第4話 海の上から

 あの奇妙な兄妹が家にやってきてから、今日で十日目。

 それはイコール、サロワ海域で発生している凪が十日目に突入したということだった。

「……どこまで本気なんだか」

 現在サロワ海域で止まっている『南海の鷲』号からの手紙を見ながら、ディルは軽い吐息をつく。

 『南海の鷲』号の船長は、現在二十七歳のラレルという青年だ。船長仲間のうちでは若く、その点がディルと共通していて、仲は良かった。

 彼からの手紙が、ついさっき鳥に託されて届けられたのだ。

 その内容とは……。

『久し振り。そちらの様子はどうだ? 内陸の友人が盗賊の被害にあったと手紙に書いてきていたが、港のあたりは大丈夫だろうか。”赤目の狼”が動き出したという情報もある。気をつけてほしい。

 こちらは凪を除いて万事順調。船の故障なし、乗組員たちも冷静。食料はだいたいあと二十日分。それまでに風が吹けばいいが。この季節の凪は一度発生すると長いので困る。

 それじゃ、また。返事をくれると嬉しい』

 流暢な筆跡には乱れもなく、文面からも不安や焦燥は一切伝わってこない。むしろ、妙に呑気そうにさえ見える。

 それがただの見せかけなのか、本当に全く動じていないのか……ディルには見極めがつかない。

(ていうか、返事なんてどこに出せっていうんだ)

 思わず内心、ツッコミを入れた。どんなに優れた伝書の鳥でも、目印も無い海のど真ん中に手紙は運べない。

 まあ帰航ルートは予測がつくから、立ち寄りそうな街にでも送るしかないのだろうが。

 もう一度紙の上を滑った視線が、ふとある文字に止まった。

「……狼、か」

 ”赤目の狼”。それはこの辺りの国々で恐れられている、大陸最大規模の盗賊集団だ。

 内陸の山岳地帯を根城とし、数年に一度大規模な攻勢を企てる。どうしてか潤沢な武器を手に入れてくることや、その遠征の規模などからどこかの国が背後についているとも噂されているが、定かではない。内陸の少数民族の一派とも、実は多様な盗賊集団の寄せ集めだとも言われている。

 確かなのは何十人という単位で街を襲い、略奪を働くこと。

 その有様はほとんど戦争だ。そう言われるのは彼らが金品を狙うだけでなく、見かけた人間を容赦なく殺したり、連れ去ったりするためだ。

 ディルも幼い頃に一度だけ、それを経験したことがある。隠れて見ていたに過ぎないけれど、よく覚えている。

 街の男たちと盗賊集団が、銃で撃ち合いをしていた。盗賊たちは手慣れていて、見る間に多くの男たちが倒れていった。

 そして母もまた、流れ弾の犠牲になって……。

 それ以来、ディルは大人の男たちに混じって銃の練習をした。船の乗組員たちにも全員銃を覚え込ませた。

 盗賊たちに敵うものかはわからない。所詮素人ではあるかもしれない。それでも。

 ディルは机に置かれたペンを手に取った。その辺にあった適当な紙に書き付ける。

『盗賊になんか負けるかバカ。この前面白い奴ら拾ったんだ、会わせてやるからさっさと帰ってこい』


        *         *


「あ、鳥さん」

 ネリアが空を指さした。

 居並ぶ帆の上を、一羽の鳥が羽ばたいてくる。白い翼の、あたりを飛び交う海鳥よりは一回り小さな鳥だ。

 ディルの家の方角から、二人の頭上を越えて飛んでいく。

「足に何か巻いてるよ。どうしたのかな?」

「多分、伝令の鳥だ」

「?」

 きょとん、とするネリアに、ルージアはもう少しわかりやすい言葉で説明する。

「作戦とか敵の情報とかを、紙に書いて鳥に持たせるんだ。鳥は決まった場所へ飛ぶように訓練されているから……」

「分かった! そこにいる人に届けるんだね」

 ぱあ、とネリアの顔が明るくなる。

 二人はディルの船『暁の竜』号の甲板にいた。ネリアがだいぶ船員たちになれてきて、特にルビンには話かけるくらいになったので、時々こうして甲板にのぼるようになったのだ。

