第3話 初めての四人旅


 高い石の塀に囲まれた広場の中央に、鎧兜で身を固めた兵士達が百人以上、砦の前で規則正しく整列している。

 兵士達の前に立つヨウドーオが、声を張って彼等に言う。

「諸君、ここにおられる顔に皆見覚えがあろう!」

 ヨウドーオは片手で自分の隣にいる者を指し示し、兵士達の注目がその人物に集中する。

 服の上から要所を防ぐ革の鎧を纏っており、頭には上着に連なったフードをかぶっている。

 腰には剣を提げており、いかにも流れの剣士という風体だ。

 フードの人物が注目の中、自分の手でその素顔を晒す。

 それを見た兵士達から、一気にどよめきが起こった。

「落ち着くのだ皆。気持ちは分かる。もちろん彼は、皆の知るあの方ではない」

 ヨウドーオがそこまで言うと、どよめきは大きく鳴りをひそめた。

 兵士達が落ち着きを取り戻すのを確認すると、ヨウドーオはさらに続ける。

「しかしすでに、この者はオモカゲ様との面通しを済ませた。つまり、今や彼は勇者ライエルも同然!」

 一拍の間。遅れて、おおぉ、と野太い歓声が上がり、兵士達の顔に一様に喜びが浮かんだ。

 それを見るフードの男、つまり荒也の表情は浮かないものだったが、それに気付く兵士はいない。

「故に、彼には今より魔王討伐の旅に出てもらう!諸君等、吉報を待っておれ!」

 歓声は一層大きなものとなり、石の壁に反響して更に大きなものになった。

 歓喜のあまり握りしめた拳を振り上げる者も多く、大きな喜びが砦一帯を支配していた。

 ヨウドーオは満足げに何度もこの様子に頷くが、隣に立つ荒也は依然不満げなままだった。

「……もう少ししゃんとせい、今のお前は勇者様代理、ここを出ればそこから先は勇者様だ」

 ヨウドーオが荒也にこっそりとそう耳打ちする。

「……俺はあくまで、赤の他人だ」

「まだ言うか。お前がいくら自分でそう言おうと、その顔と力とが勇者様とは無縁な生活を許さんぞ。私がお前を召喚したその時から、すでにお前のなすべき事は決まっていたのだ」

 そう言うヨウドーオの口ぶりには、勝ち誇る響きすらあった。

「老人を殴りたいと思ったのは初めてだよ」

「おお怖い。勇者様は気が立っておるわい」

 からかうような返答に、荒也の眉間に深い、深い皺が刻まれた。


 沸き立つ広場を、見張り台の上からエリザが柵に肘を乗せ頬杖を付く格好で見下ろしていた。

 その隣にはアーシーもおり、アーシーの足元では柵にもたれかかるにしてククリマが気の抜けた顔で眠りこけていた。

 兵士達の活気づいた様子にアーシーは満足げな笑みを浮かべているが、対してエリザの表情は浮かない。

「……どう思う?」

「どう、とは?」

 質問の意図を図りかねたアーシーに、エリザは眼下に見える荒也の姿を指差した。

「あいつよ、あの、勇者様代理」

 ああ、とアーシーが合点がいったように頷き、上機嫌な顔になる。

「いいと思いますよ。他の世界の方らしいですけど、役割を受け入れてくださりましたし、きっとヒジャを救ってくれます。だって、ライエル様の顔と技を持っていますもの」

「私はそうは思えない」

 釘を刺すように言って、エリザは荒也を見下ろす目を更に細めた。

「結局は、勇者様と顔が同じなだけの他人よ。もしもあいつが誰の目も届かない所にいたとして、勇者様の力を悪用しない保証はないじゃない。私達に電撃が飛んでくる事もあり得るのよ」

