第2話 ビギニング勇者様


 全身の肌から伝わる冷気に身を震わせ、荒也は目覚めた。

 四つの円柱と石の壁に囲まれた、窓のない薄暗い空間。

 部屋の壁沿いに設けられた水路を通る水の音が静寂を埋め、それが空間の寒々とした雰囲気を一層引き立てている。

 荒也は自分が石の床に横たわっているのが分かり、薄い寝巻越しの石の冷たさから逃げるように身を起こす。

 ふと上を見上げ、そこで彼は自分を見下ろす者がいる事に気付いた。

 白く長いひげを垂らした老人で、その髭は尖った靴の先まで達している。

 紫色のローブをまとったその姿は、むき出しの禿頭を隠す帽子があれば、いかにも魔法使いといった印象を荒也に与えただろう。腰につけた小さな革の箱が目を引く。

 荒也は自分が今いる場所に心当たりがなく、老人の顔も初めて見るものだった。

 老人が何事か話しかけるが、荒也にはまるで分からない。

 全く聞いた事のない言語なのだ。

 彼はどう話すべきか少し悩んだ後、尋ねる。

「……えーと、俺はまだ夢の中って事?」

 老人の目が丸く見開かれる。

 驚いたようなその表情の後、困り果てたかのように荒也から目をそむけ頬骨の辺りを指で掻いた。

 その反応で、彼は老人に自分の言葉が理解されていない事が分かった。

 ふと、荒也の目が動くものを察知しそちらを向く。

 部屋の入口から、燕のように空中を滑り込んだものがあったのだ。

 それは老人の禿頭の高さで進行を止め、荒也にその姿を見せる。

 荒也はそれを見て、喉の奥が裏返ったような声を上げた。

 それは仮面だった。

 荒也が先ほど見たものと、全く同じ作りだ。

 それは羽やプロペラもなく、糸で釣っている様子もないのに、自らの意思で滞空しているかのように宙に浮いていた。

 絶句する荒也の反応に気付いた老人が後ろを見やり、仮面を確認すると安堵するように息をついた。

 仮面は老人の禿頭を通り過ぎ、荒也をじっと見つめたまま距離を詰めていく。

 身構える荒也に、仮面の唇から何事かが呟かれた。

 声も男とも女ともつかぬ無機質なものであったが、荒也の分かる言葉ではない。

 もそもそとした発音は、まるで意図の読めないものだ。

 固唾をのみ、仮面から目を離すまいとする。

 突然、仮面の目が強い光を放った。

 反応が遅れ光をまともに見た荒也の眼球に、一瞬、強い電流が流れたような痛みが走る。

 痛みは一瞬にして脳天と背筋とを一気に走り、全身に巡る。

 彼は尻から落下し無様に倒れ、石の床の上で悶絶しのたうち回った。

「……おっ、おおぅ……っ!」

 目を押さえてもがく荒也を、仮面は静かに見つめていたが、すぐに興味を無くしたかのように裏返り、部屋を飛んで出て行った。

 老人がなおももがく荒也を見下ろし、声をかける。

「もし、青年よ。私の言う事が分かるかね?」

 気遣うようなその言葉を、荒也は理解した。

 理解できた驚きで痛みがおおよそ収まり、彼はようやく肘をついて上体を起こした。

「あ、ああ分かる、分かります。あれ?」

 荒也は自分の口から出てきた言葉が日本語でないのに驚いた。

 まるで馴染みがないはずの言語なのに、言おうとした意味の言葉を悩むことなく選び、よどみなく発音し、当たり前のように意味の通るものとして話せている。

 自分の言葉が本当に相手に伝わっているのか、確かめるように老人に問う。

「ええとこれ、やっぱり夢じゃない?」

「左様、夢ではありません」

「やっぱり?さっきから寒いし、すんげー痛いしでおかしいと思ったんだ。夢って肌に訴えるものがないんだよなぁ。……え、どういう事?どこここ?」

 荒也は動転したまま辺りを見回す。

 動く者は老人以外見当たらない。

「混乱するのも無理はありません。順を追ってお話しましょう」

 そう言って、老人は荒也に手を貸して引き起こした。

 立ち上がった荒也が寝間着のあちこちをはたき終えるのを待ち、老人は荒也の目を見て言う。

「あなたをここに呼んだのは私です」

 荒也の老人を見る目が、途端に敵意のこもったものになる。

「……どうやってそんな事を?」

「呼び声の魔術です。望む特徴を持った人間を、どこか他の場所から呼び出す魔術です。最も、相手が眠っていなければ効果はないのですが」

 魔術、という単語が当たり前のように老人の口から出てきた事に荒也は耳を疑った。

「魔術だって?まるで異世界だな」

