第二章「死と太陽は直視できない」 第十一節

「あの子も死神になるんだね」

 麗子は、善と直樹がエレベーターに乗り、扉が閉まったところで言った。

「そのようですね。麗子さんとは同期になるでしょうか。仲間が増えるのは喜ばしいことですが、地獄に落ちることを免除された悪人ですので、嬉しいような悲しいような、複雑なところですね」

 命は苦笑いを浮かべた。

「あのお侍さん、善さんだっけ? これぞ侍って感じ。本当に“拙者”とか“ござる”とか言うんだね」

「いえいえ、本当のお侍さんはあんな言い回しはしませんよ」

 命は、顔の前で手を振った。

「えっ、じゃあなんで?」

「侍を意識した喋り方をしないと、地の関西弁が出ちゃうんですよ」

「関西の人なの?」

「大阪の淀川というところの出身です。お侍になる前は船頭をされていました」

「そうなんだ。あ、じゃあ、武士じゃなかった人なんだね」

「いわゆる、兵法者ですね。ケンカはもちろん、剣術も相当なものです。身分で言うと、かの剣豪、宮本武蔵さんに近いでしょうか。それも若かりし頃の。ちなみに、善さんが生きていたのは、宮本武蔵さんよりも前の時代です。あの二人が一戦交えていたら、さぞや名勝負になったことでしょう」

「ふーん」

「おや、あまり興味が無さそうですね」

「私も一応、女なんでね。剣豪とかはノータッチ」

 麗子は広げた両手を掲げた。

「そうですか、それは残念。……わかる人にはわかる情報だったのですが……」

 命は、聞こえないぐらいの声でぼそっとつぶやいた。

「ん、なんか言った?」

「いいえ、なにも。――それにしても、あの二人の相性はバッチリでしたね」

「え、そう? 悪そうに見えたけど」

「見た目にはそう思えたかもしれませんね。でも、善さんも昔はかなりやんちゃをされていた方なんで、扱いには慣れているでしょうし、息も合うはずですよ」

「へぇ、そうなんだ。礼儀正しそうな人なのに。人は見かけによらないってことか……」

 麗子はそうつぶやくと、命の姿をじっと見つめた。

「……なにか言いたそうですね」

 命は微笑んだ。

「いやー、べーつにー」

 麗子は、誤魔化すようにそっぽを向いた。

「わざとらしいですねぇ。ひどいなぁ、こんな見たままに素直ないい子をつかまえて」

 命もまたわざとらしく頬を膨らませると、すでに閉じ切った扉の中央に移動した。

「よく言うよ……」

 麗子は呆れを交えて苦笑した。

 命は扉に近づき、手を触れた。すると、また地鳴りのような音がして、見上げるような二枚扉が奥に向けて開いた。

 扉の先には、微塵の光も無い闇が広がっている。

「そろそろ参りましょうか。死と冥府の王であるハデス神の元へ」

 命は後ろを振り返り、麗子をうかがった。

「う、うん」

 麗子は、闇を前にして気後れするも、命の隣に移動し、共に扉をくぐり抜けようとした。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 ――が、ふいにハッとし、大きな一歩で後ずさった。

「どうしました?」

「あの、思い出したんだけど、扉の彫刻のハデス様が跨ってる大きいのって、あれじゃないの? ケッ、ケルベロス……」

 麗子は左右の扉をうかがい、半分に割れた彫刻をうかがった。

「ええ、そうですが、それが何か?」

 命は小首をかしげる。

「いやいやいや! それが何かじゃないわよ! ケルベロスよ!? あのケルベロス! いるの!? この先に!?」

 麗子は、扉の向こうの闇を指差した。

「はい、もちろん。ケルベロスはハデス様の忠犬ですからね」

「わっ、私、犬はちょっと……」

「おや、犬が苦手ですか?」

「昔、追いかけられたことがあって……」

 麗子はさらに後ずさるも、駆け寄った命に手を掴まれて、止められた。

「大丈夫ですよ、ケルベロスは犬ではなく、獅子ですから」

 命は、麗子の手を引いて扉に近づく。

「獅子!? ライオンってこと!? 余計ダメじゃん!」

 麗子は抵抗して踏ん張るも、命はその見た目に反して力が強く、留まれない。

「獅子とライオンは、必ずしも同じではありませんよ。そもそも、見た目が獅子に近いと言うだけで、実際には違い、ケルベロスはケルベロスという種族です」

「ちょっ、待って! ケルベロスって地獄の番犬なんでしょ!? 獰猛なんでしょ!?」

「いえいえ、普段はとても大人しいですよ。賢いですし、人懐っこい」

「え、そうなの? ……普段はってことは、そうじゃない場合があるってこと?」

 命は、さっと視線を逸らした。

「いやあ~っ! 怖い! 犬怖いっ! 犬嫌いっ!」

 麗子は逃げようと抵抗するが、命は頑なに手を離さず、扉の奥に引っ張り込んだ。

 すると、扉がまたひとりでに閉まり、完全に閉ざされた。

 途端に真っ暗闇になった。

「ひぃいいいっ! 暗い! 怖い!」

 真っ暗な世界に、麗子の悲鳴が上がる。

「大丈夫ですよ、すぐに明るくなります」

 命の声がしてまもなく、頭上から光が差した。

 見ると、天井に青い炎が燃えている。まるでシャンデリアのようだ。その光で闇を追い払ってくれている。

 その炎は一つ、また一つと、奥に向けて点灯し、真っ暗な世界に光を齎した。

 それにより現れたのは、壁も床も柱も天井も、すべてが黒一色の空間だった。

「ハデス様は奥の玉座にいらっしゃいます」

 命は正面奥を指差した。

 指し示す先に、黄金色に輝くものが見える。

 命は、それを目指して歩き出す。その後をついていく麗子だが、小さな背中にがっちりとしがみついており、ほとんど引きずられていた。

 ケルベロスに対する恐怖心が、麗子の平常心をすっかり欠いてしまっていた。

「しまった、恐がらせ過ぎた……」

 歩行に支障は無いが、鬱陶しくてかなわない。

 兎にも角にも、二人は奥を目指す。……もとい、一人と荷物は、だ。

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