二章

第十一話 魔界って穏やかじゃねぇ

「それでねぇ、ウチの旦那ったら子供みたいに息子とアイスの取り合いなんてして、大人気ないったらありゃしない」

「はは、そうなんですか。うちの旦那もそれくらい元気なら楽しいんですけどね」

「そうでもないわよ? 結局自分が食べちゃって息子も泣かせちゃうし見苦しいものよ。地走さんの落ち着いた旦那さんが羨ましいわぁ」

「いえいえ、落ち着いてるなんて。この前なんてコーヒーを入れようとして砂糖と塩間違えてましたし、その時の焦りようが一人コントみたいで笑っちゃいました」

「あら、可愛いじゃない?」


 買い物の帰り道、偶然出会ったママ達と井戸端会議。旦那や子供の話、学校の先生の愚痴にバーゲンの情報交換などしてもしなくてもいいような会話内容だけど、あたしはこの時間が何となく好きだった。きっと素行の悪い子供だった自分がちゃんと主婦でいられてるんだなと実感出来るからだ。

 前は毎日のように顔を付き合わせてはカフェに入ったりしてたのに、今ではなかなかそんな時間も取れなくて一歩外側から眺めているだけ。自分がどれだけ日常から離れていたかを痛感する。


「ママ……」

「どうした雪。疲れちゃったのか?」

「うん……ねむい」

「そか、じゃあすみません。娘が限界みたいなのでお先に失礼しますね」


 年の離れたママ達に手を振って帰路につく。朝から連れ回した雪がうつらうつらと頭を振って眠気と戦っていたからおんぶをしてあげると、少しだけ重くなっているように感じた。この子もあっという間に大きくなって、すぐに『ママ』から『お母さん』に呼び名も変わって、彼氏なんて連れてきちゃったりして。こうして仲良く触れ合う事も出来なくなるかも知れないと思うと、ちょっとの寂しさと感慨深さが身体を熱くする。

 ほとんど歩くことも無く家に到着したあたしを迎えに来たのは、今や普通に家族面をして居着いているさくらだ。さくらは雪が熟睡している事を確認してから人間の言葉を話し出した。


「あかり、今日行くんだよね?」

「ん? 七海のところか。そうだな。もうすぐ康介が帰ってくるから、それからだな。お前も付いてくるのか?」

「そうだね。別にイフリートには会いたくないけど、僕の散歩をしてる体ならあかりも出やすいだろうし」

「……お前ら仲悪いのか?」

「悪くないよ。ちょっと気持ち悪いだけさ。彼女は筋金入りのストーカーだからね。何年も巻くのは苦労したんだよ」

「それ、仲悪いって言わないか?」


 犬の顔なのにめちゃくちゃ複雑な笑みを浮かべやがる。これ以上深堀しない方が良さそうだ。

 ちょうど十二時を過ぎた辺りで、玄関から鍵を開ける音が聞こえた。帰ってきた旦那を迎え、事情を説明して外出の許可を取る。彼は何の文句も言わず笑顔で送り出してくれた。


「行ってらっしゃい」

「ん、夕飯前には帰ってくるからな」

「久しぶりに七海ちゃんに会うんだろ? ご飯くらい食べてきなよ」

「いや、流石にそれは……」

「いいからいいから。俺と雪は出前でも食べるからたまにはゆっくりしておいで」

「……ありがとな」


 玄関にワープゲートを開く。手を振りながら吸い込まれていくあたしを見送る康介は、ずいぶんと頼り甲斐のある顔をするようになった。小さい頃から知っているから、一緒に成長した彼には安心して後を任せられる。

 彼にとって、あたしも成長しているんだろうか。そんな事を考えながら、七海の家の遥か上空へ移動した。




「来たわね遅刻魔! まずは一発殴らせなさい!」

「おわぁ! 何すんだ七海やめろ! 何があったんだ!」


 家賃の高そうなマンションの一室。チャイムを鳴らすなり飛び出して来た七海は、鬼の形相で拳を振りかざして来た。昔の、笑顔が可愛くて正義感の強い真面目女子とは思えない変貌ぶりだった。


「何があったじゃないわよ! あの時あなたなんて言ったの! 『明日イフリートを迎えに行くから一日だけ預かってくれ』って言ったわよね?? もう一週間じゃない!! その間に家の中が何回焼かれたと思ってるのよ!!」