「これは驚いた。魔術を知らぬのですか?」

「俺の知る限りじゃ、大概それはオカルトやペテンって呼ばれてるよ。本気で信じる大人がいたら、カウンセリングを勧められるね」

「……?よく分かりませんが、異世界から来られたのは確かなようですね」

「そっちからすりゃそうなるんだろうな。……何て事してんだアンタ」

 荒也は憤りを隠そうともせずに老人を睨みつける。

「お怒りはご最も。ですが、こちらにも事情があるのです」

 老人はそこで一旦言葉を切り、話す言葉を吟味するように辺りをゆっくり歩き始めた。

 そして、ぽつりぽつりと話し始める。

「我々の国ヒジャは今、敵対する国家ジルトールからの脅威にさらされております。ジルトールの王が魔王を名乗りヒジャに宣戦布告したのが実に半年前。その間、進んだ技術を持つジルトールの兵士達は我が国の戦力を蹂躙し、着々と我が国の侵略を進めている最中なのです」

「え、待って。……俺に、戦争に参加しろって言うの?その、ヒジャって国のために?」

「そうではありません。あなたに求めるものは別です。……まともに戦を挑めばこちらの敗北は必至。ヒジャの王もそれを認め、ある方法に出ました。……少数精鋭による魔王討伐、つまりは暗殺です」

 荒也の表情がみるみる固くなる。

「我々はジルトールに優れた力を持つ者を侵入させ、魔王を討たせる事にしました。魔王を討つ者、すなわち勇者を選んだのです。……最初の勇者、ライエルが仲間たちと魔王討伐に発ったのが、五か月前の事です。彼はオモカゲ様によって伝承にある『雷に打たれた男』の技能を与えられた者でした」

「オモカゲ様?」

 荒也は一番気になった単語に首を捻り、その直後すぐに心当たりに至った。

「ああ、あの仮面か……」

「先ほどのものはオモカゲ様の衛星です。各地にいくつもあり、あなたが夢の中で見たというのもその一つです。衛星を通じてオモカゲ様に認められた者は、その顔に似た者と同じ技能や、あるいは特別な力を得られるのです」

「そんなバカな」

 率直な感想を口にする荒也。しかし、老人の顔が固いものになっているのに気付き、その様子から嘘や冗談を言っている様子ではないという事が分かった。

「……え、マジで?顔さえ似てればいいの?」

 老人は彼に頷いてみせた。

「そうです。顔を通じて、様々な伝説や伝承、史実に現れる者達の能力を再現してくださるのです。かく言う私も、オモカゲ様によって大魔術師エルトレントの力を賜っております。そのおかげで、こうしてあなたを私達の国へと呼び出す事ができたのです」

「それが本当だったらすげー話だな」

 荒也が呆れたように反応を返すが、老人の顔はにわかに明るくなった。

「そうでしょう、そうでしょう。オモカゲ様は偉大です。オモカゲ様によって、我々は様々な恩恵を得ているのです」

 荒也は皮肉を言ったつもりだったが、老人の機嫌を損ねるのも面倒だと思い理解を示す。

「つまり、アレか。その勇者さんも、この国に伝わる英雄だか神様だかに顔がそっくりだから、オモカゲ様っつーのから伝承に謂われた通りのすごい力をもらった訳か」

「理解が早くて助かります。まさにその通りで、ライエルは『雷に打たれた男』として、その身から電撃を放つ事ができます」

「それホントに人間か?」

「失敬な。伝承にそう書かれています。そしてオモカゲ様によって技能が再現されたという事は、伝承が事実である事を証明したという事です。同時にそれは、我々に魔王打倒への希望を持たせてくれました。……しかし、はかない希望でした」

 老人は再び神妙な顔になり、話を続けた。

「ライエルは帰ってきませんでした。今なお魔王は君臨し、ジルトールの脅威は強くなるばかり。我々はライエルの失敗を確信し、次なる手に出ました。国中を探し回り、ライエルと同じ顔をした若者を探したのです」

「世の中には似た顔の奴が三人いるっていう奴か」

「まさしくそれです。見つけ出した二人の若者もオモカゲ様によってライエルと同じ力を得ていました。彼等にも魔王討伐を命じ送り出したのがそれぞれ四か月前、三か月前でした。しかし、彼等も帰ってこなかった」

「……ん?」

 荒也の胸中に、一つの疑念が生じる。

「我々は困り果てました。まともにぶつかれば勝ち目はなく、三人の勇者も戻ってこない。このまま手をこまねいていてはヒジャはジルトールに侵略されてしまいます。他に有効な手もない以上、我々には新たな勇者が必要だったのです」

