第4話 聖女様・ラブ・注入


 彼がステンドグラス越しにぼやけた朝の陽光が差すのに気付いたのは、目覚めるのとほぼ同時だった。

 朝の訪れは、夜よりも寒いとすら思える。

 起きるべきかどうか考えていると、赤じゅうたんの反対側で一人がむくりと身を起こしたのが見えた。

 誰だろうか、と荒也が思い顔を上げると、その人物も彼を見た。

 肩筋から金髪がこぼれ、その後すぐに目が合う。

「……ずいぶん早いのね」

 不機嫌そうなエリザの言葉に、荒也もむっとして身を起こした。

「そっちもな。心配事でもあんのか?」

「大きなお世話よ。ほっといて頂戴」

「おう、そうするわ」

 言われた通り、荒也はマントにくるまり直して再び長椅子に横たわった。

 ぎい、と扉の蝶番の軋む音の後、朝の冷気が教会に入り込む。その後、バタンと扉の締める音が響いた。

 荒也は寝直そうと目を閉じ集中するが、睡魔はすでに寒気によって追い払われた後だった。

 結局彼は起き上がり、体にかけていたマントを簡単に巻いて長椅子の上に放り投げた。

 硬い寝床に臥せていたせいで体のあちこちが痛む。

 他の二人はどうしているのかとその場から覗き込むと、共に未だ眠り込んでいる様子が見て取れた。

 彼にとっては意外な事に、アーシーが半開きの口からよだれの垂れた幸せそうな寝顔を晒していた。

 ククリマはすうすうと、年相応の幼さの残る寝息を立てている。

 荒也は二人から離れ、壁沿いを回り込むようにして教会の外へと出た。

 ふと、昨日アーシーに言われた事を思い出し、慌ててフードを被った。

 荒也が周りを見回すと、白みがかった朝空の下、教会を囲むように並ぶ民家を一望する事ができた。

 どれも漆喰で塗り固められたレンガ造りの家で、ちらほらと起き上がった住民達が仕事に出かけようと玄関先でごそごそと動いている様子が見られた。村と山との間に広がる草原では、放牧されているらしい山羊や牛が呑気に草を食んでいる。

 荒也にとっては異国情緒に満ちた、新鮮な光景だった。

 ヨウドーオから聞かされていた戦の話など、ここでは無縁のものに思える。

 教会前の石の階段に腰を降ろし、景観を眺めた。

「……のどかだなぁ」

 そう呟くと、彼のすぐ隣でザッ、と足音が上がった。

 誰か来たのかとそちらを向くと、エリザの姿があった。

 再び荒也が渋面を作り、それを見た彼女が不愉快そうに眼を細める。

「……何してんのよ」

 そう問う彼女は今、胸の前で中身の入った袋を抱えていた。

「観光だ。そっちこそ何だったんだ?」

 エリザは説明が面倒くさい、と言わんばかりの渋い顔を荒也に向け、はあ、とため息をついた。

「買い出しよ。朝なら地元の、新鮮な食べ物が手に入るの」

 それだけ言うと、彼女はさっさと荒也の横を通り過ぎ、教会の中へと入った。それ以上の会話はする気がないと言わんばかりである。

 荒也にとってはお互い様であり、ふん、と鼻で返した。

 少し遅れて、扉の向こう側から間の抜けた声が上がる。

「おはぁよー」

 その声がククリマだと分かり、荒也も教会に戻った。

 ククリマが毛布替わりにマントにくるまったまま、上体を起こしてエリザと向き合っている。

 エリザが紙袋を抱えたまま、ククリマに尋ねた。

「アーシーさんは?」

「まだ寝てるー」

 三人がアーシーの眠る長椅子に目を向けると、彼女は未だ目覚めておらず、緩んだ寝顔を晒し続けていた。

「朝一番で発つって言ってたのに、分かってんのかしらこの人」

 エリザが呆れたように言いながらそれを見下ろし、ククリマにパンを一つ渡す。

 喜んでそれを受け取る彼女をよそに、エリザはもう一つを荒也に放った。

「うおっとと、危ねぇ」

 高い放物線を描いて飛ぶパンを、荒也は二度ほどお手玉しながらようやく捕まえる事ができた。

 エリザは荒也の方を見もせず、アーシーの前に膝を付く。

「起きてください、アーシーさん。アーシーさん」

 エリザが耳元で呼びかけるが、アーシーは身じろぎするだけで目を開けない。荒也はアーシーに近づき、その様子を見下ろした。

「もう朝ですよ。パンもあります。ほら、いい匂い」

 エリザが袋の口を彼女の鼻先に近づけ、パンの匂いを嗅がせた。アーシーの鼻が匂いを嗅ぎつけ、ひくひくと動く。

「ぶふっ」

 それを見た荒也は思わず吹き出し、口元を押さえて目を逸らした。

 ほっそりした白い整った顔をした女性が、気の抜けきった飼い犬のような反応をするのが可笑しかったのである。

「かわいーよねー」

 ククリマがアーシーの間近でしゃがみこみ、顔を覗きながらエリザに同意を求める。

「起きてもらわないと困るんだけどね。ほらアーシーさん、アーシーさん!」

 なおも呼びかけるエリザだったが、アーシーが起きる気配はない。

 ついに焦れて揺さぶり始めるエリザだったが、アーシーは顔をしかめるだけで目を開けない。

「ああもうこの人全然起きない……」

 焦れて苛立つエリザが自分の後頭部を掻いたその時、教会の扉がギイ、と音を立てて開いた。

 朝の礼拝のために来たらしい、年老いた男性の神父がそこにいた。

 荒也達にとっては昨日見た顔だ。

 三人はすぐに立ち上がり、背筋を伸ばして一斉に頭を下げた。

「「「あ、神父様!おはようございます!」」」

 三人の礼に、神父は皺の深い顔に穏やかな笑みを浮かべてみせた。

「おはようございます皆さん。よく眠れましたかな?」

 その問いかけに、三人は再びはい、と一斉に答えた。

 屋根を貸してくれた恩人相手とあっては、態度もしかるべきものとなる。

「そう畏まらず。勇者様代理ご一行とあっては、協力しない訳にはいきませんからな」

「そう言って頂けると恐縮です」

 荒也は礼を言って頭を下げた。

「それに、あなた方の中にはオモカゲ様によって聖女リリエンヌの技を賜った方もいらっしゃいます。教会の関係者としては、無碍にはできません」

「重ね重ね感謝いたします。できる事なら本人からお礼を言うべきなのですが、その……」

 荒也はそこまで言って、背後にいる当人に目を向けた。

 神父の言う人物、つまりアーシーは未だに夢の中にいる。

 神父は気を害した様子を見せず、にこにこと笑みを浮かべていた。

「仕方ありませんよ、夜も遅かったようですし。もしよろしければですが、朝の説法を聞かれてはいかがでしょう?その際、聖女リリエンヌの御業をこの村の方々に見せて頂ければ嬉しいのですが……」

