2−3

「なあ、これ食えると思うか?」

 細田が手にしたものを見て、大山は眉間に皺を寄せる。

 岸のなだらかな場所から上陸し、馬車も開けた草むらに引き上げてすぐ、友人はリュックサックを置いてふらふらと姿を消してしまったのだ。仕方なく荷物番をしていたが、すぐに辺りは暗くなるし、ラダーたちは手際よく野営の準備を進めるしで、大山の不安は、次第に苛立ちへと変わっていった。

 お前こそ、勝手な行動をする前に相談してくれよ。

 だが、再び姿を見せた細田は、その手に小さな動物をぶら下げていたのだ。耳の長い、ぐったりとした細長の体。茶色の毛は短く、友人の手に掴まれた後ろ脚は付け根が太い。

「ウサギか? どうやって仕留めたんだ」

「それを見せたくなかったから、ちょっと遠くに行ったんだよね。待たせて悪かったな」

「いや、まあ……先に、なにをするか言っておいてくれると助かるけど」

「これであいこだろ。お人好しの大山くん?」

「……面目ない」

「気にすんなって。俺は楽しんでるからな。面白い事になりそうだ」

 さらっと流してくれた細田に、大山も小さな苛立ちを引っ込める。確かにいまのところ、自分の方が分が悪い。勝手な判断で、旅の馬車という面倒事を引き込んだのだし。

 だが、友人がこちらの不手際をあっさりと許してくれた理由は、まだ不確かだ。面白い事ってなんだろう。

「お、あいつら火が点けられるんだな。火打ち石か、マッチみたいな物があるのかね」

「本当だ」

 見れば、御者のハンダが馬車のそばで焚き火を燃やしている。二頭の紅馬こうばはすでに馬車から解放され、湖に近い樹木に縄だけで繋がれていた。もしゃもしゃと草を食む姿が可愛らしい。

 ラダーはと言えば、濃い茶色をした大判の布を広げて、ワンポール・テントのような三角形に組み上げていた。馬車の中の人々は姿を見せない。あの、使用人らしき少年もだ。彼らは馬車で夜明かしをするのだろうか。

「ああ……いや、ごめん。見てなかった」

「ま、こっちも火には不自由しないからいいよ」

 言って、細田がどさりと腰を下ろす。

 地面には細田のご要望で、分厚いゴム風の防護壁を敷いている。地面の湿気や冷気を通さない代わりに、滑りが悪く座り心地が悪いので、その上には宗教施設から持って来た毛布を参考に、薄く別の防護壁を乗せてみた。なにしろ、毛布は紐状に引き裂いてしまったので。

