第4話

 その日もいつもとなんら変わりのない、梅雨真っ只中の雨の降る日だった。

 朝、学校に行き、いつものように授業をやり過ごす。昼休みも変わった事はなく、あっという間に放課後になった。その調子でいつも通りの日々を続けるために犯人探しに向かう準備をする。

 軽くため息をついた。二週間も経つと犯人探しに対して特別感が無くなり、ちょっとしたドキドキなんかも無くなってくる。学校に行く事やご飯を食べるのと同じように、ほとんど生活ルーティンの一部のように荷物をまとめ自習室に向かった。

 雨で多少滑りやすくなっている渡り廊下を通って反対の校舎へ行き、自習室に入る。窓際の席を見ると今日は四つも空いていた。だからといって感情が動く事も無く、いつも通り用紙に名前を書いていつもの席に座り、見張りを始めた。そう、本当にいつもと変わらなかった。

 最近は宿題を進めながらでもある程度教室の様子を見れる事に気づいて、宿題と同時進行で見張りを行なっている。もちろんメインは見張りだが、こうすれば帰ってからの自由な時間が増える。だからって家で特に何をするでもないけど。

 窓から見える教室は今日も多くの人が出入りしている。倉橋さんが一人で出てきた。今からスピンの元に向かうのだろう。

 雨の日のスピンはドーム型の遊具の下に隠れている。僕も二、三度その様子を見た事があるが、寒そうに震えていてかわいそうになった。倉橋さんには早く行ってあげてほしい。

 隣の席の子が仲の良いグループの人たちと楽しそうに話している。その内の一人が最近話題のお笑い芸人の真似をしてみせている。あまり話した事の無い子が教室を出た。いつも通り独りで家に帰るのだろう。サッカー部の練習着を着た集団が廊下を走っている。雨が降っているから外で練習が出来ないので校舎を走ってるのだろうが、通行人と何度もぶつかりそうになっていた。危ない。

 現れる人々に一々感想を述べながら見張りを続ける。すると容疑者の一人、琴音ちゃんが教室の前を通った。すぐにこの間の記憶が蘇り、心の中ではこいつが犯人だと決めつけながら注目して見たが、彼女は何か特別な事をするでもなく彼女の教室とは逆の方に歩いて行った。

 それからもいろいろな人たちの動きを見ながら宿題を進めていると、しばらくして祐介が現れ、例の聞き込みをし始めた。廊下で僕は名前さえ知らない女の子を捕まえて話を聞く。いつもどのように聞き込みをしているのかは知らなかったから、これは新鮮でおもしろい。

 祐介は身振り手振りを入れながら、途中で軽い笑いを入れながら聞き込みをしていた。本当に倉橋さん以外とはよく話せるな。彼なら別に倉橋さんじゃなくても、他にもたくさんいい人はいそうなものだが。そうすれば僕のライバルが減って助かると思ったが、この前の中庭で話した時の表情を思い出すと他の人では駄目だという事に気がつく。まったくもって厄介な事だ。

 話は二分ほどで終わった。彼の表情から察するに特にいい情報は得られなかったようだった。仕切り直すように頭を震わせ次の聞き込み相手を求めて大股で歩いて行った。

 見張りでおもしろく感じるのはこのくらいまでで、この後からはどんどん人の姿が消えていき、六時頃にはいつものように退屈な見張りとなってしまった。少しずつ自習室で勉強する生徒たちも減って行って、学校中には下校のムードが流れていた。

 しばらく前に宿題にも疲れて退屈と遊んでいた僕は、何度も寝そうになり頭を上下させてしまう。これはまずいと一度席を立ってトイレに行く。今日もあと少しだけだ、今一度気合いを入れ直そう。顔を洗い眠気を冷まして自習室に戻って見張りを再開したが、先程の決意はどこへやら、十分も時間が経つと、うとうとする事の方も再開し始めてしまった。

 一度ガクンと大きく頭を落として横の人に軽く笑われた、そんな時だった。廊下の右の方から、生徒がいなくなって別の場所のようになった教室の前に歩いて来る人影が現れた。

 急いで目を覚まし、その目を凝らしてよく見ると女子生徒である事がわかった。その時には既に後ろ姿しか見えなかったし、すぐに窓と窓の間に入ってしまったので誰かはわからない。教室には入らず中の様子を伺っているように思えた。