「はい、喜んで」

 荒也が答えたその後、その背後でようやくアーシーが気だるげな声を上げて身を起こした。

 彼女は未だはっきりしない目で荒也達と神父とを見比べると、首をしきりに捻るのだった。


 教会の長椅子に隙間なくマルタンの村人達が座る前で、神父が説法を説く。

 一番後ろの席に、荒也達四人もいた。

 荒也は顔を見られると騒ぎになるため、フードを被ったままだ。

「主は仰いました。“汝の隣人を愛せよ”と。それは自らを尊いと思えばこそ、他者にとっての自身を愛する事の重要性を説いているのです。それはすなわち、人に愛されるためには人を愛さなければならないという事であり……」

 当たり障りのない訓戒に荒也は眠気を覚え、それに堪えようとする。

 それでも抗いきれず船を漕ぎ始めた彼を、隣に座っていたククリマが膝を軽く叩いて起こした。

 我に返った荒也は慌てて姿勢を正す。それを見咎めたかのようなタイミングで、神父の説法は終わった。

「……さて皆さん、今日という良き日に、素晴らしき来訪者が来られました。ご紹介しましょう」

 その言葉の後、荒也達の席で通路側の端に座っていたアーシーが立ち上がった。

 村人達の目が彼女に集まり、次いでおお、と感嘆の声が上がる。

「聖女だ……!」

「おお、リリエンヌ様……」

 荒也は名前に疑問を持ったが、すぐにアーシーと同じ顔をしたかつての偉人・先人を指しているのだと見当がついた。

 口々に出てくる、賞賛のこもったどよめきの間をアーシーは進み、神父の隣に立った。

 ようやく静かになった頃、彼女は口を開いた。

「……初めまして皆さん。私はアーシー。オモカゲ様によって聖女リリエンヌの技を賜った、しがない修道女です」

 その言葉に荒也はああ、と得心し、自分の推測が当たった事に満足する。

 その様子をエリザが見咎め目を細めるが、彼女は黙ってアーシーへと視線を戻した。

 アーシーの説法が、挨拶の後に始まる。

「かつて聖女リリエンヌ様は主の教えの元、迷える民草にこう仰いました。“信じよ。されば救われん”と。その時リリエンヌ様は民草と共に不浄なる者達に囲まれ……」

 その場にいる村人達が、神父の説法を聞いている時よりも静かに彼女の言葉に聞き入っている。

 しかし荒也にとってはまるで興味を引かない話であったため、隣にいるククリマにそっと本音をこぼした。

「当たり障りのない事言いだしたな……」

「説法なんてそんなものだよ」

 そっけなくあしらってきたククリマに、荒也は尋ねる。

「あれ、真面目に聞いてる?」

「そりゃね。私達もアーシーさんの事そんなに知らないし」

 言われて荒也は気付いた。

 これから長い付き合いになる三人について、まだほとんど何も知らない。

 全員に同じ顔の偉人・先人がおり、その恩恵を受けているのならば、今の状況は彼女について理解を深めるいい機会ではないか。

 荒也は長椅子に座り直し、黙ってアーシーの説法を聞き始めた。


“聖女リリエンヌ”

