第四章 弁護士の場合

 もしも、人生の分岐点で選択肢を間違えたのだとしたら、あの最終電車でのことだったと思う。


 どっから調達してきたのかわからないシルクハットを胸にあてて、私の恋人は高らかに宣言した。

「レディーーースアーーーンドジェントルメン! さぁ、解決篇という名のショータイムの始まりだ」

 うんざりしながら私はため息をついた。

 どうしてこの人はいつもいつも、

「事件を呼び寄せ、解決するのか」

 隣に座っていた笹倉くんが小さい声で言った。

「ほんと、それ」

 私は答えると肩を竦めた。

 この世には名探偵という人種がいる。それは、職業ではない。人種だ。

 彼らは事件を呼び寄せ、それを解決し、それで食べている。なんというか、事件そのものを喰らっているのだと思う。妖怪か。

 そしてとても残念なことに、私の恋人がソレなのだ。

 残念過ぎて、吐き気がする。

「あいつ、なんだかんだでノリノリですね」

「あの人、ミステリと名がつけばボケミスでもラノベでも構わないタイプの人だから。こういう演出も好きなのよね……」

「今回はハードボイルドに行くとか言ってたような」

 いつものように出かけた先で出会い、いつものように事件に巻き込まれた私と笹倉くんの前で、確かに慎吾はそう宣言していた。

 それは宣言するようなものじゃないとも思うが、まあ今更そんなところをとやかく言っても仕方ないだろう。

「トリックが手品っていう段階できっと捨てたでしょうね、それ。手品とミステリとかいいよね! 探偵のライバルにいそう! とか言ってたし」

 なかなかにいい笑顔で言っていた彼を思い出す。

 名探偵は、他の人がいない楽屋では、結構とんでもない発言をぶちかますものだ。

「ああいうのが名探偵とか、やってられないですよ。あいつ、名探偵も歩けば事件に当たる、を地で行くし……。名探偵がいるから事件が起こるんですよ。マジで」

 ぶつぶつと笹倉くんが呟く。いつもいつも巻き込んでしまって申し訳ないなぁ……。

 隅っこの席でそんな話をしている私たちを尻目に、慎吾はシルクハットからトランプを取り出し、

「と、いうことで一枚ずつ引いて頂きましょう。引いてもまだ見ないで。犯人は、トランプが教えてくれます」

 あの人の言葉に、

「くれねぇよ」

 笹倉君が小さく毒づいた。

「トランプが教えてくれたんです! で起訴まで持ち込めたら素敵」

「素敵ですよね。事件を解決して終わる探偵は楽でいいよな」

「……きみたちも黙って引いてくれるかな?」

 背後に立ったあの人が不満そうにいうので、二人で素直に一枚ずつ引く。

 合図を待たず、二人でめくる。ハートの八。

 これはどうなんだろうか、ジョーカー以外もあの人が仕組んで引かせているのだろうか。

「いや、めくるなって言ったし」

 不満そうに言う慎吾を無視する。

 そんな私たちを無視して、慎吾も推理を続ける。

 犯人、ジョーカーは誰なのだろうか。今の私たちはそこには興味はない。

 あの人が犯人を間違えないことはわかっている。名探偵だから。

「たまに、付きあっていることを後悔する」

 まあ、事件に巻き込まれなくても遅刻もするしいつまでたっても煙草やめないし、で喧嘩するし、別れてやろうと思うけれども。

「でもまあ、名探偵の元カノとか嫌な役割にはなりたくないけど」

「それ、結構危険な立ち位置ですよね」

 しみじみと笹倉くんが言う。

 さすが、慎吾と付き合いが長いだけのことはある。小鳥遊さんは説明をしてようやくなんとなく理解してくれたことを、なんとなく単語だけで理解してくれた。

 私はまだ、殺されたくないし、殺人犯にもなりたくない。

 そして、本当は困った事に、普通に好きになってしまっているのだ。

 この名探偵という生き物を。

 事件に巻き込まれる事が苦ではない程度に。

 正直、私たちはしょっちゅう喧嘩しているけれども、それは大体遅刻とか、禁煙しないとか、私が仕事を詰め込みすぎて約束破りまくるとか、そういったことが理由。事件について喧嘩したことはない。まあ、慎吾が無茶して帰ってきた時は怒るけど。