 こんな時間にあの場所に何か用事があるのか?いつもならこの時間になると誰も現れないし、動きなどの不審さから何か異質なものを感じて、僕の第六感が怪しいと告げだした。犯人は女子生徒のはずだ、もしかしたらこの人が…。

 急いで自習室を出ようと勢いよく立ち上がる。数人に見られてうるさそうに顔をしかめられたが、そんな事は気にせず教室へ向かった。

 途中の渡り廊下で再び岡本さんの女の勘を思い出す。琴音ちゃんはさっき、自分の教室とは逆の方に行ってから見てない。髪型はどうだろう、似てた気がしないでもないような…。もしや、本当に彼女が犯人なのか?

 渡り廊下を抜けて教室の方を見ると、さっき見た人物は見当たらなかった。別の場所に移動してしまったのかと思って階段の方を確認してみたが、人が降りたり登ったりしている気配はなかった。それならばと、教室の中に入ったという可能性を考えて慎重に教室に近づく。

 入り口のドアに隠れて中を確認しようとすると、中から机が揺れる音が聴こえてきた。机の四つある脚たちの高さが合ってない事で生じる、ガタゴトというあの音だ。ついでに声も聴こえる。なんて言ってるかはわからないが、狂うような叫び声だ。

 いる。さっきまで誰もいなかった教室の中に、確実に誰かがいる。おそらくさっき見た人影と同一人物だろう。そう思うと一気に緊張してきた。ゆっくりと唾を飲み込む。

 覚悟を決めてそろりそろりと中を覗く。夏が近づいてきて、電気が点いていなくてもまだ明るいはずの教室の中は、外の天気の悪さのせいで薄暗かった。

 倉橋さんの机の所で何かをしている者がいる。制服からわかるのは女子生徒という事だけで、こちらには背を向けているので顔はわからないが、右手だけが動いている。字を書いてるようだ。なるほど、右利きか。いや、これはどうでもいい情報だな。

 それよりも、ついに犯人を見つけたのだ。何を書いてるかまだわかってないのに彼女が犯人だと確信した。この前のように何か悪戯をしてるのだと、心の中で決めつけた。その場で彼女を見たら他の人でもそう感じると思う。それほどに狂ったような雰囲気が醸し出されていた。

 犯人を見つけたらその後はどうするか、僕の取るべきの行動は既に決めていた。校則違反になるので、持っているのをバレたら没収されるスマホをポケットから取り出し躊躇なく構える。

 今一度唾を飲み込んで、声を張り上げた。

「お、おいっ、何してる!」

 僕の呼びかけに驚いた犯人がこちらを振り返る。机がガタン、と大きな音を立てて揺れた。その瞬間を逃さずカメラのシャッターを押す。

 カシャ、という小気味いい音が教室に響いて犯人の写った写真が撮られた。やった、ついに決定的証拠を抑えたぞ。

 反射的に写真を確認する。そこに写っていたのは…。

「は?」

 そのに写っていたのがあまりにも予想外の人物であった事に言葉を失い、それが現実の事であるのかを確認するように実物の方を見る。

 僕の出現に対して、人を殺してるところを見つかってしまったというような顔をしていたのは、倉橋さんといつも一緒にいる親友、岡本日奈子の姿だった。

「なんで君が…」

 一定の時間痺れて動かなかった僕の口がやっと言葉を出す事が出来るようになった。口と繋がっているかのように足が動き方を忘れて棒立ちになっていたが、なんとか思い出し足を動かして彼女の方へ近づく。彼女は怯えたように後ずさりして机にぶつかった。

 倉橋さんの机を見ると赤いペンで滅茶苦茶な暴言が書かれていた。死ね、消えろ、クズ、存在価値なし、ぶっ殺す、くそビッチ、超性悪女などなど…、近づいてよく見てみるとそんな感じの文字ばかりが机いっぱいに書かれていた。それらからは恨みの念が滲み出ていた。思わず吐き気を覚える。

「笠木くん…なんで…」

 怯えた表情で岡本さんが問いかけてくる。なんで、だと?それはこっちの台詞だ。よりによって、なんで君が犯人なんだ。僕には羨ましい限りの仲の良さに見えてたのに。二人は親友だと信じていたのに。君がスピンの世話に来た時だって僕がお邪魔虫扱いされるくらい二人の仲は良かったはずだ。そんな人がなぜこんな事を…。

