第十三話 さらわれた万代博士(後編)

 フエキ=イオニバス氏は、瞬間物質転送装置の市場において圧倒的なシェアを誇る世界最大のメーカー、イオニバス社の創立者である。


 彼は天才的なエンジニアであり、若くして瞬間物質転送装置に関する画期的な発明をいくつも成し遂げた。その特許を武器にイオニバス社を立ち上げると、あっという間に競合他社を蹴散らして、イオニバス社を一代で世界有数の巨大企業にまで育て上げた。

 そのたぐいまれな独創性と卓越した経営手腕は、今なお多くのビジネス書で称賛されている。彼は伝説的な名経営者であり――

 ――そして同時に、恐ろしく厄介で自分勝手な変わり者でもあった。


 自分がやりたいと決めた事に対しては、実現するまで何年かかろうが費用がいくら必要だろうが、なんの躊躇もなく経営資源を無尽蔵に投入し続けるのがイオニバス流である。彼は社長職を後継者に譲って経営の一線から退いた後は、政財界の影のフィクサーとして絶大な権力を振るった。

 目的の障害となる存在を徹底的に叩き潰すことに対して、彼は一切の迷いがない。その血も涙もない剛腕ぶりで周囲からは恐れられていて、彼の冷酷非道ぶりを伝える都市伝説のような噂も数多く存在する。


 その一方で、若い頃に彼が思い描き、自らの発明でその道筋を示した未来に向かって、世界は確実に進んでいた。彼がかつて予測した突拍子もない未来は、気が付けば誰もが当たり前とする現実になっていた。どれだけ彼を怨み批判する者であっても、将来を見通す彼の確かな見識については、誰もが認めざるを得ない。

 数限りない熱狂的な信奉者と、いつか絶対に殺してやると強く恨みを抱く宿敵に囲まれた、きわめて毀誉褒貶の激しい人物。それがフエキ=イオニバス氏だった。


 そんな彼は今から十二年前、「飽きた」と言って突如政財界からの引退を宣言した。その時は世界中に大きな衝撃が走ったが、大部分の人間は、どうせ口では引退とは言いながら、相談役だの名誉顧問だのといったお決まりの院政ポジションに就いて、陰の影響力は決して手放さないのだろうと思っていた。


 だが彼の引退は、彼のビジネスの進め方と同様で、恐ろしく徹底していた。

 全ての役職をあっさり放棄したイオニバス氏は、誰も知らない隠れ家で隠遁生活に入ったのだった。その隠遁先を知る者はごく限られた口の堅い身内だけで、その後は全く連絡も取れずほぼ行方不明に近い状態が続いている。

 そのため重病説がまことしやかに囁かれ、イオニバス氏は実はもう人知れず死亡していて、その莫大な遺産の相続を巡って水面下で醜悪な骨肉の争いが続いているなどといった噂が絶えなかった。


 戦闘員Aは、さも自分が全ての情報を把握しているかのような口調で、万代博士に対して「あなたの正体はフエキ=イオニバス氏である」と断言した。

 実は、戦闘員Aは確たる証拠は何一つ掴んでおらず、これは彼の仕掛けた一世一代の大芝居だったのだが、結果的に彼の推理は正解だった。

 もちろん戦闘員Aも、何の根拠も無くこのような芝居を打つわけがなく、自分の推理にかなりの自信があったからこその大博打だったのは言うまでもない。それでも戦闘員Aの手は緊張で震え、それがテレパシーの波形に出ないように必死で押し殺していた。


 万代博士の正体を推理するにあたり、戦闘員Aが最初の手掛かりにしたのは、ボウエイジャーが搭乗する巨大ロボ、ボウエイキングだった。

 あれだけ巨大で複雑なロボの製造は、相当にロボット制御技術に優れた星でなければ不可能であるはずだ。その点だけで、ボウエイキングが製造された場所の候補となる星は十数個に絞られた。ヤブロコフ星はその候補の一つだった。

 また、ボウエイジャーのような最先端の軍隊を結成し維持するためには、国家財政に近い規模の莫大な資金が必要となるはずである。それを用意できるような組織や資産家となると、これも候補はかなり絞られた。


