第24話そして、マラソン大会

「3人で走ろうか?」

郁美が優花里に話しかけた。

「でも・・・私、また最下位グループだよ、きっと・・・」

「優花里、これまで練習してきたんだから大丈夫だよ!」

「じゃ、ついてくけど、途中で私がへげたら遠慮なく置いてってね」

恵理香の励ましに優花里は3人で走ることにした。


1月10日(金曜日)の9時30分、集合場所である国営昭和記念公園のふれあい広場に八王子女子学園の3年生11名と2年生198名、1年生199名の計408人が集まった。3年生は受験があるために自由参加であり、11名の3年生は全て陸上部部員で計測要員兼[スカウト]要員である。八王子女子学園のマラソン大会は全員が10kmを走る。折返地点を経由して、国営昭和記念公園をほぼ2周するコース設定である。3年前までは八王子市教育委員会が主催する八王子ロードレース大会と同じコースであったが、競技中の生徒達を無断で撮影する[変質者]が次第に増え、生徒や保護者から開催地変更を求める声が高まったために、浅川・南浅川河川敷より[変質者]を物理的に排除しやすい国営昭和記念公園に開催地を変更した経緯がある。


「島さん、タイム計測していいかな?」

マスクをして重装備の防寒対策を施した理恵が朱美に声をかけた。

「いいですけど・・・主将は参加しないんですか?」

「3年は自由参加だからね。それに、何処にマスコミが潜んでるかわからないし・・・」

「なるほどですね・・・マスコミ、何とかならないんですか?」

「学園も警察に相談してね、今朝から大勢のお巡りさんが来てくれて、公園からマスコミを排除したんだ・・・300人程居たって。それと、意味不明な望遠レンズを持ってるカメラ小僧も100人程排除したって」

「そんなに居たんですか!まるでゴキブリ!女子高生のマラソン姿を撮るなんて、もう変態ですね」

「ホントだ。じゃ、頑張ってね!」

「了解です!」


「小倉、島さんから了解得たよ」

「Thank You、三浦!」

「今年はどうなるかな?」

「さてねぇ?うちの2年も力つけてきたからね。関口!真壁!去年みたいな無様なことになったら・・・」

「わかってます!」

陸上部長距離走エースの2年生、関口香里奈と真壁裕美は緊張した面持ちで決意を新たにしている。

「小倉、スタート直前に緊張させてどうするの?関口、真壁・・・」

理恵は佳織をたしなめると微笑みながら香里奈と裕美に声をかけた。

(主将・・・)

(やっぱ優しい・・・)

2人は理恵の声かけに一瞬感動したが、次の瞬間凍りついた。

「去年のような無様な負け方したら問答無用でラーゲリだからね」

(それ、笑顔で言うセリフですか?)

(この人、鬼だ・・・)


10時、体調により走ることのできない35名を除く2年生163名が一斉にスタートを切る。なお、この35名は連絡・救護要員としてマラソン大会に参加している。

(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!とにかく早く終わらせよう!)

朱美はいきなり先頭に飛び出す。

(何、あのスピード!)

(ヤバっ!どんどん離される!)

早く[苦行]を終わらせたいだけの、作戦もへったくれもない朱美の猛ダッシュに香里奈と裕美はスタート直後から驚愕し動揺する。短距離走に比べ長距離走は選手層が薄いとはいえ、それでも関東高等学校陸上競技対校選手権大会で活躍している八王子女子学園のエース2人が練習を全くしていない朱美にスタート直後から差をつけられている。しかも朱美はトコトコと典型的な女の子走りをしている。

(とにかくついてかないと・・・また大差がついたら小倉先輩に何言われるか・・・)

(食べ残し以外でラーゲリなんて、冗談じゃないわよ!)

去年、ノーマークだったとはいえ朱美に大差をつけられた結果、部室での反省会で佳織から散々小言を言われた香里奈と裕美は事の重大さを十分認識していた。まして、ラーゲリが適用される[罪]は今のところ食べ残しだけだが、食べ残し以外の[罪]で適用を受けることは何としても避けなければならない。次期主将は恵理香であると年明けに理恵が宣言していた。全国高等学校対校陸上競技選手権大会で優勝した実績と統率力があるものの、理恵に完全に信服している恵理香が主将になれば、ラーゲリの適用範囲が拡大される可能性が高い。おかしな前例を作ってしまったら他の部員達から恨まれること必須である。


「もうダメ!先に行って!」

2kmを過ぎたあたりで早くも優花里は限界に達した。

「優花里!まだ2kmだよ!音を上げるには早いよ!」

緊急時の備えとして500m毎に教諭や生徒が待機しており、各々スタート地点からの距離を示すボードを携えているので、走者は自分の位置を知ることができるのである。

「ダメだよ、もうついてけない・・・」

「優花里、何してんの!」

郁美が優花里に声をかけるが、優花里はずるずるとスローダウンしていく。

(しょうがないな・・・)