「まさか、この前の事件も君がやったのか?」

 彼女の答えようのない問いかけなどは無視し、逆にこちらから問いかけてみる。今の状況ならこうやって問いかける権利は僕にあるはずだ。

 しばらく答えを待ったが、僕の問いかけに対し彼女は俯いて黙り込んでしまった。何か言おうとはしているようで口をパクパクさせている。動揺しているせいか、何度も目を揺らしている。

「答えろよ!」

「うっ」

 体をビクッとさせて彼女は喋り出した。

「だ、だっていつも詩織ちゃんと比べられて、親には怒られるし友達には馬鹿にされるし…。それなのに詩織ちゃんは優しく慰めてくれるんだよ。私がそんな扱いを受けてるのは誰のせいかなんて考えてない、そんな事されても余計差が開くって事をわかってないんだよ!」

 彼女の目からせきを切ったように涙が溢れ出した。

「詩織ちゃんと一緒にいるだけでそうなるんだよ。でも、今さら距離を置こうとしても意味なんてない。また彼女の優しさで私との差が開くんだ。だったら一緒にいて同じ苦しみを味わえばいい」

「は…?」

 彼女はたった今自分の動機について話した。しかし、僕には本当に動機を説明されたようには思えなかった。ただ自分の不満を言っただけだ。

「いや、ふざけんなよ。そんな意味のわからない理由でこんな事したのかよ!君は倉橋さんの親友だったんじゃないのかよ!」

「親友だったじゃないわ、今でも親友よ」

「親友だったらこんな事出来るわけないだろ!彼女の親友を君が気取るな!」

「うるさい!本当に親友なのよ。親友だからこそ、私は辛くて苦しくて、彼女も苦しむべきで…」

 また黙り込む。

「おい、何とか言えよ」

「親友なのよ、本当に。でも、でも、私…うわああぁぁぁ」

 とうとう声を上げて泣き始めてしまった。惜しげも無く声を吐き出して、僕がいる事なんか気にせずに彼女の涙は流れ続けた。こんなに強く人を責めたのは初めてだったので、その姿を見ると少しかわいそうに思ってしまったが、やっとの思いで情に流されてしまうのを阻止する。

 岡本さんが泣き続ける中、僕は自分の使命を思い出す。

「もういい。君が何を言おうと関係ない。僕はさっき撮った写真を倉橋さんに送る。僕からは誰にも言わないから、どうするかは倉橋さんに決めてもらう」

「嫌っ、それだけはやめて!」

 目から大粒の涙をこぼしながら、制止しようと僕のスマホに腕を伸ばしてくる。どうにかその手を払いのけ、急いで写真を倉橋さんに送った。この人が犯人です、というメッセージを添えて。祐介には犯人を見つけたとだけ連絡した。

「ああ…」

 僕が写真を送信した証拠にスマホの画面を見せつけると、岡本さんは魂が抜けたように力なくその場に座り込んでしまった。涙で手首の辺りが濡れている。さっきとは打って変わって声を出さず、静かに涙を流していた。

 彼女に対する怒りの感情は消えてないが、その姿をずっと見ている事も出来なくなり、机をそのままにしておくわけにもいかないので雑巾を取りに教室を出た。バケツに水を汲んで来て、濡らした雑巾で机を拭く。文字が消えるかどうか心配だったが、水性ペンで書かれていたようですんなりと暴言たちは消えていった。不幸中の幸いというやつだな。真っ赤になった雑巾は家に持って帰って捨てる事にしよう。

 僕がその作業を終えても、岡本さんはずっと座り込んで泣いていた。

 その姿を見てもどうすればいいのかわからず、ほたって帰るわけにもいかなかったので、とりあえず側の椅子に座って質問を始めてみる。

「猫の事件も君がやったんだろ?あの猫はどうしたんだ?」

 僕の問いかけには答えず彼女は泣き続けた。

 しばらく経って、まだ泣くのかよと思った時、急に泣き声がやんだ。本当に唐突な事で全く心の準備をしていなかった僕は面食らい、冷たい静寂が訪れる。意図的に作られたような空気に違和感を感じる。

