第二章 刑事の場合

 一言で言うならば、最悪だ。

「なんでお前がこんなところにいるんだよ……」

 頭痛をこらえながら尋ねた言葉に、

「旅行だったんだよ。それで吹雪にあって仕方なく泊めてもらいにきたんだ。大体、笹倉だって管轄外じゃないか」

 飄々と渋谷は答えた。俺は仕事だよ!

「お前は旅行になんか行くなよ! ずっと家にいろよ! 迷惑だから!」

「ひでぇ! 俺の基本的人権の侵害だ!」

「侵害もしたくなるわっ!」

 いらだちから、思わず声がでかくなる。

「歩けば死体に巡り合う、名探偵様なんだからさぁ!」

「大変だなー」

「お前のことだろうが!」

 他人事みたいに呟く、この目の前の男。渋谷慎吾。職業探偵。人種名探偵だ。

 この世に、名探偵という生き物がいるのはご存知だろうか?

 事件を解決し、謎を喰らって生きる、そんな生き物だ。

 その証拠に、名探偵のあるところ事件あり。死体あり。

「事件が起きるから名探偵がいるんじゃない。名探偵がいるから事件が起きるんだ、とはよく言ったもんだよなー」

 慎吾がのんびりという。だから、誰の話をしていると思っているんだよ!

「事件の調査で、わざわざこんな山奥まで出張してみたら相方とははぐれるし、突然の吹雪で目的地にたどり着けないし、見つけた洋館に泊めてもらおうと思ってやってきたら訳ありそうな男女七人。他にもお泊まりの方がいらっしゃいますよ、とは聞いていたが、いざ食事の時間になったら目の前に名探偵が現れる! これはもう絶対百パー事件起きるだろうが、このどあほ!」

 今は、食事を終えて俺用に用意された客室での話だ。こんな名探偵だのなんだのっていう話を一般人には聞かせられない。

 しかし、急に現れた俺ら一人一人に部屋を用意できるなんて、一体この家はなんなんだよ……。

「事件が起きるとか言われてもなぁ」

 慎吾がぼやく。

 同僚や先輩は、こいつのことを死神と呼ぶ。さすがにそれはひどいんじゃ、と大学同期のよしみでしばしばかばっていたが、最近もうそれでもいいんじゃね? って思うようになっている。

 あと、俺がこんだけこいつに振り回されているのって、絶対大学同期というつながりがあるせいだし。

 そりゃあまあ、名探偵様の手足となる人物としてぴったりだろう。大学の同期で、今は捜査一課の刑事だなんて。ドラマならレギュラーだ。そんでもって、振り回される未来しか見えない。

「なんか、ごめんなさいね、笹倉くん」

 渋谷の横にいた硯さんが、心底申し訳無さそうに言う。

 硯茗さん。職業、弁護士。何がいいのか知らないが、この社会不適合者の歩く死神の恋人だ。

 とはいえ、この二人、大学時代から付き合ってるからもう長いけど。俺の片思いもだけど。はぁ。

「硯さんが謝ることじゃないですよ。悪いのは全部こいつです」

「でも、私が商店街の福引で旅行券とか当てちゃうから」

「あー、そりゃ、ちょっと硯さんがあれっすね。なんでこいつ誘ったんですか?」

「他に思いつかなかったのと、もしかしたら大丈夫かなって思っちゃったの」

「でもまだ、事件起きてないよ」

 横から渋谷が口を挟んでくる。

「お前、それ本気で言ってんのか? 本気で事件起きないと思ってるのか?」

 つめよると、渋谷はふぃっと視線をそらした。お前だって事件が起きると思ってんじゃねーかよ!

 最悪だ、事件が起きるのをただ待っているしかないなんて。

 きっと人が死ぬだろうって、わかっているのに。

 しかも、連続殺人的なややっこしいやつに決まっているんだ。なぜなら、名探偵がいるんだから!

「しかもここ、圏外だし」

「電話線も切られるだろうね」

「ここに来るまでは、吊り橋が一つあるだけだったしね」

「絶対落ちるよね」

 ああ、ここまでわかっているのに阻止する手段がないなんて! 何て迷惑なんだ!

 俺は犯人を捕まえたくて警察官になったんじゃない。平和な世界を守りたくて警察官になったんだ。犯罪なんて起きない方がいいに決まってる!

