第6話 蝶の欠片

今日は土曜だったが、沙希は出勤した。俺も仕事があると言って一緒に家を出た。

△×駅前はこの当たりでは大きな駅で、駅前の店は有名どころが建ち並んでいた。土曜と秋晴れが重なり、人の出も多かった。西口の前にある大きなカラオケ店の裏に、例のネットカフェはある。時間200円という安さで人気を集める店で、細長い5階建ての雑居ビルの1階から4階までを占領している。

『いらっしゃいませ。会員カードをお願いします」

小柄な女性店員が出迎える。俺は1年程前別の系列店で作ったカードを提示した。

『おタバコはお吸いになりますか?』

「いいえ」

『では、2階の6番になります』

「あの、すみませんが、4階がいいのですが?」

『あっ構いませんが、4階は喫煙ルームになりますが』

「ああ、構いません」

小柄な女性は少し首を傾げながらPCを見つめ、

『では、4階の4番でお願いします』

俺は灰皿とブース番号の打刻された伝票の入ったカゴを受け取った。

ブースは、1畳ほどで身体を丸めれば寝れる位のサイズだった。革製のリクライニング座椅子がブースを狭く見せた。とり合えずPCの電源は入れるが、俺は画面に背を向け、ブース目隠しなるタオルを入り口に引っ掛け、適度な隙間をあけた。その隙間から、奥の階段を眺めた。「よしっ」ちょうど5階に繋がる階段が見える位置だ。俺は事前に決めていた。このビルは5階建て、4階まで客用のブースがある。事務所なるものがあるとすれば、1階の受付付近、或いは5階だと。入店した時に受付を見たが、その近くに事務所があるとは思えなかった。残るは5階。4階に居れば、5階すなわち事務所に出入りする人間が観察できると思った。

 しばらく俺はジッと踊り場を見つめていた。店内の有線から流れる流行の制服軍団の歌。

少しボリュームは落とし気味。音楽とは全く異なるリズムで刻まれるPCキーボードのカチャカチャという音。タバコの臭い。微かないびき。秋晴れの天気の良い昼間の2時に、皆ここで何をしているのだろう。ブースの上は開放されている為、覗き込めば見ることのできる他人のブース。だが暗黙のルールでそれはご法度。そのルールをきちんと守る日本人。だがそんな異空間で、「狂喜の蝶」のITオタクを待ち伏せている俺もまた他からすれば薄気味の悪い客の1人だ。

 こんなことならタバコを盛って来れば良かったと後悔した時、階段を歩く音がした。上からか、下からか、だが下から登って来た客だった。そうすぐにはな・・と落胆したが、別に覗いていなくても足音で分かることを学んだ。

 PCに向かい「キョウチョウ様」と検索をかける。前に見た内容をもう一度おさらいする。自らの欲にかられた馬鹿達が、あーでもないこうでもないと好き放題書き込んでいる。馬鹿達と対岸にいる俺達の気持ちも分からずに。

 次に「ネットカフェ マイ空間」と検索した。料金体系や、店舗紹介など割りと品のあるデザインで見易く作られていた。これもITオタクが作ったのかと思うとゾッとする。『お問い合わせ』から入力ページに移動する

「渡部沙希と襲えと依頼したのは誰ですか?襲ったのは、誰ですか?依頼を受けたのは誰ですか?」と入力する。階段から足音が聞こえる。俺は文面を削除して接続を切った。

ドコ・・ドコ・・ゆっくりとした足音が大きくなる。俺はタオルの隙間から覗く。5階から携帯の画面を見ながら降りてきた男は、髪は短く金髪でピアスをしていた、背丈は俺と同じ175cmくらいか、だがまだ幼さの残る顔をしていた。公園であった若者とも年齢的には合っていると見えた。俺は、PCを切り、持ってきたカゴを持って後を追った。若者はまだ携帯をいじっている為、追いつきそうになった。2階で一旦距離をとり、受付にむかった。

「今出て行った人って、パソコン超詳しいですよね?」

『は?』

店員は何の事かという顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。

『あ~店長ですね』

店長?あんな若造がか?

『よく知ってますね』

「ああ昔の教え子なんだ」

『あ~、先生なんですか。そうなんですよ、カジムラ君て若いけど、本部からも依頼をされて、全国の店舗を一括管理するシステムまで作って凄いんですよ』

「そうか、社会でしっかり仕事してくれてて良かったよ。カジムラって下の名前何だったっけか?」

『ジュンですよ。先生教え子の名前忘れちゃダメじゃないですか』

「そうだ、ジュンだ。ですね、全く教師失格だ」

何の疑いもなくITオタクの名前が判明した。カジムラジュン。俺は、よろしく言ってくれと伝えて、店を出た。角を曲がると俺は走った。カジムラはどこだ。多分駅の方だ。あたりを見回す。人が多い。いない。反対か俺はもう一度店舗の前を通り、靴屋の角を曲がった。足が止まる。いた。カジムラはまだ携帯をいじってゆっくりと歩いていた。俺は距離をとって後をつけた。カジムラは駅から離れるように歩いている。人通りも店もまばらになり始めた交差点で、カジムラは携帯をポケットに押し込み、信号が青に変わると、さっきまでの歩幅とはうって変わり、早足で進んだ。俺は目印になりそうな看板や建物を記憶しながら追った。10分くらい歩いただろうか、カジムラは吸い込まれるように一軒の喫茶店に入った。年代を感じる小さな店だった。俺も入ろうと思ったが、席が近すぎるのも危ないと思い、店の前をそのまま通り過ぎた。もう5時になるところだった。どこか見張れる場所はないかとあたりを見回すと、交番が見えた。このまま交番に駆け込もうか悩んだ。犯人と思しき奴がいるから、アイツを捕まえてくれ、そう言えば警察は動いてくれるだろうと。だが、もし色々捜査してからじゃないとできないとか、話を聞きますとか言われて時間を作ってしまうとアイツらはまた俺達を脅迫し、身重の沙希に何をするか分からない。さりとて、素人の自分に何ができるかも分からない。