「ちょ、ちょっと待って。もしかして、もしかしなくてもさあ。……その勇者ライエルって」

 荒也は恐る恐る自分の顔を指差す。

 そうであって欲しくないと思いながら、しかしその期待が裏切られるのも半ば確信しながら。

「……こんな顔、してんの?」

 その質問に、老人は黙って首を縦に振った。


 赤崎荒也は自分が特別にハンサムだと思った事も、不細工だと思った事もない。

多くの人がそうであるように、彼もまた自分の顔付きを平均より少し上程度のものだと思っていた。

 少しばかり太い眉とやや大きな口が特徴的で、友人から度々「お前に似た犬を最近見たぞ」と言われては、それが悪口である事を察するのが半ば慣例のようになっていた。

 兄の直也に比べられるきっかけとして顔を引き合いに出される事は多かったが、それ自体が悪い事と思った事は、兄弟揃ってない。

 彼にとって顔が人生を大きく変える場面など、テレビの中で流れるような、陳腐なドラマやアニメでくらいでしか見た事のないものだった。

 よもや自分の身に同じ出来事が、それも悪い冗談のような形で起こるなど、未だかつて想像した事すらなかったのだった。


 荒也はひきつった顔で自分を指差したままで固まり、老人を凝視する。

「……つまり、あれか?国家存亡の危機をどうにかするために伝説を再現できる奴をわざわざ他の世界から呼んで、あまつさえ暗殺なんつー事をさせようって腹か、爺さん?」

「聞こえの悪い言い方ですな」

「合ってんじゃねーか、内容は。俺からしたら『ふざけんな』としか言えねーよ。前任三人が失敗してんなら他の方法選ぶぞ普通」

「最善の手を選んだ結果がこれなのです」

「伝説にすがるのが最後の手とかもう滅亡確約してんじゃねーか、もう少し自力で頑張れよ」

 荒也のその悪態に、老人の目が鋭くなった。

「お言葉ですが勇者様」

「やめろその呼び方」

「我が国、いや、こちらの世界に伝わる伝説はオモカゲ様によって再現が可能なものばかりです。そのおかげで、別世界の住民であるあなたをこちらにお呼びする事ができたのです」

「できて欲しくなかったよ」

 荒也は老人の禿頭をじっと見ながらそう呟いた。かつての大魔術師、などと言われても荒也にはまるで分からない。

「こちらの世界に生きる者はそのほぼ全てがオモカゲ様の恩恵を受けています。あなたも先ほど面通しをなされたでしょう」

 荒也はオモカゲ様の衛星から稲妻のようなもので撃たれた時の事を思い出した。

 面通しとはその時の事を指すものだと察し、そのおかげで言葉が通じるようになった事も理解する。

「偉人、先人と同じ顔をした者は面通しを受ける事でその方々と同じ技能を得、今日もその身を立てるのに大いに役立てています」

「自助努力を否定してねーか?顔のおかげで頑張る理由のなくなる奴も多そうだぞ」

「……そういった者がいないと言えば嘘になります。ですが、全てが過去の方々と同じになる訳ではないのです。自分自身で重ねた経験は、もちろんその者自身のものになりますよ」