 黒く厚い板の上に、柔らかな灰色の層が重なって、固いがそれなりに快適だ。今夜は、この上で寝る事になるだろう。

「で、だ。今日は天気が不安定だし、空気も冬にしちゃ湿気てるよな。水場が近いってのは差し引いても」

「そうだな。雨でも降るのかね?」

「俺たちには、傘もテントも無いから困ったもんだ……あいつらに、どこまで見せた?」

 最後のささやき声に、大山も身をかがめて小声で返す。

「馬車を運ぶための筏と、壁を作った。例の宗教関係者みたいな奴らと、途中ですれ違ったから」

「壁って事は、板みたいなバリアだけか?」

「そう……だな。咄嗟の事だったから、迷彩柄にしちゃったけど。ものすごく興味を持たれたよ。他は、馬車に追いつくのに、全力疾走したのを見られてる」

 馬車に遭遇してからの出来事を順に思い出しつつ、大山は自分の使った魔法を上げていく。

「盾も作ったけど……ラダーさんの前では透明にしてたから、たぶん気づいていないと思う」

「ふむ……わかった。もうひとつ。お前の作るバリアって、浮いたまま固定できるのか? ほら、これを焼くのに鉄板を作るとか」

 これ、とウサギを持ち上げられて、大山は少し考えた。

「うーん……そうだなあ。たぶん、素材を鉄だって考えれば、いけると思うけど」

「よし。じゃあ悪いんだけど、これからは魔法を制限してくれ」

「わかった。どんな風に?」

「ものすごく速く走れるのと、板状の物質を構築できる。それ以外は、要相談で。俺のほうは、火と水だけ使うからよろしく。どっちも必要だし、長くは隠せないからな」

「了解」

 相談を終えたところで、ふと気づく。目の前に転がるウサギは、ただ死んでいるだけだ。

「なあ、ダダさんよ。獲物はありがたいんですけど、ナイフとかお持ちなんですかね?」

「そういや……無い、な」

「調味料は」

「無い……くっそ、あのばあさん使えねえな。服と金だけあっても、野宿じゃ役に立たねえじゃねえか」

「シーニャさんのせいじゃないけどね。仕方ない、カッターで捌いてみる」

「頼んだ。俺は焚き木でも拾ってくるわ」

 言って、細田が指の先に火を灯す。曇り空のため、近くにハンダの焚き火が無ければ、辺りはお互いの表情も見えない暗さだ。一瞬だけ目を焼いた光に、大山は羨ましくなった。

 俺も、火を出したり出来ないかな。いまは練習できないけど、後で試してみよう。

 細田が木々の向こうへ姿を消すと、テントを張り終えたラダーが近寄ってきた。こちらの様子を窺っていたのだろうか。

 日が落ちて冷えてきたからか、ラダーは上着の上に毛糸で編んだポンチョのようなものを羽織っている。長くもつれていた髪もまとめて、剣の鞘は外していた。代わりに片手で、ガラス製の火屋がある蝋燭のランプを下げている。

「ヤマ殿。貴殿らは、野営の支度が無いようだが……おや、ラビトを捕まえたのだな」

 ラダーの視線が草の上で横たわるウサギに向いたので、大山はひとつ頷いて獲物を持ち上げてみせた。ふかふかの体はずしりと重く、まだほんのり温かい。

 それにしても、ラビトねえ。英語みたいだが、翻訳されないということは、現地語の固有名詞なのか?

「ええ。ダダが獲ってきてくれました。ラダーさんは大丈夫ですか? ごはんの用意とか」

「私たちは、長旅に備えて準備をしているからな。しばらくは蓄えだけで過ごせる。水だけが心もとないので、小川でも探そうと思っていたのだ。ヤマ殿は、この辺りで水を汲める場所をご存知だろうか」

