第5話 第三章 反応、そして暗礁

 ここまで事の様子を詳細に話してきたつもりだが、正直今までの部分は彼女がいなくなった事を語る上でそんなに重要じゃない。ほんとにきっかけに過ぎないんだ。まあ、そのきっかけが重要だと思う人もいるかもしれないが、僕が伝えたいのはそこじゃない。

 ただ、僕が倉橋さんを好きで、ある事件が起きて、その犯人が親友の岡本さんだった、これくらいを理解してくれてたらよい。僕らの人間関係とかを深く知ってもらえばよりわかりやすいと思ったから長々と説明してきたんだ。熱心に聞いてくれた人には申し訳ない。

 でも、本当に大事なのはここから。犯人探しの結果を受けて倉橋さんの起こした行動が、彼女がいなくなる決定的な決め手となってしまったんだ。



 犯人発見の翌朝、最近とは全く違った心持ちで学校へ向かった。昨日の僕の犯人発見の報告に対する倉橋さんの返事はまだきてなかったが、ここ数日降り続いてた雨は止み、良い事が起こる前兆だなんて思っていた。

 犯人が岡本さんだったのはかなりショックだったけど、最終的にはいい感じにまとまったと思うので悪い気はしない。今日彼女が謝って、倉橋さんが僕たちの予想した通りの対応をしてくれて全てが終わる。登校中にはそう予定していた。

 あちこちで広がる水溜りを避けながら、色鮮やかなアサガオに見守られて学校に着いた。教室に上がって、まず倉橋さんがちゃんと来ている事を確認する。彼女はいつものように僕よりも早く来て自分の席に座っていた。その事に安堵しながら彼女の元に行くと、こちらが話し出す前に「ごめん」と言って逃げられてしまった。

 彼女の気持ちを考えると仕方のない事なのかもしれないな。なんせ今まで親友だと思ってた人に裏切られたわけだから、今は心の整理がつかないのかもしれない。だから同情はするので深追いしないようにしたけど、好きな子に話しかけようとして逃げられるのは辛かった。

 それでもこの事件に関する事が全部終わってしまえば、また元通りの関係に戻れると信じていた。そして関係が戻った後はいよいよ想いを伝えて…ハッピーエンドだ。

 犯人探しをしなくていいようになって、肩の荷が下りた気分だった。授業中のささやかな笑いも、体育でのおもしろさが優先されてしまうサッカーも、給食の時間の残り物を奪い合うじゃんけんも、放課後に犯人探しがあった時と比べると圧倒的に楽しく思えた。

 楽しく思いながらも倉橋さんには何度か話しかけようとしたが、その度に意図的に避けられてしまった。めげずに昼休みの間もその姿を探したが、中々見つからなくて不安になってきた。

 すると倉橋さんの代わりに祐介を見つけた。昨日の話を詳しく聞かせてほしいと言われたので、一度彼女の事は忘れて二人で中庭に行く事にした。

 中庭に着くと、ベンチはまだ昨日までの雨のせいで微妙に濡れていた。ベンチに座るのは諦め、植えられている花などを眺めながらの立ち話をする事にする。

「えっと、まずは岡本さん、いや犯人を見つけた時の状況を説明してもらおうか」

「うん。えっと、昨日もいつも通り放課後に見張りをしてたんだ。そしたらちょっとうとうとしちゃってて、これはマズいって思った六時くらいかな?教室の前に人影が現れたんだ。顔は見えなかったから誰かはわからなかったけど、女子だって事だけはわかった」

「ほうほう」

「正直言うと、その時はまず琴音ちゃんを疑ったんだ。なんか岡本さんが女の勘がどうとか言ってたし、人影が現れる前に琴音ちゃんが自分の教室とは逆の方向に歩いて行ってたんだ。今思えば僕の教室の前を通らなくても琴音ちゃんは自分の教室には戻れたわけだし、彼女が怪しいってのも岡本さんの情報操作だったわけだ」