 かつてヒジャがたった一つの小さな村であった頃、聖女リリエンヌは教会の前で拾われた。

 捨て子であった彼女は教会で育てられ、清く美しく育った。

 教会で寝食を重ねたからか、はたまた修道女として厳しい修行の日々を過ごしていたからか、いつしか彼女には強い法力が身に付いていた。

 ある日教会にならず者の大群がなだれ込み、助けを求めた。

 財宝を集め溜めこむ金竜の巣に潜り込み、その宝を盗もうとしていた所を巣の主に見つかったのだ。

 怒り狂う金竜が翼で空を叩きながらならず者達を追い、村に迫る。

 リリエンヌは金竜の前に立ち、理を説いた。

「怒れる者、動くべからず」

 するとどうだろう。怒れる金竜は動きを止め、無様に地に落ちたのだ。

 法力とは法の力、つまり相手に禁忌を刻む力である。

 リリエンヌはただの一言で金竜に禁忌を刻み、禁忌を破った金竜は罰に縛られ自由を失ったのである。

 ならず者達はリリエンヌに驚嘆し、頭を垂れた。

 この日より、リリエンヌによる救いの日々は始まったのだった。


 以降の偉業について、荒也は半ば聞き流すように耳を傾けていた。

 問題が起こるたびに聖女リリエンヌがその法力で解決し、信者を増やす。その場その時で教訓としての意味は違えど、語られる出来事はその繰り返しなのだ。

 流石に焦れてきて、荒也はククリマに小声で尋ねる。

「……これいつ終わんの?」

「さあ?リリエンヌ様が亡くなるまでじゃない?」

「うへぇ……」

 荒也は正直に唸った。

 アーシーの説法は、昨夜に宿として教会を貸してくれた神父への義理を通すための事だ。

 しかし、いつ終わるとも知れぬ説法を聞き続けていれば、それこそ自分達四人の本来の目的に反するのではないか。

 荒也は文句を言いたい気分でなおも話すアーシーを見るが、彼女はそれに気付かぬ様子で村人達への説法を続けている。

 村人達も一様に、心底ありがたいと言った風で静かに説法に聞き入っていた。

「またある時、それはちょうどヒジャが隣国ナバンへ一国と認められるための交渉を行った頃……」

 リリエンヌの生涯はヒジャという国の歴史にも関わっているようで、話は壮大になる一方である。

 荒也にとっては馴染みの薄い話であり、やがて眠気よりも退屈が上回ってきた。

 何とはなしに窓の外へ目を逸らし、意識をそちらに向ける。

 外の様子は静かなものに思えた。風で草木のそよぐ様子や遠くで鳥のはばたく羽音にまで、心地よさすら覚えてくる。

 やがて耳慣れた音が遠くから聞こえ、荒也はそれに耳を傾けた。

 虫の羽音にも似たその音は、辺り一帯の静寂を蹴散らそうとするように徐々に近づいてくる。

 うるさくなるな、と思った直後、彼はふとその音に疑問を覚えた。

 空を小刻みに叩く、規則的な音。それはあまりに人工的で、牧歌的なマルタンの村に似つかわしくないものだ。

 不意に、昨日の出来事が脳裏をよぎる。

『これは我が国が新たに開発した、銃という武器だ』

『お前等銃も知らねーのか!』

『あんな玩具が何なのよ!』

 そして気付く。

 ここは銃すら知られていない世界。ならば、こんな音が聞こえるはずはない。

 荒也は全身が総毛立つのを感じた。

 思わず立ち上がり、教会の入口を見る。

 彼のこの挙動はその場にいる全員の注目を集めた。

 アーシーが説法をやめ、彼を見る。

 しんと静まり返った室内に構わず、荒也は外へ飛び出した。

「ちょ、ちょっと!」

 エリザが慌てて立ち上がり、出遅れたククリマも這い出すように彼を追う。

 教会を出て、すぐに足を止め空を見上げる荒也。

 ククリマが彼に近づき、どうしたの、と聞くよりも先に、彼女も音に気付いた。

「何、この音……?」

 彼女にとっては初めて聞く音であり、身の危険を覚えるものだった。

 上を見上げ、彼女も荒也と同じものを見る。

 空に浮かぶ、くびれた棒状の影。その両端から空を蹴散らすようなバタバタという音を上げながら、それは宙に浮いていた。

 小さく見えるその影は実ははるか高い位置にあり、本当の大きさを主張するように音はさらに大きくなる。

 目を凝らせば、空を叩き続ける長い棒状の羽が影の両端で激しく回り、二つの円を描いているのが見えた。

「マジかよ……」

 荒也は呟いた。

 彼はそれを知っている。既知のものではなかったが、それは彼の知るものによく似ていた。

 確認のため、彼はククリマに尋ねる。

「……念のため聞くけどよ、あれ何か知ってるか?」

「知ってたら教えて欲しいかな」

「そっか、そうだよな。あれはヘリコプターって言うんだ」

 それは二つのプロペラを持つ、輸送用のヘリだった。

 プロペラの回転音とモーターの駆動音が、なおも響き渡っている。

 荒也がそこまで言った時、ヘリの胴体から大きな部品が零れ落ちた。

「あ、お腹が外れた」

 ククリマが素直な感想をこぼした時、荒也ははっとし彼女の肩を掴んだ。

「離れろ!逃げるぞ!」

 ククリマは事態が理解できていないようだったが、荒也の様子を見てすぐに従った。

 教会の中に戻ってきた二人に、エリザが不機嫌な顔で尋ねる。

「どうしたってのよ、何の音?」

「ジルトールが何か落としてきやがった!」

 荒也の乱暴な説明に、エリザの顔が強張った。

 その声は村人達にも伝わり、教会内に緊張が走る。

 神父が檀上から荒也に大きな声で問うた。

「ほ、本当ですか!?」

「あんなモン持ってんのジルトールだけだろ!予想だけど!」

 荒也は一人で再び外に出ていき、空を仰いだ。

 ヘリは村の上空から遠ざかっていくが、落とされたものは二か所から傘を広げ、空気を含んだそれによってゆっくりと地表へと近づいていた。

 おや、と荒也は冷静になる。

 それは教会の前方へ影を落としており、影はどんどん下降に合わせて広がっていく。

 落下物が地表に近づくにつれ、その実態がよく見えるようになってきた。

 パラシュートで降りてくるそれは鉄製の籠であり、上部は幌に覆われている。

「爆弾、じゃあないな……」

 パラシュートを開いて降りるその様子から、荒也は籠の中身を察した。どうしたものかと、ちらりと教会の中を見る。

 村人のほとんどがこの中におり、仲間達もそこにいる。もし今の荒也の思う通りのものが籠の中にいれば、村はただではすまないだろう。

 自分の想像する今後の光景を悪趣味だと思いながらも、荒也はそれを否定できない。できないからこそ……。

「……、よし」

 荒也は腹を決めた。

「ククリマ、アーシーさん!人を絶対教会から出すな!エリザは弓矢用意しとけ!」

 鬼気迫る彼の剣幕に呑まれながら、先の二人がこれに従い村人を壇上に促し始める。

「わ、分かりました!皆さん、こちらに!」

 村人達は怪訝な顔をしたが、アーシーの誘導しているのを見て、すぐにそれに従った。彼女のすぐ傍に来た農夫が尋ねる。

「聖女様、あのお方は一体……?」

「直に分かります。あの方を信じてください」

 農夫は首を捻ったが、すぐに居場所を後続の者に譲り、更に後ろに下がっていった。

 エリザは荒也に苦々しい顔をしたが、ただならぬ事態を察し、足元に置いていた短弓と矢筒とを取って教会の入口へと向かった。開け放たれたままの扉の陰に身を隠すように立ち、外の様子を覗き見る。

 荒也の見ている前で、ついに落下物は底面を彼の視線の高さにまで降ろした。

 ちょうどその時、荒也の方に向いていた籠の側面が倒れ、その奥にあったカーテンが内側から開かれた。

 そこから露わになったのは、白い鎧に身を包んだ一人の人物だった。鎧は一目で分かるほど重厚で、顔まで面盾で覆い隠しているため威圧感がある。剣と盾とを持つ姿は、さながら騎士といった風情だった。

