第二章「死と太陽は直視できない」 第十節
麗子は、ビルを真下から見上げ、その尋常ではない高さをあらためて驚嘆した。
本当に天を貫いており、空と大地を繋いでいた。
「頂上が見えないじゃん。……っていうか、そもそもあるの?」
「さぁ、どうでしょうね。無いかもしれません」
麗子は大きく仰け反り、ほとんど真上を見ていた。それで何故引っくり返らないかというと、命が支える形で後ろから押しているからだ。そのまま正面玄関を目指す。
「まるでバベルの塔だね」
「あれは旧約聖書ですから神話が違いますよ。まぁ、“神の大人げなさ”という意味では共通点がありますが」
「お、うまいこと言うねぇ」
二人はそのまま回転扉をくぐり抜けて、エントランスに入った。
「へぇ、中もちゃんとビルなんだね」
麗子は姿勢を戻し、エントランスを眺めた。
壁は一面ガラス張り。床は大理石。吹き抜けになっており、縦にも横にもとにかく広い。
「……誰もいないんだね」
エントランスは無人だった。
「会社なのは見た目で、受付嬢も警備員もいません。社員であるボクたちも、常に外回りですから、ここに来るのはごくたまにです」
「ふーん。それにしても淋しいなぁ。なんだろう、清潔過ぎるというか、生活感がまるで感じられない」
「ホコリ一つ存在しませんからね。常に新築みたいなものです」
「なるほど」
麗子は、あらためてエントランスを見渡した。
右手には商談スペースがあり、椅子やテーブルが並んでいる。ソファもあった。
左手は展示スペースになっているのか、太陽系を表した大きなオブジェがある。
太陽の周りを、各惑星が反時計回りにゆっくりと回っている。その軌道はやや楕円形。
「これってなんか、まさに神様って感じだね」
麗子は、オブジェの前に移動した。
「死と冥府の王であるハデス様には、あまり関係ないですけどね。ちなみにこれ、いまの太陽系なんですよ。リアルタイムで、地球も現在の地球なんです。あ、太平洋上に季節外れの台風が生まれてますね」
命もついてきて、太陽から数えて三番目にある惑星、“地球”を指差した。
「わーお、すごいとしか言えんわ。あっ、国際宇宙ステーションまであるじゃん」
麗子は地球に注目し、その周りを回る国際宇宙ステーションを見つけた。
「ハデス様は細かいところまでこだわります。そのくせ大雑把なので、見えるところにしかこだわりません」
「じゃあ、血液型はO型だね。ちなみに、私はA型」
「血液型とか無いと思いますけど。あ、ボクはわからないです、調べてないんで」
「そりゃ残念」
麗子はオブジェの周りを歩き、他の惑星も鑑賞する。
「……麗子さん、気になるのはわかりますが、ここは博物館ではありませんよ」
命は一人先に進み、声だけで注意した。
「あっ、ゴメンゴメン! そうだった!」
麗子は急いで追いかけた。
正面奥には受付があり、そのそばにはセキュリティが設けられていて、空港などでみられる金属探知機があった。
命はすでに通っているので、麗子も後に続くのだが、何故かランプが点灯し、アラームが鳴り響いた。
「えっ⁉」
麗子はギョッとした。
「大丈夫ですよ。これ、ハデス様のイタズラですから。無視してください」
「イタズラ……? くだらないことを……」
麗子は、未だにランプを点滅させてアラームを鳴らす金属探知機を、キッと睨んだ。
すると、ぴたりと止んだ。
「ふふっ。皆さん、いい反応をしてくれます」
命はニヤニヤしながら、また先行する。麗子もすぐに後を追った。
「エレベーター?」
進行方向にエレベーターが見える。
「階段がいいですか?」
命の意地悪な問いかけに、麗子はすぐにかぶりを振った。
「でしょうね。ボクも嫌です」
これだけ大きなビルにもかかわらず、エレベーターは一つしかなかった。
「エレベーター、一つだけなんだね」
「一つで充分ですからね」
命は、横の壁にあるボタンを押し、扉を開けた。彼が先に乗り込む。
これだけ大きなビルだから、ボタンもきっとたくさんあるだろう。
麗子は期待してエレベーターに乗り込み、命が立っている扉の横を確認した。
