五頁:罪

 ワードを討伐した後、童話研究会のメンバーは、マリーの事務所を訪れていた。

 エリーゼから近い事と、戦闘の疲れを取った方がいいとの、マリーからの提案である。

 築三十五年のビルの四階のフロアを貸し切っており、事務所内はスチール製のワークデスクが一つと、来客用のソファーセットがある以外は、銃器類と弾薬で埋め尽くされていた。


「正太郎ありがとう。みんなもありがとう。敵討てた」


 マリーは、破顔して、お辞儀してくる。

 けれどエリカには、彼女の謝意よりも、冷たい武器ばかりがあるこの場所にマリーが一人で居る事の方が気がかりだった。


「他の人は居ないの?」

「うん。私一人。住まい兼事務所」

「そっか」


 ここで起き、仕事をして、ここに帰ってきて、眠る。

 孤独を癒してくれるたった一つの安らぎが、マリーにとってのエリーゼだったのだろう。


「マリー」


 エリカは、孤独を知っている。

 知っているから置き去りにする事を心が許さなかった。


「童話研究会に入らない?」


 エリカの提案に、マリーは碧眼へきがんを大きく見開き、戸惑いを隠さなかった。


「私が?」

「そう」

「でも学校の部活でしょ? 私、学生じゃない」

「ここを学外拠点にするのは、ダメかな?」

「ここを?」

「うん。東京って言っても、うちの学校から電車で三十分で近いしさ。マリーは、グリムハンズの先輩だし、いろいろと聞きたい事あるんだ」


 エリカは、敢えて畳み掛けた。

 多少強引でも、この提案を受け入れてほしかったから。

 マリーの方も、エリカの気遣いを悪く思っていないらしく、戸惑ってはいたが、うっすらと喜色も浮かんでいる。


「私は、いいけど……みんなは、それでいいの?」

「もちろん。歓迎するわ」

「僕も」


 涼葉と薫の同意が得られ、マリーは、正太郎を見やった。


「いいの?」

「もちろん。マリーがいいなら、ここを使わせてもらうよ。マリーも、うちの部室にいつでも来ていいからな。学校には、俺から話をつけとくよ」

「うん」

「なんならこっちの事件も俺達で手伝うよ。お前も一人で担当するのは、きついだろ」

「うん。ありがとう」


 マリーが薔薇のつぼみのように、はにかむと、エリカは、正太郎の腹を軽く肘で突いた。


「よし! じゃあ早速新メンバー加入をお祝いしよう! 先生お財布貸して」

「嫌だよ」

「なんで!?」

「なんでじゃない。お前が発案者なんだからお前が奢れ」

「僕奢るよ」

「薫君ありがとう! でも、お金大丈夫?」

「ああ。軍資金ならたんまりね」


 薫は、財布から四万円も取り出して見せびらかせてくる。


「おお! さっすが!! 薫様、結構持ってるねぇ」

「臨時収入があったんだよ」


 高校生にしては、かなり羽振りがいい。

 薫の小遣いは、月に一万円。

 アルバイトもしていないから普段財布に入っているのは、数千円のはずだ。


「おい、てめぇ。なんでそんなに持ってんだ?」


 それに臨時収入というのも、かなり気になる。

 何故か薫は、正太郎を見て、ほくそ笑んでいるのだ。

 昨日薫に、鳥達にやる餌をコンビニへ買いに行かせた時、財布を渡している。

 正太郎の記憶では、財布の中身は、四万五千円だった。


 買い物を終えた薫から財布は、すぐに返してもらったが、それ以降、一度も中身は確認していない。

 一抹の不安と僅かな希望に賭けながら財布を開くと、給料日までの十日間を過ごすための四万五千円がそっくりそのまま消えている。


「てめぇ!」


 正太郎の怒声が轟いた頃には、既にマリー以外の姿はなく、事務所の窓から大通りを駆ける生徒達が見えた。


「くっそガキども! 覚えとけよ!!」

「正太郎、たのしそう」


 正太郎の激昂げっこうを眺めるマリーは、対照的に微笑ましげにしている。


「どこがだ! ったく! 貯金下してこにゃ……」

「上手く行ってよかったね。私が入部する件」


 マリーの言葉と共に、正太郎から激情は消え、通りを走る三人の背中を切なげに見つめた。


「ああ。そうだな」

「エリカから言い出すとは、思わなかったね」

「俺もだよ。悪いな。面倒な事、頼んで」

「ううん。私も一人は寂しいし、みんなの事好きになった。エリカは優しい。お姉ちゃんみたい」

「そうか」

「ねぇ」

「ん?」


 マリーは、正太郎の背中に額を預けてきた。


「正太郎も、もういいんだよ?」


 声と共に紡がれる呼気が、背中を撫でてくる。


「お姉ちゃんの事、あの人も……」


 安らぎを与れくれようと懸命に。


「あの時の事を責める人は、一人もいないよ。正太郎は、世界を救った英雄なんだから」


 赦しを与えるように。


「いつまで自分をいましめるの?」


 いっそこのまま心を折って、甘えてしまいたくなる。

 許されない事だと知りながら、甘言を受け入れてしまいたくなった。

 正太郎は、振り返ると、マリーの肩を押し、そっと突き放す。

 優しさも、愛しさも、全て拒絶するように。


「俺が自分を許せるまでだ」

「じゃあ死ぬまで、このままのつもり?」


 苦痛なんて飲み干してしまえばいい。

 死が快楽と思える程、終わりが極楽と思えるほど苦しんで生きればいい。

 きっと自分に許されたのは、そういう人生だけだから。


「ウロボロスは、ああするしかなかった。それに正太郎のファーストページは――」

「言うな」


 罪は思い知っている。

 だから昔を知る君だけは。


「頼む。それ以上は、言わないでくれ。言えた義理じゃねぇんだけどさ。頼む」

「正太郎……」

「俺一人じゃ、あの時みたいにまた失敗するかもしれない」

「失敗? エリカ達の事?」

「あいつらは、優秀なグリムハンズだ。仮に俺が目を付けなくても戦いに巻き込まれてた。だからあの時を繰り返したくなくて、俺はあいつらを……」

「私が手伝うよ」

「悪いな」

「いいよ。敵討ち手伝ってもらったのは、本当なんだし」

「俺は、お前を利用して、お前を巻き込んで。お前に頼る以外思いつかなかったんだ」

「それでいいよ。正太郎の傍がいい。私の居場所は、もう正太郎の隣だけだから」

「大丈夫だよ、マリー。俺が居なくなってもエリカがお前の居場所になってくれる。だからお前もあいつの居場所になってやってくれ」

「ねぇ正太郎?」

「なんだ?」

「死ぬつもり?」


 きっとその日は、すぐそこまで迫っているから、せめて出来る限りを遺していきたい。


「人間、何時か死ぬさ」


 正太郎は、エリカ達の背中が見えなくなるまで、窓から三人を見つめ続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る