 などと不毛なやりとりをしていると、

「きゃー!!」

 悲鳴が聞こえた。

「ああ、ほら、やっぱり!」

 嘆く俺を残して、渋谷はさっさと声の方に走っていく。

 慌ててそのあとを追う俺と、硯さん。

 かくして、黒薔薇の館殺人事件は幕をあけたのである。

 いや、本当。建物の名前からしてアレすぎるよね。


 登場人物を整理しよう。この館には、俺たちの他に七人の男女がいる。

 館の主人「旦那様」、その奥さん「奥様」。その息子「おぼっちゃま」、娘「お嬢様」。子供は二人とも成人済みだ。おぼっちゃまの「婚約者」。旦那様の父親「大旦那様」。住み込みの「執事」。

 そして、亡くなったのは、

「りりぃー!」

 婚約者だ。第一発見者は、奥様。奥様は気絶して、お嬢様と大旦那様がついている。

 婚約者にすがりつこうとするおぼっちゃまを、硯さんと執事が止めてくれている間に、身分を明かした俺と、自分もさも警察関係者であるような顔した渋谷で調べる。

 公務員の身分を詐称することは、本当なら咎めるべきなのだが、被害者を最小限にするためにも、名探偵の力を借りるのが最善の手だ。と、とっさに判断してしまう程度に、俺はこいつに毒されている。

「手首が切り取られてるな」

 さすがの渋谷も顔をしかめている。

 切られたのは左手首。すぐ近くに落ちている。

 心臓あたりも刺されているから、直接の死因はこっちだろうな。

「この血の量……、生きているうちにだよな」

 凶器は……、

「これか?」

 婚約者の右手に握られた出刃包丁。どう見てもこれです。

「わざわざ被害者に握らせたってことか?」

「歌だ……」

 だいぶ大人しくなっていたおぼっちゃまが呟く。呟くというか、思わず言葉がこぼれ落ちた、という方が正しいような言い方だった。

「歌?」

 問い返すが、おぼっちゃまは「歌だ、歌なんだ……」とか呟くばかりでなんのアドバイスもくれない。

「このあたりに広まっている一種の手毬歌です」

 代わりに、比較的しっかりしている執事が答えてくれる。

「身の回りに伝わる危険を子供に知らせるための歌でして……」

「歌詞は?」

 淡々と執事が暗唱してくれる。この人、冷静すぎて怪しいけど、一周回って犯人じゃなさそうなタイプだな。

「最初のあの子はお料理上手。とんとん。よそ見をすると危ないよ。ほら、おててが、ずどん」

 いや、なんつー物騒な手毬歌があるんだよ。正気か?

「ちなみに、続きがあったり……?」

「はい」

 やっぱりねー!

 歌詞をまとめると、以下のようになる。


 最初のあの子はお料理上手

 よそ見をすると危ないよ

 ほら、おててが、ずどん


 二番目のその子悪戯好き

 がちゃがちゃ

 電気をいじると危ないよ

 ほら、からだが、バチン


 三番目のこの子はきれい好き

 ばちゃばちゃ

 お風呂で遊ぶと危ないよ

 ほら、お顔が、ばちゃん


 ……なぁ、いくら子供に危険を知らせるためとはいえ、この歌は正気か? 大丈夫か? エドワードゴーリーの世界か、ここ。ギャシュリークラムのちびっ子たちか?

「すっごい適当な手毬唄だな。深夜のギャグ系ミステリでも、もっとまともだぞ」

 渋谷が真面目な顔でトチ狂ったことをつぶやく。いや、気持ちはわかるけどな。締め切り間際の作家が苦し紛れに作ったのかもな。

 それはさておき、

「手毬歌になぞらえた、連続殺人?」

「バカバカしい! そんなわけあるか!」

 それまで黙っていた旦那様がキレた。

「なにが手毬歌になぞらえた連続殺人だ! そんなもの実際にあるわけないだろうが! 二時間ドラマじゃあるまいし!」

 いや本当。お怒りはごもっとも。

 でも、起こりうるのだ。ここに、名探偵がいる以上。

「だいたい、うちの人間がこんなことするわけない! お前ら三人の誰かだろう!」

 うーん、なんか、このおっさん見ていると心配になるな。

「警察官だとかいって、それも嘘なんだろう!」

 そして不安は的中。旦那様は叫ぶ。

「こんなやつらと一緒に居られるか! わたしは自分の部屋に戻らせてもらうぞ!」

 あーあ、言っちゃった。言っちゃったよ!

「ひとりになるのは、危ないですよ」

 そうそう、それにそのセリフはあからさまに死亡フラグだしな。俺たち三人をむやみに疑っているのも怪しい。次の被害者候補ってことで。

「しっかり鍵をかけておけば大丈夫だ!」

 しかし、渋谷の制止も空しく、旦那様は戻って行ってしまった。

「あー、どうしようかな。……旦那様の部屋って、ひとり部屋ですか?」

「いえ、奥様と一緒ですが」

「そっか。じゃあ大丈夫かな。あの、奥様も早めにお部屋に戻ってください」

 二人部屋ならば、死亡フラグの効力もかなり弱まるだろう。

 仮に奥様が犯人だったとしても、部屋の中では殺さないはずだ。自分を疑ってくださいというようなものだから。

「できるだけ、二人……いや三人以上で行動するように心がけてください」

「……あれ、そういえば大旦那様は?」

「そういえば、さっきからお姿をお見かけしておりませんな」

 おいおい、怪しいんだけど、大丈夫か……?

