魔法世界9 追いかけ続けた先に

 追駆、いや愛の追いかけっこの舞台は街に移っていた。


「ついてくんなやストーカー!」

「誰がストーカーよ! あなたがストーカーでしょうが!」


 竜のね。

 昔偉い人は言ったわ。愛と憎しみは表裏ではなく、近しいものだと。

 つまりスカイはストーカー。


「ちょっと照れ臭いけど、私は天使。純粋な気持ちであなたを救いたいと願う、大天使よ。もう悩み無用!」

「やべえ! 意味分からん! 純粋に怖い!」

「怖くなんてないよ~。痛くだってないんだから。きっと怖くて痛いのは、最初だけ」

「俺に何をするつもりだ!?」

「言葉の綾よ!」


 いける。私はそう思った。

 何もしていないスカイと、身体強化の魔法を使った私。今までは、それでも全く追いつける気がしなかったのだ。

 しかし今日のスカイは、何だか調子が悪いみたい。

 私でも追いつけそうな速度に加え、ゼエゼエハアハアと苦しそうにしている。


「いけるわ!」

「いかないでくれ!」

「心配しないで! 私はどこにも行かないから!」

「どこぞへと行ってくれぇ!」


 何がここまで彼を追い詰めたのか。

 彼がつい出してしまった、行かないでくれという本音に、私は胸が締め付けられる。

 本当は人と関わりたいはずなのに、距離を取ろうとする。

 本当は私を抱きしめたいはずなのに、その手には武器を握る。

 彼はきっと、そうすることしかできないのだ。不器用にも、もがいて抗って生きてきたのだ。

 それなら私が……私の方から、胸に飛び込んでやるしかないじゃない。


「仕方ないわね、もう! 世話を焼かせないでよね!」

「誰も何も頼んでない! 大体お前、何で俺を追ってくるんだ!」

「追われるより、追うほうが性にあっていたみたい!」

「それは理由じゃねえ!」


 徐々に徐々に、離れていた距離が近づいていく。もちろん心も。

 だって私には分かる。こうして会話をしている間にも、あれだけ生意気な表情をしていたスカイが、今は虚ろな目をして何かを堪えるような表情だ。

 それは、過去との葛藤。幸せな現在とを天秤にかけ、必死に飲み込もうとしている男の顔。


「あともう少し。終わらせる!」

「終わらせないでくれ! 俺にはまだ、やらなければいけないことがあるんだ!」

「あなたのその腕はなんのためにあるの! 竜を殺す? それもいいわね。でもそうじゃないでしょう!?」

「悪かった。俺が悪かったから、もう関わらないでくれ~」

「悪いのはあなたじゃないわ! 私達の間に障害を作った世界よ!」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許してくれぇ!」

「全てを許すわ! 罪、穢れ、特殊性癖。私なら、全てを許してあげられる!」


 これも後になれば、一つの良い思い出。

 一方的な追いかけっこは、ついに終わりを迎える。


「限界だ――」


 スカイが転んだ。転ぶと言うより、力が抜けて倒れたという印象。

 優しい街の人達が駆け寄り、大丈夫かと彼に声をかける。

 起き上がろうとして、また倒れる。どうやら、その場からはもう動けないようだ。

 思わず叫んだ。


「ラッキー!」

「いやラッキーて、お嬢ちゃ――」

「どきなさい! 愚民共!」


 周囲の声なんて聞こえない。走る速度を抑えることなく、私は走った。

 上半身だけを起こした彼が、地面に座ったまま振り向く。

 頬を引きつらせ……いや、笑顔を浮かべる彼の胸元に、飛び込んだ。


「あんっ! 捕まえたぁ」

「捕まったぁ!」


 ……。


 スカイの胸元にすりすりと頬ずりをした後、魔法で拘束する。

 縄で縛るよりは、よほど強力な魔法での拘束。私達二人の関係なら必要はなかったが、念の為。


「ど、どこへでも連れて行くといい。俺はもう疲れた」

「あ! すみません皆様。彼はランクオレンジ冒険者の私、ミラが引き取りますのでご心配なく!」


 倒れたスカイを気遣い集まっていた街の人々に声をかけると、スカイを連れて歩き出す。

 抵抗はない。それどころか、私の肩に手を回さなければまともに歩けないほどだった。

 魔法の拘束も、スカイくらいになれば本来役に立たない。何度も言うが、私達の関係なら必要はなかったが、強引に抜け出すことだって可能だ。

 しかし彼は、なぜかとんでもなく弱っていたのだ。


「――腹が減って死にそうだ。金を稼ごうにも、ギルドからは犯罪者扱い。それならばと、やっと見つけた竜。食い扶持はなさそうだったが、俺はあれでもよかった」


 中央に噴水のある広場、そのベンチ。

 もう逃げないと言ったスカイの言葉を信じ、拘束を解き座らせる。

 私もすぐ隣に座ると、ぐったりと元気のないスカイがポツポツと話しだした。


「可哀想に、そんなことが。大変だったわね」


 努めて優しい声を出し、心の底からそう言った。

 口を半開きに開け、横目で睨むように私を見ていたスカイは、力無く項垂れると話を続ける。


「久々の飯だ。食べられずとも、最悪レベルが上がれば飢えは凌げると思った。喜びが体を満たした瞬間、起こった大爆発。川に流されどんぶらこ。ボロボロの体を引きずった先にいたのは、自称天使の悪魔のような女」