 手元のカードを見る。思い出すのは、エラリー・クィーンのハートの四。ハートの八は……、

「結婚の話、ね」

 小さく呟く。これは狙ってやったのかどうなのか。

 そうこうしている間に、

「そうつまり、犯人はあなたなんですよ」

 言いながら慎吾が、最後に一枚残ったカードをめくる。ジョーカー。

 その席に座った青年は、真っ青な顔をしていた。

「違う、俺じゃない!」

「なるほど、ならば決定的な証拠をお見せしましょうか?」

 今日の慎吾は調子がいい。無理なく推理を続けている。

 寝込んでいたから私は知らないが、この前は散々な結果だったようだ。私が襲われた所為で、彼はペースを乱し、証拠もロクにない状態で犯人を暴こうとした。結果として顔にあざを作って……。

 彼が私のために、慌てて事件を解決してくれたのはわかっているが、気づいたら病院で目が覚めて、顔を覗き込んできた恋人の顔に大きなあざがあった時の私の気持ちもちょっとは考えて欲しい。

 それじゃなくたって、しょっちゅう怪我ばっかりしているくせに。たまに私が怪我をしたら大騒ぎするくせに、自分の怪我には無頓着過ぎる。

 そういうところは、好きじゃ無い。

 証拠を突きつけられ、うなだれる犯人。説教をかましながら、慎吾は手から薔薇をだす。

「うさんくせー。つーか、手品もできるのかよ」

 笹倉くんが呟く。

「手品ぐらい今更。海の上、船の中での密室殺人、殺された船長っていう状況下で、俺、一応運転出来るよ? とか言いだした時は本当に何者かと思った」

「そのくせ普通自動車免許持ってないですしね」

「ねー、私だって持ってるのに」

「俺だって」

 とかなんとか、すっかり傍観者に徹している私たちを置き去りにして、推理ショーは終わる。

「笹倉」

「はいはい」

 名前を呼ばれた笹倉くんが立ち上がり、犯人のところに行く。

 ここからはもう探偵の出番はない。あとは、刑事である笹倉くんの仕事だ。

「それじゃあ、署までご同行願えますか?」

「はい……」

 入れ替わるように慎吾が近づいてくる。事件を解決した後の達成感に満ちあふれた、それでいてちょっとだけ、ほんの少しだけ悲しそうな顔をしてる。

「おつかれさま」

 手を伸ばして、そのクセっ毛を撫でる。

「ん」

 私の探偵さんはいつものようにされるがままになっていた。


 軽い事情聴取を終え、あとは後日ということで帰宅を許される。

 この辺は、ある意味顔パスな部分があるだろう。

 事件を解決した日、マンションの下まで送ってくれた彼は、大体こう言う。

「……今日、泊まっていってもいい?」

 私は決まってこう返す。

「くーちゃんは平気なの?」

 彼の愛鳥の心配。

 餌や水の心配がないと彼が判断したのならば、そのまま部屋に招き入れる。

 もしも、帰って面倒を見なければいけないようなら、

「じゃあ、泊まりに行っていい?」

 私の方からそう提案する。

 別にマンションまで来る前にその話をしてもいいのだけれども、私たちは頑にこのやり方を守っている。

 儀式、だ。


 事件を解決した日、同じベッドで眠っても、彼が私を抱くことは決してない。

 ただ、こどものように私の手を握って眠りにつく。崖から転がり落ちるような早さで彼は眠りにつく。すとん、と夢の世界に落ちる。

 私は、そんな慎吾の寝顔を見たまま、睡魔が訪れるのを待つ。

 渋谷慎吾は名探偵だ。

 名探偵は、職業じゃない。

 そういう生き物だ。

 事件を呼び寄せ、事件を喰らい、生きている。

 彼は、そういう生き物だ。

 謎解きという舞台の上で、全ての謎を収束させ、犯人を当てる。そのときの彼は実に生き生きとしている。

 へらへら笑ったその態度を見て怒るひともいるし、彼を死神だと揶揄するひともいる。

 だけど、私は知っている。

 謎を解き終わったあと、彼が誇らしげな顔のなかに、どこか少し悲しみの色を浮かべていることを。

 自分の歩いて来た道に、積み重なっている死体にうんざりしていることを。

 事件を解決した日、どうしようもなく寂しくなっていることを。

 事件が私と一緒じゃなかったときでも、大体事件を解決した日は私の家に転がりこんでくる。なんでもないような顔をしているけれども、それはきっと寂しくてやり切れなくなっているからだ。

