第23話Tea Party

「あ~、金曜日はマラソン大会か・・・嫌だなぁ~」

「雪でも降らないかなぁ~」

「週刊予報だと、金曜日は晴れるらしいよ・・・」

1月8日(水曜日)、始業式が終わり定例会が始まる直前に優花里と朱美が部室でぼやいている。持久力が全く無い優花里にとってマラソンは単なる拷問にすぎず、歩くことを極端に嫌う朱美にとっては10kmも[歩く]なんて冗談にもならない。その傍らで、詩織がバタバタと七輪を団扇で扇いで炭を熾している。1年生達は七輪の炭火を例の如く興味津々と眺めていた。

「皆揃ったよね?始めましょうか」

紗希が部員達に声をかけた。


「明けましておめ・・・お前達、何してんだ?」

小一時間が経った頃、定例会に顔を出すために聡史が部室のドアを開けると、異様な光景が目に飛び込んできた。部室に備え付けの会議机を4卓並べ、その上に詩織が正座して濃茶を練っている。その回りを椅子に座った7人の部員が神妙な顔付で取り巻いていた。詩織は脇に置いた七輪で釜の湯を沸かしている。聡史にとって、何もかもがアンバランスな異様な光景であった。

「濃茶を練ってるんです」

詩織が淡々と返事をした。

「それは見ればわかる。何故、机の上に・・・」

「静かにしてください」

「だから、何故机の上で・・・」

「先生、静かにできないのなら出て行ってくれませんか」

「な・・・」

「詩織が修学旅行で買った南部鉄の釜で皆に濃茶を練ってくれてるんですよ。先生も一服どうですか?」

普段からは想像することができない詩織の高圧的な態度に聡史が絶句していると、朱美が聡史に声をかけた。

「・・・じゃ、僕も・・・」

聡史は部室に入ると末席に連ねた。

「先生、御茶碗、ありますか?」

紗希が聡史に声をかける。

「無いけど・・・回し飲みじゃないのか?」

聡史が改まって机を見まわすと、部員達は各々自分の茶碗を用意している。

「皆でちびちび回し飲みしたらお茶本来の味がわからなくなるので、御茶会の作法に反しますけど今回はあえて一人一人に多めに濃茶を練ってるんです」

詩織が聡史に説明する。

「お椀ならありますよ」

優花里が立ち上がってロッカーから丼茶碗を持ってきた。

「ゆかりん、それってチンチロリン用の丼でしょ?」

「もちろん洗ってくるよ。先生、ちょっと待っててくださいね」

「豊浦、チンチロリンするのか?」

「恵理香とたまにしてますよ。何時も恵理香に負けてるから本人は本気ですけど」

優花里が丼を洗うために部室を出て行った後、聡史は朱美に尋ねていた。


聡史も加えた8人分の濃茶を練り終えると、詩織は机から降りた。

「詩織さん、自分の分は?」

「もうめんどくさくなっちゃた。私、家で年中飲まされてるからいいよ。ところで、このお茶菓子、何処で買ってきてくれたの?」

「八王子駅の飯村屋ですよ。昨日買ってきました」

「何がいいのか全然わからなかったんで、お店の人と相談しながら買ったんですけどね」

茶菓子買い出しを担当した忍と恵が答える。

「なかなか美味しいね、このお茶菓子。ところで工藤、何故机の上に座ってたんだい?」

丼の濃茶を飲み干した聡史は、茶菓子を食べながら再び詩織に尋ねる。

「座らないと茶筅の力加減が狂うんですよ。でも、床に敷くシートはないし、仮にシートがあったとしてもシートだけじゃ固いし冷たいんでリラックスできませんからね」

「なるほど・・・で、何故七輪なの?風炉は?」

聡史が詩織に更に突っ込んだ質問をする。

「当然、風炉を使いたかったんですけどね、風炉を家から持ち出そうとしたらお母さんに見つかってしまって、遊びに使うな、って言われたもんですから・・・」

「それで急遽、私が七輪を持ってきて代用したわけです」

七輪は優花里が家から持ってきていた。

「七輪だって炭火だから、基本変わり無いはずだけどね」

「でも、まぁ、風炉のこうした形がいいんじゃないの。風情もあるし」

朱美が手振りで風炉の形をなぞっている。

「立派な風情ある釜だね。これから使い込んでいけば風格も出てくるだろうな・・・」

「工藤先輩、このお釜、すごい立派ですけど高かったんじゃないですか?」

聡史が詩織の釜を眺めながら感心していると、忍が詩織に尋ねた。

「1万円だったよ」

「それって、高いんですか、安いんですか?」

「このサイトだと5~6万円しますねぇ・・・」

舞が早速スマートフォンで検索している。

「それじゃ、超お買い得ですね!」

「道具ってね、値段で善し悪しが決まるもんじゃないのよ。特にいい道具はね、道具の方から[私、いいでしょ?買ってよ]って声をかけてくるものなんだ。値段は結果として付いてくるだけなんだよ」

