第14話

「え? 一緒にこないのかよ?」

「だれが。ババァの濡れ場なんざ見たかねーよ」

 了二はあっさり、スケボーをガラガラ言わせながら繁華街へ去っていった。

 北口からホテル街はそんなに離れていない。

 今どき恥ずかしげもなく、軒並み歴史のありそうなホテルが並んでいる。

 お城風、カントリー風、ピンクサロン風(中年以降のオヤジがいかにもスキそうなピンク色!)、ビジネスホテル風、旅館風、レストラン風。

 かなり恥ずかしいのもある。

 しだいに了の頬はほてってきた。

 こんなところをひとりで歩いていたら、人になんて思われるだろう。

 ちゃんとまっとうな理由があって、ここにいるんだ。

 などと唱えつつ、ホテルの名前をチェックしていった。

 了二はどういう情報網をもっているのだろう。

 あいつの交友関係はさすがに分からない。

 了は立ち止まった。

 ガーデンホテル。

 こんな町中に、こんもりと植木が茂っている。

 気のせいか、なんとなく焼けてしまった栗栖の家によく似ていた。

 ここに栗栖と了の母親がいるのだ。

 なかでなにをしているのか、知りたくもない。

 お母さん、自分の車、使ってるかも……

 了は駐車場の出口に回った。

 仕切りがあって、なかは覗けない仕組みになっている。

 いやなことに出入り口にはテレビカメラがにらみをきかせ、堂々と正面から入場できなくなっていた。

 ご休憩だろうか? ご宿泊だろうか?

 了はにがにがしく笑うと、ガーデンホテルを見上げた。

「ひとり……?」

 ふいに声をかけられ、了は振り返った。

 サングラスをかけた見事な濃いブロンドの女が立っていた。

 一瞬染めたのかと思った。

 ゆったりとしたフェイクファーをはおったその女は、にっこりと了に向かって微笑んだ。

 了もつられてニヘッと笑った。

「あなた、ここに用?」

 はい、とも言えないし、いいえ、では怪しまれる。

 黙っていると、

「ちょうど、わたしもここに用があるの。ひとりじゃ入れないし、あなたもご一緒にいかが?」

 これは。

 もしかすると。

 でも、しかし。

 了はあっと言う間にパニくって、女を見つめた。

 女は返事も待たず、ツカツカとホテルへ入ってしまった。

 了はあわててそのあとを追った。

「どの部屋がいいかしら?」

 女は点灯している部屋のリストを目の前にして、言った。

「おもしろいのねぇ、全部バッキンガムの部屋を模して作ってるのね」

「……」

 了は女を観察した。

 髪は自前で、顔立ちを見ると外人のようだ。

 背は高く、スラリとしている。

 年は20代後半から30代前半。

 しかし、なんとも不思議なのは、女から薬品の臭いがすることだ。

 職業は看護婦かなにかだろうか?

 この町は、外国人街があるだけに、在日外国人がたくさん住んでいる。

 こんなところで外人さんに会ったとしても(たとえホテルに誘われたのだとしても)、不自然なことではない。

 ホテルの内部はムワッと暖房がきいていて、了は学生服のボタンを外した。

 けれど、女はファーコートを脱ごうともしなかった。

 薬品の臭いがますますひどくなってきた。

 女はリストの前でユラユラ指を動かし、やっと部屋を選んだ。

「こんなことしたのは初めてよ」

 女は無邪気に笑うと、カード販売機で部屋のキーを買った。

 またもやカードキー。

 女のあとについて部屋へ行く。

 すごく遠いみちのりに感じられた。

 なんだか、目的を忘れてしまっているのではなかろうか。

 忘れてはいないけれど、世の中はこのことを据え膳とかなんとか言うじゃないか。

 ドアが開き、女に導かれて部屋に入った。

「先にシャワーでも浴びてたら?」

 シャワーでも浴びるものなのか、と了は妙に納得してバスルームへ行った。

 重たい冬の学生服を脱いだはいいが、やっぱり、と了はバスルームを出た。

 女がいない。

 ファーコートもない。

 こーゆーホテルって、部屋から出て、勝手に廊下をうろうろしてはダメだったんじゃ。

 それとも、からかわれた?