郁美と恵理香は顔を見合わせる。

「優花里!悪いけど先行くよ!」

次第に離れていく優花里に恵理香が大声で声をかけると、恵理香と郁美は優花里にお構い無しに走り去った。

(こうなること、わかってたけどね・・・今日は晴れてるのがせめてもの救いだな・・・初夏ならもっと楽しく走れるのになぁ・・・あっ、梅の蕾があんなに大きくなってる・・・もうじき春なんだね・・・)

優花里は仕方なく1人で走り始める。


「優花里!」

詩織が手を振りながら追い抜いて行った。

「優花里さん!頑張って!」

暫くすると、紗希が声をかけながら優花里を追い抜いて行く。

「ゆかり~ん!頑張ってよ!」

走っているのか早歩きしているのかわからないようなペースで優花里が走っていると、朱美が手を振りながらトコトコと前から走ってきた。その後ろから香里奈と裕美が鬼気迫る形相で朱美を追っている。

(げっ!朱美、もう折返地点を超えて・・・香里奈と裕美、怖わ)

返事をする気力すらない優花里は右手を上げて笑って見せるのがやっとだった。優花里が折返地点に辿り着くまでに、恵理香と郁美、詩織、紗希の順で次々と対面ですれ違う。


(何で皆ちゃんと走れるんだろう?マラソンなんて私にとって拷問でしかないよ・・・お腹痛いよ・・・)

頭の中で愚痴愚痴思いながらも、ようやく折返地点を優花里は越える。

(ゴール、すぐそこなんだよな・・・ここで折返せって、毎年何て意地悪なコース設定するんだよ!)

優花里の右手にはゴールが見えている。優花里がゴールを遠目に眺めると、朱美らしい女子が既にゴールインしている。

(あれっ!朱美、もうゴールしたの?)

とてつもない哀愁を感じつつ、優花里は1人で黙々と走っていた。


「小倉、島さんの計測値は?」

ポップコーンを食べながら理恵が佳織に尋ねた。理恵の足元には鳩が群がっている。

「33分42秒18・・・単純比較できないけど、トラックだと高校女子歴代10位に入る・・・」

「逸材なのにね・・・4月からは部活もできないだろうし・・・もったいない」

「そうだね・・・でも、関口と真壁の計測値、ラストスパートで無茶したけど2人とも自己最高だよ。関口が34分02秒82、真壁が34分06秒27。関口はもうちょいで歴代10位とタイ(高橋郁子が1988年6月18日に記録した34分01秒75。ただし、この記録はトラックレースの記録であり、ロードレースの記録ではないので単純比較はできない)だね。意識して島さんについていった成果だ」

朱美は何事もなかったかの如く、コートを羽織って携帯用魔法瓶からお茶を汲んで飲んでいる。香里奈と裕美は体力の全てを消耗してしまったのか、ブルーシートの上で毛布に包まれ死体の如く転がっていた。


(後5kmも走るのかよ・・・そう言えば、朱美の走り方、あれはあれで素人には効率いいのかな?)

5ヶ月とはいえ陸上部で練習してきた優花里にとって、朱美の走り方は基本がなっていないようにしか見えない。しかし、現実には朱美はとてつもなく速い。

(真似してみようか・・・ダメだ!意識すると余計疲れる!)

優花里は朱美の真似をして女の子走りを試みるが、全く効果が無いだけでなく無意味に疲れてしまうのですぐに諦めた。無駄な努力と悟った優花里は元のフォームに戻してまた黙々と走り始めた。


「豊浦先輩!」

陸上部部員の1年生が手を振りながらすれ違って行く。もう気力も何も無い優花里は苦笑いしつつ手を振って応えるのが精一杯だった。

「豊浦先輩♡」

トップ集団からやや遅れて走っている舞がやはり手を振りながらすれ違って行く。またしても優花里は手を振るだけで精一杯である。

(舞ちゃん、長距離は強いんだね・・・主将に勧誘されちゃうのかな・・・痛てててて)

思わず笑いだした優花里は脇腹を押える。


(何で10kmも走らせるんだろ?女子なら他の高校はほとんど全部5kmなのに・・・この学園、変なとこで自由だけど変なとこでスパルタなんだよな・・・あっ、でも、自由の範囲は確かに広いけど、勝手に何かしでかして失敗すれば問答無用で責任取らされるよな・・・結局全部スパルタじゃん・・・まぁ、そのおかげで社会的な地位を得てる卒業生が多いのも事実だし・・・あれっ?そういう人達ってほとんど独身じゃないか?・・・ははは、自分で何でもできちゃうから男の人に頼る必要がないのか・・・)

現実の苦痛から逃避したい優花里は、雑念を取り留めもなく頭の中で捏ね回していた。しかし、状況が状況だけにマイナス思考しかできないでいる。

(私も結婚できないのかな・・・コカゲさんの血統も私で絶えるのか・・・待てよ、優樹が女の子を産めばいいんじゃないか!その子を私の養子にすればいい。これで問題解決じゃん!・・・はぁ・・・何が問題解決なんだよ・・・私、何考えてるんだ・・・)