 私の探偵さんは、他のひとが思うよりもずっと、ずっと寂しがり屋だ。

 自分の生活の全てに、死体が絡み付いていることを、彼は本当は嫌がっている。次は誰が死体になるのか、犯人になるのかと、実は怯えているのだ。

 そう、大体私たちの関係だって死体が繋いでいるのだ。

 出会いのきっかけも、今一緒に居ることも、全部背後に死体がある。

 死屍累々と積み重なる死体の上で、孤独に謎を解き明かすのが彼の役目だ。

 壇上で謎を明かす彼に、私ができることは何もない。私は名探偵ではないから。

 私に出来るのは、この孤独な探偵さんが、舞台から降りた、ほんの束の間の休息にあわせて手を差し伸べるだけ。

「う……」

 慎吾が短くうなされるから、私はそっと頭を撫でた。

「ねぇ」

 こういう時の彼が決して起きないのを知っていて、そっと問いかける。

「なんで私にハートの八を渡したの?」

 結婚する気なんて、無い癖に。

 ついこの前も、

「ねぇ、茗ちゃん。時効が停止しない間柄にならない?」

 なんていう、無駄に遠回しなことを言ってきた。そんなつもり、無い癖に。

 ちなみに民法一五九条「夫婦の一方が他の一方に対して有する権利については、婚姻の解消の時から六箇月を経過するまでの間は、時効は、完成しない」のことだ。

 何を言っているかすぐにわかった自分も嫌だし、そういう無駄な頭の使い方をするところも嫌い。

「私がいいよ、って言ったらどうするつもりなの?」

 焦って「冗談だよ」ってなかったことにする癖に。

 慎吾がずっと探偵になりたかったのは知っている。物語の中に出てくる名探偵に憧れていたことも知っている。

 家族への反発心もあって、受かった医学部を蹴って、一浪して法学部に入り直したのも、それが探偵になることに役立ちそうだと思ったからだろう。

 大学は別だったから詳しく知らないけど、在学中から探偵というか、何でも屋のようなことをしていたようだし。

 だけど、彼は「名探偵」であることを憎んでいる。

 結婚しようと戯れに口にしても、彼は絶対に私と結婚しない。彼が、名探偵である限り。

 ずっとダラダラと関係が続いてきた恋人と、正式に結婚するなんていう展開、シリーズ物なら最終回に匹敵するぐらい重要な回だ。その中で、恋人は大怪我をするか、殺されるか、犯人になるか……いずれにしても、無事に済むわけがない。

 私をそんな目に遭わせたくないから、と彼は結婚を承諾することはないだろう。戯れ以外の、本気のプロポーズもきっとしないだろう。

「ごめんね」

 それって本当は、私のせいなのに。


「おはようございます」

 翌日、いつものように事務所に行くと、

「あ、硯先生」

 困ったような顔をして秘書の亜由美ちゃんが駆け寄ってきた。

「どうしたの?」

「あいつ、来てます」

 小声で囁かれる。

 ちらりと彼女が見ると、応接スペースに人がいた。

「やぁ、どうも、正義の弁護士先生」

 ここ最近、うんざりするぐらい見た顔に、げんなりする。

「またあなたですか」

 フリーライターだとかいう、気味悪い男。名前は、一番合戦弘明。大層な名前だ。

「何度いらっしゃっても答えはノーです。お引き取りください」

 鞄を亜由美ちゃんに託し、男と対峙する。

 この男は、何度も何度も私の依頼人の家族を取材したいとやってきている。とある殺人事件の被告人の家族を。

 つくづく家族を自宅から離れたところに避難させておいてよかったと思う。そうじゃなかったら、この男は直接家族の元に行っていたことだろう。

「あまりしつこいと、業務妨害で警察を呼びますよ?」

「おーおー、おっかないですなぁ」

 下卑た笑い。

「でも弁護士先生、殺人犯の家族なんかをどうして庇うんですか? 家族だって全員同罪だ。自分の家族が人を殺したのだから、みんなまとめて死刑になるべきだ。そう考えるのが普通だと思いませんか?」

「思いませんが?」

 一体、何時代の人間なのか。

「家族といえど、独立した別々の人格を持つ人間です。過度に責任を問われる必要はありません。仮にあったとしても、それを決めるのは私でも、あなたでもありません。法です」

「その法が間違っているんですよ、国民感情にあってない」

「そんな立派な主張があるのでしたら、政治家にでもなったらいかが?」

 それに、

「私の被告人は無罪を主張しています」

 正当防衛を主張しているのだ。そして、私の感覚では、その主張が認められる可能性は高いだろう。

「でもそれは無実ではない。あいつが殺したことにかわりはないじゃないですか」

「身を守るための行為でも殺人というのならば、あなたは黙って殺されるんですか?」

「私は他人に恨まれて、襲われたりしませんよ」

 一番合戦が笑う。嘘をつけ嘘を。誰よりも恨みを買っていそうな風態の癖に。

 イライラする気持ちを必死にどうにか押し隠しながら、

「とにかく! お引き取りください。そろそろ別の依頼人がいらっしゃる時間ですから」

「先生が」

 ええい、これだけ言っているのにまだ喋る気か!