「なるほど。俺は軽く騙されかけていたのかもな。それで?続きをどうぞ」

「僕は人影が現れたから見張りを中断して教室の方に向かったんだ。そしたらそいつは教室の中に入ったらしくて、廊下には誰もいなかった。だから隠れてこっそりと教室を覗くと犯人がいたんだ」

「で、現行犯逮捕と。なるほどな。粘り強く見張りを続けた成果が出たんだな。お疲れ様です、警部殿!」

 祐介が警察の真似をして敬礼をしてみせた。

「あんまりふざけんなって」

 僕は苦笑いで返す。

「あ、待てよ。どうしてそいつが犯人だってわかったんだ?教室にいたからって犯人にするには証拠不充分だろ」

「それはさっき自分で言ったじゃないか。現行犯逮捕だよ。倉橋さんの机に酷い言葉を書いてるところを見つけたんだ」

「まじかよ。あんな事件起こしておいてまだ満足してねえって言うのかよ。こいつぁひでぇ奴だなぁ、警部殿」

 口を大袈裟に動かして狂言のような動きをしてみせる。

「だからあんまりふざけんなって。僕らは遊びでやってるんじゃないんだぜ?」

「ふざけてなんかねえよ。俺はいつでも真剣だぜ、警部殿。あ、ホームズだっか」

「どっちでもいいよ」

「そうだな。あ、でもなんで犯人の事を広めちゃいけねぇんだ?岡本さんは倉橋さんの親友みたいな感じだったんだろ?それなのにあんな事した奴なんだぜ。大々的に広めちゃえばいいじゃねえか」

「それを倉橋さんが嫌がるんだよ。あの人いい人すぎるから、そんな事されても岡本さんの事が心配になるだけで何も嬉しくないんだって。だからとりあえず謝らせるだけっていう条件で犯人探しをしたんだ」

「そうかぁ。流石は倉橋さんだな。俺の惚れた女なだけはある」

 そう言って一人で頷いていた。少し嬉しそうな彼にその後の言葉は言べきうかどうか迷ったけど、あまり隠し事をするのもよくない気がして話す事にした。

「まあ、倉橋さんが嫌がったってのが一番の理由である事には間違いないんだけどさ、実はもう一つ理由があるんだ」

「なんだよ」

「その…岡本さんにも広めるなって止められたんだ」

「はぁ?お前犯人に広めないでくれって言われて、はいわかりましたって言いなりになったのかよ」

「いや、言いなりってわけじゃなくて。実はまださっきの話には続きがあって、その後岡本さんと話をしたんだ。それでしっかり反省したのがわかって、その上でのお願いだったから僕も言う事を聞いたんだ」

「ふ〜ん…」

 祐介が値踏みするように僕を見てくる。思わず目を逸らしてしまう。中庭に植えてあるヒマワリが目に入った。もう僕よりも背丈が高くなっている。

「お前まさか次は岡本さんを好きになったんじゃないだろうな」

「はあぁ!?そんなわけないだろ!何言い出すんだよ!」

「いや、すまんすまん。そんなにムキになんなって。冗談だ、冗談」

 思わず感情的になってしまい、祐介に宥められる。

「でも、これでお前が先に犯人を見つけちまったな〜。仕方ないけどこの勝負、お前の勝ちだ。まだ諦めきれたわけじゃないけど、約束通りしっかり倉橋さんに告白しろよ」

「お、おう。任せとけ。ちゃんと岡本さんが謝って一段落ついたらちゃんと告白する」

 告白する事については初めて人にはっきり宣言した。

「おお、ついに言ったな。俺もお前に彼女を取られるんなら本望だぜ」

 自分の告白宣言に凄くドキドキしてきた。まだ告白が成功したわけでもないし告白したわけでものに、なぜか幸せな気分に包まれていた。

 これから今まで以上に楽しくなるぞ。僕の人生も捨てたもんじゃないな。幸せな想像が頭の中で渦を巻く。

 その後、昼休み中くだらない話を続けた。その会話の中で、祐介からは何度もちゃんと告れよと言われた。昨日、犯人発見を伝えた時はとても悔しがっていたが、今日には既に僕を応援してくれている。諦めたわけじゃないって言ってたけど、僕にはそうは見えない。いつまでも過去の事を引っ張らない。潔く、いい奴だ。