「お湯沸かすの、携帯コンロじゃダメなんですかぁ?炭火がまともになるまで30分以上かかってましたしぃ・・・」

「このお湯、飲んでごらん」

詩織は舞の茶碗に釜の湯を注いだ。

「あっ、何か柔らかいというかまろやかというかぁ・・・ガスコンロで沸かしたお湯と全然違いますねぇ。ガスコンロで沸かしたお湯って、このお湯と比べると刺々しい感じですねぇ・・・」


「詩織の黒織部、いいよね」

詩織が持参した黒織部の茶碗を朱美が手にして眺めている。

「これも高かったんですか?」

「また値段の話・・・道具はね、値段じゃないのよ、忍ちゃん。それとね、この黒織部より優花里の志野や舞ちゃんの唐津の方がよほどいいものだよ」

「えっ、これ、しのっていうの?」

「優花里、知らないで持ってきたの?」

「家の食器棚にあったの、適当に持ってきただけだから・・・」

「私もですぅ・・・」

「優花里ん家も舞ちゃん家も、ひょっとしたら磁器より陶器の方が多くない?」

「そう言えば・・・磁器はほとんど無いな・・・丼と簡単なお皿だけかな?」

「私ん家も・・・ティーカップと丼だけのような気がしますぅ・・・」

「御両親に感謝しなよ。いいセンスしてるんだから」

「そうなの?」

「そうだよ。日常の生活の中に、こうした物が自然にあって使われてるなんて、素晴らしいことじゃない」

「そんなもんなのかな・・・」

優花里にとってはどれも土塊にしか見えないのだが、優花里は志野の茶碗を手にすると暫くの間眺めていた。


「ところで朱美、着背長は何処までできたの?」

「途中経過、教えて下さいよぉ」

「私も見たい!」

「休み明けだからそう来ると思ってね、写真持って来たよ」

朱美は脇に置いた鞄から紙袋を取り出し、その中に入っていた写真を優花里達に見せた。

「すごいですね!もう完成間近じゃないですか!」

「朱美さん、この赤糸威、縦取威になってるけど、何を参考にしたの?大山祇神社の沢瀉威鎧は縦取威だけど沢瀉威だし絵韋も欠けてるしね・・・」

「えっと・・・」

紗希の鋭い指摘に朱美は窮してしまう。

「これって・・・」

「どうしたの、ゆかりん?」

「いや、その・・・すごく出来がいいもんだから・・・」

「そんなにすごいのか?僕にも見せてよ」

「はい、先生・・・」

「!・・・」

優花里から渡された写真を見て聡史も言葉を失った。

「先生までどうしたんですか?」

訝しく感じた朱美が聡史に尋ねる。

「どうすればここまで忠実に再現できるのかと目を疑って・・・」

「島先輩、更に腕を上げたんですね!」

「甲冑師にもなれますよ」

「女流甲冑師って、かっこいいじゃないですかぁ!」

「早く完成させて持ってきてくださいよ!」

1年生達は無邪気に朱美をもてはやしている。


定例会が終わり、部員達は三々五々帰路に就く。小雪が舞うなか、優花里は毎度の如く朱美と共に校門を後にした。校門を出て暫くすると朱美が優花里に話しかけた。

「ゆかりん、着背長の件だけどね、さっきの反応、すごく変だったよ。先生も異様に驚いてたし・・・何だったの?」

「朱美・・・何故、縄目威じゃなくて縦取威にしたの?絵韋だって、何を参考にしたの?」

「それは・・・」

「関東五枚胴はあれだけ下調べして忠実に造ったのに・・・」

「もちろん調べながら造ってるよ。今回参考にしたのは武蔵御嶽神社の畠山重忠が奉納したと伝えられてる赤糸威の着背長だけどね、ただ単に忠実に実存の着背長を再現するだけじゃなくて、どうしてもこうしたい、って個所がどんどん出てきちゃってさ、武蔵御嶽神社のものとは違う着背長になっちゃたんだよ」

「朱美・・・朱美が造ってる着背長、縣朝信が着用してた着背長と全く同じなんだ。先生は着背長を着用してる朝信と直接会話してるしね・・・」

「えっ!ウソでしょ?」

「ホントだよ。私はあの着背長、2回見てる。承平天慶の乱の時と後三年合戦の時と・・・あれだけ優雅で力強い着背長は現存のものにはないから記憶にはっきり残ってるんだ」

「・・・そうなんだ・・・私が勝手に造り変えた着背長が、朝信の着背長とはね・・・でも、何故なんだろう?何故、私が朝信の着背長と同じものを造れるわけ?」

「たぶん、朱美は朝信と同じ美意識を持ってるんだよ。長い時を越えて、いろんなことが現在進行形で蘇ってるんじゃないかな?私達の内外で・・・」

「そうなのかな・・・何だか怖いよ・・・」

「そうだね・・・」

暮れなずむ八王子の街を歩きながら、優花里と朱美は自分達に課せられた運命の重みを感じつつあった。

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