 予想が的中し、感電死した大旦那様の遺体が、屋根の上で発見されたのは、それから五時間後のことだった。


 結局、全員が集められたリビング。

 みんなイライラしているのがよくわかる。そうなるだろうなとは思ってたけど、案の定、電話線も吊り橋も切られているし。

「一体誰が犯人なんだよ……。大旦那様については、屋根に乗せるなんていう大掛かりなトリックがありそうだし」

 うまく下ろせずに、まだ屋根の上に乗せっぱなしだ。良心が痛む。

「そうだなー」

 俺の言葉に、渋谷から適当な返事が返ってくる。

 渋谷は壁に背を預け、天井を見つめている。ぼーっとしているように見えるその姿に腹が立つ。

 手毬唄は三番まである。ということは、まだ被害者が出る可能性があるんだ。ぼーっとしてないで犯人を探せよ。

 誰のせいでこうなってると思うんだ!

「悪いのは犯人だよ」

 俺の心を読んだかのように渋谷が言う。いや、まあ、それはそうなんだけどさ。

 渋谷はため息をつきながら、

「なんとなくは見えてんだけどな」

「なんとなくは見えてんのかよ」

「でも、何かが足りないんだ」

 苛立ったように天パなんだか、パーマなんだか、寝癖なんだかよくわからない頭をガシガシと掻く。

「とりあえず怪しそうな人とかわかってること教えとけよ。注意するから」

 俺の言葉に、渋谷が、

「現時点での見解だけどな」

 耳打ちしようとしたところで

「あの、硯さん戻ってますか?!」

 慌てた様子のお嬢様がリビングに駆け込んできた。確か、奥様と硯さんと三人でお手洗いに行っていたのでは?

「いや? 一緒じゃなかったんですか?」

「一緒だったんですけど。みなさん疲れてるだろうから、コーヒーでもいれようってことになって。三人でキッチンにいったんですけど」

 確かに、カップののったお盆を持った奥様も戻って来た。

「なんか、廊下の奥から物音がして。がっしゃんってなにか割れるような……。母と二人で怖い怖いって言ってて。そしたら、硯さん、代わりに見てきてくれるって。でも、そのまま戻ってこなくって!」

 それ、やばいやつじゃないかよ。

「あんのバカっ」

 慎吾が舌打ちした。

「慣れてるくせに、なんでひとりで、出歩くんだよ」

 その罵倒は、隣にいる俺にだけ聴こえるような小声でだった。

「どうしよう。もしかして、犯人に捕まったんじゃ……」

 お嬢様が泣きそうな顔で言う。

 そんな顔をするぐらいなら、ひとりで行かせるなと俺は言いたいがね。

 執事がお嬢様を落ち着かせるためにそばに行き、旦那様が不愉快そうな顔をして部屋の中を見回す。おぼっちゃまはさっきから魂が抜けたままだ。

 どうするのが最善か、必死に頭を働かせていると、

「茗ちゃんは大丈夫だよ」

 なぜか笑いながら、渋谷が突然そう言った。

 はぁ?

 あっけにとられる俺たちを無視して、

「だって茗ちゃんは俺のカノジョだよ? 探偵役の恋人は、いつだって探偵が助けにってぎりぎり間に合うものさ」

 さっきの舌打ちはどこへやら。不自然なぐらい不敵な笑みを浮かべていた。

 なんだ、そのトンデモ理論は!