「何が書いてあったのかなあ」

「さあ。航海にも作戦とかあるのかもな」

「普通の手紙だと思うよ、アレは」

 突然真後ろで声がして、二人はぎょっと振り返る。

 特別驚かすつもりはなかったので、声をかけた方も驚いた。

「ああ……。すまない、驚かせるつもりじゃなかった」

 そう言うその人に見覚えがなかったので、ネリアは兄の後ろに隠れ気味になる。

 ディルの仲間だとは分かっていても、見知らぬ人間を警戒するのは長い囚人生活で身に付いてしまった癖だから、仕方がなかった。

「誰だ?」

 ルージアが問いかける。

「僕はキイス。キイス=ネハード。君の名前を教えてくれないかな」

 丁寧に尋ねる青年に対し、ルージアは名前だけを短く答えた。

 無礼にも取れるような態度だったが、青年は気を悪くした風もない。

「ルージア君、か。君は?」

 こんどは直接、ネリアに問いかけた。かがんで目の高さを合わせて。

 ネリアはぴくりと身をすくめたが、キイスににっこり微笑まれると、少し警戒が解けたのかおそるおそる名乗った。

「……ネリア=エルス=フェリア」

「ネリアちゃんか。よろしく」

 キイスは彼女に片手を差しだした。ネリアはきょとんとそれを見つめた後、こわごわその手を握った。

 ルージアにも同じように握手を求めると、彼は意外にすんなりと応じる。

「それで、二人とも何をしていたの?」

「別に何も」

 ルージアにそう即答されて、キイスは少したじろいだ。

「いやそれはそうか。えーと、何を話してたの?」

 言ってから、鳥の話題だと知っているのにこの質問はおかしいと自分で気づいたが、ルージアは特にそのことを指摘しなかった。

「伝令の鳥のことを。何を運んでるって?」

「何? ああ、手紙を」

「手紙って?」

 奇妙な訊きかえし方をされて、キイスは言葉に詰まる。

「え……と、内容? だったら知らないけど」

「そうじゃなくて。手紙って何だ?」

 一瞬、ふざけているのかと思った。だがルージアは至極まじめな顔をしている。

 ネリアを見ると、彼女も答えを期待するようにキイスを見上げていた。目が合うと慌てて俯いてしまったが。

 ……知らない、のだろうか。

「ええと……。手紙って言うのは、挨拶とかいろんな用事とか、日常のこととかを、紙に書いたものだ。それをやりとりして、遠くの人と話をする」

 分かった? と訊くと、ルージアは「なんとなく」と答えた。ネリアはまだ少し首を傾げている。

「オレたちの島にはなかったな、そういうのは」

「え、そうなのかい?」

「……日常的な事なんて、話しても仕方ないし」

 独白めいたルージアの言葉は、キイスには不可解だった。

「そんなことないだろう? 元気です、の一言だって、立派な手紙になるものだし」

 そう言うと、ルージアは黙ってしまう。

 明日戦場で死ぬかもしれない、あるいは一瞬後にでも木陰に潜む敵に殺されているかもしれないのに、今元気だと言ったところで何の意味があったのだろう……?

 そんなようなことを、ルージアは考えていたのだが、キイスには知るよしもない。

「キイス!」

 ふいに背後から呼ぶ声がして、彼は振り返る。

 仲間の一人が、船室のドアから出てきた。そのまますぐ傍まで歩いてきたのでネリアはまた兄の後ろに隠れてしまう。

「何だ?」

「カマドが壊れた! 直してくれ」

「……それは僕の管轄じゃないんだけどな」

 あきれ顔でキイスが呟く。

「船の故障だろう」

「はいはい分かりました。まったく、せっかくこの子たちと仲良くなれたってのに」

 肩をすくめ、仕方ないとばかりに二人に告げる。

「ごめんね、仕事が入ったから行くよ。ゆっくりしていって」

 にっこりと笑いかけ、船室の扉へ足を向ける。

 だが、すぐに立ち止まった。

「あ、そだ」

 彼はポケットから何かを取り出した。

 細い鎖に通した、貝殻のペンダント。

「これ、君にあげるよ」

 留め金を外し、ふわりとネリアの首に巻いた。いつもネリアがかけているペンダントのひもに、細い銀色の鎖が重なる。

 首の後ろで金具をとめながらキイスが言う。

「大事にしてね。……それと伝言を宜しく。『ウサギが来る』と船長に」

 後半は小声で、素早くささやかれた。

 彼女がきょとんとしている間に、キイスはもうネリアから離れていた。行こうか、と仲間を促して、船室の方へ行ってしまう。



 キイスの言葉が気になって、二人はその後すぐに家に戻った。

 ディルに彼のことを話し、そして伝言を伝える。

「ウサギが来るって、言ってたよ」

 何のことだか、ネリアには全く分からない。文字通りに受け取ってもいいのだろうか。

 その割には、キイスの言葉はどこか秘密めいて聞こえたけれど。

「………」

 ディルは黙っていた。

 何か考えているようだったので、ネリアはおとなしく待った。

 すると……。

 ディルはいきなり立ち上がり、部屋を出ようとした。

「どこに行くの?」

 慌てて声をかける。ディルは振り返ると、ぶっきらぼうに

「買い物をしてくる」

 と答えた。

 そのまま、ぱたんと扉が閉まる。

「……?」

 残されたネリアは首を傾げる。

 結局、あの伝言は何を意味していたのだろう……?

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