 そう言われ、アーシーは最初きょとん、としていたが、言わんとする所を理解するにつれ、徐々にその表情を曇らせていった。

「……で、ですが魔王を討たねばあの方は自分の世界に帰れません。帰りたがってる以上、あなたの危惧するような事態には、なりにくいと思いますが……」

「開き直られてこっちに居つかれれば、魔王打倒も叶わないでしょ」

 そう言われすっかり沈んだ表情になったアーシーに、エルザが腰の袋から小瓶を出して彼女に差し出す。

 アーシーは反射的にそれを受け取り、中に入った透明な液体に首を捻った。

「……これは?」

「酸よ。もしあいつが勇者様の力を悪用しようとしたら、顔にひっかけてやるの」

 アーシーの顔が青くなる。

 エリザの正気を疑うように彼女を見るが、エリザ本人はどこ吹く風で荒也を見下ろしている。

 そこへ、エリザの視線を遮るように白いものが宙を舞いながら通り過ぎた。

 それを視線で追い、彼女は小さく舌打ちする。

「……何がオモカゲ様よ」

 蝶のように散漫な軌道で飛ぶ仮面を見る彼女の目は、荒也を見るものよりもずっと鋭いものだった。


 翌日の早朝、塀に設けられた入口の前に、五人の人影があった。

一人はヨウドーオ、もう一人は荒也だ。荒也の隣には、ククリマ、アーシー、エリザが並んでいる。

 ヨウドーオと向かい合う四人は、全員が旅の為に厚手のマントを羽織っており、荷物の詰まった麻袋を肩に提げている。荒也以外の三人は小脇に別の荷物を抱えており、さらにエリザだけは、マントの上から矢筒を背負い、短弓をそれに引っ掛けていた。

「ここを発てばヒジャと国境を隔てた先にある国、ナバンに着く。ナバンを抜けた先にある海の向こうに、ジルトールはある。ナバンはジルトールにすでに降伏し同盟を結んだ国である故、用心を重ねるのだぞ。特にお主はナバンから先はいたずらに素顔を晒す事はならん」

 ヨウドーオは荒也を指してそう言った。

「顔が問題になるんだな」

「そういう事だ。なのでナバンから先で人里を通る時は、お前達は旅の楽団という体でジルトールへ向かってもらう。皆、楽器は持っておるな?」

 そう言われ、荒也以外の三人は小脇に抱えていたものを軽く持ち上げてみせた。

 アーシーはバイオリンのケース、ククリマとエリザはフルートを包んだ包み。

「俺の分は?」

「お前は何も出来んと言ってたろう。お捻りでも拾っとれ」

「勇者なのに……」

「この国ではな」

 ヨウドーオがそっけなく荒也をあしらうと、他の三人は再び楽器を小脇に戻した。

「……さて、今より諸君等四人には勇者ライエルの捜索と魔王の討伐に出てもらう。おそらくはジルトールにいるであろうライエルを確認し、可能ならば救助も頼む。望ましいのは、ジルトールが大規模な侵略に出る前までに魔王を討つ事じゃ」