「とはいえ、ちょっとまあ、探してきます。みなさんはここから動かないでくださいねー」

 軽い調子でそう言うと、さっさとリビングを後にする。

 俺も黙ってそれを見送ってしまってから、

「ちょっ、待て! あー、危ないんで、本当、三人以上で行動してくださいね!」

 部屋の中の住人に釘を刺し、慌てて追いかける。

「おい、渋谷、お前もうちょっと真剣に!」

 廊下に出たところで佇んでいる渋谷に、苦言を呈そうとしたその時、

「くっそ!」

 渋谷が大声とともに、壁を拳でなぐった。バンっと大きな音がする。

 驚いて足が止まった。

「落ち着け。大丈夫大丈夫。茗ちゃんは、大丈夫」

 そのまま壁に打ち付けた拳に、額を当てて呟く。何度も、何度も。

「大丈夫だ、大丈夫」

 自分に言い聞かせるように。

 ぐっと握った拳が震えてる。

 ああ、そうか。いつも飄々としているから忘れていた。

 別に、こいつは殺人事件が好きなわけじゃないんだ。謎を解くことは多分、好きなんだろうけど。

 そういう星の元に生まれついてしまっただけで。

 人が死ぬのを見たいわけじゃないんだ。本当に死神なわけじゃないんだから。

 こいつも平気じゃないのだろう。それはわかっている。

 そして、渋谷が硯さんを大切にしていないわけがないのだ。

 二人の間にあるものは、俺が考えているよりも深いものだ。直接聞いたわけではないけれど、長い付き合いでそれはわかっている。どんなに俺が想いを寄せても、二人の間には入っていけない。

「大丈夫……」

 うわ言のように繰り返す。

 ああくっそ、見てられねーな!

 その背中をバシン! っと叩く。

「名探偵は名探偵らしく、さっさと事件を解決しろよ」

 振り返った顔は、いつもの渋谷のものと違っていて、ひどく弱々しかった。

 だからさぁ、お前がそういう情けない顔をするなつーの。探偵だろう? 名探偵なんだろう? いつもみたいにへらへら笑っていろよ。

 じゃないとこっちも、巻き込まれた文句が言えないだろうが。

「硯さんを助けるのは、お前の役目だろ。探偵で、恋人なんだから」

「笹倉……」

 渋谷の顔が一瞬くしゃり、と泣きそうに歪んだ。

 ああもう、だからそういう顔をするな。親を見つけた迷子の子供、みたいな顔はさぁ!

 口ではなんだかんだ言ったって、俺はお前の味方なんだから。なんたって、腐れ縁の刑事だからな。

「とりあえず、手当たりしだい探すか。頭のいい名探偵様は、黙って考えてろ! その間、俺が動いてやる。個人の部屋だったらどうしようもないけどな」

「……そうだな、茗ちゃんを探さないと」

 泣きそうな顔を引っ込めて、渋谷がいつもの見ていていらっとする、皮肉気な笑みを浮かべる。

 それに安心しながらも、俺が駆け出そうとしたところで、

「あ、ちょっと待て」

 渋谷があっさり引き止めた。つんのめる。

「ヒントはあるんだ。水のあるところだ」

「水の? それって、歌の三番ってことかよ?」

「それもあるけど……。あの人の靴下、濡れていたからな。足の裏から」

 なるほど、だから水のあるところ……と一瞬納得しかけ、

「は? お前、犯人の特定出来てるのかよ」

 見えかけてたっていうのは、さっき聞いたけどさ! もっとこう、漠然とこいつとこいつが怪しいぐらいのもんだと思ってたわ!

「それに、個人の部屋ってことはないはずなんだ」

 俺の問いかけを無視して、渋谷は推理を続けていく。

「旦那に隠せるはずがない」

「……って、それって奥様が犯人ってことか?」

 この屋敷で、二人部屋なのは旦那様と奥様夫婦だけだ。

「でも、大旦那様の時にアリバイがあるし……、だってさっきもお嬢様と一緒だったんだろうが」

「大旦那様の件については、大体見当がついている。今の誘拐事件はわかんねーけどな。くっそ、だけど証拠がなくて今まで様子見していて……。俺もついていけばよかった」

「後悔してる場合じゃないだろうが」

 それに、トイレについていくって言ったら、ふるぼっこにされそうだしな。

「……ああ、とにかく、はやく茗ちゃんを見つけないと」

「しかし、水がある場所っって。風呂場……?」

「とりあえず、そこだな」

 大浴場はさっき行った。二人で走り出す。

 風呂場には硯さんに姿はなかった。まあ、当然だよな。こんなに早く見つかるとは持ってない。

「水のあるところ……、水……」

 とりあえず立ち止まっていられなくて、水っぽい場所を探しながら走る。そうしながらも、渋谷がぶつぶつ言っている。

 推理は黙ってやってくんないかね?