「ふーん」

 興味なさげにそう返し、荒也は部屋の入口に目を向けた。

「とりあえずさ、正直寒いんでここを出たい。こっちは寝間着なんだよ」

 途端に、老人の表情が曇った。

「……あー、それなのですが」

「?」

 荒也が首を捻ったその時、入り口の向こう側からいくつもの足音が響いてきた。同時に、怒号に似た声が上がる。

「いたぞ、こっちだ!」

「魔術師ヨウドーオ、覚悟しろ!」

 複数の足音が重なり、近づくにつれ大きくなる。

 そして部屋になだれ込んできたのは、白い鉄の鎧で身を固めた兵士達だった。

 先に来た者からどんどん部屋の奥に入り、およそ八人程が横に並んで老人と荒也を囲み、二人に槍を向ける。

 老人が取り囲んでいる兵士達を見回した後、荒也に目を向けた。

「……お分かり頂けたかな?」

「オーケー、そういう事ね」

 荒也はヨウドーオと呼ばれた老人に、投げやりにそう答えた。

 兵士達の目が荒也の顔に集まり、険しい顔付きに次第に動揺が現れ始めた。

「お、おい。あいつ……」

「馬鹿な、奴は今……!」

 どよめきの中に紛れたその言葉に、荒也の目が細まる。

「……どうも皆さん。本物様の行方を知ってるようで」

 荒也は捨て鉢な気分で兵士達に声を投げかけた。

 兵士達は一様にすくみ上るも、すぐに槍を構える。

 しかし、どの兵士からも表情に先ほどまでとは違う色が見て取れた。

 明らかに、怯えがある。

 勇者とは他人だと伝わっているはずだが、兵士達の緊張は解けていない。

 荒也がその反応を怪訝に思っていると、部屋の入口からまた新たな兵士が現れた。

 鷲鼻と外にはねた口髭が特徴的な中年の荒也で、その眼光は先に入ってきたどの兵士よりも鋭い。

「どうしたお前達、……っ、ライエル!?」

 鷲鼻の男は荒也を見て、槍先を彼に向けた。

「カジャラ様、いかがしましょう!?」

 兵士の一人が、鷲鼻の兵士に大声で問いかける。

 荒也とヨウドーオは、カジャラと呼ばれた鷲鼻の兵士が隊長格である事を察した。

 カジャラが他の兵士の間に割って入り、荒也にその槍先を近づける。

「おおお、落ち着け。私を誰だと思っている。オモカゲ様により槍の名手イーシャンの技を賜ったこのカジャラ、例えライエル相手だろうと……」

 カジャラがそこまで言いかけた時、荒也は「あ」と小さく声を漏らした。

「この槍の方が速い!」

 言うが早いか、カジャラの槍が一瞬掻き消える。

 しかし次に起こった現象は、その槍先が荒也に届くよりも速かった。

 バチィッ

 目のくらむような閃光と、空を裂くような轟音。

 音と共に、鎧を着こんだ九人の男達が一斉に身をのけ反らせて跳ね上がり、その全員が無様に倒れ込んだ。

 槍の落ちる音と鎧の叩きつけられる音が次々とけたたましく上がり、石の部屋でがなるように反響する。

 残響がどうにか耳に痛いものでなくなった頃、ただ一人無事だった荒也は目を丸くして起こった変化を見下ろしていた。

 カジャラを含めどの兵士達も枯れ木のようないびつな姿勢のまま痙攣し、立ち上がる気配もない。

 半ば白目を剥いた状態であり、空気を求めるように喘ぐ者もいた。

 カジャラ達の様子を見回した後、荒也は自らの手を見下ろし、空のはずの手を改めてまじまじと見る。

 もしやと思い『出ろ』と念じた、その結果を確かめての行為である。

 電撃が、手から出たのだ。

 言葉もなく呆然としていた荒也だったが、やがて万感の意を表す言葉がぽろりとその口からこぼれた。

「……ライエルすげえ」

 荒也は自分が話に聞いたライエルと同じ力を得ていた事を実感し、その手を強く握った。

「爺さん、オモカゲ様ってすごいんだな!」

 そう言ってヨウドーオの方を見た荒也だったが、あるはずの顔が見えない事に気付き、視線を泳がす。

 少しして彼は気付き、自分の足元で泡を吹く禿頭の老人に目を落とした。

「……やっべ、加減忘れてた」

 過失を認めた荒也だったが、罪悪感はさほどない。

 彼はどうしたものかと立ち尽くし、後頭部を掻いた。その手は先ほど電撃を放った方だったが、しびれはなく、動きに支障もない。

 荒也は改めて自分の置かれている状況を整理した。

 ここは彼にとって未知の場所であり、身元を証明してもらえそうな相手は今自分の足元で泡を吹いている。

 このまま待つだけでは敵の兵士達の方が早く回復してしまうだろう。

 大声で誰か呼ぼうかとも考えたが、他の敵がやってくる可能性もあり得た。

「出来る事がねぇな……」

 荒也がそこまで言った時、鼻腔の奥が冷え、彼にくしゃみを促した。

「……へぇっぶし!」

 盛大なくしゃみをかまし、「うーい、ちきしょーい」と慣例のように悪態をつく。

 くしゃみの後鼻から垂れる鼻水をすする荒也の耳が、ふと声を捉える。

「何今の!?」

「音はこっちからよ!急いで!」

「ちょ、もう……、息、が……」

 妙に姦しい、慌てるような声に荒也は怪訝な顔をする。

 味方だろうか、と勘繰る荒谷の見ている部屋の入口に、今度は三人の人影が次々と現れた。

 その統率感の無さたるや。

 先に来た一人はやや長い金髪を後ろで結んだ十代後半と見られる少女で、手には矢と短弓を携えていた。丈の短い、動きやすさを優先した作りの衣服は緑や茶といった地味な色彩であるが、石造りのこの空間においてはまぶしくすら見える。