「辛かったね。でも、もう大丈夫。これからは、私が側にいるから」

「……ん?」


 怪訝な表情をするスカイに、安心させるような穏やかな笑みを向ける。


「その、えへっ。実は私、あなたが走り出した時ちょっと傷ついてたの。でもそんな女と事前に会っていたなら、同じ女である私を見て逃げ出しちゃう気持ちも分かるわ。ああ、良かったぁ」

「……え?」


 分かってはいたことだが、私が嫌われているわけではなかった。胸に刺さっていた小さなわだかまりが溶け、幸せな気持ちでぐぐっと体を伸ばす。

 はあ、と気持ちの良い溜め息を一つ吐くと、スカイがそこで口を開いた。


「お前だよ」

「そうね。私が側にいさえすれば、他の女は怖気づいて近寄ってこないと思う。ううん、近寄らせない」

「いや違う。お前だよ、悪魔のような女はお前!」

「私!?」

「何驚いてんだ、こっちが驚きだわ! 何が、えへだ。何が、良かっただ。俺が今話した全部が全部、お前のせいなの!」


 なるほど。つまりはこういう事だったのだ。

 スカイがまともに食事も取れないほど、常に一歩後ろを追いかけた情熱。

 早く会いたいと願う可愛い恋心からの、ギルドへの捜索依頼。

 彼が望むことなら何でもしてあげたいという献身的な想いが生んだ、仕方のないちょっとした事故。

 一つひとつは大したことではなかったけど、それは彼に届いていた。数々の努力が実を結び、今こうして私達は結ばれたのだ。

 本当、頑張ってきて良かった――


「おい。お前、泣いてんのか?」

「ごめんなさい。つい」


 これからは、私が彼を支える。一番近くで、一番の理解者の私が。


「きつく言ったのは謝るけどさ。泣くなよ。泣きたいのは、こっちだっての」

「うん。私、頑張るからね」

「……頑張るって何? って、なんだ!?」


 涙を拭った私は、スカイの頭を素早く引き寄せ膝の上に乗せる。

 頭を撫で始めると、スカイはポカンとした表情……いえ、安らぎに身を任せていた。


「何してんのお前」

「さ、落ち着いてお話しましょう」

「これが落ち着いていられるか」

「ふふ、もう良いのよ。そんな無理しなくても。あなたはここまでよく頑張ってきた」

「さっきから思ってたんだけどさ、俺の話通じてる? ちゃんと会話できてる?」

「あなたは一人で頑張りすぎて倒れてしまった」

「誰かさんのせいでな」

「私の心は酷く動揺した。あの瞬間かな、決心がついたのは」

「ラッキーとか言ってなかった?」

「お金がない? 依頼が受けられない? 今回のように事故が起きた時、一人でどうするの? 答えは簡単。私と、行動を共にすればいいわ」

「今の問いに対する答えならもう一つある。俺がお前にずっと言ってることだ」

「ええ、分かってる。でもそれは一方的な想いにしか過ぎない。互いの望みを叶えることなんて、できやしない」

「お前の案もな」


 全てを解決する近道を、私は見つけた。

 互いに異なる考えや想いがある。でもそれは、二人で共有していける。

 二人でなら、乗り越えられるものなのだから。


「俺が今、お前に対して何を思っているか分かるか」

「うん。すごく嬉しい。ありがとうね」

「恐怖だ。俺は恐怖を感じている。竜と戦う時とはまた別、だがそれ以上のだ」

「怖いよね」

「なんだ、分かってたのか」

「もちろんよ。私を失いたくない気持ちは理解できる。私だって、同じ気持ちだもの」

「そう取ったか。俺にはもうどうしようもないな」


 喪失感。私が相棒を作ったり、固定のパーティを組まない理由の一つ。

 他人でなくなるというのは、難しいよね。でも――


「私達が出会ったのは、どうしようもない運命だったのよ」

「へぇ、運命。俺が嫌いな言葉の一つだ。そんなものが存在するなら、日常のくだらない悩みなんて吹っ飛ぶな」


 後悔だけはしたくない。


「くだらないことで悩んでそうよね、あなたって」

「お前は何もなさそうだよな。多分、頭に咲いた花畑の養分になってるんだ」

「悩むのは構わない。でも、停滞してしまうのは駄目。私があなたの背中を押してあげるって言ってるの」

「突き飛ばすの間違いだろ。頼むからブレーキをかけてくれ、暴走女」


 売り言葉に買い言葉。口数の多くなってきたスカイに、内心微笑む。

 私達の進んできた道は違うけど、きっと交わる時がくる。いえ、私が交じ合わせてみせるのだ。

 それでぶつかるようなことがあっても、別々の方向を向くよりはマシなはずだから。


「あなたもそろそろ、くだらないことを考えるのはやめたら」

「何がだよ。お前が俺の何を――」

「復讐。あれだけ憎んでいるってことは、竜に親しい人でも殺された?」

「……あ?」


 スカイの目つきと雰囲気が変わる。

 それでも私に、止まる気はなかった。


「今お前、何て言った? くだらないって――」