 泣き止んで顔を上げた彼女はさっきとは別人のような表情をしていた。雰囲気が全然違う。急にどうしたんだ。僕の中に恐怖が生まれた。

「き、君があの猫を殺したのか?」

 そいつに負けじと先程よりも直接的にして質問を繰り返す。彼女が目線を僕にずらす。冷たい目に、これまた少しばかりの恐怖を覚える。

「そんな事まではしてないわよ。あの猫は偶然道に倒れてるのを見つけたの。それを見た時、これだって思ったのよね」

 少し口調が変わっている事に気づく。いつもは人に明るく見られたいって感じの媚びるような口調だけど、今は意志の強い女性って感じだ。今の間に彼女の心境にどんな変化があったのだろうか。

「ずっと彼女への不満は溜まっていたって事か。それなら最初の事件の動機は、納得は出来ないけど理解は出来る。でもなんでまた今日もやろうとしたんだ。あれだけの事をしておいてまだ満足してないのか?」

「今日のはまた別。元を辿ればそりゃ一緒だけど。もうこの際だから全部話すわ」

 そう言って彼女は話し出した。


 あの事件の後、あなたがいた時以外にもう一度だけ詩織ちゃんと公園に行ったの。スピンのお世話の手伝いって名目だったけど、本当は彼女の反応を確かめるため。どれだけ苦しんでるか見てやろうと思ったの。本当はすぐにでももっと詳しく話を聞くつもりだったんだけどあなたがいたからできなかったのよ。

 公園に着いてスピンのお世話を始めたけど、なかなかタイミングが合わなくて事件の話は簡単には持ち出せなかった。それでもなんとか話しやすい時を見計らって事件の事を話したわ。

「そういえば詩織ちゃんはもう大丈夫なの?この前の事件の事」

「いやー、まだ全然怖いよ。あれからまだ三日しか経ってないし。いや何日経ってもあの怖さは消えないかな」

 それを聴いた時、やった、って思った。これで詩織ちゃんも長いこと苦しむ事になるから私とおんなじだ。これこそ親友ってやつだよ、そう思った。

「そうだよね。私もあんな事されたら、当分の間は絶対立ち直れない。ほんと怖いわぁ」

 だけど彼女は私とは違った。

「そうだね。でもね、怖いのは怖いけどこの前ある人に勇気づけてもらって結構前向きに考えれるようになったの」

「え」

 勇気づけてもらった?前向きになったって、もう怖くないってこと?何言ってんのこの子。

「だ、誰に?」

「笠木くん」

 あの野郎余計な事しやがって、そう心から思った。ちょっと、怒らずに聞いてよ。

「なんか、犯人探しをしてくれるんだってさ。そう言われた時の私は犯人と会っても何も出来なさそうで、ただ怖いだけだったからやめてって言ったんだけど、その後笠木くんにちょっと勇気付けられてね。結局犯人は許す事にして犯人探しをしてもらう事にしたんだ。あの時笠木くんはたいした事してないって言ってたけど、本当は全然そんな事なかったんだよ」

 そう言って女神のような笑顔を向けてきた。

「え、許すって、犯人を?本当にあんな酷い事をした奴を許せるの?」

「うん」

「きっと詩織ちゃんが猫好きだってわかってた上であんな事してきたんだよ?そいつを許すの?」

「そうだよ」

「どうしてよ」

「だって怒ったりしても問題は解決しないじゃん。こっちが怒れば相手も反発してきて争いになるだけ。逆にこっちが許して相手が改心してくれたら平和に丸く収まるじゃん。一番いい方法だよ。まあ、私は犯人が見つからなくても二度とあんな事されなければそれでいいから、それが一番良かったりするかも。ああ、私って女神みたい」

 そう言っていたずらっぽく笑った。

 ふざけるな、なんのために私があんな事したと思ってんの。ここで許されたりしたら意味が無くなるし、それどころかもっとあんたと差が開くじゃない。本当にいい子だから、あなたが良さ過ぎて私がどんどん悪い感じになっちゃう。それをわかってないんだ。だから私にあんな事をさせるんだ。