「でも、そんなベタな場所か? 多分、これは俺に対する警告だ。これ以上首をつっこむなっていう。もしくは、茗が何か、決定的なものを見た? どっちにしろ、殺すのが目的とは思えない。歌は三番までしかないんだから、ここで茗を殺したら、歌が使いきってしまう。わざわざ三番まである歌を選んだんだから、狙いは最初から三人……、そうあの人も含まれて居るはずなんだ。そうだとしたら、茗についてはひとまず、監禁で済ませるはず。そんな誰にでも入れる場所じゃないよな?」

 渋谷がぶつぶつと呟きながら、何かを考えている。凡人の俺は、せいぜい邪魔しないようにそれを見守っていた。

「水、キッチン、トイレ。水道……。外は、吹雪。吹雪は……いや、外じゃないな。外なら全体が濡れているはず。室内で床だけ水。水……、そうか」

 何かを閃いたのか、渋谷が突然足を止めた。

 慌てて俺も立ち止まる。

「確か、このあたりは、地下水が豊富っていってたよな」

「あー、うん。確か、来たばかりの時にそんなこと言ってたな。執事が」

「そうか、地下か」

「でも、地下室なんて」

「とりあえず、一階なのは間違いないな」

 まあ、地下室があるなら普通そうだろうね。

 ひとまず俺らは、一階に向かって走り出す。

「地下室の入り口は隠されてるはずだ」

「そりゃあ、そうだろうな」

「隠し扉。目印。地下、入り口……。一階は、玄関、応接室、食堂。……食堂? そうだ、あの時、何かがひっかかって…」

 ぶつぶつ呟いていた慎吾だったが、

「大旦那様の杖!」

 突然大声を上げる。

 うわ、びっくりした。

 そして、くるりと回転すると、反対方向に走り出す。

「渋谷!」

 慌てて追いかける。さっきから追いかけてばっかりだな。

 一人で納得しないでくれるか?

「夕飯の時に、みんなで一緒になって移動しただろう?」

「ああ」

 あの夕飯の時は平和だったな。その一時間後に事件が起きるとは思えないぐらい。

 いや、俺の内心は穏やかじゃなかったけど。こいつがいたせいで。

「その時、大旦那様の杖の音が、他と違う場所があったんだ」

 そういえば、確かに大旦那様は杖をついていたな。しかし、そんなことよく気付いて、よく覚えていたな。

 名探偵だから、とも言えるが、なんだかんだでこいつの観察力とか洞察力とか、あと記憶力はすごい。

 辿りつついた廊下。食堂の前だ。

「そう、確か、このへん」

 言いながら床に四つん這いになった渋谷が、こんこんっと床を叩く。少しずつ、そのまま進んでいって……

 確かに一箇所、他とは音が違う場所があった。もっと、どこかに響くような音。

「この下に?」

 渋谷は床に手を這わせて

「入り口は絶対ここらへんのはずなんだ。入り口、目印」

 呟いて顔を上げる。壁に視線を向けるから、俺も合わせてそちらを見る。

 そこには、代々、この家の当主の肖像画が並べて飾ってある。言いたくないけど、かなり悪趣味だ。

 渋谷はその絵に近づき、一つずつ順番に見ていって……、

「これか」

 一枚の絵で視線を止める。

 天才名探偵様は何かに気づいたようだが、凡人の俺には、何が「これか」なのかがわからない。

 説明を求めるように渋谷を見ると、

「見たらわかるだろ? これだけちょっと、ずれている」

 ええ? いやまあ、確かに言われてみたらずれてるけど、そんなもんじゃねぇ?

