第三章 検事の場合

「あら」

「あ、こんにちは、小鳥遊さん」

「どうも」

 お昼を食べに出たセルフタイプのカフェで、硯さんにあった。

「今日はあなた一人?」

「はい」

 ならいいか、と隣に腰を下ろす。

 あの男もいるというのならば、早急にこの店から出なければいけないところだった。

「最近、あまりお会いしませんね」

「そうね」

 別に会いたくないけどね。彼女と私が出会って、仲良しこよしというわけにはいかないのだから。

 検事である私「小鳥遊麗華」と、弁護士である彼女「硯茗」が顔を合わせる時は大体法廷で。そして陳腐な言い方になるけれども、その時の私たちは敵同士だ。被告人を追求する側と、被告人を弁護する側で。

 それに、法廷以外で彼女と顔を合わせるというのは、大体の場合が背後にあの男が絡むややっこしい事件の時なんだから。

 硯さんとは、司法修習の同期だった。

 法科大学院卒の私と違って、予備試験を受け学部在学中に合格した彼女は、その経歴からもわかるように年下なのにかなり優秀だ。

 検察修習では、上の覚えもよくて、この子が検事を目指していたらどうしようかと思った。検事の椅子は多くはないし、こんな子がライバルになったら六つも年上の私に勝ち目はないと思ったのだ。

 でも、やりたいことがあるからと、彼女を入れても弁護士二人しかいない弱小の法律事務所にそうそうに就職を決めた。優秀なのにもったいない、と当時他の同期たちと噂していたものだ。

 でも、その「やりたいこと」が彼女を在学中合格といった輝かしいルートへ導いたのだろう。自分の経験を生かして、被告人の家族を守るための弁護士になる、なんて。

 いずれにしても、かなり優秀で立派な人だとは思う。

 もっとも、

「一応聞くけど……まだ付き合ってんの? あいつと」

「あ、はい」

 男を見る目が無さすぎる。

 彼女の恋人は、渋谷慎吾。本人以外誰もいない、怪しい寂れた探偵事務所をやっている。

 噂では祖父の遺産があるとからしいが、そんな儲かりそうもない仕事で生計を立てられているところがまず怪しいから好きじゃない。

 それに、私は認めてはいないのだけれども、あいつは「名探偵」だというのだ。知り合いの刑事によると、名探偵というのは職業ではなく、生き物の名前で、事件を呼び寄せ、謎を食べ、生きながらえているのだという。

 事実、あの男が行く先々では、怪しい事件が多発しているらしいし、何度か私もあいつが解決したという事件を担当したことがある。

 普通の探偵は、殺人現場で関係者を集めて謎解きなんて披露しないのに、あいつはそういうことを普通にする。

 なんで民間人を殺人現場で野放しにしているのかわからないけれど。

 それに対して警察に文句を言ったら、

「でも、あいつは名探偵だから」

 と言われたのだ。上の方も黙認しているらしい。

 そんなバカバカしいことがあるわけない。私は、そんな夢物語みたいな、名探偵がいるという話は信じていない。

 ただ、まあ、実際あいつと一緒にいるとろくな目に遭わないので、避けることが多いけど。でもそれは、あいつが名探偵とかいう生き物だからじゃない。あいつがロクでもない人間だから。

 でも、警察も、そして硯さんも信じている。あいつが名探偵という生き物だということを。

「この前、犯人に捕まって大怪我したって聞いたけど?」

「ああ、そんな大怪我っていうほどじゃないですよ」

 もう全然元気ですし、と硯さんが笑う。

 普通は犯人に捕まったりしないけどね、という言葉を飲み込む。なぜなら、

「まあ、慎吾と一緒だったからしょうがないですよ」

 彼女はそれを「名探偵の効力」とやらだと受け入れているから。意味がわからない。理解に苦しむ。

「それだけ大変な思いをしているのに、なんで別れないの?」

 というか、仮に大変な思いをしてなかったとしても、あいつと付き合っている意味がわからない。遅刻が多いという愚痴を彼女から聞いたことがあるし、それじゃなくても探偵という職業を選んでいる段階で地雷物件だろ。

