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神父・ブラウンに案内されて着いた東マリンゴートの教会は、美しかった。

一面が鏡面ガラスで覆われていて、赤みがかった真昼の太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。マリンゴートの中でも一番目立つ建物だといっていい。

もともと工業都市として建造されたマリンゴートは中心部から草原に抜ける一部の地域を除いて、背が低く広い工場が多い。隣接しているテルストラやクリーンスケアに比べて地味な景観を持つ都市だった。都市国家郡で随一の工業生産力を持つこの都市は「灰色の都市」と呼ばれていた。しかしまた、過酷な状況下で働く移民の労働者にはそれぞれの生まれた地域の信仰を強く持っている人間が多かった。そのため移民の持ってきた宗教の施設、いわゆるキリスト教の教会やイスラムのモスクも都市郡の中でもっとも多かった。

ブラウンが神父を勤めるこの教会は、原住民の宗教を研究しながらも移民の信仰に応えるべく、キリスト教の教会を兼ねている施設だった。

原住民の信仰は大地母神に基づく偶像崇拝である。

この世界のどこかにある大きな木。その木は天蓋を包み込む枝を持ち、その根は大地の隅々まで行き届いている。その大樹は全ての命の源であり、人間もその大樹から生まれたと言う信仰。

そして、大樹は、いつしか金の髪の美しい男子をつくって地上に降ろし、その伝説の青年は地上にいるすべての「木の子供たち」を統べて行くのだと。

それは明らかに選民思想だった。

すべからく信じるものをすべてその手に覆うイスラムやキリストの信者から見ると、原住民のみを「木の子供たち」といい、創造主である木から生まれた英雄が原住民たちの王国を作る。まるでユダヤ主義だ。

しかし、原住民の土地を借りて生活をしていく上で、移民たちはその信仰を受け容れざるを得なかった。だから、この土地にあるすべての宗教施設はすべてか原住民の信仰を奉じる教会を兼ねていたのだ。

それが、その選民思想が原理主義になり、そのことで被害を受けた移民たちが差別の法律を作るまでは。

しかし、マリンゴートの殆どの教会が原住民の思想を捨て去る中で、ブラウン神父だけはそれをしなかった。差別法をかいくぐり、移民の目をだましても、原住民の教会を影で守っていた。それは、キリスト教徒である移民のブラウン神父が原住民の宗教と文化のつながりに興味を持ち、研究対象としたからに他ならない。

移民として、共存するべき原住民の思想とその根拠、そして彼らの文化を知ることが、この差別法に起こった戦争を終結させ、再び両民族が理解しあい、手を取り合って生きていく唯一つの手段だと考えたからだ。

マリンゴートで最も目立つ、キリスト教カトリック教会。

その主である神父ブラウン。

彼は、この土地が「ヤハウェ」の作った世界でないことを最も理解している人間の一人だったのだ。

その神父について、教会の白い扉を開いたアレクセイは、すぐさま客間に通された。

教会の一階は美しいモザイクのステンドグラスが配された聖堂になっていた。キリスト教の聖堂だ。

その聖堂を横目に階段を上り、二階に行くと、いくつもの応接室のある廊下に出た。その中の一つに通されて、アレクセイは緊張したまま、進められるままに用意された椅子に座った。きれいに手入れをされている応接室の白い壁は傷一つなく、アレクセイの目の前にあるテーブルもきれいに磨かれていて埃一つなかった。

神父はアレクセイに温かい茶を出し、リラックスするように言ってから、正面に座った。

「君のお姉さん、ヘレンから話は聞いている。よく、決意してくれた」

「いえ、決意などと言うほどのことではないんです。自分でもまだよく分からない」

神父の言葉に苦笑して答えると、神父は笑った。

「いろいろなことがありすぎた。君にも、そして、世界にも」

「ええ」

緊張したままのアレクセイに、神父は目の前の茶を勧めた。

アレクセイは、勧められるままに茶を一口飲んだが、気持ちは一向に落ち着かなかった。先ほどに比べて緊張は解けてきてはいたが、いまだに精神は高揚していた。今までの自分、これからの自分。未来への不安と過去への後悔。しかし、過去へ戻ることへの罪悪感。今、自分が何をしたいのか。そしてどうしてここにいるのか。その答えが未だにはっきりとしていなかった。

「ヘレンは、すでにマリンゴートの強制収容所で働いてもらっている」

だまったままのアレクセイに、神父は言った。

「収容所に送られてきた人間を選別して、気に入った人間を猟奇的な方法で殺す、通称『血のマダム』という役割だ。その裏で、選別した人間の血だけを注射で採ってヘレンの部屋に続く廊下に撒き、偽装して逃がす。ヘレンの部屋に作った地下通路を伝って逃がし、レジスタンスへ送り込むのだ。送り込まれた人間は自動的にレジスタンスの戦力になる」

「『血のマダム』、姉らしいですね」

「そうだな。彼女の性格からすれば、その二つ名が一番しっくり来る。そこで、君にはその『マダム』に送りつける人間の選別をしてほしい。ヘレン一人では屈強な兵士を選ぶのは難しい。また、男性から見た感覚と女性から見た感覚では兵士になれるかどうかの価値基準もだいぶ違ってくる。君には、その価値基準をある程度学んだ上でレジスタンスの一員として、収容所にもぐりこんでほしい」

「そんな難しいこと、自分にできるのでしょうか。第一、収容所にもぐりこむにはどうしたらいいんでしょう」

「それは問題ない。君には、移民の教会の神父としての私の紹介状を添えて、収容所あてに推薦をしている。君に与えられる地位は『兵士長』。マリンゴートの警察機構、そして軍の主力である兵士のまとめ役としての地位が既に用意されてある。もちろん、一般市民でしかなかった君をいきなりそんな大役を押し付けることはできないから、君をトレーニングする役目の人間をつけている」

「そうですか」

兵士長。

あまりピンと来ない。

大役であることは分かるが、それが自分にとってどれだけの『地位』なのかがはっきりとしない。

ナオミのことを除けば、アレクセイには民族差別の痛みはわからない。そして、差別するほうの気持ちもされるほうの気持ちもいまひとつ理解できない。そんな彼に、『差別する役』の、もっとも差別心の大きい地位を任せて、大丈夫なのだろうか。神父は、そこまで分かっていてその大役をアレクセイに用意してきたのだろうか。

「姉は、うまくやっているでしょうか」

ふと湧いた疑問を、アレクセイは神父にぶつけてみた。

確固たる意志を持ってレジスタンスに入ったヘレン。彼女は上手くやっているのだろうか。

「よくやってくれている。彼女を恐れるものは原住民だけでなく、もはや収容所の中にも広がっている。『血のマダム』としての役割は十分に果たしているといっても過言ではない。しかし、やはりそれでも彼女には足りない部分も出てくる。レジスタンスには精鋭が必要だ。決して裏切ることのない意志の強い人間が必要だ。それを、彼女はうまく見分けることができない」

「そこで、それを見分けるのが僕の役割だと?」

「そうだ」

「それが、僕にできると?」

「ああ。少なくとも、私はそう信じている」

「信じているって」

あまりにも簡単に言う。

怪訝な顔をしているアレクセイに、神父は笑った。

「君がここにいる。それだけで、君を信じるだけの証拠はある」

神父はそう言って、立ち上がった。

「大丈夫だ。君は、君を信じていればいい」

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