第15話

「よくないッ!」

 さっきまで震えていた栗栖がどなった。驚いたことにベッドに駆け寄り、

「了はともかく、この人はだめだ!」

と、了の母親を抱き寄せた。

 おいおい、ともかくはないだろ?

 了は栗栖のセリフに力が抜けた。

「この人はゼンゼン関係ないんだから」

 栗栖は了を指さした。

「こいつが最適だぞ! なにせ、こいつにはあの化け物ジジイの血が流れてるからな!」

 とうとう、栗栖は叫んだ。

 了はその場に凍りつき、ナオミのおぞけの走る視線を受け止めた。

「まさか……」

 ナオミは疑いの目で了を見た。

「血にまったくふさわしくない肉体じゃないの」

 ふさわしくなくて悪かったな!

 了は、親子そろって似たようなこと言いやがって、としかめ面してみせた。

「血を、抜き取らなくちゃいけないわね……」

 ナオミが低くつぶやいた。

 了は冷や汗を垂らした。

 血を抜き取る 

 ナオミがその矛先を了に向けたのをいいことに、栗栖はベッドへ駆け寄った。

 ファーコートごと了の母親をくるむと、部屋に備え付けられた電話を取った。

「もしもし? 人殺しです! 早く来てください」

 栗栖は口早にしゃべると、ガチャンと切った。

 了は、よもや栗栖がそんなことをしているとは、気がつきもしなかった。

 ソロソロと栗栖は自分たちの服と荷物を引っつかみ、了とナオミにスキができるのを伺った。

「キリト君……?」

 ウウーンとうなって、栗栖の腕の中で了の母親は目覚めた。

 なにが起こったのか、さっぱり理解していないらしい。

「香也子さん……」

 栗栖は素早く状況を計算した。

「僕たち、逃げよう。ね、了にもバレちゃった。僕のママまで来ちゃったし」

 香也子は青冷め、ものも言わず睨み合う自分の息子と恋人の母親の姿をみとめた。

「でも……」

 香也子はどうしていいのか分からない様子で、了を見つめた。

「今さら……」

 栗栖はいらいらとつぶやいた。

「息子は僕だけなんだろ? ほかのはみんな、自分の息子じゃなかったんだろ?」

 香也子は栗栖を見返した。

 栗栖の厳しい目付きに、困った顔で答える。

「でも、あれは……キリト君とふたりきりだったから……」

 一方、了はまるで蛇ににらまれたカエルの気分だった。

 本能が、ナオミの目を見てはいけないと告げるのだけど、どうしても見つめてしまう。

 栗栖がなにかゴチャゴチャやっているのが、感じ取れる。

 なにしてんだ、いったい? 

 気になるけれど、首も動かせなかった。

 ナオミはハーッハーッと、了に何度も息を吐きかけてくる。

 何とも言えない口臭。

 泥臭い、湿った、生臭い腐ったものの異臭だった。

 もしも、藤堂だったなら、こういうに違いない。

 これは、墓場の臭い、と。

 ナオミはゆっくりと手を差し伸べた。

 唇がなまめかしくひらくと、そこには鋭い牙が光っていた。

 血を抜き取るって、血を吸うことなのか?

 了は、サーッと青冷めた。

 同じ抜き取られるなら、あのバスクレー卿から生気を吸われたほうがまだマシだっ。

 牙は太くて、先も鈍そうで、いかにも痛そうだった。

 献血もイヤで行ったことないのに……

 ヒーッ。

 了は半泣きでナオミを見た。

 ドンドンドン

 ドアをたたく音が、渦巻く緊張を和らげた。

 ナオミはハッとして、ドアを見やった。

 ダダッ!

 栗栖と香也子は脱兎のごとく、駆け出した。

 ドカッと了を突き飛ばすと、呼び出された管理人を尻目に部屋から出て行った。

「栗栖ッ!」

「ちょっと! なんかあったんですか?」

 了は管理人のおばさんを見、いそいでナオミを振り向いた。

「もー、警察呼びますよ、備え付けの電話はですね、イタズラとかに使われるために備えてるんじゃないんですからね!?」

 了はギョッとして、おばさんを押し倒した。

 ナオミが、シーツの陰から得体の知れない触手を飛ばしたのだ。

「ウギャアアー!」

 おばさんはただならぬ事態に絶叫した。

 悲鳴は廊下じゅうに響き渡り、ほかの部屋まで騒がしくなり始めた。

 アチャー、と了は額に手を当て、軽々とおばさんを抱きかかえると、ナオミから逃げ出した。

 ナオミが単なる人間の悪党なら、了はヴァンパイアの力を有効に使っただろう。

 けれど、相手は得体の知れないヴァンパイアのしもべ。

 人間を殺すようには殺せないだろうし、厄介なことに外見は人間そのものなのだ。

 新米ヴァンパイアにはどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。

 それより先に、このおばさんを手頃なところで捨てなけりゃ!

 おばさんは絶叫し続けるし、ナオミは追ってくるしで、栗栖の後を追うこともできない。

「ウワワワワワワ!」

 さんざんホテルの中を逃げ惑ったあげく、了は死に物狂いで、窓ガラスをぶち割った。

 火事のときの落下は心地よかったけれど、いまは心地いいどころではなかった。

 腕にかかえたおばさんがうるさくてかなわない。

 トスンと地面に足がつき、了はおばさんを茂みにほうり込んだ。

 おばさんはまだけたたましく悲鳴を上げている。

 パッとうえを見上げると、5階から飛び降りたことが分かった。

 ついでに、ナオミも窓から身を乗り出していることも分かった。

 すわとばかりに、了は繁華街に向かって駆け出した。

 了はゼイゼイと息をつきながら、電信柱に寄り掛かった。

 今が何時かも分からない。

 夜の街はまだまだ宵の口だった。

 栗栖は何のつもりか、了の母親・香也子まで巻き込んだ。

 了にとっては人質を連れて逃げているようなものだ。

 いや、了にとって栗栖の価値は母親以上かもしれない。

 どうして守ってやろうって人間まで無視して、逃げちまうんだ 

 そこが了には理解できない部分だった。

 そんなに俺の母さんが好きなのか 

 栗栖の考えることはさっぱり理解できない。

 もう了二に助けを求めることはできなかった。

 なぜなら、その理由まで、話さないといけなくなるからだ。

 アニキが突然ヴァンパイアになったとしても、了二なら「クール!」ですますかもしれないが。

 もちろん、父親にもだめだ。

 家族問題の解決を先延ばしにして、わざわざ会社にこもっているのに、いぶり出してもしようがない。

 学生服はホテルにおいてきた。

 皮肉なことに、その内ポケットに学生証を入れたままにしておいたのだ。

 きっと放っといても了の父親は、息子の乱れた行状を、いやでも知ることになるのだろう。

 サイフはあった。

 そして、ホテル西急のカードキー。

 藤堂。

 藤堂に頼るしかないのだろうか。

 できれば頼りたくないんだけど……

 了は唇をかみしめた。

 意を決すると、市内の警察病院へ向かった。

 警察病院に藤堂はいなかった。が、市内の警察署にいると教えてもらった。

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