「これだけ整えられた屋敷で、数ミリでもずれているわけがない。これは最近、誰かが触ったんだ」

 問題の絵を眺めたり、裏をのぞいたりした後、そのまま絵を左右に揺さぶるなど動かしていたが、

「うわっ!」

 何がきっかけになったのか、ぐぃーんっと音がして、絵の下の壁が開いた。自動ドアのように。

 どんなからくり屋敷だよ。とかきっと言ってはいけない。ミステリの屋敷なんてこんなもんだ。

 中を覗くと、下に続く岩の階段があった。

「ここだな」

 渋谷は慣れた調子でケータイを取り出し、ライトを起動する。そのまま、ぐんぐん降りていく。

「おい、もうちょっと警戒しろよ」

 慌てて俺も後を追う。一応、渋谷は民間人なわけだし、警官としては一人で行かせるわけにはいかない。

 地下室というよりは、洞窟と言ったイメージの場所だった。岩のような壁。カビ臭い。

 階段を降りたそこは、確かに部屋になっていた。いや、部屋というよりは、

「地下牢、だな」

 それだ。ジメジメしていて、薄暗くて。それに渋谷が言ったように、どこからかうっすらと水が滴り落ちてきてる。人が住む環境じゃない。

 それに、

「鉄格子、か」

 目の前にある、鉄格子。誰かを閉じ込めていました、と言わんばかりの。

 おいおい、この一族、どんな秘密を抱えてるんだよ。

 異様な雰囲気に圧倒されている俺を置いて、渋谷はどんどん進んで行く。

 鉄格子の中を明かりで照らすと、

「茗ちゃん!」

 手足を縛られ、ぐったりと倒れている硯さんの姿があった。

 叫んだ渋谷が入り口を探すが、南京錠がかかっていた。

 舌打ちをした渋谷が、ケータイを俺に手渡してくる。

 ここでどういう意味だ? なんて聞くほど、俺は察しは悪くない。それと、こいつとの付き合いも短くない。

 渋谷の手元を照らしてやる。

 渋谷はジャケットの内ポケットから、小さなポーチを取り出し、そこからヘアピンを二本取り出した。それを南京錠の鍵穴につっこむ。

 ええ、ええ、もう何にも言いませんよ。お前がヘアピンをきっちり持っていようと、そのポーチの中にどんだけ便利グッズが入っていようと、ピッキングができようとも。

 いつもならこんな鍵ちゃちゃっと開ける渋谷だが、さすがに焦っているのか時間がかかっている。

 ちらちらと、中に視線を送っている。

 焦るな、と言いたいが、それすらも焦らせる原因になるか。

 俺はただ黙って、手元を照らし続ける。

 がちゃり、とようやく鍵が開いた。

 ヘアピンを放りだして、渋谷が中に駆け込む。

「茗ちゃん!」

 倒れている硯さんを抱き起こすと、必死に名前を呼ぶ。

 殴られたのか、額から血が流れている。

「茗ちゃん!」

 すがりつく、こどものように。

「茗っ!」

「う……」

 小さい呻き声がして、

「茗っ!」

「……シ、ン?」

 硯さんが目をあけて小さく呟いた瞬間、渋谷はぐしゃりと顔を歪めた。泣きそうに。

 そのまま、ぎゅっと硯さんを抱きしめる。

「よかった……、よかった……」

 その存在を確かめるかのように、硯さんの髪を、肩を、背中を、腕を、何度も何度も撫でる。手を離したら消えてしまうとでもいいたげに。

 冷静な名探偵様にあるまじき、取り乱し具合だった。

 ここに昔馴染みの俺以外いなくてよかったと心底思った。こんな姿を誰かに見られたくないだろう。

「ごめん……、ごめんな」

 それは何に対する謝罪なのだろうか。助けにくることが遅くなったこと?

 それとも……探偵の恋人として事件に巻き込んでしまったこと?

「助けに、来てくれるって、信じてたから……。私の、探偵さん」

 硯さんが、かすれた声で応えた。

「ごめん」

 もう一度慎吾が呟く。

 感動のご対面はそろそろいいだろうか。

「渋谷、ここは寒い。一旦外に出よう」

 これ以上、歪んだ渋谷の顔を見ていられなくて、ライトの向先を硯さんの手足を縛るロープに向ける。

「そうだな」

 渋谷は頷くと、さっきのポーチから小さいナイフを取り出し、ロープを切った。

 本当、突っ込むのも野暮だけどなんでも持ってるな、お前。

 そのまま濡れた硯さんの体に、自分のジャケットを脱いでかける。

「笹倉、悪い。足元照らしてもらえるか?」

「ああ」

 俺のケータイも取り出し、光源を増やす。

 渋谷は硯さんを抱えると、立ちあがった。

 いやいや、そこは普通、おぶるところだろ。なんでお姫様だっこなんだよ。

 半端に突っ込みたい気持ちを抑えて、俺たちは外にでた。


 硯さんを抱えて戻ると、お嬢様が安心したように泣き崩れた。

「硯さん、よかった……」

 お嬢様が近づいてくる。のに、

「あの、どこかここから近い部屋、貸してもらえますか?」

 渋谷は執事に向き直って尋ねた。お嬢様を避けたようにも見えるが、あるいはこいつに余裕がないだけかもしれない。

「こいつ、熱があるっぽいんで。頭と……、足も怪我しているみたいだし、寝かしておきたいんです」

 確かに硯さんの顔色は最悪だし、頭からでていた血は止まっているものの、右足首が腫れていた。

 しかし、犯人と目星をつけている奥様はさておき、旦那様じゃなくて執事に尋ねるとは。こいつ、外聞を取り繕うのをやめて、一番スムーズな話の持って行き方を選んだな。

 実際、旦那様は不愉快そうな顔をしているだけだし、奥様はおろおろしているだけで頼りになりそうはない。

「はい、それでは二つ隣の部屋をご用意します」

 執事もそんな主人の態度に慣れているのか、すぐに答えた。

「あとタオルもご用意した方がいいですね。お着替えは?」

「そうですね、お願いします。着替えは、自分のがあるんで大丈夫です」

「あ、あの、お手伝いします!」

 近づいたものの、さりげなく渋谷に距離を取られて困っていたお嬢様が、慌てたように宣言する。

「いえ、平気です」

 答える渋谷の声は、少し冷たい。

 あ、こいつやっぱり、さっきわざと距離をとったのか……。

「あ、でも洋服のお着替えとか……女性の方が……」

 お嬢様がごにょごにょ言うのを、

「俺、恋人ですよ? 今更裸を見られただのなんだの言う関係じゃない」

 ふっと渋谷が鼻で笑った。小馬鹿にするように。

 お嬢様の顔が不愉快そうに歪む。

 ああ、こいつ怒ってるんだ。その光景を見て思う。

 普段の渋谷だったら、こんななんでもないところで、それもお嬢様のような若い女性を怒らせるような言い方をするわけがない。犯人に対してカマをかけるときなんかは別だけど。