「……具体的な期限は?」

「そうさな……、おおよそ二か月後、と私は思う」

 それを聞いた荒也以外の三人が、揃って顔を見合わせた。

 荒也が三人の間に緊張感が生まれた事に気付く。

「根拠は?」

「そうか、お前は知らんか。それは……」

 言いかけた所で、ヨウドーオはいや、と言葉を切った。

「いや、ジルトールに向かえば嫌でも知る事になろう」

「いや話せよ、今」

「正直時間が惜しい。歩いてジルトールまでどこまでかかると思っておる。おおよそ二か月だぞ」

「ホントにギリギリだな。でも事情くらい、この場でさっさと話せばいいだろう」

「他の三人を見ぃ。不用意に旅の仲間を怖がらせる事はなかろう」

 言われて荒也は三人を見やる。

 三人は一様に固い顔を荒也に向け、彼に黙って頷いてみせた。

 まさに触れて欲しくない話題を前にした反応で、荒也は不服ながらも疑問を呑みこんだ。

「……オーケー、二か月ごとに何か、嫌な事が起こるんだな?それさえ分かれば今はいいや」

「お前さんは察しが良くて助かる」

「どーも」

 投げやりに答えて、荒也はフードを被った。

「じゃあ、もう行こうか。時間が惜しいんだろ?」

 言われて、他の三人が我に返ってそれに頷いた。

 ヨウドーオはおお、と感嘆の声を上げる。

「頼むぞ勇者よ、必ずや魔王を打倒してくるのだ」

 荒也は、どこかで聞いたような台詞だ、と思いながら砦を後にした。

 他の三人の付いてくる足音を聞きながら、これからの長い旅路に大きな不安を抱えながら。

「……まあ、あてにされるのも悪くはないか」

 我知らず、彼はそう一人ごちた。


 霞むような青い山の頂が連なる様子を見ながら、荒也達四人は黙々と足を動かし、先を急ぐ。先頭を行くのは、地図を広げて進むアーシーだ。地面がむき出しになっただけの道を歩き、広大な草原の中を進む。

「ここから三日ほどかけて歩けばナバンとの国境に着きます。幸いそこまでの道筋に村がありますし、夜はそこにある教会で屋根を借りましょう」

「分かりました」

 荒也はアーシーのすぐ後ろで、彼女の提案に頷いた。

 ククリマが荒也の隣に来て、彼に尋ねる。

「何で代理さん、アーシーさんに敬語なの?」

「いや、そんなに話した事ないし、年上だろうし……」

 それを聞きつけたアーシーが、少し気を害したような顔をして振り返った。

「あの、代理様?私、まだ成人していないので、年上だからと気を使われるのはちょっと……」

「あ、そうなんですか?すいません、落ち着いた方なのでてっきり」

 荒也は素直に謝り、ふと気付く。

「そう言えば皆さん、どういった集まりなんですか?昔からの知り合いとか?」

「いいえ。ヒジャ中から集められた、偉人・先人と同じ顔の者同士です。ライエル様も他の勇者様代理も、私達と同じような者達を連れて魔王討伐に出ました。私達と同じ顔の者はいないそうですが」

「ははぁ、勇者一人で旅立たせる訳ではないんですね」

「旅路が長いですからね。一人では人里で身元を偽るのも難しいですし、何より心が保ちません」

 なるほど、と荒也は頷き、三人の顔ぶれを順番に見比べた。

 前を行くアーシーと隣に来たククリマ、そして最後尾で不機嫌な顔をして距離を取って歩くエリザ。

 エリザが遅れないかじっと後ろを見ながら歩く荒也に、アーシーが再び声をかける。

「それと代理様、あなたはなるべく敬語で話すのは控えてください」

「え、何でです?」

 荒也は振り返り、彼女に尋ねる。

「あなたはヒジャでは勇者様、ナバンから先は楽団の座長です。長の肩書を持つ以上、下の者に敬語を使うのでは周りから訝しがられます。不信を持たれれば、身動きがとりにくくなりますから」