すると、あるのはたったの三つだった。
「ボタン少な……」
麗子は、少しガッカリした。
「ですから、こだわっているのは見えるところだけなんですよ」
「それって、ハリボテってこと?」
「有り体に言えばそうですね」
「つまんない」
「ご期待にそえず、申し訳ありません」
命は、三つあるうちの一番下のボタンを押した。《王の間》と記されている。ちなみに、その上は《倉庫》で、一番上は《地上》だ。
まもなく扉が閉まった。――で、開いた。直後に、チーン、と電子レンジのタイマーが切れたときのような音が鳴った。
「ん?」
麗子は、どうしたのかと思い、外を見た。すると、扉の向こうには、ほんのいままであったエントランスの風景が無く、真っ直ぐな通路があった。
「到着しました」
命は、スタスタとエレベーターを出た。
「はやっ⁉」
「見た目はエレベーターですが、いわゆるワープですので、まさに一瞬です」
「じゃあ、エレベーターじゃなくていいじゃん」
麗子もエレベーターを出た。
「そこはビルですから、一応形だけでも」
「無意味な……」
「無意味なことにこそ意味がある――と、誰かが言ってましたよ」
「誰よ?」
「さぁ」
命は肩をすくめると、奥へ進んだ。麗子も呆れた顔をしてついていった。
命の後ろを歩いている麗子は、左右に視線を送り、大理石の床や、石灰石の壁、彫刻が施されたような太い柱に注目した。ついでに高い天井にも気づいた。
「ここって、なんか厳かな雰囲気ね。神殿っぽい?」
「王の間に続く通路ですからね、さすがにそこまでビルというわけにはいきません。神としてのメンツがあります」
「ここだけ気にしてもって感じがするけど」
「まったくですね」
二人の声は響けど、足音は微塵も鳴らない通路を進んだ先には、黒々とした大きな二枚扉があった。その表面には黄金色の彫刻が描かれている。
それは、とある男が巨大な生き物の背に跨っている、という構図のものだ。
美しくも野性味のある男。それでいて気品を兼ね備えた顔立ちをしている。その両眼は非常に威厳があり、容赦の無い恐ろしさもあった。髪は長く、クセがある。髭も同様だ。身体は筋肉質で、見るからに逞しい。身なりだが、上半身の右半分は裸で、左肩や腰に布を巻きつけている。それは“ヒマティオン”と呼ばれる、古代ギリシャの一枚布の服だ。命が背負っているような鎌を右手に持ち、左手には、先端に見覚えのある天秤が取りつけられた長い杖を持ち、高々と掲げている。
そんな男が跨っているのは、三つの首を持つ、巨大な犬のような怪物だった。尻尾はまるで竜のようで、それぞれの首にあるたてがみは無数のヘビが絡みついてできていた。
周りには何体ものガイコツが描かれており、いずれも、男の姿を見上げて両手を掲げ、まるで救いを求めているようだった。
「これは……?」
「ハデス様をイメージした彫刻です」
「え、じゃあ、あれがハデスなの?」
麗子は、彫刻の男を指差した。
「麗子さん、“様”を忘れずに」
「あ、ゴメン! 様! ハデス様!」
場所が場所だけに、慌てて言い直した。
「あれがハデス様です。そっくりに描かれていると思いますよ」
「ふーん。……目つきが悪そうなんだけど、気のせい?」
「いいえ、実際に悪いですね。泣く子も黙るという感じです。一見、神様というよりは、どこぞの組の若頭といった感じです。しかも、かなりやり手の」
「あー、確かに。……それにしても、キミも聞こえてないからって好き放題言うわね」
「いえいえ、事実をわかりやすいように述べているだけですから。それに、ちゃんと聞こえてますから、陰口にはならないです」
「え、聞こえてるの?」
「ええ、神様ですからね。どこにいようと聞こえますよ。いわゆる地獄耳です」
「えっ⁉ じゃあ、いままでの会話は……?」
「筒抜けです。そのつもりで答えています」
「ええっ⁉ わっ、私、何か失礼なこと言ってない……?」
「いくつかありましたが、お咎めを受けるようなことはありませんよ。例の禁句も、禁句だと知らなかったわけですから、今後気をつければ大丈夫です」
「き、気をつけるわ」