 やはりか、と同時に、しめた、と荒也は思った。

「くらえっ!」

 彼は右手を突き出し、「出ろ」と念じた。

 直後バチィッ、と電撃が飛び、騎士を撃つ。

 騎士は不意打ちだったそれをまともに喰らい、うめき声をあげてのけぞると、その姿勢のまま足を踏み外し、重い音を立てて肩から落下した。

 肉と鉄との重なる落下音に、幌の暗がりから他の騎士が一人、また一人と現れる。

「何だ!?」

「どうした!?」

 騎士達の中からそんな声が上がった。

 落下を続ける幌は、いびつな姿勢で横たわる騎士のすぐ後ろで静かに着地した。

 パラシュートがしぼみ、辺りの家屋に被さっていく間に、幌の中から続々と剣を握った騎士達が現れ、教会を背にした荒也の視界全体に展開する。

 その数、九人。

「貴様、一体何をした!?」

 追い詰められた格好になった荒也だったが怯まず、先ほど声を発した正面の騎士をねめつけた。

 その騎士だけは、兜の頂に赤いとさかを湛えている。

 どうやらその騎士がこの一団の指揮官らしい。そう判断して、荒也はその騎士に尋ねた。

「それは後で答えるからこっちも聞くぞ。アンタ等ここに何の用だ?」

 問われた赤いとさかの騎士がこれに応じた。

「決まっている。ジルトールとヒジャは対立しているのだ。敵地に領地を作りに来るのは当然だろうが」

「空輸で騎士を運んでか?こじらせたおとぎ話みたいだな」

「……貴様、何を言っている?舐めているのか?」

 指揮官のいら立ちに同意するように、他の騎士達が剣を持つ手を構え直し、荒也に剣を向ける。

 荒也は騎士達を見回すと、おどけたように肩を竦めた。

「アンタ等こそ、ちょっと相手を舐めすぎだろう。俺が誰だか分かってんのか?」

「何……?」

 挑発に乗った騎士達の注目がさらに荒也に集中する。

 充分に自分への敵意が高まっていると見ると、荒也はかぶっていたフードをはぎ取り、その顔を衆目へ晒した。

 少しばかり太い眉と、やや大きな口。それ以外は平凡な、特に特筆する点のない顔。

 荒也の顔を見たその瞬間、騎士達が一斉にたじろぎ、一歩引いた。

「ゆ、勇者ライエル!?」

「馬鹿な!」

「同じ顔は三人だけではないのか!?」

 騎士達からどよめきが上がるのを、荒也は笑みすら浮かべて睥睨する。

「残念だったな、四人目らしいぞ。もちろんバチッとやるのも出来る。さっきもやった。いやぁー、オモカゲ様々だよなぁ。……あれ、様一個足りないのかこれ?言いにくいな……」

 荒也がどうでもいい事を気にし始め、視線を下げて考え込み始める。

 そこで、荒也を囲む騎士の一人が、大きく踏み込んで彼に迫る。

 剣を振り上げて迫るその騎士に、荒也は振り向いて手をかざす。

 直後、閃光と轟音がその騎士を撃ち、撃たれた騎士は悲鳴を上げてのけ反り、倒れた。

「……あれ?」

 成果を確認し、荒也は怪訝な顔になる。

 彼はこの時、全員を感電させるつもりで一気に出したつもりだった。

 しかし倒れた騎士は一人だけ。

 電撃が、弱い。

 荒也の様子に気付いた指揮官が、ハッと笑った。

「調子に乗ったな。連続では充分に撃てまい!」

 残った騎士達が一斉に剣を振り上げ、荒也に迫る。

 荒也は慌てて腕を戻し、自分の体を見回した後、腰のエレク・トリクに気付いた。

 すぐに柄を握ってそれを引き抜く。

 とぷん、と鞘の中で音がしたのに気付いて更に手に気を込める。

 それでようやくエレク・トリクは硬さと長さを取り戻し、荒也は引き抜いたそれで頭上からの剣戟を受け止めた。

 ぎぃん、と歯の浮く音が上がる。

 のしかかるような騎士の剣は重く、荒也は踏ん張り身を反らす。

 受け方がまずかったらしく、荒也は身動きが取れなくなった。踏み込むことも、引き下がる事もできない。

 やっぱり普通の剣の方がマシだった。そのせいで反応が遅れた。

 荒也は臍を噛み、この場にいないヨウドーオを恨んだ。

 剣で押しつぶしにかかる騎士の陰から、他の騎士達が斬りかかりに迫る。

 あ、死んだ。

 彼が淡泊な後悔の感情を抱いた矢先、騎士達の首筋に、とっ、とっ、と続けざまに矢が刺さる。

 二人の騎士がよろめいて地に臥し、残る騎士達が踏みとどまって矢の飛んできた方向を見やった。

 教会の入口で、短弓を構える金髪の少女。それを見た騎士の一人が、驚嘆の声を上げる。

「早撃ちのシャシャ……!」

 そう呟いた騎士の首に、直後矢が突き立った。矢筒から矢を引き抜き、弦に番えて引き絞り放たれるまで二秒もない。それを見ていた荒也は、なるほど早撃ちで知られる訳だと感心した。鎧の隙間を縫っての的確な射撃にも、密かに舌を巻く。

 そこで、彼はエリザに騎士達の注意が反れた事で自分を押しつぶしにかかる力が弱まっているのに気付いた。

「ぬっ、オラァッ!」

 騎士が荒也に意識を戻すより先に荒也は剣を押し返し、跳ぶように二、三歩後ろに下がってその騎士と距離を取った。立ち止まり、背後にいた手近な騎士に空いた左手を突き出す。