 荒也ははあ、と納得したような、そうでもないような返事を返した。

「それを言うなら、聖職者が楽団に混ざるのも変な感じがするんですが」

「それは私が修行の行脚の途中で、活動に参加するのを条件に身を守ってもらってる事にします。私の宗教はナバンでも信仰されてますし、理由はそれで通るでしょう」

 アーシーがそこまで言うと、がさがさと地図を畳み始めた。

「代理様、あの森を抜けた先にマルタンの村があります。今日はそこに泊まりましょう」

 彼女が指差した先には、道を遮るように大きな針葉樹林が広がっていた。

 少し肌寒い程度の気温が、森に入ると更に冷え込んできた。針葉樹の葉の束が空を覆い隠し、辺りを薄暗く染めている。

「道筋に沿って進めば迷う事はありません。ただ、曲がりくねった道になるのではぐれないよう、注意は必要ですね」

 アーシーが注意を喚起し、三人を見やった。

 見通しが良いとはいえ森の中だ。

 曲がり角に群生する木々の陰に何かいないとも限らない。

 エリザはその視線に気付くと、苦虫を噛み潰したような顔で早足になり、荒也達と徐々に距離を詰めていった。

 互いに両手を伸ばせば届くかどうかという距離まで詰まった頃、エリザはそれ以上近づかないように再び歩調を落とす。

「……まあ、そのくらいなら大丈夫でしょう。皆さん、何が起こるか分かりませんから、いざという時に動けるよう警戒しながら進みましょう」

 アーシーの提案に、エリザが無言で背中に手を回し弓と矢とを取り出した。

 ククリマが荒也に背を向ける。

「代理さんは反対側見てて。エリザさんが後ろ見てるから」

 ククリマに言われるまま、荒也も彼女に背を向ける。

 先頭を歩くアーシーと合わせ、四人で四方を見ながら歩く状態になる。

 荒也には警戒する対象が想像できず、小声でククリマに尋ねた。

「……この辺に猛獣でも出んの?」

「それもあるけど、この辺も決して平和じゃないからね。いつどこでジルトールの兵隊に出くわするか分からないし」

 荒也は砦の中でカジャラ率いるジルトールの分隊に襲われたのを思い出し、なるほどと頷いた。

 ジルトールによるヒジャへの侵略が進んでいる事を考えれば、ここで遭遇する可能性も充分あり得る。

「……あれ?ジルトールって、今から行くナバンって国の向こうにあるんだよな?そこは大丈夫なのか?」

 これに答えたのはアーシーだった。

「全然大丈夫じゃありませんよ。ナバンはジルトールからの宣戦布告をもらって早々、自分からジルトールとの同盟を結びました。早い話が降伏です。進んでヒジャに攻め込む事はありませんが、ジルトールから『やれ』と言われれば『はい』と答えて共に進軍してくるでしょう」

「マジかよナバン信用できねぇな。じゃあ何だ、ナバンの兵隊がいたらそいつ等も敵って事か?」

 荒也はアーシーに言われた通りの砕けた口調で尋ねた。

「いえ。ナバンは元々ヒジャとも同盟を結んでいる国で、まだこちらとの同盟を切った訳ではありません。ナバンとしては、どちらとも同盟を結ぶ事で自国を守りたかったのでしょう」

「かえって両方から反感買って身動き取れなくなると思うが……」

「ヒジャとジルトールとを比べればジルトールの方が軍事力は強大ですから、ナバンが選択を迫られればすぐにヒジャを切るでしょうね。ですが、ヒジャとしては、極力ナバンとの諍いは避けたい所ですね」

 荒也は分かるような、分からないような顔になって曖昧に何度も頷いてみせた。

「……あー、つまり、用心に越した事はないと」

「そうですね。私達がヒジャの人間である事を悟らせなければ、私がどうにか言いくるめます。代理様は、お顔をなるだけ他人に見られないようにしてくだされば結構です」

 荒也は頷くと、話すためにわずかに上げていたフードを目深に被り直した。

 アーシーはそれを確認すると、注意を再び前へと向け直す。

「……そう言えば猛獣も出るって言ってたけど、具体的には?」

「野犬の群れや猪などですね。この辺りですと、まだ熊は出ません」

「今後出くわす機会はあるのか……」

「観光じゃないんですよ。私達はいわば、強行軍です」

「へーい……」

 やる気がそげ、気のない返事を返す荒也。

 と、そこで彼の目が動くものを捉えた。

 蝶か鳥かとそれを見ると、見覚えのあるその形に目を疑う。

 羽もないのに不規則な軌跡を描きながら飛ぶそれは、夢の中や砦の地下で見たものだった。

「あれ、オモカゲ様か?」

 言われて同じ方法を見たククリマがそれに気づき、答えた。

「オモカゲ様の衛星だよ。衛星はわりとそこらでたくさん見られるけど、絶対に手を出しちゃ駄目。オモカゲ様の本体に代わって、あっちこっちで色んな人の顔を見て回ってるの」

「情報収集に貪欲なんだな」

「そうなの。オモカゲ様がたくさん衛星を飛ばしているから、私達が普通に過ごしていても、いつかは面通しを受けて昔の人の技が使えるようになる日が来るの。面通しを受けて初めて成人したって認める地域もあるよ」

