第十二話 我が子予備軍

 イフリート……もといイブが来て以来、魔界のゲートの出現もめっきり少なくなった。これが何を意味しているのかは知らないが、こちらとしては休養も取れるのでずっとこのままがいいと願うばかりである。

 結局、旦那を説得するからとイブを七海に預けっぱなしにしてさらに一週間。玄関口までやってきて七海に殴られてとうとう引き取ることにしたのだが……。


「あかりさん……」

「いや、言いたいことはわかるんだ……」


 イブを横に正座する私はお茶を濁したくてたまらなかった。旦那の康介は頬を引き攣らせているが仕方ない。彼の頭の中には様々な悩みが蠢いているのだろう。食費とか、食費とか、あと食費とか……。流石に妻と子供二人、さらに犬。康介の稼ぎではこの人数を養うのはまだ早過ぎる。

 しかし、それは大丈夫。悪魔は食事を取らなくても生きていける。コイツらは物好きだから人間の食事が大好きだけど、言い聞かせれば食べないはずだ。それなら引き取っても大丈夫なはず。


「食費……だろ?」

「学校はどうするんだい」

「え?」

「見たところイブちゃん? はまだ小学生くらいだ。悪魔とはいえ、キチンと学校に通わせないといけないだろ」

「いや、こう見えてあたしらより長生きなんだけど……」


 康介は珍しくキッと睨んだ。大の子供好きな康介はイブを学校に通わせる気でいるらしい。その事で悩んでいたのなら、問題はかなり大きくなる。まず戸籍がない。所在不明の子供を籍に入れる役所の手続きなんてあたしも知らないから、一から全部調べないと駄目だ。それを康介が引き受ける気でいるようだった。

 イブは全く話が掴めないというキョトンとした顔。やめてくれ、余計に子供に見えるから。


「あかりさん、犬を拾ってくるのとはわけが違うんだよ。社会的に筋を通さないといけないし周りの目もある。何よりイブちゃんは精神的にもまだ幼い。子供を引き取ることを簡単に考えちゃ駄目だよ」

「はい……すみません」

「もちろん引き取るよ? でも、半端な気持ちでいるのはどうかと思う。なんでもっと早く言ってくれなかったのさ」

「そ、それは……あの……」

「これから二人の子供を育てるんだ。雪と差をつけちゃ駄目だし、ちゃんと僕達二人の子供として育てる。いいね?」

「はい……わかりました」


 旦那は滅多に怒らない。だから怒ると物凄く怖い。いつも強気でいるあたしでも借りてきた猫どころではないのだ。

 最早指一本動かさず固まっているあたしに呆れた旦那は、同じく横で正座していたイブの前に腰掛けて笑顔を見せる。


「イブちゃん。少しの間不自由させてしまうけど、これからは家族としてよろしくね」

「ん……イブでいい」

「そっか、『ちゃん』付けはよそよそしいかな。じゃあイブ。何かの困ったことがあったら僕やあかりさんにすぐに言ってね」

「ん……ありがとう、パパ」


 あ、いま『キュンンッ!』って音が聞こえた。康介のハートが射抜かれたな。

 チラッと盗み見ると、あたしが口を挟むのを予期したのか康介がすぐさま睨み返してきた。

 ひぇっ、駄目だ怖ぇ……。今日はもう奴隷だ。奴隷のように生きてやる。


 こうして、苦難を経て地走家に家族が一人増えました。戸籍上、雪の一つ上の小学二年生と言うことにして、『地走イブ』は人間界に誕生した。






「お姉ちゃんまって! 速いー!」

「つかまえてーごらーんー」


 隣町の大きな公園で、娘二人は本当の姉妹のように追いかけっこをして遊んでいた。こうして見ると、イブが悪魔だなんて全くわからない。炎が出せないように魔力の殆どを預かっているのもあるけど。