「うーん、ちょっとわかりませんね。俺は、ダダに付いていく……」

 はて、どう説明すれば良いのだろう。

「護衛? 力仕事がメインなんで」

「ほう。連れと聞いていたが、ヤマ殿はあの御仁と契約されているのだろうか。腕の立つ護衛は貴重だ。もし……」

「水なら、俺が汲みますよ」

 突然の声に、大山は飛び上がるほど驚いた。

 ラダーも同じく、びくりとして肩を揺らす。ランプの火が、ジジ、と音を立てた。

「この辺りは、平地なんで湧き水がありませんからね。川もちょっと遠いんで、なにか入れ物があるなら貸してください。代わりに行って来ます」

 そっと振り返れば、細田が真後ろに立ってニコニコしている。両手を後ろに組んで、明かり代わりの火も消えていた。

 こいつ、いつの間に戻って来たんだ? 気配どころか、足音もしなかったぞ。

「ああ、いや……いまのところは大丈夫だ。邪魔をしてすまなかったな。私たちは、もう休むことにする。貴殿らは……」

「俺たちのことならお構いなく。野宿にも慣れてますから」

「そうか。では、明朝に」

「ええ、おやすみなさい」

 笑顔で挨拶する細田に、ラダーは軽く頭を下げると、最後にチラッと大山を見下ろしてから背を向けた。遠ざかって行く女剣士の姿に、ようやく大山の体から力が抜ける。

 長々と息を吐き出していると、細田に頭を叩かれた。

「やーまちゃん。油断しすぎ。適当に追っ払えよ、あんなの」

「んな、無理だって。こっちが手助けする、って言っちゃったんだし」

「まあねー。それにしても、探りが早いな。仕掛けて来るなら明日、道を案内してからだと思ってたんだが」

「仕掛ける? なにを」

「お前はあの馬車に、誰が何人乗っているか知ってるか? そこまでは口を割ってないかね」

「いや、言ってた。確か……ラダーさんの仕えているらしい奥様と、お嬢様に……名前は忘れたけど、中学生くらいの男の子がひとり。こっちは顔も見てる。言ってることが確かなら、三人か」

「ほう? そりゃあ不思議だな」

 焚き火の方をじっと見つめる細田が、光るレンズの奥で目を細めた。

「あの馬車の中には、四人いるぞ」



 ウサギの解体は、思ったよりもすんなりといった。なにしろ大山には、謎の魔法じみた怪力がある。

 代わりに、カッターナイフがお亡くなりになってしまったが。

 地面に掘った穴の前にしゃがんでいた大山は、ため息をついてカッターを草の上に投げた。カッターも両手も、抜け毛と血と脂にまみれてベタベタだ。カッターはキーホルダー型の携帯用で、替刃も無いため惜しくはないが……後で細田に、焼却処分してもらおう。

 足元の穴には、手で引きちぎった頭や四本の足先、力技で剥いだ毛皮と内蔵が転がっている。大山は、それらの残骸を視界に入れないようにして顔を上げた。内蔵を潰さずに抜いただけでも、自分を褒めてやりたい。

「で、できた……つべで動画を見ておいて良かった」

 まな板代わりの小さな防護壁の上に、丸裸になった首なしウサギを乗せる。すぐに細田が横から手を出して、水道の蛇口を少しひねったくらいの水を落としてくれた。もう一方の手では、小さく火を灯している。

「後はもう、焼けばいいか」

「へえ、ちゃんと肉になった。山ちゃん、変な趣味があるのな」

「フランスでウサギ料理を食った時に、なんとなく検索したんだよ。いやあ、知識と好奇心に無駄はないね」

「一緒に転移したのがお前で、本当に良かったよ」

 しみじみと言うのに、少し嬉しくなる。

 細田の出してくれる水で、丸ごとウサギ肉と手を洗いながら、大山は自分たちの焚き火を顎で示した。

「俺だって、ひとりじゃあんなの出来なかったぞ」

「おう、もっと褒めろ。水はまだ要るか? お湯のほうがいいかね」

「頼むわ。肉はともかく、手がベタベタなんだよ」

「油断すると熱湯になるんだけどな……」

「おい、止めてくれ」

 なんだかんだ言いながら、まな板ごと丸ごとウサギ肉を焚き火の上に浮かべる。しばらくすると、残っていた水分がチリチリと音を立て始めた。どうやら、鉄板として想像している防護壁は、きちんと役目を果たしているようだ。

 手を拭く物がないので、もう着ないであろうアロハシャツの端切れを使う。これも後で燃やさないとな。

「山ちゃんよ。もう一枚、上に鉄板出してくれ。これ、蒸し焼きにしないと中まで焼けないぞ」

 細田は、すでにウサギの丸焼きに夢中だ。わくわくとした顔で、生々しい姿肉をつついている。

 生き物の解体や、脚の残った首なし肉にも嫌悪感を示さない細田に、大山は少し感心した。

「お前、こういうのは平気なのな」

「食い物は、素材丸ごとの方が信頼できるからな」

 んな、毒を盛られ慣れたお殿様じゃないんだから。

 きりりとした顔で鉄板を見つめる細田に苦笑して、大山は彼のご要望通り、ウサギ肉を挟むように鉄板を追加する。

 なんにせよ、野生動物を殺したり、それを食べることに忌避感が無いのは良いことだ。これがユージさんやケンなら、泣かないまでも全力で拒否するだろう。うちの職場の連中なら、喜んで食べるだろうが。