 ククリマの説明が終わるのを見計らったように、仮面は荒也達から遠ざかり、木々の陰へと姿を消した。

「俺達にはもう興味ないのか」

「全員済ませてるからね」

 なおも歩みを進める四人の前で、道が左に曲がり、その先で更に右に大きく回るのが見えた。

 先ほどアーシーが言っていた、曲がりくねった道である。

「こういった道では特に警戒を。何が来るか分かりませ……」

 言いながらアーシーが道に沿って左に曲がろうとした時だった。

 突如エリザが列の前方上を睨み、足を止め弓を番える。

 きゅり、という弦の張る音に気付いた荒也が振り向き、彼女の弓を引く姿勢を見て驚く。

「お、おい?何を……」

 聞き終わる前に、エリザの手から矢が放たれた。

 矢は空を切る音を立てながら、緩い放物線を描き前方上へと昇っていく。

 向かう先にあるのは曲がり角の最も内側に生える背の高い針葉樹の、太い幹をかすめるかどうかという位置だ。

 枝もない、かさついた木肌の傍を矢がチッ、とかすめる。

「うわっ、危ねっ!」

 声が、そこから上がった。

 木の幹から長いものが生え、大きく振り上げられた。

 上下に振られたそれは、今度は根元で上下に振れ、その動きをどんどん大きくしていく。

「うわっ、わわわ、お、落ち、落ちーぃ!」

 先ほどと同じ声で悲鳴が上がり、やがて声は長いもの、つまり腕と共に木の陰から離れ、落下を始めた。

 荒也達四人の目が落ちる者を追って、下に下がる。

 四人の視線が地面に達した時、それは重い音と、んべふっ、という形容しがたい悲鳴を上げて背中から落ち、寝返りを打つように転がって動きを止めた。

 荒也は身を乗り出して落ちたものを覗き見る。

 人間の男だ。どうやら木に登り、そこから下を見下ろしていたらしい。

 こちらに背を向けた格好になっているので、顔は見えない。

 着ている服は上下共に整った線で構成されており、荒也はそれを軍服のようだと思った。

「格好からしてジルトールの奴みたいね」

 男を落とした張本人が悪びれもせずにそう呟く。アーシーが警戒する姿勢を崩さずに油断なく辺りを見回す。

「……一人でしょうか?」

 訝しむ彼女の背後で、ククリマが横から男を覗き見る。

「生きてるのかなぁ?」

「どうでしょう。迂闊に近寄るのも……」

 アーシーが対応に困り、ちらりとエリザを見る。

「じゃあもう一本撃っとくね」

 エリザが当たり前のように言って新たな弓を番える。

 やおら、男が両手足を振り上げ、跳ねるように飛び起きた。

「うおお、待て待て!そこは黙って様子を見るだろ!生きてるお願い、撃たないで!」

 男は必死で両手で四人を制し、早口でまくしたてた。

 男の顔は開き切らない細い目付きで、唇が薄い。

 エリザが矢の先を男に向けたまま、鋭い目つきで尋ねる。

「ジルトールの人間の言う事を、ヒジャの人間が聞くと思うの?」

「礼儀!礼儀の問題!戦場の作法って奴だよ!まずは相手の名前を聞いてみるってのも、それはそれで大事じゃない!?ねえ!」

 必死で訴える男だったが、それを見る女三人の目は冷ややかだ。

 荒也は男が気の毒に思えだし、三人を諌める立場に回る。

「まあまあ、皆落ち着こう。こっちは四人、向こうは一人だ。喧嘩したら勝つのはこっちだし、せっかくだから名前くらいは聞いてやろう。な?」

 エリザが男を見るのと同じ目を荒也に向け、アーシーは世間知らずを見る目になる。

 ククリマだけは、新しい発想を聞かされたような感心した顔になって何度も小さく頷いていた。

 男は荒也の反応におお、と感嘆の声を上げる。

「そう、そうだよな!アンタ分かってるよ!な、お願いせめて名乗らせて!」

 ついに手を合わせて懇願し始めた男に、アーシーは得心がいかないような顔をして黙りこみ、エリザが弓の弦を緩め矢の先を降ろした。