「二回目ぇっ!」

 電撃を食らった騎士はのけ反り、不自然な姿勢のまま仰向けに倒れた。

 残った騎士達が荒也達に踏み込むのを躊躇い、その場にとどまった。

 荒也を押しつぶしに来た騎士も、そして指揮官も剣を構えたまま荒也達を見据えている。

「き、貴様等……!な、何て事を」

 半数以上の戦力を失った騎士達の一人、荒也を押しつぶしに来ていた騎士が怒りと慄きとの籠った声で唸る。

 荒也がエレク・トリクの先をその騎士に突き出し、はっきりと言い切った。

「侵略者に咎められる筋合いはねーよ。これは自衛だ」 

「黙れ!」

 叫んだのは指揮官だった。荒也は視線だけを彼に向ける。

「弱小国のヒジャごときが、我等ジルトールに刃向うなどと、あってはならん!」

「三回目」

 荒也の左手から電撃が飛び、指揮官はぎゃび、と無様な声を上げて地に臥した。

「……今のは何かムカついた」

 荒也はそう呟き、残った騎士達に目を光らせた。

 左手に見える荒也を押しつぶしに来た一人と、右手に見える一人。

 荒也は倒れ伏した騎士達には目もくれず、挟み撃ちの恰好で構える二人の騎士に意識を集中させる。

 指揮官を倒したなら勝ちも目前か、と思った矢先、彼はふと気付く。

 最初に電撃を喰らわせた一人を除いて、出てきた騎士達は九人。

 うち一人を電撃、続く三人が矢で、その後一人、また一人と電撃で倒している。そして両側から剣を荒也に向けて構えているのが二人。

 合わせて八人。

 一人、足りない。

「動くな!」

 背後で上がった知らぬ声に、荒也は振り向く。

 騎士が一人、教会の前でエリザに剣先を向けていた。

 エリザは弦に矢を番えそこねた格好で、苦々しい顔で剣先を見ている。

 いかな早業の使い手と言えども、少しでも動けばその喉を貫かれるのは明らかだった。

「エリザ!」

「剣をしまえ!電撃も出すな!」

 エリザを人質に取った騎士が荒也に恫喝する。

 しかし荒也は言わずにいられなかった。

「お前なんで捕まってんだよ!」

 怒鳴る荒也に、エリザは苦虫を編みつぶした顔になる。

「しょ、しょうがないでしょ!あんたの援護に集中してたのよ!」

 エリザは首筋に突き付けられた剣におびえた目を向けながら、精一杯の声で荒也に言い返した。

 あ、と荒也は気まずい顔になり、どうしたものかと頭を掻く。

「妙な動きをするな!剣を置け!」

 人質を取る騎士が再び荒也に恫喝する。

 荒也は不服な顔をしながらも、ゆっくりとエレク・トリクの先を鞘に近づけた。

「ちょ、ちょっと!何で抵抗しないのよ!?」

 その言葉に、荒也は眉をひそめた。少し黙った後、彼女に言う。

「……これから二か月の付き合いだ。まだ三日しか経ってない」

 え、と小さく彼女の口から戸惑いの声が上がる。

 しかしその声は荒也には聞こえず、ちんという音を立ててエレク・トリクが鞘の中に収められた。

 荒也は鞘に入った得物を足元に放り、それを見て残る二人の騎士達がじりじりと距離を詰め始める。

「分かっているだろうな。電撃もだめだ」

 人質を取る騎士が、念押しするように言った。

 騎士達が近づくにつれ、荒也は胸が詰まりそうになる。

 とった行動に後悔はないが、逆転の策はない。

 どんな目に会わされるのか想像しようとして、すぐにやめた。

 痛いか、あるいはそれ以上の目に合うに決まっている。

 人質を取っている騎士に電撃を放てば、エリザが巻き添えになる。

「打つ手なしか……」

 距離を詰める騎士達の面盾の奥から、くぐもった笑いが上がった。

 白い鎧の持つ清楚なイメージに似つかわしくない、下卑たものだ。

 その笑いが癪に障り、荒也の眉間に深い皺が寄る。

 エリザに剣を突き付けていた騎士もまた、やらしい笑い声を上げて顔をエリザに近づけた。

 面盾越しに鼻息すら聞こえる近さに、エリザは嫌悪で顔を歪める。

「最っ悪……」

 そうエリザが呟き、騎士がその反応で更に喜んだように笑う。

 その時だった。

 カツ、と響く音が教会の中から上がった。

 さらにカツ、カツと同じ音が続く。

 エリザと騎士がそこに目をやると、奥に避難している村人達の視線を背に受けながら、一人の修道女がゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。

「あ、アーシーさん!?」

 エリザが戸惑い、彼女の名を呼ぶ。

 当人は答えず、じっと前を見ながら静かに口を開く。

「……聖女リリエンヌは仰いました。それはちょうど、ヒジャが蛮族の国に攻め込まれ、城を囲まれた時の事です」

 歩みを止めず始められた説法に、騎士が首を捻る。

 その修道女は脅威には見えないが、行動の意図がまるで読めない。

「ハァ?何を言って……」

 その反応に構わず、アーシーはどんどん騎士に迫りながら続ける。

「蛮族の軍勢に囲まれ兵は疲労困憊、来るかどうかも分からぬ援軍を待つばかり。士気を落とした彼等の前に聖女リリエンヌは進み出で、こう言ったそうです」

 そこまで言った時、エリザを捉えている騎士まであと一歩という距離でアーシーは立ち止まり、同時に右肩を引いた。

 直後の出来事を、エリザは間近で見た。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 アーシーは引いていた右足から左足に体重を移すようにして体幹を捻り、騎士の顔面を覆う面盾へと右腕を一気に伸ばした。