 昼休みが終わり、午後の授業に入ったが倉橋さんの姿が教室になかった。犯人を許すと言ってたようだが、やっぱり岡本さんだけは許せなくて先生に相談してるんだろうか。授業中、そんな具合に考えていた。

 とは言え、そう考えていたのはほんの十分くらいで、気が緩んでたせいか午後の授業をほとんど寝て過ごし、今にも堕ちてしまいそうな眠気を体に残したまま放課後になろうとしていた。結局、午後の授業中に倉橋さんは戻って来ず、岡本さんに謝れたのか確認しようと思っていた時だった。終礼の時に倉橋さんが先生と一緒に教室に戻って来た。少し驚いている生徒たちを尻目に、そのまま自分の席には戻るのではなくみんなに話があると言って教壇の横に立った。

 許せないにしろ、岡本さんが犯人だったとみんなの前で言う事なんてまさかないだろうと思っていたので、僕には不思議以外の何物でもなかった。当然、専門委員会からのお知らせをする感じでもない。一体何を言おうとしてるのか。

 みんなの注目が倉橋さんに浴びせられる。彼女は迷惑そうにその様子を一瞥いちべつした後、一度深呼吸をして口を開いた。

「急にすいません、この前の事件の事なんですけど…」

 一瞬間を置いて、顔を上げた。


「実は机の中に猫を入れたのは私なんです」


 そう言った彼女の声が静かな教室に響き渡った。僕、いや、教室にいる生徒の全ての予想を裏切るあまりに唐突なその内容に、教室自体の空気が一旦停止したように感じた。

 実際、僕の思考は一瞬停止していた。誰かがシャープペンシルを机の上に落とす。一人が咳払いをした。僕は、六秒くらい経ってようやく思考再開する。

 …は?何を言ってるんだ、君は。犯人は岡本さんだったじゃないか。僕が昨日、そうだと突き止めたじゃないか。実は犯人が倉橋さんだった?本当に何を言ってるんだ。

 再開した思考が再び動きを鈍らせるまでの間、僕はポカンと口を開けていた。開けたつもりはないけどいつのまにか開いていた。人間、本当に驚いた時には自然と口が開くのだろうか。僕だけかな?

 対して目はいろいろな方向に動かされていた。黒板や時計、掃除用具入れなどが目に入る。なんだか、どこを見ればいいのかわからなくなったんだ。

「えっと、あの、ちょっと注目されたかったと言うか、それで自分であんな事を…すいませんでした!」

 そう言って深々と頭を下げた。一瞬にして教室中がざわめき出す。それに触発されるようにすぐさま先生が席を立つ。

「はい、静かに。この前の事は今、倉橋が言った通りだ。そう簡単に許されるような事ではない。けどな自分から言いに来て、今では本当に心から反省してるようだから、みんなどうか責めないでやってくれ」

 一瞬静まって、先生の正義感を持った声だけが生きているようだった。でもそれは本当に一瞬で、先生が言った事なんて誰も聴こえなかったかのように教室内はまたざわめきを取り戻した。僕は倉橋さんを見つめたまま、そのざわめきの中には加われず、ただただ意味がわからなくて混乱していた。

 そして終礼が終わると、倉橋さんは一目散に教室を出て行った。教室のざわめきは遠慮の必要が無くなった事で一層騒がしさを増してきた。

 僕は彼女の出て行く姿を目で追うだけで、今度は追いかけようとさえ出来ず、未だに勢いを落とさないざわめきたちにただイライラするだけだった。

 そのうち、騒がしかった教室にも人が少なくなって、だんだん辺りが静かになってきても僕は動き出すことが出来ず一人席に座ってた。

 そのままの状態で十分くらい経った頃だった。祐介が青ざめた顔して僕の教室に入ってきた。

「おい、大志!友達から聞いたぞ。倉橋さんが犯人として名乗り出たってどういう事なんだ!」

 息を切らせながら勢いよく言い切った。よほど衝撃だったのだろう、そしてトイレでその話を聞いたのだろう、制服のシャツをズボンに入れず、ベルトも閉めてないままにここまで来ていた。

