第9話


「…大怪我ねぇ。まぁ、治ったなら良かったな。」

 トキワが溜息とともに吐き出したのは安堵と呆れと嫌味だった。

「何言ってんの!大変だったんだから!…転んだだけだけど!でも、派手に転んだから血もたくさん出たし!ボーッとしてたアオイ自身のせいだけど!でも…!」

「キナリ…もうやめてくれ。」

 アオイの傷はすでにハナによって治されていたが、痛みまでは直せないため、ベッドに横になっていた。

「ハナがいて助かったよ。」

 ハナが口伝されたのは、傷を治す気功のようなものだった。あくまで外傷を塞ぐもので、痛みや内側の傷を治すことはできなかったが、それでも、こういう場面で非常に助かる。

「そのハナはどうしたんだ?」

「疲れちゃったみたい。隣の部屋のソファでぐっすり。」

「まぁ、少し休むことだな。アオイもハナも。」

 ヒミはその場では一言も発することなく、トキワの横にただ静かに佇んでいた。心配するでもなく、会話に入ることもなく、ただ、そこにいた。アオイと目線が合うこともなかった。


 その日のうちに、鈴が鳴った。

 岩戸へ向かう前にヒミは、神の社へ寄った。

「これからは、私一人に行かせてください。」

「どういう意味だ?そなた一人だと?」

「はい。」

「穢れに同情しているようでは無理だ。」

「もう大丈夫です。」

「理由を申せ。」

「…他の皆は足手まといです。私ひとりの方が、早く片付きます。」

 目を伏せて淡々と語るヒミに、宮司はひとつため息を吐いて「…本当の理由を申せ。」と努めて優しく問うた。

「本心です。」

「…色は未だ見えないのだろう?」

「必要ありません。」

「…わかった。しばらくはそうしよう。だが無理だと判断したら、そこで止めさせるぞ。」

「…ありがとうございます。」


 それからは、ヒミの家の赤い紙垂がついた鈴だけが鳴るようになった。そしてヒミだけが誰にも気づかれないようこっそりと出かけて行く。

 穢れの声を聞かないように、声が聞こえる前に消滅させていく。しかし日に日に穢れは大きく、ついには鮮明な人の形となって現れ始めた。



「トキワか。そろそろ来るかと思っていた。」

「宮司、このところ穢れは溜まっていないのですか?」

「ああ。問題ない。」

「では、ヒミが最近どこへ出かけているかご存知ありませんか?」

「さあな。…遊びに行っているとでも思うのか?」

「いえ、一人で…危険な目に遭っているのではないかと。」

「だとしたら、どうする?」

「やはりそうなのですか?何故…」

「ヒミが自らそう志願した。お前たちは足手まといだそうだ。」

「それを許したのですか?」

「ヒミが自ら助けを求めてくるまで、見守ってやれ。」

「はい。」



 その日の穢れは様子が違った。もはやはっきりとした人の形をしている。そして近寄ろうとすればその分後ずさって行くのだ、まるで、ヒミを誘導するように。

 しばらく誘われるがままに歩いて行くと、霧が立ち込め、気圧が変わったような感覚とともに、目の前に洞窟が現れた。

 消えた穢れと代わりその中から姿を見せたのは、大柄な男だった。平安時代の貴族のような出で立ちで、悠然とヒミを眺めていたが、地を這うような声音を発した。

『なんだ?そなたは、捨て猫か?』

ヒミは警戒しつつも、低く響く声に心地よさを感じた。穢れを追って来たこの場所に居て、目の前の男からも穢れを感じる。純粋で圧倒的な穢れを。

『そなたの居場所はここにあるぞ。』

「…居場所。」

『そうだ。居所が無いのであろう。許される場所を、求めているのだろう?』

 ヒミは是とも否とも答えられず、穢れには似つかわしくないほど純粋な微笑に目を奪われていた。

『名を、教えてくれぬか?』 

「…ヒミ…」

『そうか、ヒミか。良い名だ。コウ、ヒミを案内してやれ。』

「はい。では、こちらへ。」

 いつの間にか大柄な男の傍らにもう一人男が控えていた。コウと呼ばれた人物に差し伸べられた手から、腕を伝って視線を移すと、その顔はヒミにとって見覚えのある顔だった。

「…!」

「やはりあなたでしたか。あの時は百合を引き取っていただいてありがとうございました。」

「なぜ、ここに…?」

「私はここでお世話になっております。」

 ヒミとコウを興味深げにみていた男は、口端を上げた。

『なんだ、見知っていたのか。』

「はい、一緒に花見をしたことがございます。」

『それは良い。これも『縁』というのだろうな。』

洞窟の奥へ歩を進めながら、コウはヒミに語りかけた。

「あの時も、今も、ひどく寂しそうですね。」

「そう…ですか。」

 しばらく歩き続け、ヒミが不安を覚えてきた頃、辺りに光を感じ始めた。

そして視界が突然明るくなった。

「これは…」

「綺麗でしょう?あの方は美しいものがお好きなのです。ヒトと同じようにね。」

「あの方…?」

「あの方は、穢れそのものですよ。小さな穢れが集まって大きな穢れになった。」

 洞窟に入った時からヒミはなんとなく感じていた。先の男と同じ穢れの中に入って行っているのだと。

しかしその穢れの中にあるとは思えないほど健やかな花々が広がっていた。作られた花壇とはちがい、それぞれの花達がのびのびと生えている。除草や除虫などしなくとも、それぞれがうまく共存しているようにヒミには見えた。

 手前には、百合の花と思しき花が揺れている。

「あの時の花束は、ここで摘んだものですか?」

「…いえ、色が違うでしょう?」

「そうなんですか。」

「やはり、目が悪いのですか?」

「あ…色が、見えないんです。」

「なるほど。」

「何故かは、わからないんですが…」

「ではこの百合も白く見えているんですか?」

「あの花束と同じ白に見えます…ごめんなさい。」

「謝ることはありませんよ、白に近い薄紅色の姫百合ですよ。…早く見えるようになるといいですね。」

 一面に広がる花々の中に、見慣れた花を見つけた。

「あれは、巴草…。」

「おや、珍しい草なのによくわかりましたね。」

「…はい。いつもこの花を部屋に飾っていたので。」

「これをですか?観賞には向かないように思いますが…?」

「この花に、ずっと支えられていたんです。」

「へえ…?」

「私の前にいた赤い目の祓い子が植えたものらしいです。」

「そうですか。」

「居なくなってしまったので…会ったことは、無いんですけど。」

「冷たい人だったんですね。」

「いえ、きっと何か理由があったんだと思います。多分…。」

「会ったこともないのに、わかるんですか。」

「はい…。なんとなく、ですが。」

「…会いたいですか?」

「はい…。」

「会ってどうします?」

「わかりませんが…、話しを、してみたい。」



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