第十五話 ドルカース、死す

 ドルカース連隊長のひどい折檻を受けた戦闘員Aは、肋骨と左腕の骨を折られた満身創痍の状態で、独居房の中にいた。


 ドルカース連隊長の出撃が決まった全体会議の直後、戦闘員Aはドルカース連隊長に乱暴に腕を掴まれ、人影の無い倉庫の片隅まで無言で引きずられていった。そして力任せに何回も何回もぶん殴られた末に、そのまま独居房にぶち込まれたのだった。

 軍法会議を経ずに兵士を独居房に収監する事は軍規違反なのだが、ものすごい形相でドルカースに睨まれた看守は、何も言い返せずにこの勝手な行動を黙って見逃した。

 さっきから何度も、看守がのぞき窓から心配そうな目で覗き込んでいる。大騒動のあった先日の全体会議の内容は、一般の戦闘員には秘密にされているが、断片的な噂となって親衛隊の内部にすっかり行き渡っているようだった。

 ドルカースの横暴さは親衛隊の中でも有名だったため、看守は戦闘員Aに同情的だった。看守はドルカースに気づかれないように医者を呼んで戦闘員Aの怪我の手当てをさせると、貧相な囚人食を与えるのではなく、わざわざ外から将校用の食事を運ぶなどしてくれたのだった。

 しかし、その後もドルカースは一日に一回、必ず戦闘員Aの独居房に現れては彼に暴力を振るい、思うさま痛めつけて帰っていく。看守の手厚い看護にも関わらず、戦闘員Aの体はどんどん弱っていった。


「……ダンナ。生きてます?」


 心配そうに独居房の外からテレパシーを送る看守に、戦闘員Aはベッドに横になったまま穏やかに答えた。

「生きているに決まってるだろう。むしろ元気いっぱいなくらいだ」

「強がりはよしてくださいよ。こんなのが続いたら、ほんとに死にますぜ、ダンナ」

「大丈夫だ、こんな痛み。どうせあと五日で終わりだ」

「どうして分かるんです?」

「ドルカースはあと五日後に出撃だ。間違いなく帰ってこない」

「見かけによらず、無茶しますなぁダンナ」


 体中が激痛で軋んでいたが、精神が高揚しているので戦闘員Aは不思議なほど愉快な気分だった。自分の作戦をことごとく邪魔してきたドルカース連隊長をこれで排除できれば、イオニバス氏に一矢を報いるための戦闘員Aの計画は、まずは第一歩を踏み出した事になる。

「なあ看守さん。一つお願いしていいか」

 独居房の粗末なベッドに傷む体を横たえた後に、戦闘員Aは看守を呼ぶと、ポケットから取り出した自室の鍵を渡した。

「この牢屋で寝泊りするのは別に構わんのだが、いつも使い慣れた身の回りの道具が無いのが不便なんだ。私の部屋に入るとすぐ左側に、私が毎日使っている黒いカバンが掛けてある。それを持ってきてくれないか」

 戦闘員Aを独居房に入れたのは、ドルカース連隊長が軍規を無視して勝手に行った事である。ドルカースが怖いので独居房の外に出してやる事は無理だとしても、こっそり身の回りの道具を差し入れるくらいは許容範囲だろうと看守は思い、戦闘員Aの依頼を引き受けた。

「ダンナ、ドルカース様に見つかったら私が殺されますんで、このカバンは私が預かって隠しときますよ。中の物が必要になったらその時に呼んで下さい」

 ああ、分かったよ。やっぱりこういうのは使い慣れた物が一番だから助かる、と言うと戦闘員Aは看守にカバンを返した。


 しかし、戦闘員Aが本当に欲しかったのは身の回りの品などではなかった。清拭スプレーやら歯磨きスプレーやらに混じって、小さな黒い四角の機器がカバンに入っていることを彼は確認して満足げに頷いた。そして看守にカバンを返す前にその機器をこっそり取り出すと、看守が扉から離れた隙をついて、壁際にむき出しになった配管のすき間の見えにくい場所に隠した。