 思わず睨みつけると、

「おお怖い。もう退散しますよ」

 おどけたように言う。いちいち癪に触る男だ。

「ですがね、先生」

 一番合戦は立ち上がると、

「先生が犯罪者を庇うのは、自分も犯罪者の娘だからじゃないですかね」

 にやり、と笑う。

「そうでしょう? わざわざ弁護士になんかなって」

 ああ、そうか。こいつは私のことも調べたのか。

「世間じゃ冤罪だってことになってますがね、どうせ本当は先生のご両親がヤったんでしょう? じゃないと自殺なんてするわけがない」

 私の心をそんなことでえぐったつもり? 

 一瞬揺らぎそうになる心を、自分で必死に繋ぎ止める。

 そんなこともう何百回も何千回も言われてる。私自身、疑ったことがないわけじゃない。

 それでも、もうそんな言葉には揺らがない。

「死にますよ、人は。たとえ無実であっても、心が折れたら」

 むしろ無実であるからこそ。

 昔は両親を恨んでいた。私を置いて逝ったことを。一人にしたことを。

 今は、悲しいと思っている。申し訳ないと思っている。私の存在は、両親をこの世に繋ぎ止める役割にならなかったから。心の支えにならなかったということだから。

 慎吾はそんなことないよって言ってくれるけど、やっぱり私は、私のせいだと思っている。

 そして、

「これは弁護士としてではなく、私個人としての発言ですが」

 念のため前置きをしてから、

「私の両親を殺したあなたたちマスコミが、私は大嫌いです」

 斬り捨てた。

 せめて、逮捕状が出るまで報道を控えてくれていればよかったのに、と思う。逮捕されてしまえば、あんな風に自殺することもできなかっただろうから。

 もちろん、一度逮捕されてしまえば、たとえ無実になっても世間の目は冷たかっただろう。それでも私は、二人に生きていて欲しかった。生きてさえいれば、もっと、違う道があったはずなのに。

 後ろから亜由美ちゃんの困ったような視線を感じる。

 一番合戦は何を考えているのかよくわからない顔をしてたが、やがて口を開きかけ、

「そろそろ事務所開きたいんですけど?」

 別の声がそれを遮った。

「上泉先生」

 上泉法律事務所のボス弁、私の上司のご出勤だ。

「出て行っていただけるかしら?」

 丁寧だけれども、有無を言わせぬ口調。

 ようやく一番合戦が事務所から姿を消した。

「あー、むかつく! 塩撒い時ますね!」

 亜由美ちゃんがプリプリしながら、入り口に向かう。

「あのねぇ」

 はぁ、と盛大にため息をつきながら、上泉先生がこちらを見てくるので、私はとっさに首をすくめた。

「なんであんな低俗なやつの挑発に乗っちゃうの? あなたはもう弁護士なのよ? あなたの発言が依頼人に迷惑を及ぼす可能性も考えなさい!」

「……はい。以後気をつけます」

 それは自覚があったので素直に謝罪する。いくら私個人の発言ですと断っていても、嫌いと言ってしまったことは消せない。

「でも、まあ」

 上泉先生はちょっとだけ表情を緩めると、

「よく泣かなかったわね」

 子供にするように私の頭を撫でた。

「……あの先生、私もう二十七なんですけど」

 無力で一人で泣いているしか出来なかった、小学生の女の子じゃないんだから。

「そうね」

 上泉先生は小さく微笑む。

「もう一人じゃないしね」

「はい」

 私の両親のあの事件、あれの担当検事が上泉先生だった。

 当時検事だった上泉先生は、もともと検察に不満があった。そしてあの事件で、決定的になって辞めたと言っていた。

「一人の無辜を罰するどころか、死なせてしまって、何が司法だ、法治国家だ、と思ったのよね」

 後年、そう言われた。私の両親は起訴どころか、逮捕すらされていなかったけれども、上泉先生には検察の失態と同義だったらしい。それ以来、上泉先生は刑事事件をメインに扱う弁護士になっている。

 両親を亡くした私の心配もしてくれた。弁護士になりたいという相談にも、親身になって乗ってくれた。試験に受かった時、雇ってくれるかと尋ねたら、

「こんな零細やめときなさいよ」

 と渋ったものの、最終的には雇ってくれた。

 零細だのなんだの関係ない。被告人の家族を守るための弁護士という、私の目的を達成できるのはこの事務所しかない。下手に大手なんて就職してしまったら、そんなこと絶対にできないし。