(さっきの梅だ・・・春かぁ・・・後2月半で主将も小倉先輩も卒業していなくなっちゃうのか・・・寂しくなるな・・・紗希ちゃん、どうなるんだろ・・・)

体育祭以降、執拗な勧誘を受けた当初は鬱陶しい存在でしかなかった理恵と佳織だが、深く関わってみると2人の類まれな才能や豊かな個性に優花里は圧倒されていた。もっと早く2人と知り合うことができていたなら、どれだけ有意義な学園生活を送ることができただろうかと今更ながら優花里はひしひしと感じている。


(まだ3kmもあるのかよ・・・気分転換に何か歌うか・・・遠く響く波音どこまで続いてるの 寄せる波はやがて私をさらっていく きらり光る水面と夕映えの茜色 恋しい景色はそう私のいつもの夢・・・(Nostalgia 作詞:三澤秋))

ようやく7kmを過ぎたあたりで、優花里は気晴らしに声を出さずにお気に入りの楽曲を走りながら歌い始めた。1曲あたり4~5分なので700~800m程度しか持たない。優花里は2曲歌った時点で気分転換の効果が期待できないので止めてしまった。


(1kmを切った・・・この拷問ももうじき終わる・・・)

「豊浦先輩!」

先程の陸上部1年生部員が後ろから声をかけてきた。

(何?もう戻ってきたの?ついに1年にも抜かれ始めるのか・・・)

「豊浦先輩♡」

優花里が苦笑いしていると、すぐさま後ろからまさかの声がする。

(えっ?)

「ふぁいとですよぉ!」

(えっ?えっ?)

体育祭では鈍足で一部から顰蹙を買った舞が1年生の2番手を走っている。舞は優花里に追いつくと横に並んだ。

「豊浦先輩!一緒にゴールしませんかぁ?」

(舞ちゃん・・・)

「ありがとう・・・でも、先に行きなよ。折角だから2位でゴールすれば・・・」

「全然大丈夫ですよぉ。後ろ、いませんしぃ」

(何?)

優花里が後ろを振り向くと、200m以上先に3番手が見える。

(舞ちゃん、ぶっちぎりじゃないの・・・)

「一緒に走ろうか?」

「ハイ!」

僅か200m程度の距離だったが、優花里と舞は並走して同時にゴールインした。


「1年がスタートしてから30分か・・・」

「そろそろ1年が戻ってくる頃ね」

ポップコーンを食べきった理恵は、今度は煎豆を食べている。鳩の群れは理恵の足元から離れようとしない。

「三浦、いくらなんでも食べ過ぎじゃない?正月から何キロ太った?」

「まだ1kgだけど。でも、体脂肪率に変化が無いから問題ない」

「ウソでしょ?あんなに食べて・・・体脂肪率、どれだけなの?」

「10.6。それに私、屋内だけど基本的な練習を毎日してるからね」

「そりゃそうかもしれないけどさ・・・あ~、1年が見えてきた。先頭は今井だ。これは順当として・・・あれっ?2番手は歴研の子だ。確か原田さん・・・と優花里ちゃんも一緒だ!」

「いい視力してるね」

佳織は裸眼であるが、理恵は双眼鏡で順位を確認している。

「2.5は伊達じゃないよ」

「原田さんのこと、計測してる?」

「してるわけないでしょ!完全なダークホースだよ。あの子、体育祭の変則スウェーデンリレーの第一走者で最下位だったの、覚えてないの?」

「そうだったっけ?でも、歴研っておもしろいよね。次から次に逸材が出て来て」

「ホントだ」

「今井の計測値、34分18秒62。なかなかのもんだよ」

「優花里ちゃんの計測値は?」

「1時間04分56秒39・・・しかも2年で最下位・・・ああ、そうか。優花里ちゃんと一緒にゴールしてくれたおかげで、原田さんの計測値が計算できるのか。彼女は34分56秒39か・・・参考値としてメモしとこ・・・原田さん、勧誘するでしょ?」

1年生は2年生の30分後にスタートする。したがって、優花里の計測値から30分を引けば、優花里と一緒にゴールした舞の計測値が参考値として計算できることになる。

「もちろん!小倉、明日時間あるよね?」

「あるよ」

「じゃ、昼休みに行こうか?」

「OK!」

1月11日は土曜日であるが、マラソン大会当日を午前のみとしているために1月11日は午後も授業を行う。平日のマラソン大会実施は、より多くの[変質者]を排除するための措置である。


「でもさ、優花里ちゃん、具合でも悪かったのかな?」

「いや、彼女は典型的なネコ科だから・・・優れた瞬発力はあるけど持久力は全くダメ・・・」

「・・・」

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