第十九話 悪夢

 たった一時間程で、かなりの戦闘をこなしてしまった。次々と現れる悪魔達は肉食動物のように迷いなく襲いかかってくる為ほぼぶっ通しで戦い続けていた。


「ふぅ、ここで一区切りかな。美空ちゃん大丈夫?」

「だ、大丈夫よ。変身もしてないし、魔力も結構残ってるわ」

「やっぱり、この黒い木が厄介ね。魔力の自然回復が追いつかない。長期戦なんてするもんじゃなかったかしら」


 辺りに悪魔の気配が消えたところで、すかさず七海が水のシェルターを張って魔力を隠し、あたしの岩で囲って簡易的な隠れ家を作る。これで、ある程度の雑魚は凌げるだろう。


「美空、魔力どのくらい残ってんだ?」

「えと、……半分くらいかも」

「まぁ、それならまだ大丈夫か」


 撤退の予定時間はあと三時間弱。別に早めに切り上げてもいいし、ここからの戦闘はあたしが前に出てもいい。美空の魔力消費が多いのは、長期戦慣れしていないことと初魔界での緊張で力んでいるからだろう。配分が上手くいっていないのは、本人が一番感じているだろうし余計な事は言わないでおく。


「少し休んだら、一旦森から離れましょう。食材探しは諦めて、身体を慣らすことに専念しましょうか」

「そうだな。別に今回限りじゃねぇし、気ままに行こうぜ」


 『魔界に来られる』。実際にそれを確認出来ただけでかなりの収穫なのだ。焦ることは無い。長い目で見てゆっくり作戦を練ろう。






 そう言って、作戦中に気を緩ませてしまったのが致命的なミスだった。この時、這い寄る強敵に気付いていれば、あんな事にはならなかった。






「ちょっと……どういうことよ……」


 唖然とする七海に、事態の深刻さを理解する美空はあたしの服の裾を掴む。有り得ない現状に、あたし自身もかなり混乱していた。


 あたしと七海で作り上げたシェルターを解いた途端、その場所は漆黒の木々に囲まれた森と化していたのだ。


「おいさくら、黒い森は動いたり増えたりするのか?」

「そんな分けないよ。魔界とはいえ植物なんだ。類似した悪魔はいても、森が動くなんて聞いたことがないよ」

「だったら何であたしらは森の中にいるんだよ。地面は動いてねぇ、あたしらが移動した可能性はゼロだ」

「待って、待ってよ。今考えてるから。こんな事が出来る悪魔……誰が……」


 さくらは珍しく狼狽えていた。あたし達人間より遥かに長く生きてきた上級魔族が経験を辿る。


「だめ、この中じゃ飛べもしないわ。魔法も使えない」

「魔法が……使えない」

「でも、この木が魔力を吸ってるわけじゃねぇな。魔力はあるのに魔法が使えないってなんだこれ?」

「黒い木が……魔力を吸わない。まさか……!!」


 さくらが答えに辿り着く前に、冷たい気配あたし達を包む。さっきの雑魚共じゃない。明らかに異質な魔力。


「みんな目を閉じて!! 『バク』だ!!」


 一斉に目を閉じる。こんなに冷たい死の気配は初めてで、全身に鳥肌が止まない。

 森の奥から、ゆっくりと近づいてくる足音。長い深呼吸のような空気の動き、落ちた枝の折れる音。間違いなくそこにいる。なのに、不吉な気配は地面からも感じていた。


「さくら……バクってのは何体もいるのか?」

「いや、一体だけだよ。地面からの気配はヤツの魔法、ここはもうバクの魔法領域ってことだ。たぶん地面に『目』を作っているんだね。下を見たら目を合わせたことになるから間違っても開いちゃダメだよ」

「じゃあどうやって倒すんだよ!」

「物理攻撃は効くから、目を瞑ったまま戦うしかないよ。森もヤツの幻覚だろうし、目を瞑っていたら実態が無くなるだろうね。ただ、ここまで膨大な領域を作ったんだ。あの森を枯渇させたのは間違いなくバクだ。動かないバクが何故こんな所まで……」

「理由なんてどうでもいい。目の前にいて攻撃してくるなら倒すしかねぇ!」


 とはいえ、勝手に動くと同士討ちの恐れがある。まずは二人の位置を確認しなければならない。


「七海、大丈夫か?」

「私は大丈夫。攻撃はあかりに任せるわよ。二人で行くと相手が絞れない」

「わかった。美空、そこを動くなよ」

「……………………」

「美空? …………美空!!」


 返事がない。

 つまり、最悪の状況だ。


「あかり! 早くバクを倒して! 美空は目を合わせちゃったんだ! 精神魔法は単時間で深刻なダメージになるからすぐに倒さないと美空の精神が崩壊するよ!」

「クソが!!」

「でも変身はダメだよ! 場所が悪い。ここで変身しちゃうとリヴァイアサンに勘づかれる!」

「ぅ……七海! 手探りで美空を探して魔力を流し込んでやれ! 抵抗魔力の補助を頼む!」

「わかった!」


 内包魔力を身体の周りに張り巡らせ、僅かに身体能力強化を試みる。変身して消滅魔法を発動出来ればこんな領域ごと破壊できるが、変身するなと言われてはこれが限界。

 気配を頼りにガイアロッドで殴り掛かるが、避けられてしまう。何度振るっても僅かに届かず、自分より大きな体躯をしているであろうバクを紙一重に捉えきれない。


「速ぇっ!」


 しかも、近づく度に耳鳴りのような音が頭の内側で鳴り響き、恐怖心をえぐり出されるような魔法を受ける。目を合わせなくてこれだ。美空はもっと酷い精神支配を受けている可能性がある。