 一番合戦が言っていたこともわからなくはない。実際、弁護するのもためらうようなどうしようもない人間もいる。金持豪士のような。

 それでも弁護人をつけられるのは被告人の権利だ。それに、弁護人がいるからこそ、被告人の反省を促せる面もあると私は思っている。たとえ自分が悪いとわかっていても、周りから寄ってたかって詰られれば、ヘソを曲げてしまうこともあるだろう。誰か一人でも自分の味方になってくれる人がいれば心に余裕が生まれ、心からの反省が出来る。そんな風に私は考えている。

 そして何にしても、私が本当に守りたいのは被告人とその家族の関係だ。振り回されてしまった家族には、被告人と絶縁する権利もあるとは思う。そうだとしても、その場ですぐ決めるのではなく、落ち着いてしっかり考えてから決めて欲しい。そのためにもまずはマスコミから守りたい。家族が逮捕、起訴されただでさえ疲弊しているのに、あのフラッシュの嵐に巻き込まれるのは酷だ。

 実際、私は未だに写真が苦手だ。フラッシュを焚かれると、当時のことを思い出してしまう。ひどい時には動けなくなってしまう程度には。

 どんなに救いようのない人間でも、被告人の家族にとってはかけがえのない存在だ。絶縁するにしても、その縁は守りたい。決定権を家族に残したい。

 私はそう考えている。

 しかしまあ、この考えが一番合戦に伝わるわけないだろう。弁護士同士でも理解してもらえないことの方がほとんどなのに。

 ため息をつく。

 また次にあいつが来たらどうしよう。そろそろいい加減に業務妨害で警察呼ぼうかな、そんなことを思った。

 そして、その心配の必要はなかった。

 警察は向こうからやってきた。

 仕事を終えて帰ろうとする事務所にやってきたのだ。私の知らない顔だ。

「硯茗さんですね。少しお話をお聴きしたいので、署までご同行願えますか?」

「何の話か教えてくださってもいいのでは?」

 しかし、法律事務所にまでわざわざ乗り込んでくるとは。結構神経図太いわね。

「一番合戦弘明氏が亡くなりました」

「え?」

「誰かに殺されたようで。彼が最後に来たのは、この事務所のようなので。失礼ですが、一番合戦ともめていましたよね?」

「あー、なるほど。わかりました」

 心配そうにこちらを見てくる亜由美ちゃんに大丈夫だ、と片手を振って見せる。上泉先生がいなくてよかった。いたらこの警官に食ってかかっていたことだろう。

 そういう展開になってしまった以上、諦めるしかない。しかしこれは、ただの事件か、それとも、名探偵の効力か。名探偵の恋人の過去をほじくり返してきていたことを思うと、後者の可能性が高い。

「あの、一つお願いあがるんですけど。任意ですよね? 名探偵、呼んでもいいですか?」

 普通ならば弁護士を呼ぶところだが、幸か不幸か私自身が弁護士だ。法律関係は問題がない。

「はぁ?」

 どうやら、慎吾の話が回っていない所轄の刑事さんのようだ。私の発言に、心底怪訝そうな顔をした。


「なるほどー」

 結局刑事さんが渋るので、本庁の笹倉くんを通して慎吾を呼び出す。

 コネを利用している自覚はあるが、とはいえ一番合戦のことでまともに警察の取り調べを受けるほど暇じゃない。

 そしてやってきた慎吾が、刑事の話を聞いて呟いた。

「そりゃあ、茗ちゃんが怪しいじゃん」

 そして私を見て言う。

「自覚はある」

 過去を暴かれそうになった弁護士とか、いかにも記者を殺しそうだ。

「っていうかまあ、ここはまだ名探偵がでるほど事件が進展していない気もするけど」

 言いながら刑事さんの手から、捜査資料を取り上げる。

「あ、おい!」

「本庁から聞いたでしょ?」

 声をあげる刑事さんだったが、慎吾の一言で不機嫌そうに黙る。

「なんて言われた? うさんくさい男が行くけど黙って協力してやれ、的な?」

 ぺらぺらとそれをめくりながら慎吾が言う。

 まったく変な光景だ。取調室で刑事より偉そうな男がいるなんて。

「命令だと言われた」

 不本意そうに刑事さんが答える。

「そっか。まあ、今や本庁のお偉いさんも信じてるからね、名探偵の存在。それもミステリとしてはおかしい話だけど、実に合理的な判断だと俺は思うよ。そっちの方が事件が早く片付くし」