 日本のみんな、どうしているだろう。カナちゃんは……頭に角を立てて怒っている。間違いない。大本命のコミケ二日目に、戦利品が届かないのだから。

 焚き火の煙を避けながら、新しい枯れ枝を突っ込む。地べたに焚き火って、あまり便利じゃないな。煙いし熱いし、かと言って火から離れると暖かくないので、背中側が余計に寒く感じる。次の機会があったら、きちんと地面を掘るなりして竈を作ろう。

 細田が、ウサギ肉の鉄板挟みをじっと見つめながら口を開いた。

「これ、押さえたまま上下を反転させたりは出来るのか?」

「出来る……な。結構、融通が利くんだよ。ある程度、片側が焼けたら声かけて」

「おう。ちゃんとあいつら見とけよ」

 言われて、大山は顔を上げた。ラダーとハンダは十メートルほど離れた場所で、自分たちの焚き火で鍋らしきものを囲んでいる。しかも、ちゃんと手頃な石で火を囲っていた。馬車の中の人物は相変わらず出て来ないし、二頭の紅馬も寝入った様子だ。

 焚き火の前でくつろぐ二人の現地人に、大山はほっとして顔を戻した。

「大丈夫。まだ大人しくしてるね」

「このまま、素直に寝てくれりゃ助かるけどな」

 やがて現地人たちは食事を終え、ラダーだけが馬車に戻る。手に鍋を下げているので、中の人たちにも食事を届けるのだろう。

 ハンダは焚き火を整えると、そのまま火の前で毛布に包まった。彼は見張り役なのだろうか。

 その後も、ウサギ肉鉄板挟みをくるくる回しつつ観察していたが、ハンダは動かないし、ラダーが馬車を降りる様子も無かった。テントは誰が使うのだろう。

「そろそろ焼けたっぽい。つか、ちょっと焦げてる」

「じゃ、上だけ消すわ」

 現れたのは、端の焦げたウサギ肉の姿焼きだ。たまに鉄板の間から直火に当てたのだが、炙りすぎて脚の先と背中がパリパリを越えてバリバリになっている。後ろ脚など、露出した骨まで真っ黒だ。

