魔女の塔

00_或いは予定された結末


むかしむかしあるところに、魔女の塔がありました。

森の魔女は、嫌われ者。誰も塔には近づきません。


森の外れの塔のてっぺん、

三角屋根の小さな部屋には、

小さな小鳥がおりました。

白い小鳥は、籠の中。

狭い窓から空を眺めて、止まり木の上を行ったり来たり。


小さな部屋には、魔女に囚われた娘がひとり。

名前以外のなにもかも、魔女に奪われた哀れなこども。

やせ細った幼い少女に、小鳥は今日も歌います。


「かわいいマリア、僕をお外に出しておくれ」

「いいえ、小鳥さん、お外は怖いところなのよ」

「そんなものは、魔女の嘘だよ。さあ、この鍵を開けておくれ」

「籠の鍵は、魔女のものよ。わたしには開けられないわ」


魔女はマリアを閉じ込めて、

小間使いのようにしいたげます。

小鳥の世話も、塔の掃除も、食事の支度も、

すべてがマリアの仕事です。


「あわれなマリア、僕と一緒にお外へ逃げよう」

「いいえ、小鳥さん、お外は怖いところなのよ」

「そんなものは、魔女の嘘だよ。

 お前の父さんだって、ひとりで街へ逃げたじゃないか」

「いいえ、父さんは魔女に見つかって、獣に食べられてしまったわ」


魔女は、そのおぞましい心を、うつくしい姿で隠しています。

マリアの父は、愚かにも魔女に魅入られて、

娘を連れて塔へとやってきました。

しかし、結局は魔女の仕打ちに堪えかねて、

塔の外へと逃げ出しました。


怒った魔女は、影の獣を呼び出して、

マリアの父を喰わせてしまいました。


あとに残ったのは、母を知らない幼いマリア。

それから、父からマリアに贈られた、

ちっぽけな白い小鳥がひとり。


大切にしていた鳥籠の鍵も取り上げられて、

ふたりはどこへも行けません。


「ちいさなマリア、いつか僕がお外へ出してあげよう」

「いいえ、小鳥さん、お外は怖いところなのよ」

「しあわせを知らないあわれな子、僕がきっと逃がしてあげよう」

「いいえ、小鳥さん。あなたがいればしあわせよ」


お互いだけをなぐさめに、息をひそめて暮らしていた、

ある晴れた日のことです。

マリアが水を汲みに出ると、大きな野良猫が倒れていました。


「まあ、猫さん、怪我をしているの」

「お嬢さんよ、助けておくれ。

 おれを一晩かくまってはくれないか」

「ええ、ええ、はやくお上がりなさいな」


マリアは魔女の目を盗んで、

野良猫を抱いて部屋に連れていきました。

生まれて初めての来客に、小鳥はたいそう驚きました。


「かわいいマリア、いったい何があったんだい」

「ちいさな友よ、どうか怖がらないでおくれ。

 おれは一晩屋根を借りたいだけなんだ」


マリアは野良猫の怪我を優しく手当してやりました。

野良猫は、丁寧にお礼を言って、

自分は遠くの街から旅をして来たのだと言いました。


「まったく、麓の連中ときたら、よそものには冷たくてかなわない」

「森の向こうに、街があるなんて知らなかったわ」

「そいつはもったいない。

 それはうつくしい石の街だよ」


マリアと小鳥が旅の話をせがむと、

野良猫は街で見かけた旅芸人の話をしました。

それから、麓の村で、猫の頭領とあらそった話をしました。


「おおきな友よ、

 きみの知るもっともうつくしい場所の話を聞かせておくれ」

「いいだろう、ちいさな友よ。それでは、おれの故郷の話をしよう」


野良猫は快く応じると、彼のちいさな故郷の話をしました。

野良猫が語る見知らぬ世界に、マリアと小鳥は夢中になりました。

ふたりが次々に旅の話をせがむと、

野良猫は嫌な顔ひとつせず、夜通し語りつづけました。


その夜は、マリアと小鳥にとって、

マリアの父が去ってから一番楽しい時間となりました。


やがて、朝焼けが窓を染める頃には、

お互いを親しい友人のように感じていました。

ずっと黙って話を聞いていた小鳥が、ぽつりとつぶやきました。


「ああ、友よ、僕はきみがうらやましい」

「どうしてだい、ちいさな友よ。

 おまえには住処があり、飢えることもないじゃあないか」

「だが、僕は一度も空を飛んだことがないのだ。

 籠の外に出たことさえないのだ」

「ああ、友よ。お願いだ、この鍵を開けてはくれまいか」


野良猫は鋭い爪で鍵を引っ掻きましたが、

魔女の呪いでびくともしません。

小鳥はついに泣き始めました。


「ああ、なんてことだ。

 やはり僕は、飛ぶことのないままここで死ぬのか」

「ちいさな友よ、泣かないでおくれ。あきらめるには、まだまだ早いさ」


野良猫はにやりと笑うと、マリアにひとつの提案をしました。

それは、魔女から籠の鍵を盗み、小鳥を逃すというものでした。


「いいえ、野良猫さん。

 魔女はとっても恐ろしいのよ。きっとひどい目に遭わされるわ」

「大丈夫さ、お嬢さん。

 おれが魔女をおびき出すから、あんたは鍵を拝借するだけさ」


マリアは魔女が恐ろしくてたまらなかったので、

すぐに動くことはできませんでした。

しかし、野良猫は自分がどれほど素早く、

敵を欺くことに長けるかを巧みに語りました。

小鳥もまた、外への想いの丈を必死に聞かせました。

小鳥の懇願と、野良猫の説得を受けて、

マリアはついに、小さく頷いたのでした。


魔女は毎朝、決まった時間に目を覚まします。