「僕も何がなんだかわからないよ…。とりあえずシャツ入れたら。あとベルトも」

「お、おう…。ってかそんな事より倉橋さんだ。お前もよくわからねぇんなら岡本さんに聞こう。お前は先に中庭行って待っとけ。そこで話をまとめよう。岡本さんは俺が呼んでくる」

「わかった…」

 僕の返事を聞くと祐介はすぐに走り去って行った。その勢いに取り残された僕は、ふらふらと立ち上がり中庭に向かった。

 本日二度目の中庭は、一回目来た時とは違って全体の濡れていた部分が乾き始めていた。ベンチもその中の一つでちょっと手で払えば座る事が出来た。

 祐介たちを待つ間ベンチから見える花たちを眺めたいた。そういえばここ一年くらいの間はベンチに座る事が多いな。特に倉橋さんと、二人で。今日は残念ながら一人だけど。

 そんな事思ってるとすぐに祐介が岡本さんを連れて来た。僕は立ち上がって二人を迎える。

「いいよ、座ったままで。岡本さんもここ座って」

 祐介に促され岡本さんが隣に座ってきた。どうやら倉橋さんの事は祐介に初めて聞かされたらしく、落ち着き無く瞬きを繰り返してた。

「どういう事なの、詩織ちゃんが犯人として名乗り出たって」

 僕の方を向いて尋ねてきた。

「僕も理由はわからないよ。ただ、昼休みからずっと教室にいなくて、終礼の時に急に戻って来て自分が犯人だって言ったんだ」

「それが意味わかんねえよ。犯人は…その、岡本さんだったんだろ?」

 祐介が遠慮がちに岡本さんを見る。

「いいわよ、そんなに気を遣わなくても。ちゃんと犯人として反省したんだから」

「お、おう」

 祐介が僕の方を見てくる。こんな感じの人だったっけ、と目で伝えてくる。僕は首を傾げてみせた。

「私の事はどうでもいいのよ。詩織ちゃんがそんな事したのには、何か考えがあるからに違いないわ。おもしろがってそんな事してみせる人じゃないし」

「まず何もおもしろくないしね。僕も何かあるとは思ったんだけど、彼女すぐに帰っちゃって聞こうとすらできなかった」

 僕が話し終わっても二人は何も喋り出さなかった。何かを考えているようだ。仕方ないので僕が話を続ける。

「ところでさ聞きたいんだけど、岡本さんは倉橋さんに謝る事は出来た?」

「まだよ。昼休み行こうと思ってたけど見つからなかったし、放課後になったらこんなだしね」

「そっか…」

「やっぱり朝一番に謝りに行った方が良かったのかしら。そうしなかったから、怒って私を困らせようとしてるのかしら」

 そう言って僕、祐介の順で見てきた。祐介が少し慌てる。

「俺に言われても知らねぇよ。俺は倉橋さんじゃないんだから。でも、あの人はそんな人ではないとは思うけどなぁ。岡本さんがちゃんと謝って事情を聞けばいいんじゃないか?」

「僕もそう思うよ。とりあえず明日、朝一番に倉橋さんの所に行って謝るんだ。そして昼休みに話をしようって言って、四人で話し合おう」

「そうね…」

 ちょっと強めの風が吹いてきた。蛙がどこかで泣き出す。僕たちの不安を煽っているようだ。

 しばらく、三人の間に会話がなくなる。雨上がり特有のジメジメした空気に汗が流れ出す。

 このままではどんどん重くなってしまいそうな空気を察して祐介が話し始めた。

「ここでいろいろ考えたって仕方ねぇよ。ちゃんと倉橋さんには考えがあるはずなんだろ?だったら何があってもいいような心の準備だけしておいて、後は明日になって話を聞いてからどうするか決めようぜ。な?」