 この二つの条件に両方当てはまる存在を考えていった時に、戦闘員Aの脳裏によぎったのが、十二年前からほぼ行方不明の状態が続いているヤブロコフ星人の大富豪、フエキ=イオニバス氏だったのである。

 例えば彼が、昔からこの地球という星を秘密の別荘のような休暇場所として使っていて、滞在中の自分の身を護衛させるために戦隊を組織させたのだとしたら、謎の多いボウエイジャーの行動や存在について、かなりの部分に辻褄の合う説明ができるのだ。


「イオニバス殿。あなたが引退後の安住の地として、この地球という星を選んだという事は理解しました。我々もあなたの意思を尊重し、この星にあなたが滞在されている事は、ごく一部の幹部だけにしか開示いたしません。デスガルム軍の責任において、秘密は厳守いたします」


 戦闘員Aはイオニバス氏にうやうやしい口調でそう申し入れた。相手はそんじょそこらの国の国家予算など楽々上回るほどの資産をもつ大富豪である。それに見合った敬意を態度で示さなければ、交渉にすらならない。


「一つだけ、我々がどうしても理解ができておらず、あなたにご教示いただきたい点がございます。それは、なぜあなたのような賢明な文明人が、わざわざ原住民を使って我々の侵略を拒むのかという事です。

 我々の侵略は基本的に示威を以て行うもので、軍隊による殺害や破壊は細心の注意を払って極力回避しております。ですので、やむにやまれぬ事情で起こってしまったもの以外は、ほとんど殺害も破壊もありません。やむを得ず起こしてしまった場合にも、きちんと被害者には手厚い補償を行います」


 万代博士こと大富豪フエキ=イオニバス氏は何も返答しない。

 戦闘員Aは構わず続けた。


「逆に、我々が侵略後にもたらす最先端の科学技術は、この星の古めかしい生産システムを劇的なまでに効率的なものに変え、この星の原住民の生活水準を格段に向上させてくれるものです。最初は誤解され抵抗を受けても、我々の侵略はいずれ原住民からも感謝されるものと信じています。

 先進国であるヤブロコフ星ご出身のあなたは、当然それをご存じであるはずです。それなのに、あなたがボウエイジャーを使って我々を妨害してくるのはなぜなのですか」


 戦闘員Aが礼儀正しく問いかけると、万代博士ことフエキ=イオニバス氏はフフンと一笑して答えた。

「引退後の老人の酔狂を、どうか邪魔しないで欲しいものですな」

「どういう事ですか?」

「他星との交流を持たず、高度な文明を知らぬまま、愚かながらも素朴な人々が楽しく暮らしている星が、一つくらいあってもいいではないですか。私はこの星の原住民の万代博士になりすまして、この星の原住民たちの中に溶け込んで、のんびりと余生を過ごしたいのですよ」


 平然とそう言い放ったイオニバス氏に対して、戦闘員Aはすぐに言葉を返すことができなかった。快適な文明生活を捨てて、わざわざ不便な辺境の星に住んで、愚かな原住民と一緒に暮らすなんて、まさに酔狂としか言いようがない。所有する資産が常識の範囲を突き抜けてしまった大金持ちの考える事は、本当に理解できない。


「しかし……。それならば我々が侵略を開始した時点で、この星に手を出さないよう我々にお声をかけて下されば、お互いこんな手間はかかりませんでしたのに。

 文明度が低く、将来期待される利用価値もごく平凡なこんな星、我々としてもそこまで固執するものではありません。すでに戦争を始めてしまっている以上、本国への説明が多少厄介ではございますが、今からでも本国を説得して停戦し、喜んでこの星を貴殿にお譲りいたします。もちろん本国にあなたの秘密は伝えません」


 戦闘員Aがそう提案すると、イオニバス氏は一瞬だけじっと考え込んだ。そして、それまで白々しく続けていた囚われの博士の演技をピタッと止めると、意を決したように戦闘員Aの方を向き直り、ニヤリと嫌らしく笑った。


 二人の裏のやり取りを何も知らず、悔しがる博士の前でただ無邪気に勝ち誇っていたミノムシ型カイジンが、突然雰囲気の一変した博士を見ておっ? と一瞬戸惑いを見せた。イオニバス氏が、小馬鹿にするような口調のテレパシーを発した。