 騎士の面盾にアーシーの握りしめられた右手が飛び込み、当たった瞬間、派手な音を立てて面盾がひしゃげた。

 アーシーの右手の勢いは止まらず、騎士がのけぞる。

 力が抜けたからか、エリザの喉元に向けられていた剣が騎士の手から離れる。

 騎士の体は大きく傾き、そのままどう、と倒れた。

 騎士は倒れたまま、動かない。

「……な、え?」

 事の顛末を見ていた二人の騎士が、茫然と動きを止めて仲間の有様を見る。

 荒也とエリザも目を疑っていた。

 アーシーは握りしめた手に労わるように反対の手を添え、騎士達を、そしてエリザを見て静かにこう言った。

「“隣人を信じよ。愛が我等を救うのだ”、と」

 アーシーの右手、親指を覗く四本の指の付け根がわずかな光を反射してギラリと光る。

 握り込んだ手の中からも、金属質の光沢が覗いていた。

「め、メリケンサック……!?」

 荒也が見えたものの名前を思わず呟く。

 二人の騎士が色めき立ち、剣をアーシーに構えた。

「な、何だこの女!?」

「せ、聖女が人を殴るのか!?」

 騎士の声を呼び声に、教会の中からもどよめきが凝る。

 入り口の奥から外の様子を見ていた、村人達の声だ。

「そりゃ殴るだろ。自衛だ自衛」

 荒也が他人事のように言って、すっと右手を騎士の一人に突きだした。

 それは荒也を押しつぶしにかかった方の騎士だった。

「四回目」

「えっ」

 バチィッ、と電撃が騎士を撃ち、その騎士は無様に倒れ伏した。

 最後に残った騎士が、仲間達の倒れている様子を見回し、ただ一人になったのに気付く。

 外に出たアーシーが先ほど殴り飛ばした相手には見向きもせず、一人になった騎士へと近づいていく。

 その歩調は規則的で、視線は騎士を見据えたままだ。

 騎士はすくみ上り、慌てて剣と盾とを放り捨て両手を挙げた。。

「ま、待て!降参だ!頼む、話を……」

 懇願する騎士。

 アーシーは歩みを止めない。

 間近まで来た彼女に、騎士はひっ、と上ずった悲鳴を上げた。

「お願いだ、殴らな……」

 言葉は鈍い打撃音で打ち切られた。

 教会の中から、ひっと上ずった悲鳴がいくつも上がる。

 最後の騎士が地に倒れ、顔を押さえて呻きもがく。

「あが、うがぁ……っ」

 悶絶する騎士を、アーシーは黙って見下ろしていたが、やおら騎士をまたぎ、騎士の上に馬乗りになると、騎士の鎧の喉元辺りを掴み上げ、もう一発面盾を殴った。

 鉄板越しに顔の骨を打つ鈍い音が上がり、頭を揺らされた騎士が苦悶の声を上げる。

「うぶっ……、うへ」

 声を聞いたアーシーがさらに殴る。小さい悲鳴に、さらに一撃。

「お、おいおい、死ぬぞ!」

 荒也が慌ててアーシーに近づきその肩を掴む。

 アーシーが拳を振り上げたまま動きを止め、黙って肩越しに荒也を見た。

 無感動な、動物じみた黒い目が大きく見開かれたまま荒也に向けられる。

 感情を取り払ったようなその目に、荒也は振り上げた拳の先が自分に向けられる予感すら感じ、思わずすくみ上がった。

 しかし、目を離したら襲われると本能で感じ取り、逃げずにじっと見つめ返す。

「……」

「……」

 二人の成り行きを、エリザや、その背後からククリマや神父達が教会の入口まで来てじっと見守る。

 やがて拮抗状態とでも言うべき沈黙が、思い出したようなアーシーの瞬きで破られた。

 一度目の瞬きの後、二度三度と続き、その表情が次第に柔らかくなっていく。

「……あれ、代理様?」

 きょとんとした彼女の顔に、荒也は安堵した。

「よかった、正気になった。もう大丈夫だから、離してやって」

 アーシーは疑問を表情に浮かべた後、思い出したように自分が組み敷いている相手に目をやった。

「息、してますよ?」

「だからだよ!」

 荒也は思わず大声で言った。

 アーシーは腑に落ちない様子ながらも手を離し、そのせいで騎士の頭が地面に乱暴に落とされた。

 騎士のうめく様子とアーシーの動じない態度とに、荒也が引き気味になる。

「ええぇ、アーシーさんそんな人だったの……?」

 アーシーはそんな声を受けて、不思議そうに首を捻った。

「侵略しに来た相手ですよ。容赦する理由がないじゃないですか」

「いや、まぁ……うん。そうかもしれないけども」

 アーシーがあまりにも当たり前のように言い切ってくるため、荒也は自分が間違っているような気すらしてちらりとエリザと、その背後にある教会とを見やる。

 誰もが目を疑うような、驚きと怯えを含んだ目をしているのを見て、荒也はむしろ安心感を覚えた。

 彼は改めて倒れた騎士に目を向けた。

 うめく騎士の面盾は見事にひしゃげてしまっており、元から目元や口元に開いていた面盾の切れ目からは真新しい血の散った跡が残っている。

 アーシーが立ち上がって騎士から離れていくのと入れ替わり、荒也は騎士のそばでしゃがみこんだ。

「……まあ、あんたも大変な目に会ったな。同情したい所だが、侵略なんて真似しようとしたんだから、身から出た錆って事だろうな。さて、聞きたい事がある」

 かろうじて身を起こそうとする騎士に、荒也は尋ねた。

「俺以外の、代理を含めた勇者三人はどこにいるんだ?俺にめちゃくちゃ驚いてたのはつまり、全員の行方を知ってるからだろ」

 騎士が絶句し、アーシーやエリザが荒也に注目する。

 危機が去ったとみたらしく、ククリマも教会の出口から恐る恐るその様子を見ていた。

 騎士がぎこちない動きで上体を起こそうとするのを、荒也は右手を挙げて制した。

「ああっと、変な動きはやめろよ。しこたま殴られた上にバチィッ、なんて喰らいたくないだろ?」

 脅しが効いたのか騎士は動きを止め、逡巡するように黙りこくった。

 やがて観念したかのように、痛みからたどたどしく、ゆっくりと話し始める。

「……ヒジャの刺客、お前等が勇者と呼ぶ男達は、三人とも、我が国で、拘束している」

 アーシーとエリザ、ククリマが語られた事実に息を呑む。

 荒也は予想していた通りの言葉に目を細めた。

「その言い方から察するに、生かしてはいるみたいだな。なんでだ?」

 その質問に、アーシーが疑問を抱く。

「なんでって、どういう事です?」

「ジルトールからすりゃ、ヒジャの勇者様は王への暗殺者だろ。自分を殺しに来た相手を生かす理由なんて普通ないのに、拘束してるってこいつは言ったんだ。人質にするつもりならヒジャのお偉方に告知するだろうに、結構偉いはずのヨウドーオって爺さんも勇者達がどうなってたか知ってる風でもなかった。黙って捉えておく理由があるみたいだが、それが何かがまだ分からん」

 ああ、と感心したようにアーシーは小さく何度か頷いた。

「確かにそうですね」

「でしょ?勇者を捉えて何をしてるのか、魔王の狙いがまだ分からん」

「ま、魔王?」

 騎士が戸惑いの声を上げたのに、荒也は答える。

「あ、知らない?ジルトールの王をこっちでは魔王って呼んでるそうだぞ」

 騎士は最初、何も言わなかった。

 言葉を失ったらしいその間の後、騎士はやおら笑い出した。

「は、ハハハ、ハッハッハ!魔王か、なるほど言い得て妙だ!」

 荒也達はその反応に呆気に取られ、アーシー達は騎士の反応を不気味に感じて嫌悪を示す。

 彼等の反応をよそに、騎士は荒也に身を乗り出した。

「あの方は異常だ!ジルトールの騎士たる私でも、そう思う!あの方は即位してすぐに周辺国への侵略を指示した!先代以上に軍備に力を入れ、ジルトールの産業はほとんどが軍事力に注がれた!そのせいで、戦のあり方が変わろうとしている!」