 どんどん怒りが込み上げてきたけど、どうにか抑えて親友として振る舞ったわ。

「でも、それで詩織ちゃんは辛くないの?今回は丸く収まらなくてもいいじゃん。相手が酷すぎるし。無理して許さなくてもいいと思うよ」

「別に無理してないよ。大丈夫、私そんなに友達多くないから、誰が犯人でもあんまり大きな影響は無いと思う。笠木くんや日菜子ちゃんがいてくれればそれでいいの」

 笠木くんや私。その言葉を聞いた時にはっきりとまた何か悪戯をしようと思った。もうこれ以上彼女の優しさに触れ続けたら、心の底から自分が嫌になって、最後は自殺してしまうかもしれない。そうならないためにも詩織ちゃんには犠牲になってもらう。信じている親友に裏切られる事で絶望を味わってもらう。何も一方的に酷い事をしようとしてるんじゃない。私も今まで苦しめられたんだからこれでおあいこよ。そう思った。

「そう、それならいいけど。本当に辛くなったら私に言ってね。出来る事ならなんでもするから」

「ありがとう。やっぱり日菜子ちゃんは私の親友だよ」

 詩織ちゃんが抱きついてきた。私は憎悪を隠し、母親のようなイメージで彼女を包み込んだ。あなたはいい子なの。だからこれ以上私を傷つけないで。そして、これからもずっと一緒に…。


「まあこんな感じね、今回の動機は。詩織ちゃんの優しさもとんでもないけど、あなたにも責任はあるんだからね」

「…本当にふざけるなよ」

 この上ない怒りの情が湧いてきた。琴音ちゃんに湧いた怒りなんて比にならない。なんだ今の話は。さっき少しでもかわいそうだと思った僕はもうどこかへ行ってしまっていた。

「彼女と比べて馬鹿にされるのは自分が悪いからだろ!彼女を堕として苦しませてまで自分と同じにしようなんて、何考えてんだ!」

「うるさいわねっ、あなたにはこの気持ちなんて絶対わかりはしないのよ!」

「ああそうだよ、君の気持ちなんてわかりたくもないよ!嫉妬だとしてもここまでやるなんて、それこそ馬鹿げてる」

 息を整える。まだまだ言いたい事が無くならない。ただ、一つだけどうしても言いたい事があった。

「写真はもう倉橋さんに送ったんだ。君が何を言ったって今まで通りの関係には戻れないだろうな。自業自得だ」

 そう言うと、岡本さんの表情が変わって雰囲気が元の彼女に戻った。その表情は自分のした事は取り返しのつかない事だと気づいて、後悔し始めたように見える。少なくとも僕にはそう見えた。そうあってほしいと思ってたからだろうか。

 彼女は椅子に座って両手で顔を覆い、また泣き出した。

「詩織ちゃんは…あの子は許すと言ってたもん。犯人は許すって、それが一番いい方法だって。だから大丈夫、きっと大丈夫…」

 再び顔を覗かせたとち狂い乙女は自分で自分に慰めの言葉をかける。その様子を見て僕は少し呆れ顔になる。彼女はさっきから感情の起伏が激しい。情緒不安定になっているな。

「でもそれは、僕や君以外の人が犯人だった場合だろ。一番の親友に裏切られた気持ちを想像してみろよ」

 そう静かに言って近くの椅子に座る。

「あの子は想像を絶するくらい優しいから…明日にはお互い許し合って、きっと元通りになれるはず。ちゃんと話せば自分の非も認めてくれて私も許せるんだよ…」

 全く僕の話は聞いてないようだ。大きく目を見開いて震えながらも自分を正当化しようとしている。僕は更に呆れると同時に深いため息をつく。

「あのさ、なんで倉橋さんに非があるって事になってんだよ。君の気持ちはわからないけど、彼女が馬鹿にしてきたわけじゃないんだからそれはおかしいだろ。それなのに彼女にあんな事するなんて最低だよ?」

「さっきからうるさいわね。自分のやった事くらいわかってるわよ。だからこうやって自分の心を慰めてるの」

 また変わった。まるで二つ人格があるようだ。それらが交互に顔を現す様子は、これまでに見た事が無いような奇妙さを感じられて怖かった。

「いや、だから君が傷つくのはおかしいだろ。全然悪くない彼女の気持ちを…」

「わかってるって言ってるでしょ。お願いだから少し黙っててよ。気持ちの整理がつかないじゃない」

 なんで僕が怒られているんだ?なんとも傲慢な人だと思ったが、僕も当初の目的は犯人に謝らせる事なので、あんまりぐちぐちと説教はしたくない。少ししゃくだが言われた通り黙っておく事にした。