これで、ドルカース出撃までの残り五日間、情報から取り残されずに済む。


 独居房内は船内のローカルエリア通信網の圏外になっているので、テレパシーで送受信されている軍の内部連絡を受信する事ができないのだ。しかし、先ほどこの独居房内に秘かに設置した中継ルーターがあれば、いつもと同じように情報を受け取ることができる。さすがに今は何もせず大人しくしているが、やろうと思えばテレパシーを使って母船内のサーバーにアクセスして、普段どおり仕事をする事も可能であった。

 この独居房での監禁期間を、戦闘員Aはむしろ幸いとして、独りでじっくりと今後の作戦を練る時間にあてることにした。一日一回ドルカース連隊長にボロクソに殴られるという「仕事」さえ済めば、後は通常の業務に忙殺されることもなく、ずっと考え事をする事ができる。戦闘員Aは一日中簡易ベッドに横になりつつ、テレパシー通信を傍受しながらぼんやりと今後の計画を練り続けていた。


「これで作戦に邪魔なドルカースを排除できたけど、この次が問題なんだよな……

あの会議で、私はもうすっかり危険人物扱いだ。こんな反抗的で危険な部下を自分の連隊に置いてくれるような奇特な連隊長が、果たして我が軍の中にいるかどうか……」


 ドルカース連隊長は軍内の誰からも嫌われていたので、ドルカースに反抗して排除した事を、内心では高く評価してくれている連隊長がいるかもしれない。だが、あるいはこのまま閑職に左遷されて、何もできずに終わるという可能性も高い。

 でも、左遷されたらその時はその時だ、と戦闘員Aは開き直っていた。その時は私に運が無かったと思ってあきらめよう。

 私はあのイオニバス氏を絶対に許さないと心に決めて、彼に一矢報いるために、今の自分ができうる最善の方法を取っただけだ。今の私にこれ以上の最善の方法は無かった。それをやってダメだったら、もう何をやってもダメだって事だ――そう腹をくくった戦闘員Aの心は、不思議なほど落ち着いていた。


 そして五日が経った。この日も律儀にドルカース連隊長は戦闘員Aを殴るために独房にやってきた。翌日に出撃を控えたドルカース連隊長は、七日間かけて施されるエネルギーコーティングの最終段階にあって、全身がほのかに金色に発光している。体内組織が最高に活性化され、その殴打は日に日に威力を増していた。


「よう。明日だ。行ってくる」


 そう言うとドルカースは無表情で戦闘員Aの腹部を殴りつけた。腰を入れず軽く腕の力だけで殴ったというのに、鐘を突いたような鈍い轟音が響き渡り、戦闘員Aは「く」の字に体を曲げて後ろに吹き飛んで壁に激突した。その衝撃で独居房の金属壁がベコリと凹んだ。


「死んだか?」

 ドルカースが相変わらず無表情のまま冷たくそう言い放つと、戦闘員Aからは絶え絶えのテレパシーで「生きてます」という返答が返ってきた。


「ご武運を。無事にご帰還される事を祈ってますよ」


 ドルカースの殴打で壁に叩きつけられたままピクリとも動けない戦闘員Aだったが、減らず口だけは負けていなかった。ドルカースは「フン」と鼻を鳴らすと、そのまま後ろを振り向いてずかずかと部屋に帰っていった。


 それが、戦闘員Aとドルカース連隊長の、最後の別れとなった。


 その日から十日間、戦闘員Aは独居房で何もせず、ただ一日中横になって、船内に流れるテレパシーをぼんやりと傍受しながら過ごしていた。ドルカースがボウエイジャーに倒されて居なくなった今、勝手に独居房を出ても全く問題はなかったのだが、連日の折檻でまともに歩けないほど全身がボロボロであり、そんな状態で外を出歩いて変な噂になるよりは、誰も来ない独居房で寝ていた方がましだった。


 十日後。デスガルム軍の優秀な野戦医療技術のおかげで、戦闘員Aは日常生活で使う動作程度であれば問題なくこなせるまでに回復していたが、そんな彼のもとに意外な人物が訪ねてきた。