「そ、そうだな。明日になってからだ」

 少し空気が軽くなったのを感じる。やはり祐介は気が効く奴だ。

「そういえば岡本さん。俺はまだ聞いてないんだけど、なんであんな事したんだ?もし嫌なら言わなくてもいいけど、大丈夫なら教えてくれないか」

「別に嫌じゃないけど。逆にあなたにも教える義務があると思ってるわ。犯人探しに協力したんでしょ?だったら話すわよ」

 そこまで言って岡本さんは視線を変えた。僕たちの方は見ずに花たちの方に目を向けている。

「昨日笠木くんにも言われたんだけどね、簡単に言えば嫉妬ね。それと被害妄想。私小学校の一年生の時から詩織ちゃんと仲良くて、いつも一緒にいたの。多分長い時間一緒にいすぎたんだわ、親や友達はみんな私と詩織ちゃんを比べて、親からは怒られ、友達からは何度も馬鹿にされた。それでも詩織ちゃんさえいればいいと思ってた。いや、思ってたはずだったんだけどね。ある日いつものように私がクラスの男子に馬鹿にされた日の帰り道で、いつも以上に詩織ちゃんが慰めてくれたの。私が泣いてたせいね、きっと。あんなの気にしなくていいよ、日菜子ちゃんは全然駄目なんかじゃないよ、私なんかよりもいいところいっぱいあるよって。今思えばこの時からよね。最後の台詞を言われた時から私はおかしくなったんだわ。なんか悔しかった。これだけ馬鹿にされる原因になった人に慰められて護られている。こいつ自分が原因になってるってわかってるのかって思った。自分は何を持ってしても一生この人に敵わないんじゃないかとも思って怖くもなった。彼女に悪意なんて微塵も無いのはわかりきっていたはずなんだけど、昨日までその気持ちは私に纏わり付いたままだった。ずっと気持ち悪くて、彼女に時々意地悪してみたんだけど、いつも全部許してくれて余計に嫌になった。今となっては愚かだったとしか言いようが無いわ。いや、もしかしたら今も、これからもずっと愚かなままなのかもね」

 一通り説明が終わって、ようやく彼女が一息ついた。今のように変わる前の彼女はお喋りで少しうるさいくらいだったので、たくさん話を出来る点においては、それは彼女の本質で何も変わってないのかもしれない。

「な、なんか聞いといてなんだけど、凄い細かく説明してくれたな。いや、悪いとか思ってるわけじゃない。ただいつもと雰囲気違ってたからこんなに話すとは思ってなかったってだけで」

「雰囲気が違うって?反省の色が現れてるって事?」

「え、まあそれもあるだろうけど、なんて言うかもっと別のものが違うって言うか、なぁ?」

 僕に振ってくるのかよ。僕があまり触れずにいた事をはっきり言っといて何やってんだ。

「ま、まあ違うって言っても、口調とかそれくらいだよ。そんなに気にする事でもない」

 さっきの話を聞いてなんか余計気を使ってしまったし、彼女なりに変わろうとしてるのだと思ってたから、間違って水差すような事は言いたくなかったので言葉少なめにしておく。

「ふーん、別にどっちでもいいけど。変わったって思ったならこれからはこんな感じだから早く慣れてね」

 彼女の言い方と表情からすると僕の心配は杞憂だったのかもしれない。

「お、おう、任せとけ。あと話してくれてありがとな。それとそんなに周りの言う事は気にする事ないぜ。倉橋さんじゃないけど、俺も岡本さんはたくさんいいところあると思うぜ。いや、お世辞とかじゃなくて本当に」

「どうかしらね。そんなに言うなら私のいいところって何か教えてよ。例えば?」

 祐介と目が合う。少し困ったような表情をしている。

 馬鹿、なんで余計な事言ったんだ。お前そんなに岡本さんの事知らないだろ。話した事もほとんど無いし、小学校も違ったのにどうするんだよ。とりあえず何か丁度いい事言っとけ。今度は僕が目で合図する。

「ん?ええと、そうだな。顔とか結構かわいいと思うぜ」

 祐介のこの言葉に、聞いていた二人が固まる。僕の耳の中で彼の言葉がエコーする。こいつやっちゃったよ。自分がどれだけ女子から人気があるのかを全く自覚してないんだろうか。

