"月夜見" クリス・ハイマーズ

 夕暮れ時、村の広場に現れたのは、黒衣の一団だった。


「どなたか、ご存知ありませんか! "月夜見"の魔女を、クリス・ハイマーズを! 彼女のいる場所を教えていただけませんか!」


 十人ほどいるその中から、リーダーらしき人物が一歩前に出て声を張った。

 当然、その様な出で立ちでは警戒される。誰もが遠巻きに見ては通り過ぎていったが、しかし世の中にはそれを無視し切れる人間ばかりではない。


「あんたら、あの小娘に何の用なんだ? どこでその名を聞いたのか知らんが、あいつとは関わらない方が……」


 クリス・ハイマーズは"月夜見"の魔女である。

 母親譲りの美しい金髪に、師から受け継いだ魔女服に三角帽子、箒、そして"月夜見"の役目。それはこの村を守る力であり、人を導く知恵でもあった。

 しかし、クリスはひどく嫌われ者だ。

 悪戯好きであった彼女は、元々村人達からよく思われていなかった。彼女が"月夜見"の弟子になると決まった時には強い反発があったのだが、師はそれを受け付けなかった。

 師が亡くなり、クリスが跡を継いでから半年。トラブルは絶えなかった。他界するのが些か早かった故に、弟子の能力はまだ半人前。それでいながら、当の本人は実に傲慢な振る舞いをしていたのだった。


「ええ、彼女の評判は存じております。しかし、我々には会わねばならない理由があるのです。どうか、教えていただけませんか」


 リーダーらしき長身の男は、その厳つい体格とは裏腹な柔和な表情で初老の村人に話す。だが、その黒い瞳の奥は覗かせない。


「……けっ、ああ分かったよ。そこの道の先、丘に登ったところだ」


「ご協力、感謝致します」


「くれぐれも、面倒事は起こしてくれるなよ」


「勿論です。では、皆さん。行きましょうか」


 そう言って黒衣の一団は去っていく。そのフードには、閉じた目が描かれていた。





◆◇◆◇◆





 突然の訪問者に、クリスは不審さを感じ取った。

 元より、普段は誰も訪れない家だ。引きこもっていても自分の衣住は事足りるし、魔女の食事は魔力があればいい。幸い、"月夜見"の役割の為に、月の魔力を受けやすい場所にある。そういう意味で、師から受け継いだこの家は魔女の工房として最適であった。もっとも、クリス自身は魔法の研究などはしていないのだが。


「どちらさん? なんかの押し売りならお断りなんだけど」


 玄関のドアを開けば、五人ほどが一様に黒いローブを纏って集まっていた。その中の一人が前に出てフードを取る。そこには薄ら寒い笑みを浮かべた男の顔があった。


「どうも、お初にお目にかかります。この度、"月夜見"の魔女様にお訊きしたいことがありまして、我々は馳せ参じた次第であります」


 胡散臭い。

 顔を見たその時から、口を開いて言葉が出るたび、その印象は深まる。それに合わせて、クリスの眉間の皺も深まっていった。


「だから、何の用?」


「そう怖い顔をしないでください。我々はただ――」


 男が言葉を区切る。視線がクリスから家の中へと移り、そしてクリスへと戻る。そしてその空白がクリスの神経を逆撫で、彼女は苛立ちに眉を吊り上げた。


「ただ、そう。『シネンの輝石』が欲しいだけです」


 シネンの輝石。その言葉が出てきたとき、彼女は男の胸ぐらを掴み上げていた。


「テメェ、今なんつった」


「おやおや、血の気が多いですねぇ。これは村の人たちも災難だ。こんな不良娘に大事な"月夜見"の役目を任せざるをえないのだから」


「なんつったって聞いてんだろッ!?」


 クリスが怒鳴り上げる。だが男は、軽薄な笑みを崩していない。飄々とした態度で続ける。


「シネンの輝石を寄越せ、と言ったのです。言葉、わかりますか?」


「ンなことできるわけねーだろ、ふざけるな!!」


 怒りのままに男を投げ捨てる。不良だ乱暴だなどとは言われ慣れてきたが、それだけは許されることではなかった。


 シネンの輝石。月の魔力を受け取り溜め込む、"月夜見"の結界に欠かせないものだ。

 "月夜見"の結界とは、シネンの輝石に蓄えられた魔力を用いて、この村とその周辺を守る結界である。その発端は伝承に残るのみであるが、かつてこの地には死霊・悪霊に満ちており、とても人の住める場所ではなかった。しかし、月の魔力を浴びやすい分、魔力結晶が多く眠るとされた場所でもあった。そこで、このシネンの輝石による結界が生み出された。以来、"月夜見"の魔女がその管理をすることになったのである。


 故に、クリスはそれを渡すわけにはいかなかった。粗雑な彼女でも、結界の管理だけは欠かしたことがないのだから。


「乱暴はいけませんね」


 パンッパンッと土を払うと、男は再びクリスに向き直り、徐ろにローブの中から球状の何かを取り出した。


「仕方ありません。こちらも、引き下がるわけにはいかないのです。なので……」


 男は球を空に投げ上げると、小さく《フレア》の呪文を唱えた。男の指先から熱波が放たれ、球に当たり着火する。するとそれは緑の閃光を放つ。

 何も言わず、そのままの笑みでいる男。暫くの沈黙の後、それは聞こえた。


「一体何を……ッ!?」


 鐘の音だ。村の櫓にある、緊急事態を知らせる鐘。もう10年は使われていなかったであろうそれが、久方振りの役目の時を迎えている。村の方を向けば、日の沈んだ地平に橙色の灯りが煌々と照っていた。

 ……火事だ。そしてそれをやったのは、言うまでもあるまい。


「お前らああああああッ!!!!」


「行きなさい」


 叫んだ隙に、男の仲間が家へ入っていく。その動きは斥候のそれであり、つまり家の中という空間ではクリスの手が出せない相手であることを示している。


「チッ、クソがッ!!」


 駆け出して一発、男の顔を全力で殴り飛ばす。倒れる姿も確認せず、クリスは村へ走った。





◆◇◆◇◆





 水の魔法ハイドロを使い、消火して回るクリス。一体どれほどの火力で焼いたのか、村の様子は酷い有様だった。


「お前がちゃんと取っちめてればこうはならなかったんだぞ、わかってんのか!?」


「大体、あなたがそんなんだから目をつけられるのよ!」


「俺たちの家を返せ! 食いモンを返せ!!」


 言い返してやりたい言葉が無いわけではない。だが、クリスに言い返す力は無い。

 わかっている。自分のこれまでの行いが、今日の報いとなったのだと。その罪は己が背負うべきものなのだと。

 クリスは、自分で自分が情けないと、この時初めて思った。師匠に申し訳ないと、心から謝った。頭を下げて、投げつけられる燃え滓を浴びた。


「その辺にしときな」


 初老の男が、村人達を止めた。


「今、何を言ってもどうしようもない。お前は取り敢えず帰れ」


「……わかっ、た」


 その夜は、一人泣き喚き、そのまま疲れて眠った。一応探してみたが、シネンの輝石は盗まれていた。



 翌日、初老の村人が"月夜見"の家を訪ねると、そこはもぬけの殻だった。散らかった中、残されていたのは置き手紙。



『シネンの輝石を取り返しに行きます  クリス』



「……全く、世話が焼ける」



 そういって彼は、申し訳なさそうな顔で、部屋の片付けを始めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る