 悩んだあげく、「自分の手で犯人に復讐をする」と結論を出した。

それは、沙希のように傷付くこともなく、妊娠も喜んでやれず、ちょっと犯人を捜せばヤツラの脅迫を煽り、警察とも良い関係を作れず、沙希がつらい時に海外へ出張し、中西にあたり、犯人から送られてきた画像を幾度と思い出し、再現VTRを想像しているそんな自分に苛立っている毎日。それを終わらす為には、俺が復讐をして、沙希のヒーローになるのだと決めた。

 結局、喫茶店から50mほど離れた街路樹下の石垣に腰掛け携帯を見るフリをして待った。喫茶店は「タイム」という名だが、その文字を読み取るのも難しいほど色褪せていた。するとカジムラが店から出てきた。その後を追うように、別の男が出てきた。年齢的は40代くらいに見えた。スーツ姿に黒い大きなバックを肩から下げており、風体はサラリーマンのようだ。ネカフェの店員が話していた本部の人か?だが、それならば事務所に行けばいい。2人は暫く並行して歩いていたが、サラリーマンは頭を下げて駅の方に別れていった。俺は一瞬立ち止まったが、サラリーマンを追った。

「すみまぜん」

駅前で声をかけた。

『はい?』

近くでみると、50代かと思えた。ギョロっとした目を細めて俺を見た。

「すみません。カジムラさんからもう一度連絡先を確認して来いと言われまして」

カマを掛けた。

『カジムラ??』

ビンゴだ。ネカフェの関係者が名前を知らないわけない。

「あっ、キョウチョウさんです」

男は細めていた目を開いた。かなりのギョロ目だ。

『あの人がキョウチョウ様だったんですか?』

これは想定していなかった。

「あっあの~今の男はただの口利き役でして、俺はさらにその下っ端なんです」

『あ~狭山さんのね』

カジムラは狭山と名乗っていたらしい。

『でも、連絡先はさっき全部教えましたよ』

「あっはい、でももう一度確認して来いと。まあこういう仕事ですから」

男は、腑に落ちない顔だったが、免許証を見せた。

¦山寺春樹 昭和31年5月20日生まれ ××市2丁目4号コーポ草堀201号室¦

やはり50代だ。瞬時に頭に叩き込んだ。

「あっ、違います。依頼先の方です」

『だってさっき連絡先と言ったじゃないか』

「ですから、ターゲットの連絡先です」

駅に向う家族連れがこちらを振り返った。

「こっちもこんなところで時間かけたくないのですが!」

少し口調を強めた。

『わかりました』

男はバックから1枚の紙を取り出した。

「これコピーとっていいですか」

『だからさっき佐山さんにはコピーを渡したのですが』

「失礼」

と言って俺は電話をかけるフリをした。

「もしもし、お疲れ様です。え~はい・・山寺さんが、コピーを取らせてくれないのですが・・・はい」

芝居をしていると、山寺は俺の胸元に紙を押し付けてきた。

「あっ佐山さん、いいみたいです・・はい・・すぐ戻ります・・はい」

一応電話を切るマネもする。

「そこのコンビ二で俺ちゃちゃっとやってきますから待ってて下さい」

コピーを取り終えると山寺に紙を返した。山寺は信じたのか

『いつごろ決行ですか?』

と顔を近づけてきた。殴り倒そうかと思ったが、

「まだ未定です。こっちも色々調べてからじゃないと動けないんで」

『ですよね、佐山さんからもそう言われたんですけどね、こっちは一刻もはやく』

「じゃあまた連絡します」

山寺はまだ話したいようだったが、俺は踵を返し駅と反対側に歩いた。追いかけては来なかったが、いつまで俺を見ているが分からない為、適当なところで角を曲がった。コピーした紙を持つ手が震えていたが、何とか4つ折にしてポケットにしまった。突き当たりの通りでタクシーを拾い、自宅を告げた。もう7時を過ぎており窓の外は暗かった。沙希には、車内から〈〈あと30分で帰る〉〉とメールした。

4つ折の紙をポケットから出した。タクシーの運転手からボールペンを借り、山寺の情報を裏に書いた。また手の震えを感じながら紙を開いた。

¦岡本 彩音 昭和42年7月3日生 住所××市2丁目4号コーポ草堀202号室

俺は、紙をひっくり返し息を飲んだ。隣人じゃねえか・・他にも、勤務先や、夫や子供などの情報が書かれていた。まさか隣人を依頼するとはどういう理由なのだろうと想像してしまう。単に、隣の奥さんの襲われる姿を見たいと思う変態野郎か、或いは既に不倫関係にあり別れ話からの復讐か、襲われた後に「奥さん実は知っているんです」脅迫し関係をつくる為の切っ掛けか、いづれにしてもこの世の中にこんなにも他人の強姦を願っている

者達がいるという事実を知るだけで吐き気がする。

「赤ちゃんできたみたい」

沙希のはにかんだ顔が浮かぶ。

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