そうして、供物とともに邪悪な祈りを捧げ、

ようやく食卓につくのです。

野良猫は、祈りを捧げる魔女の背後に忍び寄り、

供物をくわえて塔の外へと逃げ出しました。

魔女は怒り狂い、斧を片手に野良猫を追って塔を飛び出しました。


「穢らわしいけだものめ。首を落として干物にしてやる」


魔女の恐ろしい叫び声を聞きながら、

マリアは首尾よく鳥籠の鍵を盗み出しました。


震える手で籠を開けると、小鳥は嬉しそうに羽ばたきました。


「いとしいマリア、今日はなんて素晴らしい日だろう」

「ええ、小鳥さん。さあ、はやくお逃げなさいな」

「ありがとう、マリア。ありがとう」


小鳥が窓から飛び立つのを、

マリアは手を振って見送りました。


小鳥の羽は小さく、籠の中で育った体は重く、

思ったほど素早くは飛べません。


それでも、空は青く澄み渡り、

まるで小鳥の自由を祝福しているようでした。


ところが、小鳥が塔から飛び立った、その時です。

魔女は、にわかに恐ろしい形相となり、塔へと走り出しました。

先ほどまでとは打って変わって、野良猫には目もくれません。

野良猫も仕方なく、魔女を追いかけて走り出しました。


魔女が塔に近づくにつれ、空はみるみる曇りだし、

ついには雨が降り出しました。

嵐のような強い風を振り切って、

魔女は脇目も振らずにマリアの部屋に飛び込みました。


「小賢しい娘め。あたしの心臓を何処へやった」

「いいえ、母さん。心臓なんて知らないわ」


マリアの言葉に、魔女は耳を貸しません。

マリアは逃げ出そうとしましたが、

斧で右足を切り裂かれてしまいました。


「父親から預かっていたんだろう。あたしの心臓を何処へやった」


マリアは、何もわからぬまま、

怯えて泣くことしかできません。


「お嬢さん、はやく逃げるんだ」


野良猫が魔女の気を引いた隙に、マリアは窓へと這って逃げました。


魔女は口から火を吐きながら、野良猫に斧を振りかぶります。


「汚らしいけだものめ。尻尾の先から擦り潰してやる」


マリアは窓から外を見ましたが、

塔のてっぺんからではとても飛びおりられません。

マリアが立ちすくんでいると、小鳥が窓の外へと戻ってきました。


「かわいいマリア、こちらへおいで。はやくしないと魔女がくるよ」

「いいえ、小鳥さん。私には翼がないのよ」

「いとしいマリア、あちらへお逃げ。はやくしないと魔女がくるよ」

「いいえ、小鳥さん。私は足も奪われたのよ」

「ああ、魔女が、魔女が!」


鋭い叫びに、マリアは思わず身を竦めました。

恐る恐る目を開けると、窓の外の小鳥がいません。

マリアが後ろを振り向くと、そこには魔女が立っていました。

魔女の斧は血まみれで、

床には真っ二つになった小鳥が落ちていました。


「ああ、そんな、小鳥さん」


マリアが小鳥に縋り付くと、

裂けた腹から壊れた魔女の心臓が転がりました。


魔女は斧を取り落とし、おぞましい声をあげて苦しみ始めました。


「おのれ、おのれ、小娘の分際で、けだものの分際で」


魔女が倒れ、その声がぱたりと止むと、

塔が大きく揺れました。

塔は魔女そのものであり、

心臓を失ったいま、

魔女とともに死ぬさだめにありました。


「お嬢さん、逃げるんだ。さもないと、塔の下敷きだ」

「ええ、野良猫さん。あなたはどうぞお逃げになって」


野良猫は窓から飛び降りて、軽やかに森に着地しました。

マリアは、小鳥を抱いて窓から飛び降りましたが、

首が折れて死んでしまいました。

あとには、塔の瓦礫の山と、魔女の嵐と、野良猫だけが残りました。


「ああ、なんてことだ。

 お嬢さん、ちいさな友よ、どうか目を開けておくれ」


野良猫は悲しみのあまり、

マリアと小鳥の亡骸の傍で三日三晩泣き続けました。

吹き荒れる雨風に吹き消されて、

野良猫の声は誰にも届きませんでした。



そうして、四日目の朝、

ようやく雨が止み、瓦礫の山に朝日が差しました。

野良猫が目をさますと、

瓦礫の山の上には小鳥とマリアが立っていました。

ふたりは野良猫にほほえむと、

ゆっくりと空に向かって羽ばたきはじめました。


小鳥は、籠から出たときとは打って変わって、

軽々と空を飛び回ることができました。

重たい魔女の心臓は、もう、お腹の中にはありません。

小鳥は今や、翼に慣れないマリアの手を取って、

導くことさえできるのでした。


「いとしいマリア、さあ、僕と一緒に行こう」

「ええ、小鳥さん、お外はこんなに明るいのね」


ふたりは、友の力を借りて、

ついには生まれ育った檻から出ることができたのでした。


野良猫は、朝日の中に旅立つふたりを、

いつまでも見守り続けました。


むかしむかしあるところに、魔女の塔がありました。


森の魔女は、もういません。

朽ちた塔に残ったのは、鍵の空いた檻がひとつだけ。


むかしむかしの、おはなしです。




■■年11月2日   アルベールへ贈る   父より

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏庭 千鳥すいほ @sedumandmint

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