけて見下ろすとなると変な感じだ。わざわざ最上階にした理由もバレないように出撃するためだとか。アイツ、あたしがゲートを使える事忘れてるんじゃないだろうか。

 角部屋の玄関を開けると、ウチに置いてあった芳香剤の香りがして安心した。ちょっと緊張していたから余計良い匂いに感じる。


「ママー! おかえり! 単身赴任おつかれさま!」

「雪! うわぁ久しぶりだなぁ! 元気にしてたか?」

「うん! あのね、ママがいない間に転校したの! お友達ふえたんだよ! それでね!」

「うんうん、いっぱい聞かせてくれな」


 扉を開けてすぐ、笑顔の娘がお出迎えしてくれる。なんて幸せな時間なんだ。


「ままー、だっこー」

「お、イブもお留守番してたのか。……お前だんだん幼児退行してないか? まぁいいけど」


 二人の娘を抱き締めて、手を引かれながらリビングに向かう。広過ぎるとか綺麗過ぎるとか色々思うところはあったけど、それを口にする前にかなり気になるものを見つけてしまった。


「わん!」

「さくら、お前……そんなことに」


 長いソファの上で寝転びながらペロンと舌を出す上位魔族のケルベロスは、先に帰ったと思ったらリボン付きの可愛らしい服を着せられていた。たぶん、雪が着せちゃったんだろう。


「嫌がらないのな」

「わん!」

「そっか、満更でもないわけだ」


 本人がいいなら口を挟まないけど、ウチの悪魔達は本当に威厳が無くなっていく。実は雪が一番強者だったりして。ケルベロスとイフリート従えてるしな。召喚士みたいな扱いを受けそうだ。


 その後、家族みんなで近くのスーパーに行って晩御飯の買い出し。ママのお疲れ様会をしたいと言い出した雪の案により、メニューはハンバーグとグラタンになった。どちらもあたしの好物で、旦那と雪で作ってくれるらしい。

 夕方になって新居に帰ってからは二人に料理を任し、あたしはイブとさくらの相手をしながら優香と電話していた。軽い報告や、次のミーティングの段取りをどうするかの相談だ。こっちの事は全部彼女に任せていたし、あたし達がいない間の細かな変化もちゃんと聞いていない。とりあえず次の日曜日に優香の別荘に集まると決めた辺りで、新米主婦達の料理が完成した。


「うわ! 美味そう!」


 テーブルに並んだ料理は、思っていたよりずっとちゃんとした見栄えで正直驚いた。

 グラタンは若い時に康介が作ってくれたことがあったから心配してなかったけど、雪が作ったハンバーグがそれはもう綺麗で見ているだけで涎が出そうだ。この歳の子だと焦げだらけとか石みたいにまん丸だったりするのだろうけど、まるでお店で出てきそうなほど綺麗な楕円に良い焼き加減だ。ちゃんとサラダも添えてあって彩りも素晴らしい。


「えへへ、お料理練習してたんだぁ。ちゃんと自分で焼いたんだよ?」

「うぅ……」

「ま、ママ? 泣いてるの?」

「雪はお転婆でまだまだ子供だと思ってたのに……こんな家庭的なとこもあったんだな。これでいつでもお嫁にいけるって思ったら……」

「あかりさん……雪は小学生だよ」


 そういう事じゃないんだよ康介。わかってねぇな。

 ご飯を食べながら雪の話を聞いていると、どうやら新しい友達は愛たちの事だったとわかる。アイツらが年下にどう接しているのか想像しにくかったけど、聞けばなかなか面白かった。美空は何かと話しかけていつも勉強を教えてくれようとしているらしい。イブと妙に仲良くなった風利は天然で、突然変な事を言い出して面白いとか。愛は意外にも、一番世話焼きに見えてぼーっとしている事が多いみたいだ。

 うんうんと聞いていると、突然カチンという小さな金属音が聞こえる。その音を追ってみると、あたしの左手からフォークが落ちてしまっていた。


「おっとと、ごめんごめん」

「あはは、ママドジっ子〜」

「疲れてんの! ドジっ子じゃねえし!」


 雪は何とか紛らわす事ができた。でも、さすがに康介までは騙せなかったらしく、彼はどんどん顔を青ざめさせて眉を寄せた。そして、雪の方をチラリと見て笑顔を作る。


「ママは大変な仕事してたからね。あかりさん、今日は早く寝た方がいいよ」


 精一杯のフォロー。雪もどんどん成長していて、自分の言葉によっては勘づかれてしまうと思ったんだろう。それをあたしが隠そうとしている事もわかっている。


「ん、ごちそうさん! 雪、パパ、美味しかったよ」

「おそまつさまでした!」


 洗い物を片付けてからお風呂に向かったあたしは、少し焦っていた。あんまり気を抜き過ぎるのも良くないな。

 服を脱いでそのまま洗濯機に入れる。バスルームはこれまた広くて、湯船の大きさに感動しながら頭を洗う。そんな時、後ろでカチャリと扉が開く。ぺたぺたと水気を踏む足音が近付く。


