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「強い意志を持つ人間を選り分ける役」

それが、アレクセイがレジスタンスでもらった役割だった。教会の地下にある難民収容施設で何日間か、その訓練を受けた。どのような人間がレジスタンスに必要なのか、そして、マリンゴートの収容所で軍人として立ち回るにはどうしたらいいか。

『僕』はやめて『私』を使え。

それが、訓練の一日目にはじめに言われたことだった。

若干20歳の兵士長という役割、そしてその責任。軍人としての立ち回り、優等民である移民の考え方や原住民の扱い方。アレクセイは完全にマリンゴートの収容所の軍人となり、そして、優等民になることを教え込まれた。

原住民のために、移民になる。

その矛盾と、どこか拭いきれない違和感は押し殺さなければならなかった。今のレジスタンスは小さい。だから、こういったことを割り切ってやっていかなければならない場合だってある。

神父や姉もそうだったのだろう。アレクセイとの違いは、その心の中に絶対的な何かを持っているかどうかだ。心のあり方。そのほんの些細なことでこれからの自分やこの世界の動向が変わってくる。しかし、いまはそんなことを考えている暇はなかった。

一度踏み出してしまった道。もう、戻れない道。

一ヵ月後、訓練を終えたアレクセイは、マリンゴートの兵士の制服をもらった。それと共に身分証、そして、護身用の拳銃。いままでアレクセイの着ていた服も生活も一変した。色がない、殺伐とした重い服。それを着て教会から出て、教官はアレクセイがこれから生活する兵舎に寄り、荷物を運び入れさせると、さっそくマリンゴートの収容所へと進んでいった。

マリンゴート強制収容所。

高い壁に囲まれたその施設は、四つの機能を持っていた。

一つは、中央管制塔。収容所に入れられている全ての囚人の動きをここで監視している。所長のいるところもここだ。今のところは前市長が就任を拒否して辞任したため空席となっている。囚人一人ひとりに取り付けられている「カウンター」と呼ばれる機械で全てを統括しているのだ。「カウンター」は囚人の手首に付けられる輪だが、その小さな輪の中に発信機の機能と懲罰の機能を併せ持っている。囚人を殺したければボタン一つで簡単に殺せる、そういう機械だった。

二つ目は労改。労働改造所のことだ。狩られた原住民はここに入れられて、強制労働をさせられる。

三つ目は慰安施設。言うまでもなく、原住民の若い女はここでマリンゴートの施設にいる兵士の相手をさせられる。

そして、四つ目は、マリンゴートの兵士の練兵場だ。

アレクセイは、その、四つ目の練兵場に配置された。マリンゴートの兵士を育てるための兵士長として。そして、優等民である移民の思想を絶対化した教育を彼らに躾けて行くために。

おかしなものだ。

差別をなくし、戦争をなくすために入ったレジスタンスで、差別心を持った人間を量産するのを手伝い、戦争をさせる。

これも、すべてはレジスタンスを大きくするためのことなのか。

頭では分かっていても、心までは踏み切れない。マリンゴートの人間に殺された父や母、そしてナオミの顔を思い浮かべると、自分のこれからしようとしていることに強い抵抗を覚えた。しかし、こうなってしまった以上引き下がれないのも事実だった。

練兵場に足を踏み入れると、大勢の若い兵士の前に立たされた。そして、ここまで案内してくれた上官が、若い兵士たちに礼をさせ、アレクセイを紹介した。

若い兵士、少年もいた。

これからアレクセイが彼らに教えることは、本当ならば教えてはいけないことなのに。その矛盾と抵抗が、アレクセイの心にわだかまったまま、離れなかった。

そして、その日の教練を、教会で教わったまま無事に終えると、宿舎に帰って、吐いた。

「今は、これが正しいのだから、こうするしかない」

今、自分にできることはこれしかない。これをやっているしかない。

そんなことは分かっていた。

迷いを振り切れなくて、悶々としているのがよくないことは分かっている。悩もうと迷おうと、どうあがいても今自分の立っているステージはこの収容所の新米兵士の教練場で、やるべきことは選民思想の兵士たちを大量に生み出すことだ。そうすることでアレクセイはマリンゴートで自分の立場を確立する。立場が確立されていないとレジスタンスとしての活動もできはしない。立場の確立、信用の確立。これはレジスタンスとしてのアレクセイの歩く道を作ることに他ならない。それでも煮え切らない何かは、アレクセイの心の弱さだった。