 男は消極的ながら全員の同意を得られたを確認すると、咳払いをし背中を反らした。

「お前達、ヒジャの暗殺部隊だな?調べはとっくに付いている!オモカゲ様より忍び足のロウフェムの技を賜ったこの俺、マックジョイの目から逃れられると思うなよ!」

 マックジョイと名乗った男は声を張ってそう名乗りを上げた。

 先ほどまでとはまるで違う、居丈高な態度である。

 そこまで言い終えた辺りで、エリザが彼に矢を放つ。

「うわ危ねっ!」

 マックジョイの手が翻り、腰から引き抜いた短刀で飛んできた矢を弾いた。

 少しでも彼の反応が遅ければ、その額は射抜かれていたであろう。

「おお、はえー」

 荒也が感心し、声を上げる。

 マックジョイはナイフを振り上げたまま肩で息をしつつ、エリザに怒鳴り声を上げた。

「お、お前危ねーだろ!殺す気か!」

「そっちだってそのつもりでしょ。仲間を呼んで私達をまとめて仕留める算段でも立ててるでしょうに」

 エリザのその言葉に、マックジョイははっ、と鼻で笑った。

「お前は馬鹿か?スパイがぞろぞろ仲間を引き連れて動く訳ないだろ」

「うん、確信した。馬鹿はお前」

 荒也の一言に、アーシーとククリマがうん、と頷く。

 マックジョイは怪訝な顔をして首を捻る。

 その後、自分が言った言葉の意味を思い出し、あ、と声を上げた。

 辺りに沈黙が落ち、全員が動きを止める。

 やがて口を開いたのは、マックジョイの方だった。

「……いや、いや違うよ?ほら、俺優秀だし?足音とか気配とか、完全に消して動けるんだよ?ほら見てコレ」

 言いながら彼は足元を指差し、その場で踊るようにステップを踏み始めた。

 分厚い革のブーツを履いているにも関わらず、足音どころか土を噛む音一つ立てていない。

 どれだけ大股で踏み込んでも同様で、その所作は忍び足のロウフェムという先人の技がいかに卓越したものかを雄弁に表していた。

 しかしこれを見る四人の目は冷ややかというか、生ぬるいものだ。

「動揺のあまり特技を披露し始めた……」

「追い詰められると突飛な行動に出るタイプだねぇ」

 荒也とククリマが思い思いの感想を言い合う。

 アーシーは怪訝な顔になり、エリザも敵を見る目なのは変わらないが、これを脅威と見ていいのかどうか戸惑いを抱く様子を見せていた。

 しばらくステップを披露していたマックジョイだったが、やがて思い出したように、ああっ、と素っ頓狂な声を上げて飛びあがった。

「とっとと、忘れていた!数が不利だろうが、俺にはこれがあったんだ!」

 慌てたように、腰の後ろに手を回す。

 そして取り出したものを、四人の前に突き出した。

 荒也の顔が強張り、他の三人が怪訝な顔になる。

 荒也を除いた三人の反応を見て、マックジョイが不敵な表情を浮かべた。

「ハハン、知らないのも無理はないな。これは我が国が新たに開発した、銃という武器だ。矢よりも速い弾を撃ち、鉄槌よりも高い威力を誇る!どうだ、怖かろう!」

 そう言う彼が持つものは、砲身の短い拳銃だった。

 片手で持てる大きさで、軸回転する弾倉を持つ。

 荒也の知る限り、それはリボルバーと呼ばれる拳銃に似ていた。

 対して三人には、マックジョイが持つ拳銃が説明された通りの代物とはとても思えないでいた。

 どう見ても鉄で出来た玩具にしか見えず、ククリマがこみ上げてきた笑いを止めずぶふっ、と笑う。

「そうなのー?そんなすごい武器には見えないんだけどー?」

 マックジョイはククリマに銃口を向けた。

「撃たれた事のない奴は皆そう言う!」

 引き金に掛けた指がわずかに動く。

 荒也がその光景に、全身が総毛立つのを感じた。

 続く動きは速かった。