 続いて現れたのはあちこちが跳ねた長い赤髪の少女で、先に来た少女よりも幼く見える。着ている長いローブは薄暗い空間に馴染むような深みのある赤で、その背丈に合わせるように裾や丈はまくり上げたうえで縫い合わされていた。ローブの下は飾り気のない服装で、腰に巻いたベルトには、ヨウドーオと同じく小さな革の箱を付けている。

 最後に息を切らせて出てきたのは、短い黒髪の女性で、二十歳になるかならないかといった年頃だった。黒と白を基調とした丈の長い服は明らかに聖職者である事を示しており、背は男の荒也に並ぶほど高い。

 三人は現れた順に荒也を見て目を見開き、順番に足を止め絶句する。

 その反応に、荒也はああ、と察しが付き、ぱたぱたと手を振った。

「別人です。勇者様じゃないです」

 にべもないその言葉に、三人は我に返った。

 金髪の少女が、すぐに不愉快そうに眉をひそめて荒也を見る。

「……まぁ、そうでしょうね。本物のライエル様は行方不明だし」

「でもホントにそっくりだよ。ヨウドーオ様の召喚が成功したんだ!」

 金髪の少女の後ろから、赤毛の少女が感激の声を上げた。

 好意的な反応を受けて、荒也は彼女に申し訳なさそうに言う。

「その召喚した爺様、今こうだけどな」

 言いながら彼は足元に倒れる禿頭の老人を指差した。

 倒れている老人を見て、三人の少女が色めき立つ。

「よ、ヨウドーオ様!?」

 裏返った声を上げたのは黒髪の女性で、驚きのあまり開いた口を両手で塞いでしまった。

 金髪の少女が一層険しい顔になって短弓に弓をつがえ、荒也に向ける。

「アンタ一体何したのよ!?」

「待て待て待て、事故だ。正当防衛で巻き込んだだけだ、ホレ、ホレ!」

 慌てて言いながら、荒也は辺りを見ろと言うように両手を広げばたつかせた。三人はそれでようやく、兵士達が倒れたまま立ち上がれずにいる様子に気付く。

「あ、ああ、ジルトールの!こんなトコまで入ってたんですか!?」

 黒髪の女性が肝を冷やしたように驚きを見せる。

「こりゃむしろ感謝する方だったね」

 赤髪の少女が愉快そうに兵士達を見下ろしながらハハハ、と笑った。

「だろ?俺間違ってないよなぁ。な?んー?」

 荒也が赤毛の少女に問いかけて無言の同意を得、その後得意げな顔で金髪の少女を見やる。

 金髪の少女は忌々しそうな顔をした後、渋々といった様子で短弓を持つ手を下げ、矢を弦から離した。

「……分かったからその顔やめて。勇者様はそんな表情しない」

 荒也は予想してなかったその反応に、きょとんとした。

 金髪の少女は荒也から視線を外すと、早足でちょうど手近な場所に倒れていたジルトールの兵士、つまりカジャラの足元に近づくとそこでしゃがみ込み、自分の腰に巻いていた革のベルトから束ねて吊るしていたロープを手に取った。その様子を見ていた赤毛の少女が尋ねる。

