40 年越しへのカウントダウン

 大晦日の新山口駅は、見るからに人が少なく、駅前のロータリーも閑散としている。どうやら年末の帰省ラッシュは収束しているらしい。世の中の人々の多くは、家の中で、揃ってテレビでも観ているのだ。


 がらんとした駐車場にプリウスを止めた紫倉は、ハンドルに手をかけたまま、捨て猫みたいに不安な顔を浮かべている。

「申し訳ない、本当は君と2人で年越しを迎えたかったんだよ」

「お別れするのはとても寂しいですが、御用事があるから仕方ないです。ただでさえお忙しい中、ここまで来てくださって、感謝しております。ひょっとして、今からお仕事なさるのですか?」

「そうなんだ。取引先の役員にどうしても挨拶をしとかなければならなくてね」

「大晦日なのに、大変ですね」

「人がやらないときに仕事をしないと、この業界では生き残っていけないんだ」

 紫倉は納得した表情を浮かべ、最後に一井の手を握った。

「どうか、気をつけて行ってきてください」

「ありがとう」

「また、お会いできますのを楽しみにしております」

 一井は助手席から腕を伸ばして、紫倉とハグをした。


「お、そういえば、最近林田が亡くなったことを知っているかい?」

 一井は紫倉の肩の上で言った。

 すると、紫倉は、神経を抜かれたかのように全身をびくりと動かした。表情はたちまち凍てつき、口元をわなわなと震わせ、両手の力が完全に抜けた。

「おい、どうしたの? 驚かせすぎたかな?」

「嘘、ですよね?」

「いや、残念ながら、本当なんだ。琵琶湖のパーキングエリアに車を停めて、ガスを吸ったんだ。痛恨の極みだよ」

 彼女の表情は踏みつぶされたように歪み、両肩は痙攣けいれんを始めた。

「おいおい、大丈夫かい?」

 紫倉はうつろな瞳を漠然と見開いたまま、大丈夫です、と答えた。


 外へ出てドアを閉めた後、一井は手を挙げた。紫倉も礼をして返したが、フロントガラスの内側にいる彼女は、水槽内で溺れている人そのものだった。

 ひょっとして、何かあるのかもしれない。

 一井は怪訝さをひきずりながら、新幹線の乗り場へと急いだ。


「次の停車駅は京都」というけだるい調子の車内アナウンスが聞こえたとき、のぞみの窓から見える高槻たかつきの空は群青色に支配されつつあった。

 もうすぐ、1年が終わろうとしている。


 京都駅に着くと、ホームには人があふれかえっている。

 会長が亡くなってからというもの、京都に来ることが急に増えた。京都には恋のパワーがあるという。心の奥が震えだす。

 トレンチコートの胸ポケットからスマホを取りだし、新しいメッセージを確認し、タクシーに乗り込む。


「今日はえらい人が多いでしょ」

 運転手は話しかけてくる。

「今夜はね、京都駅で、新年のカウントダウンがあるんですわ。それにね、NHKの『行く年来る年』も知恩院でやるみたいでね、東山の方にも人がぎょうさん集まっとりますわ」

 タクシーの窓から、大晦日における洛中の街に目を遣る。千年の都にしてはいささかサイケデリックな情景だ。

 それにしても、さっきの紫倉の豹変ぶりは何だろう? これまでの彼女からは全く想像もできないほどの崩れ方に、心が冷めている。彼女には、どこまでも美しくあってほしかった。


 タクシーは、人混みとは真逆の方向へと進んでいく。

 目的地に到着すると、街灯はまばらで、建物は人気ひとけのない暗がりの中にひっそりと佇んでいる。これこそがまともな大晦日の風情なのだと思う。

 タクシーの排気音が遠ざかるのとほぼ時を同じくして、音を立てて扉が開く。

「疲れたでしょう?」

「まあな。1日のうちに飛行機と新幹線に乗るっていうのも、なかなか気ぜわしいものだよ」

 一井はそう言いながら、新山口駅で買ったういろうを差し出す。

「ありがとう。甘いものはあんまり好きじゃないけど、うれしいわぁ。さあ、入って入って」

 2人は薄暗い建物の奥に入り、狭い階段を上った。


「大丈夫なの? 大晦日にこんなところに来ちゃって」

 夏越はそう言って古いソファに腰掛ける。

「大丈夫に決まってるじゃないか。1%でもリスクがあれば来てないよ」

「あら、リスクだなんて、そんな泣きたくなるようなことを言わないでちょうだいよぉ。せっかく今日は晴明ちゃんのためにお酒を準備したんだから。そもそもこの神聖な部屋でお酒を飲むなんて、1年に3回しかないのよ」

「3回もあるのか?」

「そうよ。すべて1人。ボクだって、無性に酒を飲みたくなることがあるんだから」

「じゃあ、今日はパーティーだな」

 夏越は一井の隣に腰掛けて、妖怪のような笑みを浮かべながら、遺跡を掘るみたいな手つきでスパークリングワインの栓を抜いた。

「1年間、お疲れ様」

「晴明ちゃんこそ、ほんとうにお疲れ様だったわね。それにしても、今年は素晴らしい1年だったわぁ。晴明ちゃんがまたここに来てくれるようになったんだから」

「良かったのか、悪かったのか」

 一井はワインを一気に喉に流し込む。アルコールと共に、今日1日のハードスケジュールの疲れが染み渡る。

「ダイニチの会長が死んでくれたおかげで、ボクたちが引き合わされたのよ。感謝ね」

「おいおい、尊敬する会長なんだ」

 夏越は一井の肩にぴったりと寄り添ってくる。

「今年も、終わりね」

「そうだな」

「それにしても、静かで心が落ち着くわ」

「俺もだよ。お前には、いつも話を聞いてもらってる。じつは今日も、ちょっとした疲れを感じてしまったとこなんだ」

「疲れ? 何があったの」

「また話すよ。自分1人の力で解決できそうなことだ。それより今は、疲れるようなことを無理に思い出したくもない。リラックスしたいんだ」

「ありがとう、うれしいわ。来年もがんばれそう」

「来年はやることが多そうだ」

「また、話を聞かせてちょうだいね」

 夏越はワイングラスをテーブルに置いて、一井の肩に頭を乗せてきた。


 

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