新たな想いをこの胸に。

 いち・に・さん 

 血圧98の79。

 自発呼吸無し。意識反応混濁。


 「挿管そうかんするよ!」

 手早く患者の口を開け、器具を挿入する。


 「挿管終了。そっちライン取れた?」

 「ええ」

 「そう、それじゃCT行くよ」

 「CT室には連絡済みです」

 「はいよ、それじゃ移動して」

 「はい」

 患者はCT室に運ばれる


 「なにぼやぼやしてる。次、到着したよ」

 「はい、今行きます」

 二人の医師が、搬入口へと駆け足で向かう。


 次の救急車がサイレンを鳴らし、搬入口に到着する。

 ハッチが開けられ、ストレッチャーが車両から出される。

 苦しそうに腹部を両手で抑えて、うめき声をあげる男性。


 「病院です。わかりますか?」

 医師の声に反応はする。


 処置台に患者を移動し「服切りますよ」患者の着衣を素早く切り裂く。

 苦しみながら患者の抑える手を放し、処置台に両手を固定。


 「苦しいのここら辺?」

 患者の腹部を触診しながら、患部を探る。


 ある個所を押すと、激しく患者は痛みと苦しみを訴えた。

 ただそれを呆然と見ている二人の医師。


 動こうにも、なにをどうすればいいのかわからず。二人とも顔面蒼白の状態で、ただその場に立っていることしかできないのだ。


 「エコー」

 側近の看護師が、呆然と途立ちすくんでいる二人の医師を押しのけるように、エコーを処置台のわきに移動させる。


 ジェルを患部に伸ばし、ブローブを滑らせる。

 「あーここだわ」モニターを見ながら、その患部を特定。


 「胃かなぁ。ねぇどう思う」

 「そうねぇ、検査してみないと、何とも言えないけど……」


 「じゃぁこっちもCTだね」

 「そうね、鎮痛剤今入れているから、もう少しで落ち着くと思うんだけど」


 看護師から「先ほどの患者さんのCT画像来ました」

 「わかった」ディスプレイに映し出される、連続画像を食い入るように見る。

 写し出されているのは頭部の画像。


 「やっぱり、出血している」

 「オペ適応範囲?」


 「ええ、何とか行けるでしょう。でも脳外の判断も必要かな」

 電話を取り。

 「救命、笹山です」

 「おお、笹山どうした」

 電話を受けたのは、脳外科部長。東野純一とうのじゅんいち

 「東野先生、見ていただきたい患者さんがいるんですが……」

 「わかった今行く」

 5分後、東野はERの扉を開き、すぐさまモニターに食いつく。


 「んー出血部が広いなぁ。まぁでも幸いなことは、出血箇所が所要部位にかぶっていないことだろう。まぁギリギリオペ適応範囲だね。ただ、やもすれば後遺症は覚悟の上の、オペになると思うよ」