 頭を持ち上げようとしたスカイの額に手を置き、起き上がらせない。


「くだらないよね。私にとっては」


 やはりそうだったかという気持ちと、敵対的な目を向けられたことで、私の胸は痛む。

 しかし引き返せない。引き返す気もない。

 ここが始まり。ようやく私達の道が、繋がりだしたのだから。


「だってそんなの、よくあることじゃない」

「お前なんかに――」

「あなた一人だけじゃない」


 一呼吸置き、スカイは少しだけおとなしくなった。

 押さえつけていた手の力を緩め、前髪を整えてやる。


「もしかしてお前……」

「いえ、そういうわけではないのだけど」

「は?」

「でもね、そんなのよくあることなのよ。相手が竜でなくてもね」

「……なんとでも言えるさ。何も知らない奴はな」

「ええ、そうね。だから教えてほしいのよ。あなたのこと。あなたが思い、感じた全てを」

「よくあることなんだろ? その辺の奴に聞いてこいよ。俺は、お前なんかとは話したくもない」

「それは嫌」

「ああ?」

「だって興味がないもの」

「ちょっとお前さ、いい加減に――」


 グチグチとうるさい口。私はそれを、自分の唇で塞いだ。

 顔を離せば、無表情のスカイ。

 小さく微笑み、言う。


「私は、あなたに気があるわ。スカイ」


 表情を変えないスカイ。私は続ける。


「どうでもいい奴の話なんて興味はない。私が知りたいのはあなただから。教えてほしいの。その力のこと、過去のこと」

「それが、目的か?」

「あなたの話を聞きたい。あなたと話をしてみたい。最初はただそれだけだった。でも追っているうちに、いつの間にかね。嬉しいでしょう?」

「迷惑な話だ」

「言っとくけどね、無償の愛を与えるつもりなんてないわ。今は、私のことをどれだけ愛しているのかも聞きたい」

「……いろいろとすげえな、お前」

「伝わらなければ意味がないの。あの時こうしておけば良かった、ああ言っておけば良かった。そんな風に思うのは、絶対に嫌」


 何も言わず、考え事をしている様子のスカイ。

 私はまた、唇を重ねた。


「おい」

「隙だらけだったから」


 表情を歪めたスカイは、一つ溜め息を吐くと口を開く。


「今気づいたけどお前、普通に話せるのな……」

「ミラ」

「ん? なら言うが、お前を」

「ミラ」


 互いに無言で睨み合っていると、スカイが折れた。


「ミラ。ちゃんと考えたんだがな」

「大丈夫よ。私はあなたより先には死なないから」

「話を聞け。やはりお前と一緒になんて――」

「仮に死んだとしてもね、いいじゃない」

「やべ……また始まった」

「だってスカイは、私のことを好きでもなんでもないのでしょう?」

「ああ」

「今は」

「多分この先も」

「今は!」


 勢いでもう一度顔を近づけたが、間に入っていたスカイの手に押し返される。


「むー」

「もう隙は作らん」

「女の足を枕に寝てる男の台詞ではないわね」

「いや、これは本当に力が……」


 先程は、スカイを言い包めるため口ではああ言ったが、私には分かっている。

 この先どころか、この男はすでに私に惚れている。間違いない。

 意固地で恥ずかしがり屋な男。あとはそれを、どうやって口に出させてやるか。


「ねえ。やっぱり私に言いたくなったこと、あるでしょう?」

「あるぞ。最初から言おうとしていたことが。でも、言っても聞かないからな」

「今なら特別に聞いてあげる。普通は二回もチャンスなんてないんだから。私が優しい女の子で良かったね」

「優しいミラちゃん。お前と一緒に行動することを拒否――」

「こぉら! それはもう終わった話でしょう!」

「ほらな……。というか、いつ終わったんだろうなその話」


 本当、意地悪な男。ヤキモキする私が可愛いから、はぐらかしているに違いない。

 でもまあ、いいわ。焦ることはない。


「もういいや。何を言っても通じそうにない。俺は行くから」


 そう言って立ち上がったスカイが、ふらりと体をよろけさせる。

 私は隣に並ぶと、腕を絡ませた。


「いいって。歩くくらいなら大丈夫」

「またそんなこと言っちゃって。演技派なんだからぁ」

「いやだからな――」

「心の声がだだ漏れ。手を繋ぐくらい、言ってくれればいつだって」

「はあ、もうそれでいい。そういうことでいく」

「もう、へへ。じゃあご飯行こっか。それとも一度寝ておく? 一人にさせるのも不安だし、二人部屋を――」

「飯だ」


 この先何度だって、機会はある。いつか、いつか絶対に――

 だって私達は、これからずっと一緒なのだから。


「なあ、聞いていいか。なんでお前は俺を?」

「狩猟本能、かしらね」

「……それは理由じゃねえ」


 私達の道が、交わり出した。


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