 この一家のせいで、硯さんがひどい目に遭ってしまった。それぐらいのことは思っているんだろうな。

「笹倉、ちょっと手伝ってくれるか?」

「あ、ああ」

 住人たちに、申し訳ないがもう少しここにいてくれと告げてから、渋谷の後を追う。

 執事は二つ隣の誰も使っていなかった部屋を開けてくれた。

「シーツなど、洗濯していないのですが」

「いえ、大丈夫です。ひとまずみんなからそれほど離れていないところに寝かせられたら、それで」

 言いながら、渋谷は優しく硯さんをベッドに寝かせる。

 執事の用意したタオルで彼女の顔をそっと拭いた。

「笹倉、悪いけど執事さんをみんなのところに送って、帰りに俺と茗ちゃんの鞄を持ってきてくれるか?」

「いえ、私は一人で戻れますから」

「念のためです」

 言葉こそ丁寧だが、有無を言わせない口調で渋谷が言う。

「そうですね。行きましょうか」

 執事をリビングに送り、二人の鞄を用意する。全然お前らの部屋、通り道じゃなかったけどな。

 ドアをノックすると、しばらくしてから渋谷がドアを小さく開けた。

「ほら。俺、ここで待ってるから」

 鞄を手渡す。どうせ今から着替えさせるんだろうし。

「悪い」

 渋谷はそれだけ言うと、また部屋に引っ込む。

 壁に背を預け、終わるのを待つ。

 あいつは本当に怒っている。珍しいぐらい。

 犯人に対してはもちろんのこと。そしておそらくだけど、硯さんを巻き込んでしまった自分自身に対して怒っている。

 あんまり思いつめなければいいけど。あいつ自身も言っていたように、悪いのは犯人なのだから。

 そして、犯人に少しだけ同情する。あいつをあんなに怒らせてしまったら、三人目の殺人は絶対に成し遂げられない。それよりも早く、あいつは謎を解く。

 もちろん、殺人事件なんて起きない方がいいし、これ以上罪を重ねない方が犯人のためにもいいのだろうけれど。

「笹倉、悪い」

 ドアが開いて、渋谷が顔を出した。

 部屋に入ると、着替えた硯さんが眠っていた。顔が赤い。

 怪我はどうしたのだろうか、と思ったら、割としっかりした救急セットのようなものが、渋谷の鞄の上に置かれていた。

「なんでそんな救急セット持ってるんだよ。そもそも、今日はただの旅行だったんだろ?」

「何があるかわかんないだろ。……だいたいは自分用になるんだよ」

 不愉快そうに呟く。

 ああそういえばこいつ、よく海に落ちたり、逆上した犯人に襲われそうになったりしてるもんな。体を張らざるを得ないのだろう。

「硯さん、平気そう?」

「結構熱が高いな。寒さもあるけど、怪我のショックもあると思う。足は折れてはないようだけど……、ヒビぐらいはいってるかもしれない。頭の方は血は止まっているけど……頭だから心配だし」