 鉄板で挟んだ胴体も、見事に潰れてこげ茶色だった。炭化していないのが幸いだが、あまり美味しそうには見えない。

「うーん……まあ、食えればいいか」

「そうか? 美味そうだけどな」

 言って、後ろ脚を触った細田が、ビクッとして手を引っ込める。

「……熱い」

「そりゃそうだろうよ。ちょっと冷めるまで待とう」

 その時、現地人たちに動きがあった。

 ラダーが、例の少年を連れて馬車を降りたのだ。女性剣士がランプを持ち、少年は畳んだ毛布のような物をひと山抱えている。

 二人はしばらくテントの中を整えているようだったが、すぐに中に入って行った。出入り口も閉めたのか、漏れていたランプの明かりも見えなくなる。

「うーん。ハンダさんが火の番をしつつ、外のテントに二人か。夜番を三交代かね?」

「うんまい。普通に肉だ」

「おーい、聞けよ」

 細田は、すでにウサギ肉を食べ始めていた。太腿の辺りを引っ掻いて、小さく割いた肉片を口に放り込む。

「すごく生臭いのがいいな。安心できる味だ」

「お前の味覚、どうなってんだよ……」

 大山は、ちまちまと肉を毟る細田を待たせて、後ろ脚の一本をもいでやった。自分でも、大ぶりのモモ肉を引き千切る。

 かぶりついてみると、妙に固い。歯は丈夫なので噛み千切れば、濃厚な血に混じって、臭みのある獣肉の味が染み出してきた。

 やっぱり、血抜きが不十分だったんだな。首を切って、体を手で適当にしごいただけじゃ駄目か……。

「これ、美味いか? 前に食べたウサギより、さらに臭いぞ」

「血と肉になる味だな。野生の動物だし、こんなもんじゃないか?」

「絶対に違う。フランスで食べたのも塩と香草でグリルしたやつだったけど、もっと美味かった。肉もここまで固くなかったし」

「山ちゃんは贅沢だねえ」

 ご機嫌で肉にかぶりついている細田が、鉄板の上に手をかざした。その指先から、どさっと白い粉が落ちて小山を作る。

「ほい、塩」

「おお……え、なにこれ。錬金術?」

「不思議な力で、塩化ナトリウムを合成したんだよ。化学式がわかっていて、実際に扱ったことのある物質なら、大体いけるみたいだな」

「マジか……」

 恐るおそる指を出して、小山からサラサラした荒い粉を少し取る。舐めてみると、本当に塩だった。雑味がまったくなく、とても辛い。

「ダダ、お前……こんな物まで作れるなら、この世界で無双出来るんじゃないか?」

「ただし、身にはならない」

 その言葉に首を傾げると、細田は持っていたモモ肉を塩に付けて、むしゃむしゃやってから続ける。

「山ちゃんの作るバリアだって、そうだろ? 便利ではあるけど、使い終わったら世界の力に還元しなきゃならない。たぶん、この惑星全体で、総量が決まっているんだな。時間経過でも消えるらしいから、この塩で味は楽しめても、塩分を摂取したことにはならないんだ」

「へえ……いやでも、俺は呼吸を補ってるし……たぶん、乳酸がどうとかって辺りも、世界の力さんが解決してるぞ?」

「へえ、そりゃすごい」

 細田は気のない素振りで言って、また肉に戻る。大山は、自分も塩を付けた肉をかじって、少し考えた。うん、塩があるだけで違うな。かなり食べやすくなった。

 いや、そうじゃない。

「細田さんよ、俺の問題が解決していませんよね?」

「生物がどうとか、生理学? その辺りは門外漢なんだよなー。山ちゃんすごい! でいいんじゃね?」

「いやいや、良くねえよ」

「いいって。難しく考えて、お前が不調を起こすほうがよっぽど怖い」

「まあねえ……適当に使えている事に感謝しておくか」

「そうしろ、そうしろ。俺は清く正しい研究者だからな。自分の専門分野以外ではちゃんと、わかりません、って言えるんだ。偉いだろ」

「あれ? いや、褒めてはいませんよ?……わかった、忘れる」

 横目で睨まれたので、大山はあっさりと白旗を上げる。

 ウサギ肉は、大半が大山の腹に収まった。細田は、一本のモモ肉と背肉の半分を食べただけだ。それでも、彼にしてはよく食べた方だと思う。

 肋骨の間の肉とか、外し難いけど美味しかったのにな。次はちゃんと食べさせよう。

 残ったガラを穴に入れ、解体した時の残骸と一緒に灰にした後、細田が思い出したように口を開いた。

「そうだ。これだけは説明しておくか。ちょっと手出せ」

「手?」

「おう。ほら、水出してやるから」

 意味は良くわからないが、手を洗えるのはありがたい。床代わりの防護壁にかからないよう身を乗り出して、細田の指先からちょろちょろ出て来る水を受け止める。まだ脂にぬるつく手を揉んでいると、不意にその水が止まった。

「この水は、世界の力で合成した物な。手洗いとかうがいには使えるけど、飲んでも腹は膨らまない……まあ、少しは吸収されるかも知れないけど、そこまで検証する気にはなれないな」

「おう、なるほど……?」

「次。こっちが難しい。ただ魔法で合成するんじゃなく、実際に存在する水分子を集めて、凝縮させる」

 細田の指先に、今度は球体の水が出現した。

 水は宙に浮いたまま、ゆっくりと大きくなっていく。大山が、その下でお椀型にした両手をかざすと、野球のボール大にまで育った水球が、ぱしゃんと音を立てて落ちて来た。

 先ほど手を洗った水よりも、かなり冷たい。問いかけるように細田を見れば、頷き返されたので飲んでみる。

「どうだ? ちゃんと水だろ」

「おお……すごいな。これは飲める水なのか」

「飲める水、ってのも語弊があるけど、ちゃんと水分補給になる水だ。その辺の水を集めて、冷やしただけだからな。ほら、小学校の理科で習ったろ? 暖かい部屋で、冷たい飲み物を入れたコップを置いておくと、空気中の水蒸気が冷やされてコップに水滴が付く、ってアレだ」

