23 殉死

「それにしてもずいぶんとお久しぶりね。晴明ちゃんはもう死んで、とっくに焼かれちゃっちゃんじゃないかって、マジで心配してたのよ」

 夏越がそう言った後、2人は再会の乾杯をした。瓦礫がれきの崩れるようなガチャっという音がした。

 夏越は日本酒のスパークリングをいかにも美味しそうに飲んだ。今、この瞬間だけが切り取られて、5年前にタイムスリップしたみたいだった。


「いやね、東京に行ってからというものさ、とにかく仕事の量が増えてね。日々の業務をこなすことに必死だったんだよ」

「つまり、死にかけてたのね。そのせいだわ、晴明ちゃん、だいぶフけた感じがするもん」

「おいおい、そんなこと言ってくれるなよ。今日ばかりは楽しく酒を飲みたいんだ。あの頃に戻った感じでさ」

 一井は上機嫌に「小宇宙」の店内をざっと見渡した。だが、以前と比べて客が少なくなったようだ。どことなく雰囲気が違う。

「この店もねぇ、来週で閉店しちゃうのよ。おそらくボクらにとっては、今日が最後の乾杯っていうことになるわね」

「そんなバカな、あれほど繁盛してたんだ」

 一井はビールに口を付ける直前でそう言った。

「経営者が亡くなったみたいね。おたくの会社と同じよ。でも、おたくの方は後継者が次から次へとウヨウヨ出てくるけど、この店の場合は誰もいなかった。そこの違いね」

「残念だ。というか、信じられない……」

 一井の頭の中には、往時の店内の光景が無限に広がる。毎晩のように大学生やサラリーマンたちで意味もなく賑わってカオスが出来上がっていた、あのリベラルな光景。

「だって、見てよ。この出町柳でまちやなぎの周りもずいぶん様変わりしちゃったじゃない。今どきの学生は皆で酒を飲んだりしないみたいよ。それよりは気の合う2、3人でカフェに行ってインスタ映えする料理を発掘したり、1人で部屋にこもってスマホをいじってる子が多くなってるのよ。この店も、時代とともに需要がなくなっちゃったっていうわけ。まあ、逆に独自性という意味ではインスタウケするかもしれないわね。重要文化財みたいなショットバーということでね」

「東京だって同じだよ。1年も経てば町並みががらっと変わってる。道に迷うことだってけっこうあるんだ」

 夏越は町並みの変化などには全く無関心なふうにして、額にへばりついた前髪を耳にかけた。相変わらずその指は鶏の手のように細く、関節が浮き出ている。

「時間というのは、そうやって、少しずつ、誰にも気づかれないようにして、じわじわと移り変わっていくんだな……」

「あら、日本の最前線で活躍する晴明ちゃんがそんなことを言うのね。素敵じゃない」

「なんだか最近、いろんなことを考え込むようになってね。たとえば、自分の今後についてとか」

 夏越は日本酒のスパークリングをあっさり飲み干した後、慣れた様子で同じものをオーダーした。それから指先でつまんだフライドポテトをケチャップにつけ、ゴミ箱に放り込むようにして口の中に入れた。

「これまで自分が必死になって積み重ねてきたことが、今の時代に合ってないんじゃないかって、最近特にそう思うんだ」

「どうしてよ? これほどまでに輝かしい実績を挙げてきたんじゃない。何がそんなに不安なのかしら。ぜーんぜん分かんないわ」

 カウンターの青白い明かりがこの男を伝説上の未確認生物のように浮かび上がらせている。

「そもそも俺には野心なんてないんだよ。俺はただ、誰かのためになることを成し遂げたい一心で今の仕事をやってるだけなんだ。逆に言うと、それができないようであれば、今の仕事をやる意味などないということになる」

 夏越はボリボリと首筋を搔きながら聞いている。昔からアトピー持ちなのだ。

「冷静に振り返ってみるとさ、実は会長の影響が大きかった気がしてならないんだよ」

「会長って、今日葬式があった?」

「そう。あの方の理念は『人として正しいことをする』ということに徹していて、生き様にも反映されていた。入社したばかりの頃は、何気なく聞き流していたんだけど、今となってはものすごい理念だと思うようになったよ。つまりね、人が中心なんだ。時代がどんな要請をしようとも、その理念は決してぶれることはなかった。それが、今は、世界を舞台としたマネーゲームの世の中だろ。人の姿なんて見えない。俺はね、東京に行ってそんな世界の中でもみくちゃにされて、なんだか船酔いしたみたいになってるんだ。そこへもってきての会長の死は、俺にとってはさ、殉死もんだよ」

「晴明ちゃんも、ずいぶん遠いところに行っちゃったのね」

 夏越はふたたびポテトを手にして、哀れむような口調でつぶやいた。

「完全に遠くに行ってしまったわけじゃない。行きたくないから、今こんな話をしてるんだ」

「そうかしらね? ボクには遙か彼方に行ってしまったように感じられるわよ。少なくとも、晴明ちゃんの現在について何か的確なコメントを返せって言われても、もはや何んにも言葉が出ないわ」

「そんなこと言わないでくれよ。今日俺は、お前に話を聞いてもらうのを楽しみにしてここへ来たんだ」

 夏越は猫のような仕草で耳の後ろを掻いた後で、長い髪に手をやった。そういえばこの男は5年前から、いや大学時代からこのままだ。ぶれていない。


「それより、もっと楽しいお話があるんじゃないの?」

 夏越は瞳の色を豹変させて一井の方を見た。一井はビールを最後まで飲み干した。

「もうじき死にかけてる晴明ちゃんが、わざわざ京都まで来てくれたのよ。ひょっとして、尊敬する会長が晴明ちゃんを呼び寄せてくれたんじゃないかしら?」

「どういうことだ?」

「5年ぶりの京都ワールド。京都って、恋をする人にとっては、とても怖いところだっていうことよ」

「意味不明だ」

 一井は空になったグラスに意味もなく口を付けた。

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