 「そうですか……」

 「早い方がいいだろう。オペの同意書はこれからかな?」


 「はい、ご家族にはこれから説明いたします」

 「そうか、それじゃ同意が取れたら、僕がやるよ」

 「え、部長自らですか?」


 「そ、若い奴らは率先してオペに出してるし、手を開けているのは、今の僕の仕事のようなものだからね。まぁ、そのための部長役付のようなもんだろうけどな」

 東野部長はにこやかに言う。


 「本当はこう言う症例は、石見下先生が得意なんだろうけど。彼女も今、一世一代の大仕事にとりかかったところだからね」

 「それじゃ……」

 「さっき分娩室に移動したよ」


 「そうですか、無事に終わるといいですね」

 「まぁ、彼女は大丈夫だろう。それより田辺の方だよ、あの田辺がうろたえている姿、久しぶりに見たなぁ。何となく研修時代のあの感じを、あいつを見ていて思い出したよ」

 「あの田辺部長がですか?」


 「そ、あいつもこれでようやく親になれる。まぁ今まで、ほんとうにあいつはいろいろとあったからな」

 皮肉っぽく言う東野。


 「それはそうと今日の救命は君たち二人だけなのか?」

 「ええ、中岡(中岡庸寿なかおかやすかず)と高坂(高坂智恵たかさかともえ)の二人とも、インフルでダウンしてまして。あとは今日付けのフェロー二人だけです」


 「季節外れのインフルか……。どこでもらったかはわからんが、まぁ、笹山と奥村の美人救命医がいれば大丈夫だろう。承諾書が取れたら連絡くれ、オペの準備に入る」

 笹山は表情を変えず。

 「はい分かりました。東野部長よろしくお願いいたします」と一礼した。


 席を立ち、東野はちらっと新人フェローの二人に目を向け。

 「君たち、とにかく頑張れよ」

 片手を軽く上げにこやかに言う。


 東野のそのにこやかさは、彼のそのガタイのいい体に、きりりとした眉、堀の深い顔つきからすれば、少し違和感? いや不気味さも感じられるほど、異様なものだったが。

 フェロー二人は「はい、頑張ります」と声をそろえて言うのが、精いっぱいという表情をありありと醸し出していた。


 それを見ていた奥村が「ふふふ」と漏らす。

 「めずらしい。奥村先生がここで微笑むなんて」

 「あら、そうぉ。私だって笑う事くらいありますわよ」

 少し皮肉っぽく言う。


 「はいはい、そうですか。冷静重視のあなたが、見せることのない表情だったからね。それじゃ、私IC『インフォームドコンセント』行ってくるわ」

 「お願い」奥村は一言いい。


 「さぁ貴方たち、次の患者が来る前にちゃんと片付けておいてね」

 熟練救命ナース仁科 祐実にしな ゆみに。

 「あの二人の事頼みます」そう言い残しICUへ向かった。


 今からおよそ4時間前……。


 朝の救命カンファ。ER執務部長、笹西直人ささにし なおとを先頭に、今日の救命担当のオーダーを振り分ける。


 「あーそれと、今日出勤の中岡と高坂、どこでどうもらったかは分かりませんが、二人ともインフルAの陽性が出ました。今日から最低3日間は業務停止となりましたので、笹山先生と奥村先生お二人に、頑張って何とか回していただきたい。ICU及び救命病棟の患者については、各科の先生たちにも応援を要請していますので、搬送患者をメインにお願いいたします」


 笹山と奥村は、声をそろえて。

 「はい分かりました」となにもないように返事をする。


 「そういえば今日でしたよね」救命看護師の仁科が話に入る。

 「ああ、そうでしたね」

 執務部長の笹西が、思い出したように。


 「石見下先生、今日出産予定日でしたね」

 「さっき産科に寄って様子を見てきたんですけど、もう陣痛始まってきていましたよ」

 仁科が少しはにかみながら言う。


 「ただね、石見下先生は大丈夫そうなんだけど……。ふふふ、田辺総合外科部長の方が、見ていて大変そうでしたよ。まるで自分がお産しているような感じでしたんですもの」

 「ははは、鬼の外科医、常見病院長の片腕ともいわれるあの田辺先生がねぇ」

 笹西が少しあきれたように言う。


 「ま、これであの田辺先生も、ようやく子の親となるんだから。ふぅ、いまだに信じられませんけどね」

 

 笹西も仁科も田辺との付き合いは長い。だからこそ言える言葉と、石見下姉妹、田辺光一との思い出も多い。

 石見下まゆみとは、直接会ってはいないが。あの二人の中には、まゆみの存在が浮き彫りにされる。だからこそ、石見下姉妹はこの二人には存在し得る。


 「石見下まゆみ」彼女はこの世にはもう存在しない。

 だがこの救命にはいまだ彼女が残した想いが込められていた。それは彼女がいた北部救命センターから受け継がれた想いでもある。


 そして田辺、石見下。城環越医科大学病院の病院長となった常見晃三郎じょうみこうざぶろうにとっては、消えることのない想いでもある。


 「……それと、紹介が遅くなりましたが、本日より救命に配属になったフェロー達を紹介します」


 笹西はカンファ室の外で待つ、二人を部屋に招いた。

 

 入ってきたのは、真新しいブルーの救命医の制服に『Emergency Doctor 救命医』と書かれた新しいネームタッグを胸に付けた。まだ20代後半のいさが残る男女。


 上原卓うえはらすぐる

 笹山歩佳ささやまあゆか


 この二人に課せられた運命は、まだこの二人に襲い掛かっていはいない。

 高度救命救急という、最も過酷な現状を目の当たりにするのは、もう少し後になる。

 そして、笹山ゆみの妹として、一人の医師として。姉と同じ現場で彼女はこれから何を想い、そして成長の過程を描くのだろう。

 すでに上位の指導医として存在する姉、「笹山ゆみ」の後を追いかけるかのように……。

 

 もう一人、その肩に押しかかる重圧を背負い、この高度救命救急センターで勤務を始めようとしている上原卓。

 彼も自分の親が経営する、上原総合病院グループの本院。上原総合病院の病院長の一人息子として、彼の人生は決まっていたかの様にそのレールは描かれていた。


 そう、これから、この二人は多くの人の運命。そして人の命を背負うことになる。


 共にかかる重圧に医師として、これから己の扉を開こうとする二人。



 それは今この瞬間から始まった。

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Emergency Doctor 救命医。もう二度と戻らぬ愛する人へ。そしてつなぐ想いを今ここに。 さかき原枝都は(さかきはらえつは) @etukonyan

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