「ああ、覚えてる。冬に、部屋の窓が結露するのと同じ現象だろ? なるほどなあ……ああ、それでか」

 大山は、宗教施設で頭を過ぎっていた疑問を思い出す。

「シーニャさんが言ってたんだ。風呂とかの水を汲める呪術士が、二人居るから助かる、って。でも、水の呪術士はもっと人数が居るんだろ? おかしいよな」

「それも、観察力や理解力の違いから来る、能力の個人差だろうな。たぶん、ものすごく長い年月の試行錯誤で、喉の渇きを癒せる本物の水と、ただ使うだけの借り物の水の違いを覚えたんだ。中には、気体と液体と固体っていう変化を理解している奴も居そうだけど……いや、そうじゃねえよ。本題はこっち」

 細田の手のひらに、いつの間にか小さな金属板が乗っていた。シーニャが自分たちにくれた、円い銅貨に見える。

「これはいま、俺が作ったやつ」

「あのー、細田さん? お金の偽造は犯罪ですよ」

「犯罪なんだよ。でもな、これだけ魔法が発達していて、宗教の名の下に魔法使いが集められているなら、このくらいの手品は出来る奴がいておかしくないんだ。それでも、金属は山から真面目に掘り出して加工しているし、この国の貨幣経済は崩壊していない。不思議だろ」

「ええと……つまり?」

「この世界には、不思議な力で合成した物質と、実際の物質を見分ける方法がある。あるいは、見分ける能力を持った人間がいる」

「それは怖いな……」

 いや、待てよ?

 大山は、細田の作った銅貨を借りて、その小さな円板をじっと見つめた。

 誰かが世界の力を体内で使っている時、自分はそれを察知できる。この感覚があればこそ、馬に乗った三人の男をやり過ごすことが出来たのだ。逆にいまは、細田が水や銅貨を作り出しても、その力を感じ取れていない。

 自分は、この感覚をより研ぎ澄ませるために、練習しようと決めたじゃないか。世界の力を全身で取り込めるなら、逆も可能なはずだ。自分の意識を……感覚を、世界の力に対して放出する?

 同じもののはずだ。誰かが体内で使う力も、いま感じている世界の力も、細田が合成したという、この小さな銅貨も。

 湖から、木々を透かして街道を見た時のように、両目に力を込める。この銅貨は偽物だ。硬く、ひんやりとして、細かな図柄まで本物のように見えても、実際は世界の力を集めただけの仮初めの物だ。

 不意に、手のひらの銅貨がブレて見えた。

 次第に辺りの暗さが増していき、目の焦点が銅貨から動かなくなる。自分の手のひらさえ闇に飲み込まれる寸前、大山の視界がぱっと開けた。

「みえた……」

 呆然と呟いて、手のひらの銅貨を見下ろす。

 いや、それはすでに銅貨の姿をしていなかった。きらきらと光る微細な粒が集まって、円板を形作っているだけだ。

 ゆっくりと顔を上げれば、先ほどと同じ薄暗い森の中に、やはり光る粒がふわふわと浮いてる。風に流れ、木々の間で渦巻き、焚き火の上で舞い上がる。

「え、なにこれ……」

「おう、山ちゃん。なにが見えてる?」

「なにか……きらきらしたものが浮いてる。砂埃みたいな。でも、光ってて……すごく軽いみたいだ」

「そりゃあすごい。光の呪術士、それも燐眼りんがん士と同じ能力かな? 良くやった!」

「いやいや、なんの事? 説明して?」

「燐眼士ってのは、都市防衛の要だな。精霊を自分の目で視認できる奴らの事だ。道士の神の奇跡も、呪術士の術も、魔法っぽいものは全部、その光る砂埃を使っているらしい。砂埃っていうか、精霊だと思われている、不思議な力の姿だよ。俺には見えないけどな」