 それなのにそんな僕の配慮を無視するかのごとく、二分と経たずに岡本さんは自分から話し出した。

「はぁ。なんかあなたにいろいろ言われてよくわからなくなってきたわ。あなたの言う通り自分の非は認めるから、ちょっと質問に答えてくれない?さっきの写真は詩織ちゃんだけに送ったの?」

「君は本当に傲慢だな、自分勝手過ぎる。まあ自分が悪かったって認めるならもういいけど。写真なら祐介にも送るつもりだよ。彼も一緒に犯人探しをしていたからね」

「じゃあ田中くんには送ってもいいから広めないように言ってくれる?明日になったらちゃんと詩織ちゃんには謝るから、あまり大事にはしてほしくないの。わがまま言ってるのはわかってるけど、それだけはお願いしたいの」

 なんとも自分勝手なお願いだな。傲慢さもここまでいくと、怒りとかを通り越して呆れてくる。寧ろ凄いとさえ思える。尊敬はしないけど。とはいえ、先程の沈黙を経て反省はし始めたようだ。

「わかったよ。祐介にはちゃんと口止めしておく。さっき判断は倉橋さんに下してもらうって言ったのは僕だしね。ただし、倉橋さんがなんて言おうと、君にはそれにしたがってもらう。謝れと言われれば謝って、みんなの前で自白しろと言われれば自白するんだ。いいね?」

 岡本さんは僕の言葉には返事をせずに窓の外を見た。夏とは言えど外は雨。窓から見える景色は暗く、夕方と呼ばれる時間帯は今日は訪れないようだ。

 しばらく岡本さんの返事を待ったが、なかなかその口が動き出す気配はなかった。

「あのさ、僕の話聞いてた?」

「うん…」

 すぐに消えそうな声が返ってきた。さっきまでの勢いはどうしたんだ。やはり情緒不安定になっているのだろうと思い、そういう時はどう対応すればいいのか迷う。別に僕の目的は達成したのでこのまま帰っても良いのだが、岡本さんをこのままほっとけない気もする。何をしでかすかわからない雰囲気が漂ってるからだ。

「えっと、大丈夫?岡本さん」

「別に大丈夫よ。ちょっと今、あなたが言った事を考えてたんだけど詩織ちゃんは明日どうしてくると思う?あなたの言った通り、謝って、って言ってくると思う?」

「いや…彼女から謝ってとは言ってこないと思う。自分で言っといてなんだけど、自白を要求してくるなんて絶対ないと思う」

「そうなのよ」

 岡本さんに指を指される。何が言いたいのだろう。

「本来は犯人を見つけても何も出来なさそうで、ただ怖いって言ってたんでしょ?だから彼女から何かしてくるとは思えないのよ」

「確かにそうかもしれないけど、だからって君が許されるってわけじゃないからな」

「それはわかってるって。私が言いたいのは、さっき言った事が案外本当になるかもしれないって事。私は明日謝って、その後は何事も無かったかのような日常に戻る。これは私の願望じゃなくて、客観的に考えた事だからね」

 最初はまだそんな事言うのかと思ったが、頭ごなしに否定するのも良くないと思い僕もよく考えてみた。倉橋さんの性格だと許す事は出来なさそうだが、だからって他に何かしようというわけでもなさそうだ。母親も世間体を気にする人だって言ってたから、何事も無かったかのように振舞っても不思議ではない。

「うん…確かに君の言う通りかもしれない。でもな、くどいようだけど君のした事の罪が消えるわけじゃ…」

「ほんとにくどい」

 僕の言葉は食い気味に掻き消される。

「本当に反省してるんだから。ていうか、あなたにいろいろ言われて、なんか、あんな事件起こす程だった気持ちも冷めちゃった気がする。なんで彼女にあんな悪意を持ってたんだろうって、今はそう思ってる。明日詩織ちゃんに謝ったら一番の親友としての関係を作り直すわ」