「だって」

 心底不思議そうに硯さんが首を傾げる。どうしてそんなことを聞かれるかわからない、とでも言いたげに。

「名探偵の元カノなんて、殺されるか殺人犯になるかの二択しかないじゃないですか。私、どっちも嫌です」

 言われた言葉をどうやって咀嚼すればいいのかちょっと悩んでから、

「……まあ、ドラマとかだとそうよね」

 かろうじてそれだけ口にした。

 でもそれはドラマだからであって、現実世界でそんな出来事が起きるわけないじゃないか。なんでそんな意味不明な理論で動いているのだ、この人は。頭はいいはずなのに。

「恋人でいる限り、危ない目に遭っても殺されることはきっとないでしょうしー」

 のんびりと彼女は言葉を重ねる。

 その自信もどこから出てくるのか、よくわからない。

「いつから付き合ってるんだっけ? 大学から?」

「私が大学二年の時に付き合いだして……まあ、一回別れようとしたりした時もありますけど、なんだかんだで七年の付き合いですね」

 腐れ縁って嫌ですねー、と彼女は笑う。

「腐れ縁ねー」

 適当に相槌を打つ。

 だけど、私は知っている。

 彼女と付き合いのある法曹関係者なら、多かれ少なかれ噂ぐらいは聞いたことがあるだろう。二人の付き合いは大学の時からじゃないってこと。もっと前に、子供の時に始まっていること。

 硯さんは私が知っていることを知らないから、言わないけど。というかこれを本人に問いかける勇気は私にはない。

 二十年前の冤罪事件がきっかけだなんてこと、寝ている虎を起こすようなこと、私にはできない。

「そういえば、この前三溝くんに会ったんですけど」

「ああ、今裁判官だっけ?」

「そうです。それで」

 修習同期の話を始める彼女の話に、相槌を打ち、昼食の手を進めながら、聞いた話を思い出す。

 硯さんが小学生の時にあった事件。どこにでもあるような住宅街で、ある家族が皆殺しにされるという凄惨な事件を。

 容疑者としてあがったのが、硯さんの両親だった。

 両親ともに小学校教師で、被害者は夫の方の教え子一家だったという。今で言うところのモンスターペアレントで、だいぶ振り回されていたらしい。

 理不尽な要求に、夜中に家に呼び出されることも度々あったそうだ。別の小学校の教師である妻の方も、「お前も教師なら来い」とかよくわからない理屈で度々呼びつけられていたらしい。

 事件当夜も、呼びつけられていた。

 なるほど、私が担当の警察官でも怪しいと思うだろう。動機もある、アリバイはない。家に行ったところは目撃されている。

 決定的な証拠が見つからず、逮捕にまでは至らなかった。

 ただ、任意ではあるものの度重なる事情聴取。

 夫の方はもちろん、妻の方も学校からしばらく来るなと言われた。まあ、そうだろう。その心境は理解できる。

 家に押しかけてくる報道陣。近所からの冷たい視線。罵倒の電話。いやがらせの手紙。家の壁への連絡。何度もやってくる刑事。

 そういった光景は容易に想像できる。それに、心が折れてしまうのも、理解はできる。

 だけど、あんまりじゃないだろうか?

 たった一人の娘を残して、二人そろって首を吊るなんて。

 いかなる理由があろうとも、子供に手をかける犯罪は嫌いだ。無理心中に失敗して、親だけが生き残った事件なんてヘドがでる。

 だけど、子供だけを残して逃げるだなんて、最低最悪だ。そんな状況下で、残された子供がどうなるか考えなかったのだろうか?