 こっそり岡本さんの方を見てみると、目を大きく見開き地面を見つめて、歯を食いしばっていた。雰囲気が変わったとはいえ、彼女は元は人気のある男子には自分も例外なく騒ぐような女子に分類されるような人だった。いわゆるミーハーってやつだ。今まで祐介の事をどう思ってのか知らなかったけど、この反応を見るに少なからずとも彼女も祐介に好意は寄せていたようだ。顔が赤らんできているように見える。

「ん、どうしたの二人とも。かわいいんだったらいいところだろ?あ、性格については俺あんまり知らないからいいところがわからないんだけど」

「ばか」

 同じベンチに座ってた僕にもほとんど聴こえないような声で彼女は呟いた。この上なく共感する。ほんとに馬鹿だよ。

「じゃ、じゃあ話も大体終わったしもう帰ろうよ。これ以上話し合っても意味ないし、明日やる事もちゃんと決まったんだから。じゃあ岡本さん、明日はしっかり謝るんだよ」

「うん。私まだ少し残るから、先帰って」

「わ、わかった。行こうぜ祐介」

「おお。じゃあな岡本さん」

 爽やかな笑顔で手を振る。彼女も下を見たまま小さく振り返した。

 中庭を抜け、彼女の姿が見えなくなってから祐介が尋ねてきた。

「どうした、急に焦り出して。俺しっかりいいところ言えただろ?」

「いや、お前は馬鹿野郎だよ」

「何がだよ。嘘はついてないし、かわいいって言われて嫌な女の子なんていないだろ」

「…もうほんと馬鹿」

「てめぇ、あんまり馬鹿にするとお前の机の中に生きてるタコとか入れとくぞ」

「それはほんとに馬鹿だし、不謹慎だ」

 その僕の言葉に怒ったりするでもなく、わははは、と笑って肩を組んできた。

「まあなんにせよ、明日みんなで話し合って問題を解決して一件落着だな。ほんとにお前告れよ」

「わかってるよ」

 先程祐介が変な事をしなければ本当に一件落着で、あとは僕が告白するだけになってたかもしれない。岡本さんの様子からすると今頃何を言っても遅いかもしれない。彼女は明日ちゃんと謝れるだろうか。二人の事に僕は関与しないようにしよう。

 中庭を出て、お互い荷物を取りに行き学校を出た。

 倉橋さんの事や、祐介と岡本さんの事、倉橋さんの事、スピンの事、倉橋さんの事…ほとんど倉橋さんの事を考えながら歩いていると小さな段差につまずいて、道にはほとんど見られなくなってきた数少ない水溜りに傘を落としてしまった。

「何やってんだよ。あーあ、こりゃめんどくせぇな」

 傘を拾い上げると閉じている内側にも水が入ってしまっていた。帰ったら干さないといけないな。

「いいよ、このくらい。もう仕方ない。今はこんな小さな不幸なんて結構どうでもよく感じるよ」

「おいおい、告白するのが決まっただけで、成功したわけじゃないからな。あんまり浮かれすぎんなよ」

「わかってるって」

 そう、わかってはいたが、やはり浮かれてしまう。なんとなく上手くいきそうな気持ちが海綿体のように心を漂ってる。

 幸せというものは、不幸というものを感じにくくさせ、不幸に対する危機感とかも取り払ってしまうようだ。


 次の日、岡本さんが朝一番で謝る予定なので僕も早く家を出た。なぜこんなに早く家を出るのか、理由を知らないお母さんは心配そうな顔で僕を見送った。

 昨日は梅雨の時期には珍しい天気だったようで、今日にはまた雨雲が空に広がっていた。僕が学校に着くまでに降り出さない事を願う。

 通学路の途中で祐介と出会った。彼も僕と同様に岡本さんのために早く家を出たらしい。どうも昨日自分がした事の意味に全く気づいてないようだ。自分がいたら岡本さんは集中出来なくなるかもしれないとは考えもしない顔をして横で喋っている。今度恋愛小説を薦めてみようか。