「……いや。このまま続けましょう。この愉快なゲームを」

「は……? どういうことですか、イオニバス殿」


 イオニバス氏は、戦闘員Aの戸惑う様子を愉しんでいるかのように、半笑いのテレパシーを送ってきた。

「まぁ、これも酔狂といいますかね。世界最強と名高いデスガルム親衛隊と、この私が作り上げた最強の戦士『ボウエイジャー』。果たしてどちらが強いか、それを確かめてみたくなってしまったのですよ、私は」

「なんですと?」

 万代博士は、にこやかな口調とは正反対の、鋭い眼光で戦闘員Aを静かに見つめている。しかし会話は個別テレパシーなので、同室にいるミノムシ型カイジンと監視カメラの目からは、二人はただ無言でにらみ合っているようにしか見えない。

「もともと、ボウエイジャーは未開の星で暮らす私の護衛用に作り上げた部隊であって、別にあなた方と戦うつもりなど無かったのです。

 それが一体どういう偶然か、たまたまあなた方がこの星の侵略を開始し、彼らは何も知らずに防戦してしまった。

 世界最強のデスガルム軍が相手ですから、私も当然、ボウエイジャーごときは難なく撃破されてしまうのだろうと思っていました。それで、すぐに撤退命令を出すつもりだったのですが、彼らは意外と善戦するじゃないですか。それどころか、彼らはほぼ無傷で緒戦を勝ってしまった。それで私も急に気が変わったというか」


「……どういうことですか?」

「あれ? デスガルム軍って、思っていたほどは強くないんだなと」

「……!」

「ボウエイジャーは私が自分の護衛用に、半分趣味で作り上げたものですよ。そんな趣味の護衛部隊が、もし世界最強と名高いデスガルム親衛隊をあっさり倒してしまったとしたら……?」

「ぐ……!」

「それはとても愉快だなあ、なんて」


 そうテレパシーを送ると、イオニバス氏はいやらしい笑顔を浮かべつつ、顎をわずかに上げて戦闘員Aをねめつけた。

 戦闘員Aは、体中がカッと熱くなるのを懸命に堪えた。これは挑発だ。この狡猾な男が私をわざと怒らせるためにやっている演技だ、相手の挑発に乗ってはいけない。

頭ではそう理解できているのに、全身の血が勝手に沸き立ってしまうのを止められない。


 ボウエイジャーとデスガルム軍の戦いは、現段階では圧倒的にボウエイジャーが優勢だ。この状態である限り、イオニバス氏としては戦いが長引いた方が得なのだ。このまま戦い続けてデスガルム軍を痛めつければ痛めつけるほど、その後の停戦交渉で、イオニバス氏はより有利な条件で講和を結ぶことができる。

 それなのにここで、地球なんて別に要らないのであなたに譲ります、などとデスガルム軍にあっさり撤退されてしまったら、イオニバス氏としてはせっかく転がってきた勝利を十分に生かしきれずに終わることになる。


 だからこそ、彼はこのような見え透いた言葉で挑発してきているのだと、戦闘員Aは薄々感じ取っていた。だとしたら、ここで安易な挑発に乗って軽はずみな行動に出ることは、デスガルム軍にとっては百害あって一利も無い。

 少なくともこの場は、イオニバス氏に恭順の意を保ち、今後の停戦交渉に向けて少しでも彼の心証を良くしておくことが、デスガルム軍のためを思えば最善の一手だ。


 それに、相手は世界有数の大企業の、元カリスマ経営者である。

 仮にデスガルム軍がここでボウエイジャーに勝って地球の侵略に成功したとしても、その後デスガルム軍は、イオニバス社を敵に回すことになる。

 瞬間物質転送装置の圧倒的な世界シェアを有し、最新鋭技術のほとんどを押えているイオニバス社との関係を悪化させることは、いかにデスガルム軍が世界最強の軍事力を有しているとしても、長期的な政略の面において絶対に得策ではない。


 相手がイオニバス氏だと判明した以上、ここから先はどう考えても、話し合いで平和的な合意と停戦を目指すのが適切な判断だろう。ここでくだらない意地を張ってボウエイジャーを倒して地球侵略を完遂する事と、おとなしく手を引いてイオニバス社との友好関係を維持する事、どちらが得なのかは言うまでもない。