 荒也がククリマの前に出、右手を突きだす。

 瞬間、バチィッ、と閃光が上がり空を裂く音が轟いた。

「なばびっ!?」

 マックジョイが電撃に撃たれて跳びあがり、無様に倒れる。

 銃口は火を吹く事なく、彼の手に握られたまま地面に叩きつけられた。

 森のどこかで鳥の群れが轟音に驚き、ぎゃあぎゃあと鳴きながら一斉に飛び立つ。

 その後に訪れた静寂は、荒也達にとっては、少し前までとは質の違うものだった。

 荒也は窮地から解放され、大きく息を吐いた。

 ぽかんとする三人の目も構わず、呼吸を整えようと何度も深く息を吐く。

「お、お前等馬鹿か!?死ぬトコだったぞ!」

 未だ息の荒れたまま、荒也はククリマを見下ろし怒鳴った。

 彼の剣幕に、三人は呆然としている。

 やがて、怒鳴られたククリマがじわりと目に涙を浮かべ、戸惑ったままのアーシーの陰に隠れてしまった。

 入れ替わるように、エリザが荒也の前に出る。

「ちょっと!子供泣かす気!?仮にも勇者様の代理でしょう!?」

「危ねーモンを危ねーって言ってんだ!お前等銃も知らねーのか!」

「あんな玩具が何なのよ!嘘に決まってんでしょ!死ぬようなものじゃあるまいし!」

「死ぬんだよアホ!さっきのアホが言ってたの、全部本当だぞ!」

 言い争いながら、荒也はいびつな姿勢で倒れたままのマックジョイを指した。

 未だ彼は回復しておらず、ぴくぴくと痙攣を繰り返している。

 意識はあるのか、視線こそ彼等に向いていないが、荒也には恨めし気に自分達を見ている気すらした。

 一方エリザは、荒也の言動に腹の虫が収まらないでいた。

「代理でも勇者なら玩具相手にビビるものじゃないでしょ!?やっぱアンタ勇者じゃない、代理どころか偽物よ!」

「に、にせ……っ!?」

 瞬間、荒也の脳裏に、小学生の頃、分別のない同級生に言われた言葉が蘇る。

『なぁんだ、直也の偽物か』

 双子というものに理解のない、身勝手で不躾な一言。

 まざまざと思い出されたその響きに、荒也の頭に血が上った。

「お、お前言ったな!言うに事欠いて、一番ひどい言いぐさを!」

 荒也がエリザに食って掛かった。

「あんたがらしくないのが悪いんでしょ!もっと勇者らしくしなさいよ!」

「偽物呼ばわりは問題だろうが!好きでやってんじゃねぇんだぞ!」

「そんなのこっちも一緒よ!似たくもない先人のせいで、いらない苦労をしてんのよ!」

「知らんわンなモン!聞かされてもねー話を引き合いに出すな!」

 互いに譲らず、言い争いを続ける二人。

 その様子をククリマはまだ終わらないのかとハラハラし、アーシーは西に傾きつつある太陽を見ながら、今後の行動に支障が出る事に静かに頭を痛めていた。


「今日の内にこの村に着けたのは、幸運と言う他ありません」

 木製の長椅子に座ったアーシーが静かに、しかし強い口調で荒也とエリザにそう言った。二人は正座したまま、はい、と静かに頷く。

 荒也達が今いるのはマルタンの村にある教会の教会の中である。

 空間の中心を通る古い赤じゅうたんを挟むように設けられた長椅子の一つにアーシーは掛けており、荒也とエリザは赤じゅうたんの上に正座させられていた。

 ククリマはアーシーのすぐ隣に座り、足を控えめに揺らしながら問答の様子を見ている。

 壁際に設けられた燭台に立てられた蝋燭の明かりが、アーシーの不機嫌な表情に濃い影を落としていた。

「しかし着いたのはとうに日が落ちた頃、さほど多くも持っていない松明に火を付け歩き続けたのが三時間、この村に入ってここの司祭様に話を付けるのに一時間。夜の森を歩く危険も、夜に村に余所者を入れるのがどれだけ危険かも、言うまでもありません。司祭様に代理様の顔をお見せしても渋い顔をされるのも無理はないんです。分かりますね?」