「ええー。これが精霊なのか?」

「んで、たまーに出現する燐眼士たちは、こぞって国に雇われて、大きな街なんかで衛兵に混じって監視をしてる。例えば、俺みたいな危なっかしい魔法使いが、外からメテオ・ストライクを落とそうとしても、燐眼士たちが気づいて防衛と反撃に当たるって訳だ」

 ケラケラと笑って、細田が膝を叩く。

「でかした! 俺はどうも、感覚的な魔法は使えないみたいだからな。山ちゃんが素直な奴で、本当に助かったよ。それ、ちゃんと練習しておいてな。オンとオフも可能みたいだから」

「ほーそーだー。お前、また俺を乗せたのかよ!」

「しっかり乗ってくれる相棒で良かった! いやあ、気分がいいね」

 笑い事ではないのだが、細田はいやに嬉しそうだし、自分も新しい魔法を使えるのは悪くない。

 いや、悪くないどころか……確かに、これは使える能力だ。

 ため息をついて納得しかけた所で、大山はふと気づいた。

 ゆっくりと友人に視線を戻し、その疑問を発してみる。

「待て。いま、なんて言った。メテオ・ストライク?」

「俺はほら、技術的な魔法が専門だから」

「どれだよ。カードはやってないよな。火属性の攻撃魔法か?」

「いや、隕石落としの方」

 大山の口が、あんぐりと開いた。

 なにか言おうとして、適切な言葉が浮かばない。テーブル・ゲームの知識はあるものの、それは一部で習得不可能が推奨されている、冗談の類ではなかったか?

「たぶん、出来ると思うんだよなー。こっちの魔法なら、詠唱も要らないから。高度と角度が問題か。この惑星も自転しているんだろうし、ちょっと計算が……」

「いや、止めなさい。本当に止めて。冗談じゃ済まなくなる」

「ええー」

「だめです! それは遺失魔法です! 全部忘れて寝なさい!」

「街が滅ぼせるのにー」

「滅ぼしちゃいけません!」

 すねた顔をしている細田の頭に、防護壁の上に置いてあったひざ掛けを被せて、無理やり寝転ばせる。

「ねーんねん、ころーりーよ、もうーねーなーさい」

「無理ー。まだ夕方だろ。眠くならねえよ」

「寝ておかないと、なにかあった時に対処が出来ないぞ。お前、ラダーさんたちを疑ってるんだろ?」

「それなんだよなー。あいつら、なんなのかね」

「知らねえよ。あ、火はどうする?」

「おう、消しとく」

 細田は、仰向けに寝転んだまま片手を振った。ひざ掛けも顔の上なので、焚き火を見てもいない。

 それでも、赤々と燃えていた火は綺麗に消えた。

「んじゃ、おやすみー」

「……おう。おやすみ」

 大山は防護壁の上にあぐらをかいたまま、焚き火の残骸を見つめる。細田はいつの間に、ここまで火を操れるようになったのだろう。

 ひとりにして置くんじゃなかった。目を離すと、こいつは次から次へと良からぬ事を考える。隕石落としだって? 銅貨の偽物が作れた彼なら、間違いなくやってのけるに違いない。自分はまだ、細田が気配を消したり、足音も無く歩いた理由さえ説明されていないのだから。

 ラダーたちの焚き火は、まだ明るく燃えている。小さな人影が、その火の中に小枝を投げ込んだ。

 彼らがどんな思惑を秘めていようとも、どれほどの悪事を企んでいようとも……細田が相手では、失敗が確実だ。

 どうか、何事も起こりませんように。

 祈るような気持ちでテントや馬車を眺めた後、大山もようやく横になるのだった。

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