「え、そんなこと言ったっけ?」

「しばく!!」

「嘘嘘嘘ごめん! こっちもやる事いっぱいでつい忘れてたんだって! 頼むからその槍はしまってくれ!」


 玄関先でやいやいと一方的な喧嘩をしていると、何かあったのかと心配した他の部屋の人達が集まってきたので一時休戦と逃げるように七海宅へ入った。

 キチンと大手企業へ就職して出世の道を歩いている七海は、都心から少しズレたタワーマンションの2LDKで暮らしている。中は一人で使うには広々とし過ぎるくらいのものなのだが、それでもイフリートを入れるくらいなら一人の方がマシらしい。


「お、イフリート」

「あ、ママだ」

「ママじゃねえよ」

「ケルベロスもようこそ」

「お前の家じゃねえだろ」


 大人しく魔法少女のアニメを観ていたイフリートは、あたしを見るなりトコトコと抱きついてきた。こういう事をされると余計に母親目線になるから思うつぼだ。

 イフリートの頭を撫でながら、部屋の中を見回す。焼け跡どころか焦げた匂いすらしない綺麗な壁を眺めながら、本当にそこまで暴れるような子なのか不思議に思った。例の戦いも、言ってしまえばこちらから仕掛けたわけだから、見た目も相まってそんな事をするようにはどうしても見えない。


「七海、焼けてないぞ?」

「そりゃそうよ。直してもらったんだから」

「毎回壁紙貼り替えてんのか? ……お高いんじゃない?」

「そんな事したら破産するわよ。優香に直してもらったのよ」

「え、優香って『ババユカ』か!? なんで連絡取れんの!?」

「あんたからの連絡って基本不吉な事ばっかりだからね。わざと取れなくしてるんじゃない? それより、そのイントネーションやめなさいって」

「もしかして、あたし嫌われてんの?」

「いや、そこまでじゃ……ないけど」


 あたしだけ着信拒否にされていたことに激しい衝撃を受けた。あれだけ一緒に戦ったのに……。

 馬場 優香。あたしと同じチームの元魔法少女だ。『リトル☆オレンジ』とメジャーな果物を付けられたが、その能力は異質の中の異質。人として反則的な力を持ったアウトレンジの魔法少女だった。特殊な魔法から絶対的な強さを示す彼女は、当時のあたしもどうにか接近戦で倒す事が出来たくらいだ。もちろん修行の中の模擬戦レベルなので、本気のアイツを止められるとは微塵も思っていない。

 優香が来たのなら納得だった。アイツの操る特殊能力なら焼けた壁紙を直すなんて片手間で出来るのだから。


「なに感傷に浸ってるのよ。早く本題に入ってこの子を引き取ってよね」

「そう言えば七海。ご機嫌な彼氏はどうしたんだ?」

「……別れたから助けに行ったんでしょ?」

「…………すまん」


 地雷を踏んだところでようやく腰を落ち着けたあたし達は、まず初めにさくらの話を聞く事にした。イフリートと契約する代わりにさくらの命を狙う敵の情報をくれると言っていた。魔界ゲート出現の原因に繋がるかもしれないのだ。

 さくらはあたしの膝の上でおすわりをする。多分人間で言うところの正座をしているつもりなのだろう。


「じゃあ、今の魔界の状況から説明するね」

「あぁ」

「魔界ってのは完全に実力主義の世界で、人間界では考えられないくらいの無法地帯なんだ。その中で特に大きな力を持っているのが三人、『覇王』『魔王』『冥王』と呼ばれる悪魔達がそれぞれに縄張りを持って好き勝手しているのさ」

「お前らはどこら辺の位置にいるんだ?」

「ん〜、難しいね。イフリートは間違いなく十指に入るけど、実際は僕の方が強い。でも、僕は十指に入っていない。特殊能力やどの王の下についているかで知名度も変わるから、ハッキリとは言えない。強さランキングみたいなのはクチコミのイメージだからね」

「あやふやだなぁ」

「まぁね」


 統治されているというわけでもないって話だ。恐らくさくらは無所属、イフリートはどれかの王に付いていたのだろう。


「それで、ある時事件があって王の考えに変化が訪れた。基本自由に生きていた彼らが一斉に一つの敵に照準を合わせたんだ。その結果、それぞれに自らの力を上げたい王達が出した方法が『上級狩り』なんだ」

「上級狩り?」

「そう、王に次ぐ実力者の上級悪魔を捕まえて無理矢理契約を結ばせる。魔力の譲渡が可能になったところで死ぬまで吸い上げてレベルアップをするって事だよ。今はそれぞれが拮抗しているけど、現実的に誰かの頭が一つ抜けてしまうと、今度は王同士の喰い合いが始まる。その第一段階として、僕やイフリートが狙われたのさ」