 そうこう考えている内に学校に到着した。靴箱で上靴に履き替えていると、鞄も何も持っていない岡本さんとばったり会った。

「あれ?なんでこんな所にいるんだよ。早く謝りに行こうよ」

 彼女のクラスと僕のクラスでは靴箱の位置が違うので、その意味も含めて疑問に思った。

「それが…さっき教室に行ってみたけど詩織ちゃんがいなかったの。一応靴があるか確認しようと思って来たんだけど、まだ無いみたいね」

 そう言われて倉橋さんの靴箱を見ると、そこには上靴が入っていた。まだ学校に来てない証拠だ。

「珍しいね。いつもなら絶対来てる時間だと思うけど。寝坊でもしたのかな」

 呑気に考えてる僕を見て岡本さんの口調が強くなる。

「あなたって楽天的でいいわね。詩織ちゃんの立場になって考えてみなさいよ。昨日自分が犯人だって名乗り出たんだから、もしかしたら今日は来ないかもしれないじゃない」

「何で?」

「だって、周りの反応が一気に変わるでしょうし、そりゃ怖くなるわよ」

「それが嫌で来ないくらいなら最初から自分が犯人だなんて言わないよ。それに、昨日こそ彼女には何か考えがあるはずだって君が言ったんだよ」

「そりゃそうだけど…」

 岡本さんがまごついていると隣の靴箱から祐介が顔を出した。

「おい大志、上がらないのか?お、岡本さん、おはよ。もしかしてもう謝った?」

 突然現れた祐介の声に岡本さんが過剰に驚いて見せる。意外とわかりやすい人なんだな。

「なんか、倉橋さんがまだ来てないんだって。今、靴を確認しに来たらしいんだけど上靴があるからまだ来てないよ」

「へー、倉橋さんも寝坊したりするんだな」

「二人とも本当に呑気なんだから。あの子の家庭事情を知らないからそんなでいれるのよ」

 岡本さんは祐介の前でもなんとか平静を装っている。

「家庭事情って、世間体を気にし過ぎるお母さんの事?」

「そうよ、気にし過ぎるって言ってもあの人の場合は異常よ。私だって何度あの人に怒鳴られたことか」

 彼女は何か嫌なものを思い出したようで、酷く顔をしかめてみせた。

「もしかしたら彼女、当分家から出られないかもしれないわ。あの母親が昨日言った事を取り消させて、学校側にも徹底的に事情を話して無かった事にするまではね」

 僕には親がそんなに子どもの事に口出しするなんて信じられなかった。僕の親は、悪い事さえしなければある程度自由にさせてやろうと思ってるらしい。理解ある親で良かったと直接言った事があって、気恥ずかしそうに照れていた。