 騎士はそこまで言うと息を切らせ、空を仰いだ。

「私が乗ってきた乗り物を見ただろう。空を飛び騎士団を運ぶ鉄の蠅だ。あれが量産されれば、ヒジャのごとき弱小国などすぐに制圧できるだろう!まだまだジルトールには恐ろしいものがある!」

 騎士はそこまで言って咳き込んだ後、荒也を指差した。

「貴様もせいぜい気を付けるんだな。捕まれば最後、奴等みたいに死ぬよりひどい目に会わされるだろうぜ。自決の用意はしておくんだな!」

 騎士が荒也に向け、哄笑を上げる。

 笑い声は止む気配がなく、やがて荒也の電撃によって中断された。

 アーシー達三人の顔は青いが、ただ一人、荒也は怪訝な顔をする。

「結局何も答えなかったなこいつ。……しかし、どういう事だ?」

 荒也には騎士の言葉の真意は読めなかったが、それでも、不穏なものを感じずにはいられなかった。


 高く昇った太陽が下降を始めるかどうかといった頃、荒也達四人はマルタンの村の入口にいた。

 神父や村人達が見送りの為に集まり、神妙な顔を四人に向けている。

「……あなた方にはどれだけ感謝しても足りません。これはここにいる皆の正直な気持ちです。……ですが、あなた方もお急ぎでしょう。すぐにでもここを発った方がいい」

 神父がそう言うと、村人達は同意するように沈黙を保ち、荒也達に物言いたげな目を向けた。

 そのほとんどはアーシーに集まっており、アーシー本人もまた気まずそうに俯いて黙ったままだった。

 そんな中、荒也が神父に答える。

「そうさせて頂きます。一宿の恩、感謝いたします。では、これで」

 荒也は深々と頭を下げた後、踵を返し村を後にした。

 他の三人も彼に倣って頭を下げた後、彼を追った。

 その途中で、アーシーが足を止め村を振り返る。

「本当に、ありがとうございました」

 もう一度深々と頭を下げ、彼女は荒也達を走って追った。

 見送る村人の表情は、どれももの言いたげな、暗いものだった。

 村が見えなくなった頃、先頭を歩いていた荒也がアーシーに尋ねる。

「なんで神父さんや村の人達はあんな態度になったんだ?」

 アーシーは自分が質問されているのに気付くと、荒也に聞き返した。

「あんな態度、とは?」

「アーシーさんは聖女のそっくりさんで、ありがたい存在なんだろ?それが素を見せた途端よそよそしくなるって、虫が良すぎねーか?」

 素、と言われて、アーシーは気まずそうな顔をした。

「あれは素じゃありません!ちょっと、その、危機的状況でスイッチが入っただけです!」

「それを素っていうんだよ。別に聖女としての技能は顔の時点で持ってんだろ?だったら何の問題もないと思うんだけど」

 アーシーは荒也の言葉に口を結んでいたが、やがて観念したようにぽつりと話し始めた。

「……失望されたんですよ。私が、聖女様のようではないと」

「ようでない?」

 荒也は首を捻った。

「オモカゲ様に面通しを受けて受け継がれるのは技能や能力だけです。気品や性格といった、人格に関わるものまでは継承されません」

 荒也はかつてヨウドーオから受けた話を思い出した。

「ああ、何か似たような事あの爺さんが言ってたな。シャシャが本当は気さくだったとか何とか」

 荒也が言いながらちらりと最後尾を歩くエリザに目をやると、それに気付いた彼女が、文句があるのか、とでも言いたげに目を細めて彼を睨み返した。

 アーシーはそれに気付かず、そのまま話を続ける。

「聖女リリエンヌは、この国の成り立ちに深く関わった方でした。ですから、この国に住む多くの方は、理想的な人物として憧憬を抱かれているのです。……自衛のためとはいえ、私があんな姿を見せてしまっては失望されるのも当然です」

 その語り様は真摯なもので、荒也には彼女が本気で後悔しているのが感じられた。

 沈痛な面持ちからも強い自責に駆られている事は明らかだった。

 そんな彼女を見かねてか、ククリマがその隣に歩み寄ってその顔を覗きこむ。

 しかしかける言葉が見つからなかったからか、すぐに申し訳なさそうな顔になって彼女の後ろに下がってしまった。

 荒也も何か言うべきかと口を開きかけるが、無感動で動物的な目で見られた時の事をまざまざと思い出してしまい、結局言葉を飲み込んだ。

 人間にそんな目で見られたら、怖い、と思うのも無理からぬ話だ。

 足音だけが四人の間で流れ、いくばくかの距離が進む。

 そこで、荒也は思い出したようにアーシーに言った。

「……まるでお芝居だな」

「はい?」

 唐突な表現に、アーシーを含む三人が怪訝な顔をして荒也を見る。

 彼は振り返らず、先を進みながら言葉を続けた。

「俺から言わせりゃ、この世界はお芝居を強要されてるような所だ。顔が同じだったらそれだけでどんな生き方してようが同じ役割を押しつけられるし、人となりまで決めつけられる。お芝居と違うのは、楽屋裏がない事くらいか。おかげで役者は四六時中観客に見られて、息付く余裕もありゃしない。正直、住みつきたいと思う場所じゃねぇよここ」

 あまりにも不躾で、しかし彼にとっては正直な言葉だった。

 アーシーは毒気を抜かれたようにぽかんとし、ククリマは聞いた事のない話の続きに期待を募らせ、エリザは不愉快そうに眉根をひそめた。

「……ホント窮屈なトコだよな。同情するよ」

 足を止めず、思うままを口にする。

「でもさ、俺があくまで勇者の代理であって勇者様じゃないようなモンでさ、アーシーさんだって聖女リリエンヌじゃねーのは皆が分かってるんだろ?だったらその時点で、失望する方が失礼じゃねぇのっつー話だよ。一方的に期待してくるのは向こうなんだから、アーシーさんが悪い訳じゃねーじゃん」