 だが、それらを全て理解していながら、それでも戦闘員Aは自分自身を抑えることができなかった。

 彼は誰よりもデスガルム軍を愛し、デスガルム親衛隊で参謀を務めていることをこれ以上なく誇りに思っている真面目一徹な男だ。見え透いた挑発の演技にも気づいていながら、それでもなお、彼はデスガルム軍を侮辱された事に対して、もう理屈ではなく脊髄反射で腹を立ててしまったのだった。


 戦闘員Aは腰に差していた光線銃を抜くと、間髪入れずイオニバス氏に向けて躊躇なく発砲した。全く事情を知らないミノムシ型カイジンは状況を理解できず、「え?」という困惑の表情のまま硬直している。

そしてその刹那、たまたま発砲とほぼ同時か一瞬早いくらいのタイミングで、変身後のボウエイジャー六人が監禁部屋の壁を突き破り、万代博士を救出するために乱入してきた。


 タイミングが偶然一致したそれらの出来事が一瞬で交錯、秘密のアジトは轟音と突き破られたコンクリート壁が発する粉塵で、またたく間に周囲が何も見えない混乱状態になった。

 真っ白な粉塵に覆われて、ミノムシ型カイジンにも監視カメラにも全く見えていなかったが、その中で戦闘員Aの目は確実に捉えていた。戦闘員Aが放った光線銃が直撃したというのに、何一つ傷ついていない万代博士の腹部を。


 そうだよな。


 当然、デスガルム軍に誘拐されても自力で脱出できるくらいに自分自身を強化改造していなければ、利口なお前はこんな迂闊に敵方に誘拐されるような真似はしない。

 お前はわざと誘拐されることで、敵がどんな勢力で、一体何を考えているのかを探ろうとしていたのだ。

 そうだと分かっていたから私も、自分が携帯している護身用の光線銃程度じゃ、おそらくお前に傷一つ付けられないだろうなとは薄々思っていた。


 でも、撃たなきゃ気がすまなかった。どう考えても、撃たない方が賢明だ。それでも戦闘員Aは発作的に光線銃を抜いた。


 お前が馬鹿にしたデスガルム軍にも、秘密だったお前の正体を暴き、何一つ得はしない馬鹿げた行為だと分かっていてもなお、一矢報いようと歯向かってくる奴はいるんだ――そんなくだらない意地を示さないことには、目に見えないけど大事な何かが、自分の中で壊れてしまうような気がした。


 戦闘員Aは後日、この日に起きた出来事を上層部に報告する際に、自分はボウエイジャーの乱入に気付いたので、即座に銃を抜いてボウエイジャーに向けて発砲したのだと説明した。

 戦闘員Aが万代博士に向けて発砲したのと、ボウエイジャーが乱入してきたのが偶然ほぼ同時だったので、監視カメラの映像では確かにそのように見えなくもない。誰もが万代博士が奪還されたことの方に気を取られてしまっていたので、その報告を不審がる者はいなかった。万代博士の腹部に残っている戦闘員Aの光線銃の弾痕も、博士がこの場にいない今、デスガルム軍側ではもはや確認のしようがない。

 戦闘員Aは一つも疑われることなく、むしろボウエイジャーが乱入した現場に居合わせて無傷で帰ってきたことを同僚たちから喜ばれたのだった。


 この日、無事に万代博士を奪還したボウエイジャーは、そのままミノムシ型カイジンも撃破して、いつもと変わらぬ大勝利を収めた。

 戦闘員Aと万代博士の個別テレパシーの内容は、二人以外は誰も知らない。よって、万代博士がフエキ=イオニバス氏である事を知る者は、デスガルム親衛隊の中で戦闘員Aただ一人である。


 戦闘員Aは、この情報についてはしばらくの間、口外しない事に決めた。戦場で得た情報を故意に秘匿していた事がバレたら反逆罪ものであるが、我が軍の中にいるはずの裏切り者の目を思うと迂闊な情報共有はできない。そもそも、どうせ正直に申告したところで何の証拠もないので、おそらく誰からも信じてもらえず馬鹿にされて終わりだろう。


 ――ここから先は、独りの戦いだな。見ていてくれ戦闘員C。


 戦闘員Aは目を閉じて、肺の中の空気を静かに全て吐き出した。

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