「あ、縛るの?」

「当然よ。立ち直られたらこっちがやられるでしょ」

「う……、あぅ……」

 金髪の少女はカジャラの呻く様子など気にもせずに、慣れた手付きでその足首を束ね、次いで手首も縛っていく。

「ククリマちゃんも手伝いなさいよ。それと、アンタも」

 呼ばれた荒也が自分を指差し、視線で確認を求める。

「そうよ、ちゃっちゃとなさい。時間が惜しいんだから」

「お、おお……。そうだ、他に敵はいないのか?」

「とっくに追い払った後よ。こいつ等が最後。いいから手伝う」

「そういう事なら」

 荒也はよっこいしょ、と言いながら、先ほどククリマと呼ばれた赤毛の少女と共に金髪の少女の傍に屈み込み、ロープを求める。

 手を動かし始める荒也達三人に、おどおどした声が投げかけられた。

「あ、あの……」

 三人が声のした方を目をやると、それまで発言を控えていたらしい黒髪の女性がヨウドーオの傍で膝を付き所在無げに荒也達を見ていた。

「ヨウドーオ様を介抱したいのですが、どなたか手を貸していただけないでしょうか……」


「……では、改めて説明しましょう」

 ようやく痺れから体調を持ち直したヨウドーオが、ベッドから上体を起こした格好で、すぐ傍の椅子に座る荒也に話を始めた。

 荒也が召喚されたのはヒジャの国境周辺を見張るために建てられた砦の地下室で、物資搬入の隙を突かれてジルトールの一部隊に侵入されている最中の事だった。

 そして、荒也の召喚はヨウドーオの独断で行われたとの事だった。

「ますます勝手な話だな。俺にも無許可、王様にも無許可とか」

「王に言えんからこそ、ここまで足を運んだのだ。異世界の人間を呼ぶ術など、迂闊に人に見せられんわい」

 その言い方に気になるものを感じ、荒也はヨウドーオの顔を覗きこんだ。

「もう敬語じゃないんだな」

「そこ気にするのか、今。あんな目に会わせた相手を、今更敬おうとは思わんわい」

「うーん、このお互い様感。俺だってオモカゲ様に同じような目に会わされたっつの」

 そうぼやいた後、荒也はあ、と声を上げた。

「そうだ、俺をいつ元の場所に帰すんだ!」

「そんなん決まっとろう。魔王を討った後だ」

「そんな物騒な真似できる訳ねーだろ!」

「何ぬかす、ちょーっと本気で『バチィッ!』てすれば全て済むじゃろ。それが勇者じゃ」

「違う!俺の住んでた世界でも勇者って呼ぶものはあるが、意味合いが何か大分違う!言い方に悪意があるぞ!」

「あんな目に会わされればな」

「根に持つなぁこのジジイもう!」

 荒也は進退に窮して椅子の上で深く大きくため息をつき、うな垂れた。

「帰る手段があるだけマシでしょ」

 そう言ったのはヨウドーオではなかった。

 何事かと荒也が顔を上げ、背後を見やる。

 ヨウドーオの寝室の壁際で、ずっとやり取りを聞いていた金髪の少女の声だった。

 彼女は立って壁に背を預けた姿勢のまま、面白くなさそうな顔で荒也を睨んでいた。

「エリザ、口を慎め」

「ですが魔術師ヨウドーオ様、これは早めに言っておくべき事です」

 エリザと呼ばれた金髪の少女はヨウドーオの咎めるのを遮り、荒也を睨んだ。

「魔術師様がわざわざ王に隠れて勇者様そっくりのあんたを召喚したのは何でか、考えたら分かるでしょ」

 エリザの言いぐさに、荒也も同じ語調で言い返した。

「……察するに、召喚術自体が禁忌だからか?」

「そうよ。かつてヨウドーオ様と同じく大魔術師エルトレントの技能を得た先代の魔術師が召喚術を使って怪物を呼び出したの。事故みたいなものだけどね。それで国内は大騒ぎ、解決にはたくさんの血と時間がかかった。以来、召喚術はヒジャでは禁忌になったのよ」

「ふーん、それでか」

「言っとくけどね、あんただって私からしたら怪物みたいなモンよ。何であんたみたいなのが勇者様にそっくりなのよ」

「そんなんこっちが聞きてーよ。俺からすればオモカゲ様?あれこそバケモンじゃねーか」

「貴様!」

 ヨウドーオがかっと目を見開き、荒也の胸倉を掴んだ。

「オモカゲ様を侮辱するな!ひいてはこの国、いや世界中を敵に回すと知れ!」

 あまりの変貌ぶりとその剣幕に、荒也は目を丸くして絶句する。

「いいか!元の世界に帰りたいなら、貴様は勇者様として魔王を討て!それが出来んのなら貴様に生きる術はない!そこをわきまえろ」

 そこまで言うと、ヨウドーオは息をつかえさせ、激しく咳き込んだ。

 その手が荒也から離れ、自分の口元にそえられる。

 そこへ、黒髪の女性が水の入った水差しを持ってその部屋の前へやってきた。

 ヨウドーオが咳き込むのを見て早足で寝室に入り、その背をさする。

「あああ、落ち着いてください魔術師様。まだ本調子じゃないんですから……」

 なだめる女性がヨウドーオにかかり切っている間、荒也は所在無くなりエリザの方を見た。

 エリザはもはや話す事はない、と言わんばかりに彼から目を逸らし、見張るように視線を寝室の入口に向けていた。

 荒也は唯一話の出来そうな、黒髪の女性に尋ねる。

「……オモカゲ様ってそんなに偉いの、ですか?」

 女性は手を動かしたまま、荒也の方を見た。

「そうですよ。どんな人間でも、オモカゲ様に偉人や先人と顔が同じと認められたらその技能や能力が使えますし、そのおかげで得られる恩恵もあります。あなたも、そのおかげで助かったのでしょ?」

 自分を襲ってきた兵士達を電撃で無力化したのを思い出し、荒也は首肯した。

「オモカゲ様はふさわしい人間にふさわしい力を与えてくださるのです。優れた方が亡くなろうとも、すぐにその不足を補い、人々を絶望から引き離してくれます。優れた人をより優れた、偉大な人に変えてくれる。それがオモカゲ様のお力なのです」