「それなら昨日言ってくれればよかったじゃないか。なんであんなに乗り気な感じで話してたんだよ。倉橋さんが来ないと始まらないよ」

「それは仕方ないじゃない。あくまでも可能性の話だから最後に言おうとしてたのに、まさか最後にあんな事があるなんて…」

 岡本さんが両手を口と鼻に被せて祐介を睨みつける。何もわかってない彼は、何がなんだか理解出来てないようだ。

「ああ、そういう事ね。それは確かに仕方ないな。じゃあもういいからとりあえず上に行こうよ。僕がずっと教室にいるからさ、倉橋さんが来たら呼びに行くよ」

「それがいいな。ちゃんと俺も呼びに来いよ」

「おう」

 靴を靴箱に直して教室へと向かう。各々自分の席に着いて倉橋さんを待ったが、とうとう授業が始まっても倉橋さんの姿を見る事は出来なかった。

 昼休みに祐介が呼びに来て三人で集まる。

「やっぱり来てないのね。いよいよ私が言った通りになりそうね」

 岡本さんが長いため息をついた。

「まだ一応わからないよ。この後来るかもしれないし、放課後に母親を連れて話しに来るかもしれない。君の予想通りならあり得るだろ?」

「流石に今日はちょっと早過ぎるんじゃないかしら」

 そう言った直後、岡本さんが後ろから女子の友達に声をかけられた。祐介と一緒にいる事を冷やかされている。僕は見えてないのかな。

「もー、そんなんじゃないよー」

 と少し高い声で応えて僕らの方を向き直る。

 久しぶりに現れた、僕に犯人として見つかる前の岡本さんに二人で唖然としていた。

「なによ」

「岡本さんまだそのキャラ残ってたんだな。てか逆に今のキャラは俺らの前だけなのか?」

「キャラってなによ。人間なんて相手によって態度を変えるもんでしょ。私が本当の犯人だって知ってるあなたたちには気を遣わなくていいからね」

 ちょっと岡本さんを見る目が変わる。あまり触れてはいけない、人の闇の部分を見た気分だ。今後この事には触れない方がいいかもしれない。

「まあ今はその事は置いといて、倉橋さんの事を考えよう。さっきも言ったけど放課後に来る可能性も一応あるから、少しの間残って待ってた方がいいと思うんだけど、どうする?」

「私はそれでもいいけど。なるべく早めに謝りたいし」

「俺も大丈夫。なんてったって、お前の告白は絶対見逃せないからな」

「!!?」

 岡本さんと同時に祐介の方を向く。一方は告白の事をバラされた事への衝撃で、もう一方は目の前の男子が友達に告白する事を知った驚きで。

「ちょ、お前なんで言うんだよ」

「それ本当!?」

 僕の言葉を搔き消すように岡本さんが話に食いついてきた。

「おう。犯人見つけたら告白するって約束だったからな。別に岡本さんならバラしてもいいだろ?」

「だからって急に言うなよ。僕の許可を取れ!しかもなんでそんなにすぐ告白する事になってんだよ。もう少し間を空けないと駄目だろ。彼女がなんで名乗り出たのかもわからないし、もしかしたらそんな事出来る感じじゃないかもしれないだろ!」

 とりあえず必死に彼を責め立てる。今まで生きてきた中で一番の羞恥心に襲われていた。

「いや、すぐに言った方がいいわ。正直私が謝ってもちゃんと許してくれるか不安だったの。でもそこに笠木くんの告白を足せば、たとえどんな事情があっても彼女絶対元通りになるわ。いや、それ以上に元気になるわよ」

 なぜか岡本さんは嬉しそうだ。これはえらい事になったぞ。

「よし、じゃあ岡本さんが謝ったらその流れでお前が告白だ。もしそれが今日になっても文句なしだぜ」

「いや、勝手に決めんなよ」

「それにしてもついに決心したのね。このまま何もせずに卒業するのかと思ってたわ」

「だからまだ決めてないって」

「俺と勝負をしたんだ、犯人を見つけたら好きな子に告るって。そうでもしないとこいつは一生女子に告白するなんて出来ねぇよ」

「確かにそうね。ああ、早く詩織ちゃん来ないかしら。すっごく楽しみになってきたわ」

 何度か口を挟んでみたが僕の事なんて完全に無視して二人は楽しそうにしている。祐介なんか自分も告白出来そうにないからあの勝負をしたはずなのに、そんな事はもうすっかりどうでもよくなってるようだ。それなら岡本さんとでも幸せになってくれ。

 以前としてはしゃぎ続ける二人を見ると、僕もだんだんなんでもよくなってきて、最後は諦めてその条件を受け入れてしまった。

 そのせいで午後の授業はずっと集中出来なかった。もしかしたらこの後、倉橋さんに告白するかもしれない。そう考えるとまだ今日は来ないでほしいと思ってしまった。

 放課後になってもドキドキは一向に収まる気配はなく、寧ろ緊張は増してきて体調が悪くなってきた。それでも三人でしばらく待ってみたがこの日は倉橋さんは学校に来なかった。もしかしたら僕の祈りが通じたのかもしれないと思うと少し申し訳ない気持ちになった。

「駄目だな、もうこれ以上待っても来ないだろ。今日は諦めて帰ろうぜ。楽しみは少し取っといたらより楽しく感じれるんだ」

 その言葉に岡本さんは賛成し、僕はうんざりして三人とも学校を出た。

 雨は降ってはいなかったが、空は雨雲のせいで真っ暗で、遠くの方では雷が鳴り出していた。それを見ると、心の中が謎の不安でいっぱいになってしまった。明日は大雨になりそうだ。

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