 刑事さんの口が小声で、ばかばかしいと呟いた。

 それが正しい判断だと思う。笹倉くんたちは、慎吾の存在に慣れすぎているのだと思う。そっちの方が早い、というのは同意するけど。

「よっし」

 ぱたん、と資料を閉じる。

「何度もこんな風に警察資料だけを見て安楽椅子探偵を気取るのもどうかと思うんだけど、あんまり時間がないからね。さくっと行くよ」

 そして疑いを顔から隠そうともしない刑事さん相手に、

「解決編を始めよう」

 謎解きを始めた。


「ごめんね、慎吾」

 慎吾の存在はかけらも納得していないようだが、一応筋が通った謎解きにそちらの捜査を検討してみるとしぶしぶ刑事さんは答えた。

 いずれにしてもこちらも任意なので、さっさと警察署を後にする。

 連れ立って歩きながら、私は慎吾にそう謝罪した。

「ん?」

「こんなことで呼び出したりして」

「こんなことじゃないでしょ。俺にぴったりの案件じゃん?」

 おどけて言う。

 それは事実だと思うし、実際彼に頼んだ方がスムーズだと思ったから、私も彼を呼び出した。だけど、彼の名探偵の効力を使わせることに申し訳ない気持ちも強い。矛盾しているようだけれど。

 それに、あの刑事さんは最後に言っていた。

「名探偵だのなんだの、本気で言ってるなんて……。あんたらも本庁の人間も、どうかしている!」

 笹倉くんたちが慣れすぎているから、たまに忘れそうになる。名探偵という生き物がいることを受け入れ、認め、それに対応していることがおかしいのだということを。

 何度か事件に巻き込まれている小鳥遊さんですら、未だに名探偵を信じていないのだから、今日会ったばかりの所轄の刑事さんが信じられなくても仕方がないんだけれども。

 いずれにしても、あの人ことは慎吾に刺さった。それは間違いない。何でもないような顔をしているし、それについて私が言及したところで、

「まあ、だとしても俺は名探偵だしねー」

 とかなんとかのんびりと言って笑うに決まっているけど。

 いくら私であっても、過度に彼にかかった呪いに触れてはいけないのだ。

 でも、本当に? たまに不安になる。名探偵という生き物になったのは、慎吾にかかった呪いのせい? じゃあ、いつ、どこで。もしかして、それって……。

「茗ちゃん」

 考えごとをしていたら、いつもよりちょっとだけ真面目なトーンで名前を呼ばれて、顔を上げる。

「今回の件、今日でよかった。明日だったらもっとややっこしいことになっていた」

「え?」

「少しの間、キューを預かってくれない?」

 それはこれまでも何度かあった申し出。そして、それは、

「長引きそうなお仕事?」

「うん、ごめん」

「わかった」

 彼にとって長引きそうな仕事なんて、ロクな仕事じゃない。どこかの山奥の村から依頼か、孤島での連続殺人予告でもされたのか。

 でも、私に直接くーちゃんの世話を頼める程度には余裕があるのか。そんなことを思う。

 メールで事後的に頼まれることもある。突発的に巻きこまれた場合なんかに。丸一日連絡がなかったら、念のため彼の家に行ってくーちゃんの様子を見に行くことにしている。杞憂で終われば、それに越したことはないし。

「もう行くの?」

「うん。エサとかはいつものとこにあるから」

「大丈夫、くーちゃんのことは心配しないで。それから、ありがとう、忙しいのに助けてくれて」

「どういたしまして」

 彼は笑うと、それじゃあまた連絡する、と何でもないことのように片手を振って、それでも急ぎ足で駅の方に消えていった。s

 

 慎吾の家は事務所と兼用だ。合鍵で中に入ると、

「くーちゃん」

「ゴンベイ!」

 彼の愛鳥に声をかける。

「ごめんね。慎吾はしばらくお仕事だって。うちにおいで」

「オセワニナリマス!」

 絶妙なタイミングの言葉にちょっと笑う。

「頭いいね、くーちゃんは」

「ゴンベイ!」

 いつものようにエサなどをまとめながら、先ほどの考えを再開する。

 慎吾は名探偵だ。それは疑いようがない事実だ。

 じゃあ、彼はいつから名探偵になった? どうして名探偵になった? あれは呪いのようなものだと私は思っているけど、それじゃあ誰が、いつ、呪いをかけた?