「マグゴリア連隊長……」

 条件反射的にベッドから立ち上がり敬礼の姿勢を取ろうとした戦闘員Aを、マグゴリア連隊長は手で制した。

「そのままでいい。怪我しているのだろう」


「戦闘員A、お前の事は戦闘員Cから聞いている」

 そう言ってマグゴリア連隊長は静かに話し始めた。デスガルム親衛隊の中でも随一の切れ者との評判のある男である。その落ち着いた口調には、どこか人の心を自然と穏やかにさせる不思議な響きがあった。


「ドルカースの元で、だいぶ苦労をしていたようだな」

 そう言ったマグゴリア連隊長に「いえ、そんな事はありません、ドルカース連隊長の事は残念でした」と戦闘員Aは答えた。

「何を言うか。自分で出撃させておいて」

 マグゴリア連隊長はそう言って苦笑したが、戦闘員Aはそこで同調して笑ってよいものか分からず、気まずそうな表情のまま、ただ無言でいるしかなかった。

「で、本題だ。お前の友人である戦闘員Cが、最後の出撃の前に私に言ったのだよ。もし自分に万が一の事があったら、後任は戦闘員Aにしてほしいと」


 え? と戦闘員Aは戸惑った。そして不覚にもヘルメットの下で目頭が熱くなってくるのを感じた。誰も認めてくれなかった自分の策をバカにせず黙って聞いてくれて、自分の突拍子もない仮説にも真剣に取り合ってくれた唯一の男、戦闘員C。

 そんな彼は、暴風雨の中で戦線の様子を見に行ったきり、二度と帰ってくる事はなかった。だが、彼はドルカース連隊長の下で本来の力を発揮できていない戦闘員Aの身を案じ、自分の後任に推薦してくれていたのだった。なんという男だろうか。


「ドルカースの件、お前は何も間違ってはいない。あいつは本当にどうしようもない爺さんだった。あまり褒められたやり方ではなかったが、それでもお前のおかげであいつが居なくなった事は、我が軍にとっては間違いなくプラスだろう。私はあの会議のお前には、決して悪い印象を持っていないよ」


 マグゴリア連隊長のその言葉に、それまで張り詰めていた戦闘員Aの心の中の何かが一気に決壊した。連隊長の前だというのに、だらしなく涙が溢れ出て止められず、横隔膜がしゃくり上がってきて肩が大きく上下してしまう。戦闘員の声帯は機械化されていて威嚇音しか発する事ができないが、機械の声帯が今まで聞いたことがないような間の抜けた不思議な音を発した。


「デスガルム総司令にはもう話をつけてある。お前には明日から、私の連隊で働いてもらう。期待してるぞ」

 そう言ったマグゴリア連隊長に、戦闘員Aは形にならないノイズだらけのテレパシーで「はい」と答えるのが精一杯だった。


 そして翌日。ドルカース連隊長の戦死により、第四連隊に所属する兵士たちは仮の措置として三つに分割され、第一から第三までの連隊にそれぞれ吸収されることになった。これまでの連敗でカイジンの数も目減りしており、連隊を一つ消滅させて再編成してもちょうど収まりがいいくらいまでに、デスガルム親衛隊の戦力は損耗していた。

 戦闘員Aはマグゴリア連隊長率いる第二連隊の所属となり、作戦立案を担当する参謀職を務める事になった。


 独居房を出る時、これまで同情的に色々と便宜を図ってくれて、この収監期間中ですっかり顔なじみになった看守に戦闘員Aは声をかけた。

「お前の個人端末を出してくれ」

「え? 何をするんです?」


 看守が戸惑いながらも左腕に付けられた個人端末を差し出すと、戦闘員Aは自分の左腕の端末を何やら操作し、看守の端末に近づけた。シャリーンという音が鳴った。

「え? どういう事です?」

「今まで世話になった。その礼だ」

「そんな……別に私は大した事は……って、こんな大金、頂けませんよダンナ!」

「いいから受け取っておいてくれ。それくらい感謝している」


 そして十五日ぶりの自室に戻ると、戦闘員Aはたっぷりと時間をかけて体を洗浄し、身だしなみを完璧に整えた。今日はもう終業時刻まであと数時間しか残っていなかったが、それでも時間が惜しいと、さっそく第二連隊の作戦室に向かった。


 よし、これでやっとフエキ=イオニバスの糞野郎への反撃を始められる。

 見てろよイオニバス。デスガルム星を、なめるなよ。

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