「こうして見ると、悪魔に見えないねぇ」

「……お前は本当に悪魔臭いな」


 揚々と喋る犬が隣りにいなければ素晴らしい日常なんだけどなぁ。

 車を運転してきて疲れているのか同じベンチでうなだれていた康介は、さくらの尻尾をニギニギしながらコーヒーを飲んでいる。


「ま、いいじゃないか。せっかく家族で遊びに来ているんだし細かいことは気にしないでさ」

「康ちゃん随分疲れてるね。仕事忙しいのに家族サービスなんて偉いよ」

「何言ってるのさ。家族が第一。仕事の疲れはみんなが癒してくれてるからいま幸せなんだよね」

「ふふっ、この距離なら僕のゲートですぐ飛んでこられるのに。マメな男だねぇ」

「雪に魔法見られちゃいけないだろ? それに、車の中での会話も好きなんだ」

「いい男だねぇ。このっこのっ」

「あははっ! くすぐったいってば!」


 旦那をぺろぺろ舐めるさくらは置いといて、そのゲートお前のじゃねぇだろと言いたい。康介と和解してから調子に乗ってるなコイツ。

 ともあれ、全員がやっと家族らしくなったのにはあたしも嬉しい。さくらを連れてきた時なんてずっとギスギスした生活が続くんじゃないかって心配だったんだ。あたしも、もう少し肩の力を抜いていいかもしれないな。


「さくらー! こっちにおいでー! 一緒に遊ぼうよ!」

「ケル……さくらーっ……きてー」


 仲良し姉妹からモテモテのさくらは、仕方ないなと呟きながら軽快に走っていった。

 みんなの鬼ごっこを眺めながら、康介は少しこちらに近付き、見えないようにあたしの手を握る。久しぶりのそんな仕草に思わずドキッと心臓が高鳴り、なんだか顔が熱くなる。


「こ、康介……こんな所で……」

「ねぇ、あかりさん」

「ななななにぃ??」

「雪、ハキハキ喋るようになったね」


 康介は、どこか物寂しそうな顔をしていた。

 そっか、そう……だよな。


「……うん」

「ペットが出来て、お姉ちゃんが出来てさ。ただママやパパに甘えるわがまま少女から、少しずつ自立心が出てきたのかな。家族……増えて良かったね」

「ホント、あの泣き虫お姫様がね」

「このまますぐに大きくなって、お洒落して、友達と遊びに行って……結婚なんてすぐなのかもね」

「あははっ、あたしもこの前同じこと考えてた。でも、恋人すっとばしてるぞ?」

「もう、茶化すなよ」


 そう言いつつ、康介も笑った。思えば、あたし達も早かったな。小学生の時に出会って、このヘタレがなかなか告白してくれないから高校三年生にやっとあたしを捕まえてくれて、『彼』から『旦那』に。『旦那』は『パパ』になった。面影はもちろんあるけど、いつの間にか大人の男になっちゃったんだ。あたしだけの大人の康介に。

 馬鹿康介のせいでなんか湿っぽい空気になったから、あたしは彼の頬に手を置いて無理矢理キスをした。初めてのキスと同じように。


「ああ、あかりさん!?」

「へへっ、これで寂しくねぇだろ?」

「うぅ、いきなりすると……あの……」

「おぉう? 今夜は眠れないのかなぁ〜??」

「からかうなよ!!」


 恋人気分でじゃれ合っていると、不意に視線を感じた。


「あ…………」

「う…………」


 いつの間にか戻ってこようとしていた雪達がそこにいた。イブはよくわからないといった顔、さくらは察してニヤニヤして、雪はまさかの絶句。

 まずい所を見られてしまった……。


「さ、さーて! そろそろお昼にしようかな! ママ特性のサンドイッチだぞー!!」

「わ、わ〜い……」


 なにその反応、思春期なのか? もうそんな歳なのか? 察しちゃってるのか??

 何とも気まずいお昼ご飯の後、幸せなぽわぽわ空気を取り戻すためみんなでアスレチック広場に行きました。




 その夜はもちろん……何もせず寝ました。

 雪がドキドキして寝付かなかったからである。

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