 この話を思い出すたびに、腸が煮えくり返る。

 さらに最低で最悪なことに、その両親の遺体の第一発見者は、当時七歳だった硯さんだったのだ。

 普通、子供がいる家で夫婦揃って自殺とかする? まあ、自殺するということは精神状態が普通じゃなかったのだろうけど。それにしたって、子供を親戚の家に預けるとか、そういう最低限のことはしてからにしろよ、と思う。

 パニックになって家を飛び出した彼女を助け、警察に通報したのが家を張っていたマスコミ関係者というのは皮肉だ。

 そして、警察が来る前に家の中に入るチャンスがあったため、一部の心無いマスコミのせいで彼女の両親の死体の写真は一部のアングラ雑誌に載ったりした。今ほどインターネットが発展していなくてよかった。

「犯人だから自殺して逃げたのだ」

 世論は最初、そう言って硯夫妻を責め立てた。死者の過去を暴き、晒し、面白おかしく報道した。

 一週間後、真犯人が警察に逮捕されるまでは。

 そこからは手のひらを返したように、真犯人が硯夫妻も殺したかのような報道を始めた。当時の雑誌を見ると露骨な方向転換に笑いがこみあげてくる。

 硯なんて珍しい苗字だから、検索すれば法曹関係者じゃなくてもすぐにこの事件に行き当たるだろう。ここまではちょっと調べれば誰でもわかることだ。

 でも、たった一人、残されてしまった子供のことは調べてもなかなかたどり着かない。最初のころこそ、週刊誌などで取り上げられていたが、ある時期からパタリと情報が止まっている。もちろん、そちらの方がいいに決まっているんだけど。その子の将来のことを考えれば。

 情報を止めたのが、あの渋谷慎吾の祖父だ。

 ここからは、話好きの上司が酔った時に教えてくれた。別に、教えてくれなくてよかったんだけど。同期のそんな事情、知りたくなかった。

 両親の自殺のあと、親戚の家に預けられた硯さんに、親戚の風当たりは強かった。その段階ではまだ犯人は硯さんの両親だと思われていたし、迷惑をかけられたという気持ちがあるのは理解できなくもない。

 だけど、家の周りをマスコミに連日囲われて、急に学校に通うことも禁止されて、家に閉じ込められて、両親の死体を見た小学生に対する扱いとして正しいとは認められない。

 親戚の家にも居場所がなくて、夢遊病のように抜け出し、公園で泣いていた彼女。、ぼろぼろの少女がただひたすらに泣いているというちょっと異様な光景に誰もが遠巻きに見守るだけだった中、声をかけて慰めて、大人への判断を仰いだのが小学生の渋谷慎吾だった。硯さんの二つ上だから、あの時はあいつも九つとかだったのだろう。

 今は社会性のない、怪しい職業の男だが、小学生のころはなかなか頼りになったようだ。

 そして、渋谷慎吾の祖父というのがかなりのキレ者だった。大病院の院長で、あちらこちらの世界に顔が効く。医者としての腕前だけではなく、世渡りもかなり上手な人間だったようだ。硯さんをしばらく家に泊め、マスコミの心無い報道をやめさせ、頼りない親戚を怒鳴りつけたらしい。

 っていうか、そういえば渋谷慎吾は、なんで実家が病院なのに医者にならないで探偵とかしてるのかしら?

 まあ、そんなこんなで渋谷慎吾と硯さんはしばらく一緒に生活し、渋谷祖父の口利きによるカウンセラーの力と、おちゃらけた渋谷慎吾の言動に彼女もある程度笑顔を見せるようになるまで回復したらしい。

 その頃には、すっかり世間は硯さんの家の事件のことなんて忘れ去って新しい事件に興味津々だったし、ちょっと遠縁だけど硯さんのことを本気で心配してくれる心優しい親戚も見つかり、彼女はそこの引き取られることになった。

 というのが、硯さんと渋谷慎吾の腐れ縁の発端。

 そのあとの二人がなんで再会したのかは知らないし、興味もないが。

 だから、口では「なんで別れないの?」とか聞いておきながら、彼女が渋谷慎吾と別れないのもまあ理解できるのだ。彼女の中では、あいつはかなり頼れる存在なのだろう。職業変だけど。

「あ、そうだ。三溝くん、結婚したらしいですよ?」

「は!? 誰と?!」

「小早川さんと」

「検事の?!」

「そうです」

「……うまくいくのかな」

「……それは、わかんないですけど」

 過去に色々あったということを知らないで硯さんと接していると、普通のちょっと優秀な女性にしか思えない。こんな風に同期の結婚話で盛り上がるなんていう、普通なことをするし。