 そこまで考えると、私はいつも戦慄する。

 一つの可能性が浮かび上がってきて。

 きっかけは、二十年前の、あの時なんじゃないかって。

 私の両親の事件があって、親戚の家に預けられたあの頃。いろいろなことが耐えられなくなって、家を出て公園で泣いていた私を慰めて、助けてくれた二つ年上のシン兄ちゃん。

 あの時、私が彼に助けを求めてしまったせいで、そのあとの彼の人生を決定づけてしまったんじゃないか。そうも考えられる。

 一度だけ慎吾本人にもその話をしたことがある。私のせいじゃないかって。

「何言ってんの。別にあの時、茗ちゃんに会う前から俺は探偵になりたかったよ? ……まあ、正確にはあの時期憧れてたのはルパンだったけど」

「それは本を読んででしょう?」

「そうだよ」

 私が食い下がると、彼はちょっとだけ真剣な顔になり、

「まあ、確かに、探偵物が好きだった小学生男子が、事件に巻き込まれた可愛い女の子を助けるっていうシチュエーションに酔っていたところはあると思う。あの経験が、俺の進路に全くの影響を与えていないなんてことはないさ、そりゃ。だけど、それと名探偵とはまったく別の話だ」

「どうして言い切れるの? 原因もわからないのに……」

「そりゃあ、原因は確かにわからないけど……」

 慎吾はちょっと考えをまとめるかのように口ごもり、

「でもさ、やっぱり茗ちゃんのせいだとは思わない。当事者の俺がそう思わない。それでよくない?」

 少しの間のあとにそう言って笑った。

 彼は優しい。二十年前のあの時からずっと。

 私はずっと、彼に助けられている。

「もしもそれでも茗ちゃんのせいだって気に病むなら」

 黙った私の頭をそっと抱き寄せると、

「責任とってずっと一緒にいてよ」

 耳元で甘い声で囁いた。

 それ以来、彼に対してはその話をしないことにしている。

 でもやっぱり考えてしまう。二十年前のあの時、私に会わなければ今の彼はもっと平和に暮らしていたんじゃないかって。普通に、普通の人生を送っていたんじゃないかって。

 そんなの、嫌だけど。会わないままだなんて、嫌だけど。

 仮定の話に意味はない。過去は変えられない。それもちゃんとわかっている。たまに考えてしまうけど、そんなことしても時間の無駄だって。

 私にできるのは、彼に対して最大限のサポートをすることだけ。

 そして、ずっとに一緒にいることだけ。約束したから。

 まあ、仮にそんな約束なくっても、彼と別れるつもりなんてないけど。

 名探偵の元カノがどうとか、そんなことは関係ない。二十年前の事件も関係ない。今のこの時の、渋谷慎吾が好きだから。確かに何度言っても遅刻癖は治らないし、禁煙しないし、怪我して帰ってくるけど、それでも彼が好きだから。理屈ではなく。


 慎吾がくーちゃんを預けて消えてから、二週間が経った。

 一番合戦を殺害した犯人は慎吾の推理どおりだったらしい。あの刑事さんが不本意そうな顔をして教えてくれた。私は別にそこを疑いは持っていなかったけど。

「やっぱり、一番合戦を殺した人間も庇うんですか? 感謝しているでしょう? うるさいやつがいなくなって」

 嫌味を言うのが本題だったのか、そんなことを言われたけど。

「依頼があれば弁護しますよ、当たり前じゃないですか。でも、あなたみたいに下世話なことを言う人間がいるのならば、私以外の優秀な人を紹介した方がいいかもしれませんね。私の印象で、被告人にマイナスな影響を与えたら申し訳ありませんから」

 微笑んで言葉を返すと、苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「あなたとも、あの名探偵とかいうふざけた男とも、今後会わないことを祈りますよ」