「そうか。だけど……」

 この屋敷にいる限り、医者にも見せられない。圏外だし、電話線は切られているし、つり橋だって落ちている。

「犯人をとっちめれば、帰れる道が見えるはずだ。さっさと終わらせて、茗ちゃんを病院に連れて行く」

 渋谷はそう断言した。

「でも、足りないって言ってなかったか? 事件を終わらせられるのか?」

「ああ。正攻法で謎を解くにはもうちょっと時間がかかる。だからもう、はったりと罠で切り抜ける」

 とんでもない発言をした。

「……あんまり無茶するなよ」

 不安になって忠告するが

「ああ、さっさと終わらせる」

 全然、会話がかみ合わない。頼むから、お前まで犯人に刺されるとかそういう展開はやめてくれよ。

「だから俺は、今から謎を解いてくる」

 渋谷は硯さんの額をそっと撫でると、

「笹倉、茗ちゃんのこと頼んでいいか?」

 俺を見て、問いかける。

「……俺が何かするとは思わないわけ?」

 真剣な顔に思わずまぜっかせすように尋ねると、

「お前は犯人じゃねーよ」

 フッと笑って立ち去る。

 そうじゃねーよ。俺が硯さんのこと好きなの、知ってるだろうが。

「信用なんだか、侮られてるんだか」

 まあ、何にもしないけどさ。

 椅子に腰掛けると、ベッドに眠る硯さんを見る。

「し……ん」

 寝言であいつの名前を呼ぶ彼女を。

 それになんだかうんざりして、視線を外す。女性の寝顔をジロジロ見るもんじゃない。

 謎解きの場から外された刑事は、ぼんやりと窓の外を眺める。

 今頃あいつは言っていることだろう。

「さて、皆さん」

 名探偵の見せ場だ。探偵のターンだ。

 あいつが犯人を間違えることはないだろう。今回は手駒が足りない段階での推理披露になるが、多少危ういところがあってもあいつは切り抜けるはずだ。

 そこは、信頼している。信用している。

 なんたってあいつは、名探偵の渋谷慎吾なのだから。

 心配してるのは、あいつが傷つかないかだ。肉体的にも、精神的にも。

 あいつのことを歩く死神だと思っているし、結構気にいらない部分もあるが、心配もしているのだ。

 事件に何度も関わって、何度も巻き込まれるなんて真っ当な人間がすることじゃないから。しかも、だいたいがタダ働きだしな。

「お前になんかあったら、硯さんが泣くだろ」

 素直に心配したのが気恥ずかしくて、誰が聞いてるわけでもないのに言い訳した。


 結局、犯人は奥様。共犯者がお嬢様。

 なお、三番目の被害者になるのは、おぼっちゃまの予定だったそうだ。

 実はあの夫婦は再婚で、お嬢様は奥様の連れ子だったらしい。

 犯行の動機は、あの地下牢。あの屋敷では昔、精神に問題があるものを隔離していたそうだ。座敷牢ってやつだな。

 そんな中、奥様の父にあたる人間が、精神に異常もないのに大旦那様に逆恨みされて地下牢にぶち込まれ、そのまま亡くなったから。逆恨みの理由が、奥様の母親に横恋慕したからっていうのがもう、どうしようもないね。

 奥様はそもそも復讐するつもりで家に入り込んだらしい。大旦那様を殺す仕掛けを作ったところ婚約者に見られて殺害。手毬唄に合わせたのは後付けらしい。

 おぼっちゃまが殺される予定だったのは、お嬢様に手を出していたから。胸糞悪いねぇ。

 そんなことを俺は全部終わってから、新聞報道で知った。

 あの事件が起きたのはそもそも俺の管轄ではないし、当事者だし、捜査は別の人間が行っている。推理の場に居合わせなかった俺に、真実を知る機会など訪れなかったわけだ。

 しかし、しょっぱいねぇ。その二人が共犯者なら、硯さんのことは簡単に解決する。ミステリにもなりゃしない。

 だから、名探偵の恋人になんか手を出しちゃいけないんだ。名探偵を私情で怒らせてしまったから。話の筋は塗り替えられ、綺麗な謎解きにはならない。解決が強引になり、犯人の扱いは適当になる。

 硯さんに手を出した段階で、今回の事件は連続殺人事件ではなく、名探偵と恋人の物語になってしまったのだ。と、言っても過言ではないだろう。ゲストキャラである犯人には、この理屈はわからないだろうけど。

 というか、これは理屈ではない。そういう現象なんだ。名探偵と絡んでしまった以上、発生してしまう現象。自然災害の前では、刑事だって無力だ。

 その名探偵様は、あの時の謎解きで、だいぶ無茶をしたらしい。カマをかける発言をして、おぼっちゃまを怒らせ、殴られていた。顔に盛大にあざを作って戻ってきて、俺の肝を冷やしたが、本人は、

「ま、これぐらいで済んでよかったよね」

 とへらへら笑っていた。あいつらしいといえば、あいつらしいその態度に、ちょっと安心したのは内緒だ。

 本当に、硯さんがいなくなってからのあいつは、あいつらしくなくて見ていて居心地が悪かった。

 その硯さんは、熱が上がって三日間入院したが、今は元気だ。怪我の方は、幸い頭も足も大きなものではなかったようだ。

 俺はいつもどおり、捜査一課の刑事として仕事を続けている。現場であいつに出遭わないように祈りながら。どんなしょうもない事件でも、名探偵が絡めば大事になってしまうのだから。

 長い付き合いの友人だとは思っているし、硯さんにとっては素敵な恋人かもしれない。だけど、あいつは疫病神の名探偵だ。

 そう思っている。

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