「そ、それは……。ですが、私は修道女です。馬乗りで敵を殴るような女であってはなりません。聖女を求める方々の要望に応えるのが、私の務めです」

「そう考えるのは立派だけどさ、無理して他人になるなんて、嘘つくようなもんじゃねーか。いつまでも続く事じゃねーよ」

 アーシーがこれに息を呑んだ。

 ククリマと、そしてエリザも目を丸くして荒也を見る。

「あんな行動に出たのは、アーシーさんがエリザを助けようとしたからだろ?それは聖女らしくしようとしたから?」

「ち、違います!あの時は、皆が危ないと思って……」

「だったらさ、それはアーシーさんが立派だって事じゃん。俺だって、あの時の事は感謝してんだ」

「そ、そうなんですか?」

「そうだよ。俺はあの時、何にもできなかったからさ。……周りが失望するのが聖女じゃなくてアーシーさんだからだってんならさ、怒っていいと俺は思うよ。それこそ、聖女パンチでもしてさ」

 冗談めかして拳をぱんと合わせ、荒也は話を締めくくった。

 再び四人の足音だけが続く時間が流れる。

 歩みが進むにつれ、ふと荒也はこう思い始めた。

『……もしかして俺、とんでもない事を言ったんだろうか?』

 先ほど彼は、役割を強いられる生活をお芝居、と例えたが、そのお芝居が行われるよう仕組んでいるのは、他ならぬオモカゲ様である。

 そしてオモカゲ様は、この世界に恩恵を与え多くの人々に崇拝されている。

 アーシーに似た聖女リリエンヌよりも、だ。

 自分の言った事が、遠回しにオモカゲ様を批判していると取られる可能性に気付き、荒也は恐る恐る後ろを振り返ろうとした。

 矢でも飛んでくるのかと、警戒心から背筋が丸まる。

 そこで、彼は真横に来ていたククリマと目が合い、ぎょっとする。

 荒也の顔色を探るように見上げてくる彼女だったが、その顔はにんまりと笑っていた。

「そうだよね!流石代理さん、分かってるぅ!」

 弾んだ声でそう言うククリマは、足取りまでも弾ませて彼の前に回り込んだ。

 そのまま後ろ向きで荒也の前を歩き、上機嫌で荒也からつかず離れずの距離を保って笑顔を彼に向ける。

 荒也はまんざら悪い気はせず、自分の杞憂に苦笑した。

「何でお前が嬉しそうなんだよ……」

「えー駄目ー?なんでー?」

「何でってお前、俺はアーシーさんと話をしてるんだから……」

「私も、何だか楽になりましたよ」

 アーシーが、荒也の隣に来てそう言った。

「お、お、そう?」

「ええ。思えば、そんな励ましは初めて受けた気がします」

「んな大げさな……」

「感謝してるんですよ?素直に受け取ってください」

 アーシーはふふ、と笑って速足になり、荒也との距離を詰めた。

 二人の好意的な反応に、荒也は戸惑った。悪い気はしないが、疑念は晴れない。

『……これは、良かった、んだよな?』

 未だに失言だったような気がしてならず、彼はちらりと後ろにいるエリザに目を向けた。

 それを見たエリザが、険しい顔で速足になり荒也に迫る。

「私もあんたに言いたい事があるの」

 口ぶりは変わらず突っぱねたようなもので、荒也はむしろ安堵した。

 悪態の一つでも言われるのだろうと気構え、むしろ余裕をもって隣に来た彼女の言葉を待つ。

 焦らすような間の後、彼女は口を開いた。

「その……、ありがとう。あたしを、見捨てなくって」

 それはエリザのものとは思えないほどか細く、かすかに恥じらいを含んだ声だった。

 不意打ちも同然の、耳をくすぐる謝辞に、荒也の胸は跳ね上がった。

 あまりにも予想外な言葉に思わず歩調を乱し、前につんのめって転びかける。

 アーシーとククリマが不思議そうな顔をして立ち止まり、エリザは足を止めるとふいと彼から目を逸らした。

 荒也は踏みとどまったその場で、エリザを指差す

「お、おまっ……、ななな」

 言葉が出て来ず、彼はうまく動かない口でエリザにものを言おうとする。そんな彼に、他の二人が首を捻る。

「どうしたの、代理さん?」

「顔、真っ赤ですよ」

 言われて、荒也は顔が熱くなっているのに気付いた。

 ようやく動揺を口にできるようになり、彼は早口で言う。

「い、いや……、何でもない、何でもない!」

 荒也の様子を見て、ククリマがエリザに尋ねる。

「エリザさん、なんて言ったの?」

 エリザは目を逸らしたまま、憮然とした口調で答えた。

「……ちゃんとしろって、言ったのよ。仮にも勇者なんだから」

 アーシーがお、とエリザの顔を覗き込みながら聞く。

「偽物にですか?」

「代理に、です」

 エリザは痛いところを突かれたような顔になってアーシーを見た。

 アーシーはエリザと目を合わせたまま、いたずらっぽく笑っている。

 話題がエリザに移っているのを見て、荒也は調子を取り戻しこれに乗った。

「おやぁ?確か俺は、偽物じゃなかったかなぁ?」

 わざと意地悪く言って、エリザに身を乗り出す。

「あ、あれは……、その、ゴメン。本当に言い過ぎた。だから、その……」

 珍しく言葉を濁すエリザを、荒也とアーシーが面白がってじろじろと見る。

 ククリマも、それに混ざってエリザを見上げた。

 注目を浴び、みるみるエリザの顔が赤くなる。

 ついには両手で顔を隠し、縮こまってしまう。

「ゆ、許してよぉ……」

 か細い声で言うエリザを見て、荒也がアーシーに言った。

「やべぇ、今超楽しい」

「私もです」

「も、もう行くよ!遅れているんでしょ!」

 エリザが耐え切れなくなって、速足になって前へ進み、荒也よりも前に出た。

 ククリマがいち早く「きゃー」と笑って彼女を追って駆け出す。

「おい、置いていくなよ!勇者だぞ!」

 荒也が慌てて走るのを見て、アーシーが続く。

「競走ですか?負けませんよー」

 弾んだ声を上げながら、彼女は三人を追いかけた。

 広い草原の中に伸びる野道を、四人は競うように走っていく。

 一行の歩みは村を出た時よりも速く、軽快なものとなっていた。

 それは決して、走っているからだけではなかった。

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