 女性の口ぶりは落ち着いており、話す事全てが本心である事が聞き手である荒也には伝わった。

「私もオモカゲ様によって人生の変わった一人です。それまで無為で価値の見いだせなかった人生に、オモカゲ様のおかげで大きな役割を授かる事ができました。いわば、オモカゲ様に救われたも同然なのです」

「アーシーはよく分かっておる」

 調子を取り戻した老人が背筋を伸ばし、満足げに頷いてみせた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、おかげで大分落ち着いたよ」

 ヨウドーオは背筋を伸ばし、改めて荒也を見る。

「この娘の言う通りだ。お前はオモカゲ様から力を賜った以上、勇者ライエルとしての役割を全うせねばならん。我々の為にも、お前の為にもな」

 荒也は露骨に渋い顔をした。

 しかし今は自分の望みや不満を表す言葉が浮かばず、よしんば言えたとしてもそれが聞き入れられるとも思えない。

 視線が集まる中、どうあがいても自分の要求が通らない事を思い知り、荒也はやがてはぁあ、と深い息を吐いた。

 そして、持ち上げた手で投げやりに了解のハンドサインを作る。

「分かった。分かりました。俺は今から勇者様です」

 なおも不服な顔をする荒也に、ヨウドーオは満足げに何度も首を縦に振った。

 アーシーと呼ばれた女性も、感激を満面に浮かべて胸の前で小さく手を叩く。

 金髪の少女だけは険しい顔を荒也に向け、更に不機嫌そうに目を細めた。

 荒也は彼女の方をみやりその反応に疑問を持つが、そこで別の疑問が浮かんだ。

「……あれ、もう一人いなかったか?」

 その言葉に全員が眉を上げ、アーシーは手を叩くのをやめた。

金髪の少女が部屋を見回す。

「ククリマちゃん?」

「あれ?どこに行ったんでしょう」

 アーシーが探しに行こうと、ぱたぱたと寝室を出る。

彼女の足音が完全に消えた頃、ヨウドーオが思い出したようにおお、と声を上げた。

「そうだ、勇者様には渡すものがありました」

「急に敬語か」

「相手が勇者様とあらば、ですな」

 荒也には嫌味にしか聞こえなかった。

 ヨウドーオはベッドの陰に手を入れると、やがてそこから布で包まれた長いものを取り出した。

 片側の端に近い部分で横に広がっており、十字を形作っている。

「剣か」

「左様。これは勇者様にしか使えない帯光剣エレク・トリクです」

 老人は布を剥ぎ、荒也にその中身を見せた。

 左右対称な形状をした細長い木製の鞘に収まっており、横に伸びている柄は飾り気のないものだ。

 握りには革の紐が雑に巻かれており、他の誰かが握った跡はない。

「新品なんだな」

「作る事自体は簡単ですからな。流石に唯一無二の代物を、勇者様には渡せませぬよ」

「何と矛盾した響き。普通の剣とどう違うんだ?」

「持てば分かります」

 そう言って、ヨウドーオは荒也に剣を手渡した。

 荒也にとっては初めての真剣、鞘に収まったそれは、ヨウドーオの手を離れた瞬間、確かな鉄の重みを荒也に感じさせた。

「……こいつが勇者の証明か」

「そう、その剣はヒジャにおいては勇者を証明するものです。が、その剣が勇者ライエルのもの足り得る理由は別にあります。さあ、抜いてみなされ」

 荒也は緊張から口を堅く結び、黙って頷いた。

 左手で鞘を掴んで腰の左に提げ、空けた右手を柄に添える。

 そして右の手で緩く柄を握り、手に感触を馴染ませるように徐々に強く握り込む。

 しかと握ったのを確かめると、両の二の腕に力を込め、剣を鞘から引き抜いた。

 キンッと鞘口が鳴った後、とぷん、という音が上がった

「……、!?」

 およそ剣を抜いたとは思えない、液体の波打つ音だ。

 荒也は咄嗟に手元を見る。

 引き抜かれた剣は、柄から先が硬さを失ったように、とろとろと鈍色の液体を床に落としているのだ。

 鞘の口からも同じ液体が垂れ落ち、柄から落ちた分と合わさってとうとうと床に盛り上がった液溜まりを作り、液溜まりはどんどん面積を広げていく。

「え、え、え?何これキモい!爺さんこれ何のドッキリだ!?」

 何が起こっているのか理解できず、動けぬままに慌てる荒也。

「勇者よ、気を抜き過ぎです。エレク・トリクが軟化しとります」

「軟化!?剣が?ええと、戻るのこれ!?」

 なおも床で広がり続ける液体が足元に近づくのを見て、荒也が慌てて足を引く。