「なんか本当に別人みたいだな。本当に岡本さん?」

「そうよ、何言ってんの」

「まあまあ、それならいいんだ。もう悪意がないならちゃんと一番の親友として頑張ってくれ」

「まかせなさい」

 なんでか倉橋さんとの仲直りより先に、僕が岡本さんと打ち解けてしまった。関係ない事ではないからいいんだろうけど。

「それじゃあこれ以上する事はないし僕は帰るよ。君ももう帰ってよ。せっかく止めたのにまた悪戯されたらかなわない」

「何よ、まだ信じてくれてないの。たった今しっかり話し合ったのに?」

「冗談だよ」

 僕の言葉に二人とも笑った。余りある程の傲慢さを許せれば岡本さんとは意外と気が合うかもしれない。

 僕が教室から出て行こうとすると後ろから呼び止められた。

「待ってよ。最後に一つ聞きたい事があるの」

「聞きたい事?何?」

 彼女が近づいて来る。

「ぶっちゃけあなた、詩織ちゃんの事好きでしょ」

「はあぁ!?」

 な、なんでそれを君が知ってるんだ。もしかして祐介が喋ったのか?そんなはずはない。祐介はそんなに口の軽い奴じゃない。ならば、どうして。女の勘か?

「あはは、何その反応。結構この事はみんなにバレてんのよ。今初めて確信になったけど。知らなかった?」

「え、みんなって、だ、誰に?」

「去年のあなたのクラスのメンバーはほとんど知ってると思うわよ。そんなに友達もいないあなたが唯一話してる女子だし。その上、二人で猫の世話もしてるって事知ってる私にはほとんどわかってたけどね」

「嘘だろ…」

 頭が混乱してきた。みんなにバレてるって、それはまずいぞ。ん?何がまずいんだ?そりゃだってみんながわかってるって事は倉橋さんにも…。あ、それはなかった。彼女はすごい鈍感だったんだ。でもみんなにバレてるってのはやっぱりいい事じゃない。どうすればいいんだ。あれ、どうかしないといけないのか?

「あははははっ、こんなに真っ赤になって照れるとは思わなかったわ。結構かわいいとこあるのね。大丈夫よ、詩織ちゃんはわかってないし別に誰もあなたにそこまで興味ないから」

「し、失礼だな!」

 さっきから彼女に弄ばれてる気がする。でも、今日あった出来事から考えればおかしなこの現状が不思議と嫌じゃない。

「ごめんごめん。ま、せいぜい頑張りなよ。彼女、結構倍率高い方だから、猫の世話を武器にして、ね」

 その武器を邪魔したのは誰だと思ってるんだ、と思ったが言わなかった。

「はいはい、わざわざアドバイスをありがとう。じゃあこの話は終わり。明日はちゃんと学校に来て謝るんだよ。いいね」

「はいはい。じゃあもう帰るから。じゃあね」

「バイバイ」

 岡本さんは少し上機嫌な感じで帰って行った。もはやあれは別人だ。今までの岡本日菜子ではなくなったんだ。さっきまではそれが怖かったが、今なら安心できる。

 岡本さんが見えなくなってから自習室に荷物を取りに行き、三年生になるまで来る事はないだろうその場所に別れを告げて学校を出た。

 帰り道を歩いてる途中、不覚にも涙が出てきた。あんなにいい人なのに、つい数時間前まで人を恨んで酷い事をしようとしてたのを考えると悲しくなったのだ。

 でも、もう彼女は違う。生まれ変わったんだ。それに僕も犯人を見つけて倉橋さんに貢献できた。あの二人の仲が戻ればいよいよ告白すべきだろう。結果なんて気にせずに頑張ってみよう。彼女が他の人に取られるのは考えたくもないからな。

 この時は犯人が見つかって、しかも犯人が岡本さんだった事に対する倉橋さんの対応をまだ見てもなく、ただ予想していただけに過ぎなかったのに、事件は全て解決したように思ってた。今後の展開も岡本さんと二人で話した通りになるだろうと思ってたし、彼女とも仲良くなり、全てが良い方向に向かっているように思ってた。

 そんな気持ちになってなかったらこの後の出来事により受けるダメージは多少軽減されたかもしれない。横を通ったバスが飛ばした水しぶきがかかっても許せるくらい浮かれていたこの時の僕は、まだこの後に起こる出来事を予想出来てなかった。

 僕が家に帰っても雨は降り続けていたが、次の日の朝まで気持ちが沈む事はなかった。

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