 金のかかるイタズラだなぁ。

 了は廊下へ出てみた。

 突然、となりの部屋からガチャーンというガラスの割れる音がした。

 廊下に出ていないと分からない音だった。

 ドタドタ! バタバタ!

 バタン!

 シャツ一枚の若い男が廊下に飛び出した。

「栗栖!」

 驚愕した顔の栗栖が、了を振り向いた。

 口のなかに胃液のような、苦い味が広がる。

 了が貸したコットンのシャツの下の、さらされた脚。

 わかってはいたが、了は金づちで頭を思い切り殴られたようなショックを覚えた。

「どうしたんだ!」

 しかし、怒りよりも心配が先に立った。

 栗栖は部屋を指さし、

「マ、ママが……」

と、震える声で言った。

「ママ? 俺の母さんのことじゃないのか?」

 栗栖は思い切りブンブンと首を振った。

 了は駆け出した。

 いやがる栗栖を引っつかみ、ムリヤリ一緒に部屋へ入った。

 窓際にファーコートの女が立っていた。

 部屋の大きな窓が外側から割られ、風が激しく部屋の中を舞っていた。

 栗色の髪が風に乱れ、女がクルリと振り向いた。

「栗栖、逃げられないわよ」

 ルージュを引いた唇が、妖しく横に伸びる。

 ベッドにはシーツにくるまったまま気絶している了の母親がいた。

 絶句。

 了はぼうぜんと立ちすくんだ。

 ナオミはフワリとベッドから飛び降りた。

「血にふさわしい肉体。卿からうまく逃げられたとしても、一族の血からは逃げ出せないのよ」

「ママは死んだんじゃなかったのか!?」

 栗栖が叫んだ。

「死んだわよ、ナオミはね。ここにいるのは、ぼうや、バスクレーのしもべなのよ」

「ああ……ッ!」

 栗栖は絶望した声を漏らした。

「さぁ、掟のとおり、血を受け継がせる儀式をしなくちゃ。そうしないと、なんのために江嶋ナオミをしもべにしたのか、わからないでしょ?」

 ナオミは栗栖に向かって手を差し伸べた。

「ああ!」

 栗栖はガクリとひざまずいた。

 了はあぜんとして、ナオミと栗栖を交互に見つめた。

「掟って……?」

「バスクレーの総帥は、一族の血を否定したの。だけど、それは忌まわしいことなのよ。一子に受け継がせる一族の血を分けるなんて。バスクレーの血は、ただ一人が受け継いでいくもの。例外は許されないのよ」

 栗栖が心底恐れていたのは、これなのか?

 栗栖という肉体を、世界の果てまでも追ってくる、バスクレー一族の血なのか?

 了はとっさに栗栖を背後に押しやると、ナオミのファーコートをつかんで、引っ張った。

 ファーコートがナオミの体からもぎ取られ、彼女は力なく床に倒れた。

「そんなおいたをしちゃだめじゃないの。それがないと、みっともないわたしの体が丸見えだわ」

 ナオミはククッとおかしげに笑った。

 防腐剤にまみれたナオミの身体。つぎはぎの崩れた手足でかろうじて立っているようなもの。

「ウッ」

 栗栖は目をつぶり口を押さえた。

「この身体は一時しのぎなのよ。栗栖の儀式のためだけに用意されたのだもの。それまでもってくれないと、困るのよ」

 ナオミはヤレヤレと不安定な肩をすくめて、ベッドからシーツをはぎとった。

 了の母親の裸体が、かわりにあらわになった。

 了はあわててそのうえにファーコートをかけてやった。

「あら、お気遣いありがと。でも、儀式が終わったら、あなたがたふたりとも栗栖の最初の食事になっていただくのよ、いいかしら?」

 白いシーツから美しい生前のままの顔を出し、ナオミは微笑んだ。

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