 はい、と二人の返事が重なった。

行動が遅れたのは、他ならぬ二人に原因があるからだ。

「……これから短くても二か月弱の付き合いです。つまらない喧嘩や言い争いで時間を無駄にさせないでください」

 はい、と二人。

 返事をした後どちらからともなく互いを見合わせ、『お前のせいだ』と目で言い合う。

 にらみ合う二人にアーシーが咳払いをし、二人は慌てて居住まいを正し俯き直した。

「……私からは以上です。さてククリマさん、何か言いたい事はありますか?」

 アーシーが隣の席に座っていたククリマに目を向ける。

話を振られたククリマは、少し考えた後荒也に尋ねた。

「んーと、代理さんはあのジュウっていうのが危険だって言うんだよね?」

 呼ばれた荒也がこれに答える。

「あ、ああ。俺の世界にも似たものがある。本物は初めて見たんだけどな」

「そうなんだ。……それで、あの時って私が一番危なかったんだよね?」

「ああ」

 荒也が頷く。すると、ククリマは満足げに笑みを浮かべた。

「そっか。そっかー、えへへー」

 相好を崩す彼女の反応に、アーシーが尋ねる。

「なんで嬉しそうなんですか?」

「だって代理さん、あたしを助けてくれたんだよ?いい人なんだってはっきり分かって、何だか嬉しくなったの。この人は代理さんだけど、やっぱり勇者様なんだなーって」

 三人が目を丸くしてククリマを見たまま固まる。

「……あれ、私何か変な事言った?」

 ククリマが三人の反応に戸惑い尋ねると、アーシーが我に返り、慌てたように何度も首を横に振った。

「い、いえ、いえいえ!そうですよね、私も同感です!」

 早口で同意を示す彼女に、満足げに笑うククリマ。

 荒也は思わぬ形で持ち上げられた事で喜ぶタイミングを失い、曖昧に笑ってククリマから視線を逸らした。

 エリザはというとククリマと荒也とを見比べ、その後、面白くなさそうな顔をしたまま黙りこくっていた。

 負け惜しみのように、彼女がぽつりと呟く。

「……もう寝ましょう。早朝発つんでしょ」

 ふてくされたように言うと、彼女は立ち上がり、アーシー達の座る長椅子の一つ前の席の上に横たわると、自分のマントにくるまった。

アーシーも、今が深夜なのを思い出し同意を示す。

「そうですね。じゃあ代理さんは、申し訳ありませんが少し離れた所で寝てください」

「そりゃそうだ。んじゃ、俺はあっちな」

 荒也は立ち上がると、自分の荷物とマントとを横脇に抱えて赤じゅうたんの反対側にある別の長椅子の上に横たわった。

「あたしもあっちで寝るの?」

「あなたもこっちですよ。男と女は、離れて寝るものです」

 ククリマを窘めるようにアーシーは言い、他の全員が眠る姿勢になったのを確認すると火のついていた燭台に歩み寄り、ふう、とその火を消した。

 教会の中に闇が訪れ、アーシーが身を横たえる音を最後に、静寂が辺りを支配する。

「……」

 静寂と共に、彼の住んでいた場所よりも乾いた冷たい空気が荒也の身を締めてきた。

 隙間風の吹いている気すらしてきて、彼はちらりと女性陣の方を見た。

 三人共マントにくるまっていて動く様子は見られない。

 気晴らしに起きてみようか、とも思ったが、いらぬ誤解を生むだろうと考え、結局丸くなって再び目を閉じた。

「……帰りたい」

 ぽつりとそう零す。

 ふと、疑問が浮かんだ。

 万事つつがなく終わったとして、それまでにどれだけ時間が過ぎるのだろうか。

元の世界に帰ったとして、同じだけの時間が過ぎているのだとしたら、自分を知っている人達にどんな顔をされるだろうか。

 偽物、と言われた時の事を思い出す。

「……本物がいるなら、いいか」

 捨て鉢な気分で開き直ると、ふとあの時の事が思い出された。

『君がいい』

 悪夢の中で見た、オモカゲ様の笑顔。

 あれはどういう意味なのだろうか?

 言葉だけなら、必要とされているようで魅力的だ。

 しかし、あざ笑うようなあの笑顔が、どうにも引っかかる。

 考えても不安が募るばかりで、やがて彼は無理やりに浅い眠りの中へと落ちていった。


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