第15話 時は流れるも植物は

 父が亡くなり、母は実家で一人暮らしを続けている。亡くなった当初は私も2週間ほど実家にいたが、それから自宅に戻ってもしばらくは、脚がつったとか、ちょっとしたことで呼び出されることも多く、1年間ほどは落ち着かなかった。

 それでも母は生き物が好きなので、一人暮らしに慣れた今は庭にあれこれと植物を植えて楽しんだりしている。自分の誕生花であるクリスマスローズや、以前、私がプレゼントした輸入物の芍薬、パンジーにテッセン、チューリップと、季節ごとに様々な花が庭を彩る。そんな中に、父の誕生花だからと、ヒメオドリコソウも大事に鉢植えにしているのが何とも面白く哀しい。


 足が悪い母は法事もままならないので、ほとんどを我々夫婦がやっている。3回忌の時に、もうこれで親戚が集まっての法事は終わり、と宣言し、7回忌からは菩提寺が台東区の鶯谷駅近くにあって遠いこともあり、母抜きで夫婦と息子・娘の4人で執り行った。そんな感じで母が家から出るのはたまに買い物と通院、大正琴のレッスンぐらいなものである。移動手段はタクシーだ。


 父はある日突然、具合が悪くなり、その日の夕方に緊急入院をし、次の日には挿管をしていた。肺炎だった。それから2週間ぐらいで父は亡くなった。結局、最後に何かを話すこともなく旅立ってしまった。表立って名を遺すことはなくとも、素晴らしい技術を持った人だった。


 母は自宅で10匹の猫と暮らしていたが、数年前に当時最年長で22歳ぐらいのミーちゃんが死に、先日はどうしても避妊手術に連れていけなかったチーちゃんが10歳位で死んだ。それで今は8匹の猫と暮らしている。

 どうしても脱走をしてしまうトラを除いた他はすべて室内飼いだ。チーちゃんは臆病で捕まらず、手術もできないので絶対に外に出さないように気を付けていた。恋の季節になると一日中声を上げて外にいるであろう未去勢の雄を呼んでいたが、その思いはかなわぬままだった。今年の2月頃、だいぶ弱ってきていた母が窓の開け閉めをしていた時に、猫達が一斉に飛び出し、他の猫は全部帰ってきたがチーちゃんだけは外猫のように家の周りをうろつき、入ってこないまま数週間が経過した。その前から腹水が溜まっているような大きなおなかをしていたので長くはないだろうと覚悟はしていたのだが、この脱走騒ぎをきっかけにチーちゃんは一気に弱り、そうして何とか保護をして室内に連れ戻した数日後に死んでしまった。無理に捕まえて避妊手術をさせたらもっと長生きしたのだろうが、捕まえたところで病院に持ち込むことさえ難しい性格だった。


 猫を飼い始めたのは今の家に引っ越す少し前、羽村の借家にいたころで、すでに引っ越しが決まっていた頃に子猫を連れてやってきた野良の雌を大家さんに許可をもらって飼いはじめ、そのまま数か月後には引っ越し先に連れて行った。子猫は2匹いたが、父の友人が所沢で米穀店を営んでおり、そこに貰われていった。

 その最初の猫はミンミンと名付けた。結構長生きをしたと思う。それから、何度か子供を連れていたりとかお腹が大きい状態で居つく野良の雌が、そのまま飼い猫になった。避妊手術も去勢もしているので、その子孫が増えることはないが、全頭いなくなるかな、というタイミングで次がやってきた。ただ、さすがにもうこれ以上は保護はできない。この前までの10匹というのは今まででも最大の飼育数だった。これからは少しずつ減っていく。


 猫にしても植物にしても、外からやってきたもので気に入ったものは保護をする家風だ。確か私が中学1年生ぐらいのころに、庭に白いタンポポが生えた。シロバナタンポポは珍しいので、そのまま大事にとっておいた。この春まで知らなかったのだが、母が言うには私が大学に進学したり結婚したり、で家を出た後も、父が黄色いタンポポと混ざらないように、黄色いものを見つけては取り除いていたのだという。そうして今年の春も庭には白いタンポポがたくさん咲いた。今年は縁あってタンポポハンドブック(保谷 彰彦 著  文一総合出版)を購入したので、初めて、この白いタンポポの正体を調べてみた。それまで、私はこれを九州など西の方に生えるシロバナタンポポだと思っていたのだが、カントウタンポポの白いタイプのものだった。このハンドブックには八王子で撮影された白いカントウタンポポの写真も掲載されていたので、見かけることは少なくても、まったくないものではなかったのだ。それでも、父の努力のかいもあり、春先の庭はちょっと見ない、面白い状態になる。ちなみに、このハンドブックを片手に近所をあちこち調べて回ったところ、完全に白、とは言えないまでも白っぽいカントウタンポポは幾つか確認できた。

 

 今年の3月末から、私は1週間の半分を実家で過ごすことになった。母がとうとう、本格的にヘルプを要請してきたのだ。完全に転居するわけにもいかないので当分は3泊4日で実家に滞在している。仕事も続けているのでそこそこ忙しいのだが、機会があれば昔の通学路のあった場所等を歩いている。通学路脇にあった栗林も竹林も、すっかりなくなってしまったが、道路際に植えられてきれいにカットされているドウダンツツジの間から、その存在を主張するかのように、ヤエムグラやヤブガラシ、カラスノエンドウ、スズメノエンドウ、スイバといった野草が伸びて顔をだしている。春先には道路のタイルの隙間からスミレが花を咲かせていた。空き地には金網越しにたくさんの土筆が生えているのが見えた。昔、取っては母にヌタ味噌和えにしてもらったノビルもある。私も50を過ぎ、雑木林も、杉やヒノキ、竹林もすっかり姿を消したが、まだ、子供のころに親しんだ植物達はしぶとく生きている。


 ふと目を道端に向ければ、そこには植物が生えている。名前もない存在だと思わないでほしい。それぞれに名が有り、名付けた人の思いが込められている。それは、人だって同じだ。

 


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