「ちなみに、ハデス様は、素直な方や正直な方を好まれます。ご自身が単純明快な方だからでしょうが、おべんちゃらは通用しないので気をつけてくださいね。なるべく、思ったことは言いましょう。ただし、礼儀を欠いてはいけませんよ」
「また難しいことを言う」
「麗子さんなら大丈夫だと思いますよ」
「その根拠は?」
「なんとなくです」
「とっても不安……」
言葉どおりの表情を浮かべている麗子を横目に、命は扉の真ん前に移動し、右手を伸ばした。触ろうとすると、扉がひとりでに開いた。
「おや?」
地鳴りのような音を立てて、奥に向かって開かれた巨大な二枚扉。その前には、二人の男が立っていた。
一人は、黒一色の和服を着たちょんまげ頭。
もう一人は十八そこらの若者で、服装も今時。やんちゃをしていそうな風貌である。
「先客がいらっしゃいましたか」
命は、道を開けるべく横に移動した。
「おお、これはお師匠! お久しぶりにござる!」
ちょんまげ頭の男は、命に気づくとパッと笑顔になった。
「お師匠? ……ござる?」
麗子は、命のそばに移動した。
「以前、彼のお世話をして、教育係も兼任したんですよ。死神のです」
「拙者、ゼンと申す。善人の“善”でござる。名には善とついておるが、これこのとおり、死神になっており、根っからの悪人でござった」
自らを善と称したちょんまげ頭の死神は、ニカッと歯を見せて笑うと、左手を腰に帯びている刀の柄の上に乗せて、右手を添えた。
「……サムライ?」
麗子は、善と命を交互に見やった。
「はい、生前はお侍さんです。かなりお強い方だったんですよ」
命は言った。
「お師匠、そちらの美しいおなごは、お仲間になられる方で?」
善は、麗子に手を差し伸べた。
「ええ、新しく死神になられる、立花 麗子さんです」
命は、“美しい”と言われて照れている麗子を横目に、代わりに紹介した。
「こっちのこいつもそうでござる。おい、自己紹介!」
善は、隣の若者の頭に手をやった。
「あっ、触んなよ! セット乱れんだろっ!」
「肉体が無いのだ、乱れるわけがなかろう。そんなことよりも、自己紹介をするでござる。この方は、一千年以上も死神をされているベテランにござるぞ」
善は、命に手を差し伸べた。
「あのハデス様に平気で物申せるのは数えるばかりで、このお師匠はその一人でござる。普段は笑顔で、このように可愛らしいナリをしておるが、いざ怒ったときの恐ろしさときたら……。微笑みの鬼と呼ばれているぐらいだ」
「微笑みの鬼……?」
麗子と若者は、同時に命を見やった。確かに微笑んでいる。
「なっ、直樹っす。名字は、室戸です」
室戸 直樹と名乗った若者は、急に態度を変えて、ぺこりと頭を下げた。
「ふふっ、誰が微笑みの鬼ですか。そのあだ名をつけたの、あなたでしょうに」
命は迷惑そうな顔をしつつ、微笑んだ。善も不敵な笑みを浮かべている。
「おまえ、嘘ついてんじゃねぇ!」
直樹はムッとし、善に対して文句を言った。
「無礼者! 弟子が師匠に向かっておまえとはなんだ、おまえとは! だいたい、嘘などついておらん! 実際怒ると怖いのだ、お師匠は! 真の鬼でござるぞ、鬼!」
善は、命を何度も指差した。
「善さん、お望みでしたら、いま怒りましょうか?」
命は微笑みを強めた。
「拙者、急用を思い出したでござる……さらばっ!」
善はきびすを返し、一目散に逃げ出した。
「あっ、ちょっと待てよ、ちょんまげ!」
直樹も慌てて追いかける。
「無礼者! ちょんまげとはなんだ、ちょんまげとは! 師匠と呼ばぬか!」
「誰が呼ぶか! このちょんまげ!」
「おのれ小僧! そこになおれ! 叩き切ってくれる!」
「切れるもんなら切ってみろ! その刀、見せかけなんだろうが!」
二人はギャアギャアと言い争いながら、エレベーターへ向かった。
「まるで嵐のように過ぎ去ったわね……」
「言い得て妙ですねぇ」
麗子は疲れた顔をしており、隣の命は微笑んでいた。
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