アレクセイは、自分の心が強いと、一度だって思ったことはない。

だから、道を作っているうちにその道の色に染まってしまわないとも限らない。

優等民として優等民を生産していくうちに、次第にレジスタンスであることを忘れて本当に収容所の兵士長に落ち着いてしまうのではないか。

実際、そのほうが楽な道だろう。戦わなくてもいいのだし、こんな悩みからも開放される。今まで持ってきたものを全て捨てて、重い軍装に身を委ねて拳銃を持ち、父も母も姉も、ナオミの存在さえも全て忘れてしまって、優等民になる。

飴も、あの飴の味も全て、舌の先から脳の奥まで消し去って、原住民を差別することに喜びを感じればいい。

その考えが日に日に湧いてくる。そんな、意志の弱さが怖かった。

アレクセイは、自分自身がこれほど信用の置けないものなのかと、初めて実感した。人間は、目の前に逃げ道があれば、それが楽な道であればあるほど簡単に食いつく。今まで背負ってきたものを全て投げ出しても。

たとえ、それが今までどんなにか大切に持ってきたものだとしても。

忘れてしまえばいい。

過去のことなど、忘れてしまえばいい。

そうすれば、今まで自分がしてきた苦労も苦しみも悲しみも、全てリセットして新しい人間に生まれ変わることができるからだ。

そう、考えた日もあった。

練兵場で兵士を鍛え上げている時、士官学校で教鞭をとっている時、全ての時間の合間に、気づいたらそんなことを考えて、悩んで迷っている。

しかし、そのなかで、徹底的にアレクセイはアレクセイと戦っていた。優等民となって飴の味を忘れ、そして、ここに来たきっかけになったナオミの惨劇を忘れてもいいのか。それは、今までの自分、そして、今、こうしている自分を否定することになりはしないか。同じようにこの収容所で動いている姉を、裏切ることになりはしないか。

今、自分がここにこうしているのは何故か。レジスタンスとしてここにいるのではないか。自分を支えてくれている存在、神父ブラウン、教会の教官、そして、姉ヘレン。さらに、今までの自分。それらを全て捨て去ることができるのだろうか。

兵士長として収容所に就任してから三ヶ月。

アレクセイは、まだ整理のつかない部屋の中、ふと、持ってきた荷物の中から飴を取り出した。

何にも変わらない。溶けてもいない。品質が落ちてもいない。赤い包み紙をさらりとはがすと、きれいな白い飴が姿を表した。アレクセイは、そっと、その飴を口に運んだ。

子供のときから変わらない、そして、姉が持ってきてくれたあの日からも変わらない、あの味だった。

小さくなって粉々に溶けた飴を噛み砕きながら、アレクセイは心に決めた。

何も迷うことなどなかったのだ。すべてはこの飴が答えを持っていた。

今までも、そしてこれからも、自分の信じてきた自分を貫いてみよう。

差別の法律に未来はない。あえて灰色の兵士になろうとも、心までは小さな市民でありたい。

小さな市民でいい。

その心が大きな波を起こして、何かを変えていくための礎になるのならば。

そう決めて、それからの4年間、ある一人の人間によって収容所が崩壊させられるまで、アレクセイはレジスタンスに常に情報を流しながらたくさんの人間をクリーンスケアに送った。そして、日増しに強くなっていくレジスタンスの組織の中で決意するまで、彼は兵士長の任務を全うした。

そう、全ては四年後に終わりを告げた。

そして、アレクセイはその後、故郷ハノイがレジスタンスによって蜂起するまでの間、独自の道を歩んでいくことになる。

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