 逃げろ、逃げろ、逃げろと弱いあたしを押し上げられながら攻撃を続ける。時間をかけてはいけないと思えば思うほど振りが雑になり、バクの気配が遠のいていく。

 その時、美空が叫んだ。


「あぁあああああ!! 助けてあかり!! 怖い!! 怖……いぃ!! ダスケデぇ!!」

「美空ちゃん頑張って!! 幻覚よ!! 」

「イヤァアアアアアアアアアアアアア!!」


 七海が守っていても、その精神攻撃は絶大。大切な弟子の、娘のような美空の、死ぬほどの苦しみの叫びに、あたしは我慢ができなかった。


「もう、耐えられねぇ……」

「あかり!! ダメだ!!」

「うるせぇっ!!」


 さくらの静止も虚しく。空間が歪む。

 禁じられていた変身。全身に掛けたリミッターが同時解放され、爆発寸前の魔力が両腕に集結する。消滅魔力が全身を包み込んだ瞬間、バクの領域が破壊された。


「【バトルフォーミュラ・オリオン】」


 消滅のチャクラムを手に、目を開ける。そこにいるカバとゾウを配合したような見た目のバク。この状態のあたしに生半可な魔法は通用しない。


「お前、生きて帰れると思うなよ」

「ブゥアアアアアアアアアア!!」


 血のように赤い目を見開きながら、猛進してくるバクを全力で蹴り飛ばす。為す術なく岩に激突したバクを逃がさぬよう、地面から岩の槍を召喚して串刺しにする。


「………………っ…………っ!」

「薄汚ぇ声も出ねぇだろ? 喉潰したからな。テメェを見てるのも不愉快だ。もう消えてくれよ」


 チャクラムを振りかぶり、横一線に薙ぎ払う。真っ二つに割れたバクは断末魔すら上げられず塵となって消滅した。後に残った岩の槍だけがその場に残り、戦いの終わりを告げる旗のように見えた。

 たった五分ほどの戦闘。しかし何時間も戦っていたかのような記憶の混濁。精神系はダメージが抜け辛く、後遺症が残りかねない。


「あかり!」

「七海……ぅっ。み、美空は?」

「まだ意識が戻らないの。魔法が解けてないのかもしれないわ!」

「そっか……」


 若干平衡感覚が保てないあたしは、ゆっくりと七海が抱きしめている美空へと近く。苦しそうな表情で、唸りながら歯を食いしばるその姿に悲しくなって、慎重に頬を撫でた。


「もう大丈夫だ。美空、帰ってこい」


 両手で美空の頭を掴み、中に残る邪悪な魔力を消滅させていく。間違って美空の魔力を消さないように、丁寧に丁寧に払った。

 次第に顔色が良くなる美空は、静かな声を漏らしながら目を開けた。微睡んだ瞳に、恐怖心は残っていない。


「あか……り……」

「おはよう。よく眠れたか?」

「夢……だったの……? あたし、あかりに……すごく怖くって……」

「夢だよ。悪い夢は忘れちまえ」

「あかり……なんで、変身してるの?」

「たまにはミニスカートもいいかなって」

「……ふふ。歳考えてよ……ふふふっ」

「うるせぇよ」


 意識がはっきりせずまた眠る。でも、なんとか自我を保ってくれていた。それだけでもすごく嬉しくて、思わず涙が零れてしまう。


「はぁ、どうにかなったわね。ごめん、あたし何にもしてないわ」

「美空を守ってくれてたじゃない。ありがとう七海。こいつが無事なのはお前のおかげだよ」

「あんた、すっかり親ね。ほらほら、涙拭いてよ。涙脆くなっちゃって」

「ん、すまん……」


 七海のハンカチで涙を拭いて、変身を解く。全員が気疲れで放心していると、さくらが唐突に警告する。


「よし、帰ろう。すぐにでもここから離れるよ」

「待って、まだ頭がぐらぐらする」

「そんなのどうでもいいよ。あかり、変身したよね? ダメだって言ったのに……もう取り返しはつかないよ」

「何を怯えてんだ。ここから湖まで何キロあるんだよ。いくら水の守り神とはいえこんな所に……」

「甘いんだよあかり。たしかに距離はあるけど、誰でも感知できるほどの馬鹿みたいな魔力を放出したんだよ。しかもリヴァイアサンに距離なんて関係ないんだ」


 チラッと空を見たさくらが諦めのため息をついたその瞬間、莫大な魔力が一帯に広がり、大きな影が落ちてきた。


「リヴァイアサンは……【ゲート】が使えるからね……」


 全員で空を眺める。正確には、空を埋め尽くす巨大な蒼い龍を、ただ見つめるしか出来なかった。


 水神が、現れてしまったのだ。

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