 刑事さんはそう言って去っていった。

 申し訳ないけれども、私たちに対するあの敵意と、露骨にフラグを立てて行った捨セリフで、彼とはまた会うんだろうな、と思った。

 別に、私だって会いたくないけど。


 その日、帰宅したのは、日付変更間近だった。明日、土曜日を休みにしたいがために、強引に仕事を詰め込んだからだけど。

 そう思って小さくため息。

 第三土曜日は、なるべく空けるようにする。慎吾との約束だ。とはいえ、その本人が今不在なんだけど。便りがないのは無事な知らせ、そう思いたいけど。

 もう一度ため息をつきながら、玄関のドアをあける。

 一人暮らしの部屋。

 ただ、そこには明らかに私のものではない、それでも見慣れたくたびれたスニーカーが脱ぎ散らかされていた。

 苦笑ともため息ともつかないものが口から漏れる。

 自分の靴と一緒にそれをきちんと揃えると、部屋に入る。

 部屋には人の気配はなく、ただダイニングの灯だけは小さくついてた。

 テーブルの上には小さめに作られたおにぎりが置いてある。

「オカエリナサイ」

「ただいま」

 くーちゃんが出迎えてくれる。

「貴方のご主人様はどこ? くーちゃん」

 ふざけて問いかけながら、おにぎりを一つ頬張る。

「ゴンベイ! ゴンベイ!」

 おにぎりを食べながら、寝室の方に向かう。相変わらず、絶妙の塩加減と力加減で作られたおにぎりですこと。最後の一口を飲み込む。

 寝室のベッドの上には、泥のように眠る彼の姿があった。どこで何をやっていたのか。額と、腕に傷がある。

 ベッドの端に腰掛けて、その髪を撫でる。かろうじてシャワーは浴びたようだけど、濡れたままで、きっと明日の朝はすごい髪型になっているのだろう。

「……茗ちゃん?」

 うっすらと目をあけて、一瞬驚くぐらいかすれた声で呟かれた。

「ん。おにぎり、ありがとう」

「ん……」

 目は眠そうなまま。左手で手を握られる。

「……大丈夫?」

 色々聞きたいけど、それだけ告げる。

「うん」

 彼は微笑んでそれだけ言い、また目を閉じた。すとん、と左手が布団の上に落ちる。

 掛け布団を直し、その場を後にする。

 また傷を作って帰ってきて。

「駄目なご主人様ね」

 くーちゃんに笑いかける。夜だから布をかぶせて寝かせてあげる。

「おやすみ」

「オヤスミ」

 残ったおにぎりにラップをかけた。しまおうと冷蔵庫を開けて、息をのんだ。

 冷蔵庫にはきんぴらごぼうと、鮭の塩焼きと、冷や奴が用意されていた。

 ああ、もう……。

 おにぎりをしまうと、やや乱暴に扉をしめる。

 どこの世界に、二週間も連絡せず、帰ってきたと思ったら怪我をしていて、それも自分の家ではなく恋人の家に来て、大怪我をしているくせに料理をする馬鹿がいるんだ。ここにいるけど。

 きっとおにぎりは、私の帰りが遅くなった時点で夜食用に切り替えたんだろう。どういう細やかな気配りだ。

 本当にどうしようもない人だけど、気遣いだけは出来るんだから。そういうところが、本当憎らしいぐらい愛おしい。

 思わず舌打ち。

 連絡してくれれば、はやく帰ってきたのに。

「仕様の無い人……」

 言いながらも少しだけ口元が緩むのが自分でわかった。

 コンタクトを外して、化粧を落として、シャワーを浴びて。軽く髪を乾かして。日付はとうに変わっている。

 明日は休みだからゆっくり起きればいい。朝ご飯には、用意してもらった料理を二人でわけあって食べればいい。お昼にはなにか美味しいものを食べよう。

 どんな事件で、一体何があったのかはわからないけど、一人で抱えないで頼ってきてくれたのは嬉しい。

 目覚まし時計をいつもより遅い時間にセットする。

 セミダブルのベッドいっぱいをつかって彼が寝ているから、一瞬ためらったものの、ちょっとつっつくとすぐに避けてくれた。

 隙間にそっと滑り込む。

 よく見たら、背中にも湿布が貼ってある。

 心配させるな、ということだけは明日怒ってやろう。それぐらいの権利、私にだってあるはずだ。

 彼の手が、私の右手を掴んだ。

「……おやすみ……」

 起きているんだか寝ているんだかわからないけど、そういわれて苦笑する。

「うん、おやすみ」

 手をそっと握り返して、目を閉じた。。


 うつらうつらと夢を見る。

 あの、最終電車での光景。

 大学生になり、付き合いで行った合コンで慎吾と再会した。あの日の、帰り道、最終電車。

 座った私と、その前に立つ慎吾。

「あ、次で降りますね」

 そう言った私に、慎吾はそっかと笑った。

 慎吾は笑ったけど、彼がとった行動は、またねと手を振ることじゃなかった。

 電車が駅のホームに滑り込み、私が立ち上がろうとしたタイミングで、

「茗ちゃん」

 私の名前を呼び、ゆっくりと身を屈めた。

 近づいてくる顔に、あの時に私は、何を考えたのか素直に目を閉じた。それなりに人が乗った電車で何をしていたのか。今思い返すと呆れてしまう。

 ちょうどドアが閉まり、電車が動きだしたころ、慎吾は唇を離した。そして、

「終電、なくなっちゃったね」

 そう言って、いたずらっぽく笑う。

 もしも、人生の分岐点で選択肢を間違えたのだとしたら、あの最終電車でのことだったと思う。

 あのとき、いきなりキスしてきた慎吾を殴って強引に電車を降りるとか、そうじゃなくても次の駅で降りてタクシーで自宅に帰るのでもよかった。

 なんであれ、あの時慎吾の家までついていかなければ、今こんなことにならなかっただろう。

 私は名探偵なんていう人種にかかわることなく生きていけただろうし、もしかしたら慎吾も名探偵になんかならなかったかもしれない。

 でも、もしも、今またあの電車の中に放り込まれても、私は最寄り駅では降りないだろう。

 そんな気がしている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る