 柄からも鞘からも流れる液体に途切れる気配はない。

 やがて焦れたように、ヨウドーオが明け透けに言った。

「ええい、落ち着け。剣を持ったまま『バチィッ!』とするんじゃ。『バチィッ!』と」

「え、あ、分かった!」

 言われるまま、荒也は剣を持つ手に意識を向け、力を込めるように『出ろ』と念じた。

 稲光も轟音も上がらなかったが、念は剣に変化を与えた。

 柄から伸びた見えない芯に液体が絡むがごとく液溜まりや鞘から液体が一気に吸い上げられ、両刃の剣へと形を変えたのだ。

 荒也は驚き、出来上がった剣の異常を確かめるようにあちこちから観察する。

 それは今、剣と言われて思い描く通りの形状をしている。

「……マジで何これ?」

「帯光剣エレク・トリクは特殊な鉱物でできていてな。電気を通さねば硬化せん。普通の人間が手にしても剣にはならんのだ」

 荒也は握りの革の紐が雑な巻き方をしている理由がそれで理解できた。

 握りの部分は他の金属で出来た筒であり、手からの電気がそこから剣に伝わっていたのだ。

「こんなスライムもどきの剣が勇者の証かよ……」

 嫌味を聞きつけたように、剣が再び硬さを失い、ぺたん、と音を立てて先端を床に落とした。

 荒也は今度は動じず、液溜まりを見つめながら、先ほどと同じように黙って再び念じる。

 びん、と音を立てて、剣は再び長さと硬さを取り戻した。

「……使い辛くね?」

「うまく電気を通せば自在に形を変える事ができるそうじゃ。勇者ライエルも、その代理二人もその剣を様々な形に変えてみせたのだ。お前も勇者様ならば、それを使いこなさねばならんぞ」

「そもそも電撃の加減が分かんねーよ」

「そんなモン私にも教えようがないわい」

 ヨウドーオは寝室の入口にいる金髪の少女に目を向けると、彼女に向かって声をかけた。

「エリザ、勇者様の装備を取ってきなさい。いつまでも薄着のままではな」

 呼ばれたエリザは目を細めたままヨウドーオを見、気乗りしない様子で「はい」と言うと、そのまま寝室を後にした。

 荒也はその様子を見送り、ヨウドーオに言う。

「あの子ずいぶん不機嫌なんだけど、何かあったの?」

「私が知った頃からああじゃ。早撃ちのシャシャという、弓の名手の技能をもっておるんだが、何が気に入らないのやら……」

「そのシャシャっつー偉人がそんな性格なんじゃねーの?」

「オモカゲ様は性格までは移さんわい。伝承のシャシャは気さくで朗らかな方だったらしいしな」

 荒也は興味もなさそうに「ふーん」と相槌を打った。

 エレク・トリクを鞘に収め、ヨウドーオに向き直る。

「というか、さっきの子とかククリマとかいう子とか、何でこんな砦にいるんだ?危ないだろ」

「何を呆けた事を言っておる。勇者が一人で旅立つ訳なかろう」

 荒也がその言葉の意味に気付いたのは、何かの皮肉だと思って適当に聞き流しかけたその後だった。

 寝室の入口にアーシーと、彼女に横脇に抱えられたククリマとが現れた。

 ククリマは両手にりんごを三つとパンを二つ、黄色いジャムの瓶を一つ抱えており、口にはすでに別のパンを咥えていた。

「お待たせしました魔術師様。ククリマちゃんったら盗み食いなんかして……」

「もははへっはは、はべへいいんれひょー?」

 傍から見れば、修道女と捕まえられた悪ガキである。そんな二人の後ろから服を抱えてやってきたエリザが、呆れたように彼女等に声をかけた。

「何が『お腹減ったら、食べていいんでしょー』よ。さっきみたいにまたジルトールが攻めてきたら、働くのはアンタよ?」

「せめて誰かに断ってから食べに行ってください。それと、欲張り過ぎです」

「むー!むー!」

 不服を訴えるように鳴くククリマに、アーシーとエルザが顔を見合わせ、慣れた様子で肩を竦めた。

 そんな三人の様子を見て、荒也がヨウドーオに聞く。

「……まさか、旅の仲間とか?」

「お前さんは察しがいいのう」

 荒也はヨウドーオの正気を疑うように彼を見、次いで三人の顔ぶれを見る。

 若い女ばかり、纏まりのない面子。

 あまりにも頼り甲斐を感じられない者の集まりだ。

「……酒場で他の奴をスカウトとかさ、できねーの?」

「あれが選りすぐりの面子じゃ」

「マジかよ……」

 荒也は天を仰ぎ、深いため息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る