 だけど、ここに至るまでに相当など努力があったのだろう。普通の道に戻るための、壮絶な努力が。

 そしてそれが彼女を、在学中合格といった輝かしいルートへと歩ませたのだろう。自分の経験を生かして、被告人の家族を守るための弁護士になるという目的を果たすために。

 たいしてお金にならないような事件をいくつも持って、自分のトラウマだって刺激されるだろうに家族への過度な接触を図るマスコミとの盾になって。

 それはとてもまぶしくて、素晴らしくて、同時に痛ましい。

 そんな過去がなかったら、彼女はそんな仕事していなかっただろうから。

 でもまあ、いずれにしても、私は彼女のことを尊敬している。決して口には出さないけど。あと、何度も言うけど男を見る目だけは、本当無いと思ってるけど。過去に何があっても、今あれじゃあだめでしょ?

「あ、そろそろ戻らないと」

 時計を見た硯さんが呟く。

 そうね、と私も頷くと、トレーを持って立ち上がる。すると、

「大丈夫ですかっ!?」

 大きな声が響いた。そして、ざわめき。

「え、何?」

 声がした方を見ると、一人の男性が口から泡を吹いて倒れている。近くにいた人が声をかけ、店員も駆け寄ってくる。

「……病気かしら?」

 一抹の不安を抱えながらつぶやいた私の耳に、

「動かないで!」

 斬りつけるような厳しい口調で、聞き覚えのある声が言った。

 うわぁ、まさか。と、声のした方を見る。

「あれ……?」

 硯さんも呆然と呟いた。

 不安的中。そこにいたのは、どこか見覚えのある男。ヒゲとメガネをそこから取ればもう、答えは一つしかない。変装した渋谷慎吾だ。

 何? 誰か尾行中だったの?

「硯さん!」

 思わず隣の彼女の名前を呼ぶ。

 一緒じゃないって言ってたじゃないの!

「知らなかったんです!」

 硯さんが必死に抗弁する。

「ちょっとそこの二人、手伝って」

 倒れた男性のようすをテキパキと見ながら渋谷慎吾が命令してくる。

 こいつ、さてはずっと前から私たちがいることに気づいてたな?

「茗ちゃん、警察と救急に連絡して。小鳥遊女史は入り口塞いで。はやく!」

 言われて素直に動いてしまう自分が悔しい。

「この店、AEDないの?」

 手慣れた様子で心臓マッサージを行いながら、渋谷慎吾が店員に問う。

「あ、えっと、このビルの廊下には確かあるはずです」

「茗ちゃん、電話しながらでいいからこの人と一緒に取りに行って」

 小さく頷いた彼女が、店員と一緒に出て行く。

 この前犯人に捕まったという彼女のことは少し心配だが、電話しながらならまだマシか。

「病気じゃないの?」

 一応、ダメ元で聞いてみると、

「アーモンド臭」

 端的に返された。

 ああ、はい。青酸系の毒物ですね。

 うんざりする。 

「おい! さっきからあんたなんだよ!」

「ちょっと、通しなさいよ!」

「あー、ごめんなさい。ちょっと我慢してください」

 我に返った客たちが騒ぎ出す。お昼時を少し外れているから、そんなに混んでいなくてよかった。

「シン!」

 戻ってきた硯さんから、AEDを受け取ると、渋谷慎吾はやっぱり慣れた手つきでそれを操作する。って、あんた本当何者なの?

 硯さんと一緒に客をなだめる。

「説明しろよ! お前、何様だよ!」

 男性客の怒声に、渋谷慎吾はちょっとだけ顔を上げると、

「渋谷慎吾、名探偵だよ」

 シニカルに笑った。

 いや、どこぞの小学生探偵かよ。

「はぁ?!」

 怪訝そうな男性客の当然な反応。

 なんとかなだめながら、いいからはやく警察来ないかなーと思う。

 こいつが名探偵という生き物だとかそういう話は一切信じてない。

 でも一つだけ言えることがある。

「……やっぱり、あなたたちと一緒にいるとロクなこと無いわ」

 口からこぼれ落ちた言葉に、心底申し訳なさそうに硯さんがすみません、と謝った。

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