「ん? 雪か〜?」

「残念、僕でした」

「こここ康介!?」


 急いで身体を隠す。夫婦で一緒に風呂に入るなんて何年ぶりか分からないくらいだったので、めちゃくちゃ恥ずかしかった。頭に付いた泡も流せないから目も開けられず、そこにいるであろう旦那に向かって首を振った。


「ななな何してんだお前! いきなり過ぎるだろ!」

「背中くらい流したくてね。……随分頑張ったみたいだからさ」

「背中って!………………うぅ」


 あたしは目を瞑ったままくるりと背を向けると、諦めて髪の毛を洗い直す。暗闇の中、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。


「代わるね」

「……うん」


 康介の手があたしの髪に触れる。こういうことをあんまりしなかったから、彼は子供を扱うように優しい手つきで洗ってくれた。シャワーで丁寧に泡を落としてから、続けて身体を洗ってくれる。そして、左手を掴んで悲しそうな顔をした。


「左手、力入らないんだろ?」

「たまにな。でも、集中すれば割と動くから」


 あたしは手を握っては広げ、問題ないことをアピールする。


「はぁ……出来ればもう少し早く聞きたかった。あかりさんは自分の事となるとすぐ隠す。それって寂しい事だよ」

「……ごめん」


 二人とも体を綺麗にして湯船に浸かる。抱き抱えられるようにお風呂に入るなんて片手で数えられるくらいしかしてなかったから落ち着かない。

 あたしの鼓動が康介に伝わってないかと緊張していると、肩に触れる彼の腕が震えていることに気付いた。


「康介?」

「あかりさん、僕は……怖いんだ」


 耳元で聞こえる最愛の人の声は、今にも消え入りそうに力ないものだった。


「キミは強いよ。身体も、心も。だから平気で無茶をする。小さい頃からずっと心配で、大人になってもそれは変わらなくて……。前に言ったよね、もう若くないって」

「そ、それは……」

「僕じゃキミを守れない!」

「っ!」


 怒鳴ったわけじゃない。気持ちが抑えきれないんだ。


「僕に魔法は使えない。ただ必死に世界を守る姿を、見ていることしか出来ない……。何度思ったか、キミに魔法が使えなければ、悪魔が現れなければって。なんであかりさんが傷だらけにならないといけないんだ」


 康介の手があたしの背中やお腹、腕を優しく撫でる。それは全て、普段隠している治りきらない大きな傷跡がある場所だ。


「こんなことなら、僕は無理矢理にでも……」

「なぁ、康介」


 あたしは、康介の手をギュッと握って身体全体を彼に添わせる。


「いつもありがとう。本当に心配してくれんのはお前だけだもんな」

「あかりさん……」

「そんで、ごめん。弱くなくて」


 あたしは強い。それは昔からで、つまり康介は昔からずっと心配し続けてくれる。そんな人、他にいない。


「でも、あたしは戦い続けるよ。世界なんてどうでもいい。康介と雪のためだ。康介はわかんないかも知れねぇけど、あたしはずっとお前らに守られてる。だから、大丈夫」

「…………」

「それに、もうすぐ終わるから安心してよ」

「本当に?」


 疑り深い旦那を信じさせるため、あたしは振り返って彼の唇を塞ぐ。

 長いキスの後、お互いに息を整えて目を合わせる。康介のとろけた顔がすごく可愛い。


「証拠、見せようか? そろそろ二人目欲しいだろ」

「あ、あかりさん、雪がまだ起きてる」

「声出さなきゃバレねぇよ。知ってるか? あたしだってムラムラすんだ」

「……髪、伸びたね」

「このくらいが一番好きなんだろ? へへ、襲っていいぞ?」


 その日の風呂はいつもより長くて、上がった時にはリビングで雪が寝てしまっていた。








「と、いうわけでバーベキューしようぜ!」

「何が『というわけ』なのよ」


 大きなリュックを背負った美空は、あたしの出鼻を綺麗に挫いてきた。

 その週の金曜日、優香の別荘を借りてミーティング兼合宿をすることになったあたし達は、軽井沢まで足を運んでいた。

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