22 時代遅れ

 ダイニチHDの創業者である守田重雄会長が亡くなったという知らせを受けたのは、11月に入って第2週の水曜日の午前だった。

 電話をかけてきたのは、ホーチミンの事業所から京都本社に帰ってきたばかりの林田だった。

 会長は自宅の庭で足を滑らせてしまい、後頭部を痛打し、そのまま帰らぬ人となってしまったらしい。輝かしい経歴を持つ大人物にしては、じつにあっけない最期に、一井の全身はたちまちてついた。


 そういえば、前日の夕方、仕事を終えて専務室から出ようとする時、長谷部はせべという秘書が慌てていたのを思い出した。彼女が大事に飼っていた愛犬が車に轢かれて死んでしまったというのだ。絶対に家から出ることのない犬がなぜ車に轢かれたのか不可解でなりませんと言って、青ざめた顔で飛び出ていった。

 優秀な秘書である長谷部の狼狽を見た時、第6感がざわめいた。1度も見たことのない彼女の愛犬が、あたかも自分に向かって何らかのメッセージを発しているような予感がした。その翌日の訃報だった。

 

 葬儀の朝、京都駅に降り立つと、晩秋の風が頬にピタリと張り付いてきた。そういえばここに来るのは久しぶりだ。一体、いつ以来だろう? 

 駅舎を出て京都タワーを見上げた瞬間、自分を取り巻く空気がに戻ったのをはっきりと感じた。

 バスとタクシーでごった返している駅前のロータリーには、今やグローバル事業推進室のプロジェクトリーダーとなった林田が乗る社用車が待っていた。

「お久しぶりです」

 林田は少し寂しそうな笑顔で一井を出迎え、2人は固く握手を交わした。

「ほんとうに久しぶりだな。どうだったかい、ベトナムは?」

 後部座席に腰を下ろした一井は開口一番そう言った。

「とても良い経験となりました。人生が変わったかもしれません」

「ほお、それはよかった」

「一井専務が推薦してくださったおかげです。本当にありがとうございました」

 たしかに以前からすると、太い筋が1本貫かれているような、安定感を身にまとっている。

 林田の部下が運転する社用車は、葬儀の会場となる東山・知恩院へと向かっている。道中、見慣れたはずの京都市内の光景が新鮮に飛び込んでくる。寺院の点在する風景は、スピリチュアルな迫力に満ちている。

「ベトナムも良かったですが、やっぱり京都が落ち着きますね」

「そうかい? でも、向こうは活気があっただろう?」

「ありました。ただ、活気と言うよりは、ポテンシャルを感じました。至る所にまだまだ開発の余地がありましたね。元々は日系企業が入っていたところに、今は中国系の企業がどんどん割り込んできてるという印象をもちました」

「君が良い仕事をして帰ってきたという報告は入っているよ。あっちの事業所の方は軌道に乗ったんだな」

 林田は得意げに大きく頷いた。

「向こうの人はほんとうに真面目でした。約束はきちんと守るし、何より仕事が丁寧なんです。日本人と共通するところがあるのかもしれません」

「それはよく聞く話だな。私の知人も、ベトナムに進出したがる人間が増えている。マネジメントしやすいらしい」

「向こうで取引のあった東京商事の事業所長とよく話をしたんですが、日本人とベトナム人は、戦争で大きな犠牲を払った経験があるということで、国民性が似通ってるんじゃないかって言われてましたね。復興精神があるんですよ、きっと」

「そう言われてみれば、たしかにそうかもしれないな。敗戦を経験しているから、どこかセンチメンタルなところも引きずってるんだ」

「いや、私もそこら辺のことを感じました。中国とか韓国の人たちのように、物事をきちっきちっと割り切って前に進むことに、どうしてもためらうんですよ。社員の心がつかみやすかったです」

「良い経験をしてきたじゃないか」

「ありがとうございます。ただ、勝負はこれからです。ウチの製品が現地メーカーのシェアを握るためには、企画開発を含めて打たなければならない戦略が山ほどありますから。たぶんこれは社運というよりは、日本のものづくりの今後に大きく関わる仕事だと思っています」

 すっかり視野を広げた部下を頼もしく思うと同時に、一抹の孤独を感じずにはいられなかった。御手洗にしろ林田にしろ、彼らの語る成長戦略を聞いていると、ひょっとして自分は時代遅れなのかもしれないと思う。


 葬儀にはおびただしいほどの参列者があった。これほどまでの規模の葬儀は過去に経験がない。

 祭壇に掲げられた守田会長は、白い髭の前で誇らしげにタバコを持ち、それでいてどこか謙虚な雰囲気を漂わせながらこっちを向いている。京都本社に配属される前から公私共に絶大なる後見人だった故人がすぐそばでを語りかけるような気がして、信じられぬほどの涙がこぼれた。


 葬儀が終わり、会長を載せた霊柩車が長いクラクションを引きずりながら消えていった後、荘厳な知恩院の山門から東山の街が見下ろされた。手前には喪服を着た参列者たちが霊柩車の残像を追いかけている。彼方には、京都盆地が無表情に広がっている。

 会長の経営手腕はもちろんのこと、なによりその人柄があってからこそこれほどの人々が弔問に訪れるのだと一井は自らを励ますように言い聞かせた。

 自分が死んだときにはどれだけの人が別れを惜しんでくれるだろうと思うと、急に不安にもなった。

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