「……ひでぇ事するな」

「そうでもないよ。それが一番現実的なのは魔界では当然の考え方だ。狙われた方は溜まったものじゃないけどね」


 素のテンションで話を進めるさくらの顔は落ち着いていて、余りにも荒れた土地で生き抜いてきた事を悟らされた。コイツも、ずっと一人で凌いでいたのだろう。

 七海がイフリートの顔を心配そうに見る。イフリートも特に気にした様子はなく、たぶん七海はあたしと同じ感情に押し潰されそうになっているのかもしれない。

 一度お茶を流し込んで、改めて問題の解決に頭を捻る。一緒に暮らして、接して、この二人は決して悪い悪魔ではないと分かったからこそ、どうにかして守りたいと思った。


「まぁ、僕らの心配はしなくていいよ。重要なのは、王と王の喰い合いが終わった後なんだから。そのうち人間界にもやって来て負の感情を集め出す。それから彼らの真の敵に戦いを挑むだろうね」

「そっか、それをしないといけないほどの相手がいるって事だもんな。誰なんだ?」

「……それはまだ言えない」

「はぁ?」

「言うと君たちはすぐにでも飛び出してしまうからさ。王が一つになってようやく対抗出来るかもしれないって相手なのに、今の未熟な君たちが戦って勝てる相手じゃないんだ」

「つまり、戦おうと思えばすぐに戦えるところにいると?」

「ん、まぁたぶんね」

「そうか……」

「敵が目的が何なのかわからないけど、封印された境界のゲートをこじ開けたのはヤツらさ。王の喰い合いすら予想してそうだけどね」


 ここまで言われてしまえば、頭に血が上って全ての元凶を倒しに行こうとはならない。当面の目標は、いつ現れるかわからない魔界の王達に備えて力を蓄えるしかないのだ。

 しかし、これには少し問題がある。弟子である愛達の力が弱過ぎる事、元チームメイトを引っ張り出してもブランクがある事。最悪、復帰一戦目のあたしくらい弱くなってるかもしれない。


「なぁさくら、あたし達の力って今どのくらいなんだ? 子供の頃と比べてさ」

「だいたいになっちゃうけど、あかりは僕らの魔力を持ってるわけだから、魔力だけなら今の方が高いよ。ただ苦戦という苦戦もしてないから戦闘センスは落ちてるかもね。七海ちゃんは前より弱いけどそこまで落ちてないね。十分戦える範囲だよ。僕とイフリートは、当たり前だけど魔力がほとんど無いから弱いね」

「ま、魔力をそのままお前らに返したあたしは?」

「そりゃあ前より弱いよ。破格のドーピングしてるだけだもの」

「だよな〜」

「別に気にしなくていいよ。僕らも魔力を渡したからって成長しないわけじゃないからね。あかりさえ取り上げたりしなければ、元の強さに戻るさ」

「え、新しく魔力を上げたらそれも吸収出来んの?」

「契約ってそういうものだよ。従者の経験値をそのまま奪える奴隷みたいなものなんだ。生命まで吸収するとその効果は絶大。短期間成長に契約を選ぶのはそういうこと」

「へ、へー……」


 そろそろ頭が熱くなってきたので勉強の時間はここまで。とりあえず分かったのは、自分はもちろん、チームメイト達も本格的に動いてもらう必要がありそうって事。弟子達を含め頭数の増えたメンツで修行するしかない。

 同じ意見の七海はとうとう腹を括ったらしく、携帯を取り出して誰かにメールを打ち出した。


「私、みんなに声掛けるね」

「助かるよ七海」

「ま、短い間だったけど、イブが突然消えちゃったら寝覚めも悪いし」

「イブ?」

「イフリートの名前。私が付けたの」

「そうなのか、そんなに仲良くなってるならいっそ二人で……」

「それは嫌。あなたの従者なんだから連れて帰りなさいよ」

「は〜い……」


 流れで押し付けられないかと思ったけど無理だった。これはもう仕方ない。

 ともあれ、今後の目標が付けやすくなったのは良いことだ。何となく『今より強く』で修行していたら手遅れになる所だった。


 気がつけば夕飯の時刻が迫っていたこともあって、七海と二人ファミレスで食事を取ることにした。さくらが連れて行けないのでついでにイブも留守番させることにして、思い出話に花を咲かせたのである。


 帰ってきた時、家の中が焼け跡だらけになっていなければ最高の食事だったのだが……。

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