四頁:悪魔の幻惑

 童話研究会の面々が古めかしい自動販売機が二台と、散乱したゴミがあるばかりの狭い裏路地に辿り着くと、そこには霧のように揺らめく異形が居た。

 背丈は、成人男性と大差はない。上半身は、樹木のようで、幹の部分は、青カビに覆われて捩じれており、伸びる枝は、水気を失い、枯れている。

 下半身は、山羊が直立したようであり、黒く長い毛を絡ませて海藻みたいに垂れ下げていた。


『ヤギさん。あたまはどこ?』


 要領を得ないと思っていた恵理子の言葉は――


「こいつの事を言っていたのか!」


 方法は、まだ分からないが、このワードが厨房に現れ、エリーゼに居た人々を狂気に駆らせたのでだろう。

 どんな技を使ってくるか分からない以上、接近戦での対応は避けるべきだ。

 幸いここに居る全員が距離を取って戦う術を持っており、その点で不足はない。


「植物と毛皮か。私の灰かぶり《シンデレラ》なら相性がよさそう」

「エリカ。正体が分かるまで殺すなよ」

「分かってる」


 問題は、ワードの正体だ。

 意味を理解せず、強引に倒してしまえば、ワードは封印出来ず、短期間で力を増して復活する。

 レストランを襲い、料理人を発狂させ、人を襲わせる。

 一連の行動をとった理由は?

 正太郎の考察を切り裂くように、ワードが身震いすると、幹の部分から灰色の粉が宙を舞った。


「先生、あれが発狂の原因じゃありませんか!?」

「任せてよ涼葉さん! あんなの私が焼きつくしてやるから!」


 戦闘の最中にありながら正太郎は、混沌として酷く乱雑な推理の点を線で繋げようと必死だった。

 粉を吸い、発狂する。

 本当にワードの能力は、それだけなのだろうか?

 LSDに近い成分が検出された事も何かの物語と繋がっているはずだ。

 そもそも何故エリーゼがワードに狙われたのだろうか?

 エリーゼという店名に何か関係があるのか、それともマリー・マクスェルというグリムハンズと懇意にしていた事と関係があるのか。

 マリーと何かしらの因縁があるワードなのか?


 ――LSD?


 どこか読んだ覚えのある物語だ。

 マリーの出身地は、イギリスのコーンウォールであるが、その事と関係があるのか?


 ――コーンウォールを舞台にした物語?


 ワードの下半身は、山羊のようである。

 何かのモチーフ?

 黒い山羊が象徴する物は、マリーと関係があるなら西洋の価値観。

山羊が象徴する代表例は、悪魔だ。

 上半身は、植物であり、これは植物を現しているのは間違いないが、何故下半身が山羊の足になっているだろうか?

 ワードが繰り出したあの粉末は、LSDに近い成分を持っていると考えて間違いない。

 植物の下半身、下半分は根だ。

 つまりは、根が山羊の足、悪魔の象徴となっており――。


「まさか……」


 イギリス生まれのグリムハンズを狙うワード。

 彼女の生まれは、コーンウォール。

 植物を象徴するワードでありながら下半身は、山羊の足。

 根の部分が悪魔を象徴している。

 悪魔の根。

 悪魔の足。

 幻覚。

 発狂。

 そして――。


「グリムハンズ! 灰かぶり《シンデレラ》!」


 炎――。


「エリカ! よせ!」


 正太郎の静止は、間に合わず、エリカの放った灰は、猛炎へと変じ、ワードから生じた粉末を包み込む。

 しかし炎に飲まれた粉末は、燃え尽きるどころか、紫煙と見紛う姿となって、路地に充満していった。


「みんな息を止めろ! 絶対煙を吸うな!」


 正太郎の指示に薫、涼葉、マリーは、すぐさま口元を手で覆ったが、エリカは、その場にへたれ込み、宙を仰ぎ見ている。


「わたしのせいだ……」


 ぽつりと呟く声に宿るのは、正太郎とエリカが初めて出会った頃の絶望だ。


「吸っちまったか!」


 正太郎は、エリカを抱き上げると、


「全員息を止めたまま店の中へ逃げこめ!」


 正太郎の指示に、全員が即座に反応し、非常階段を駆け昇り、裏口からエリーゼの店内になだれ込んだ。







「化け物」


 ――違うよ。


「化け物」


 ――違う……私は、化け物じゃない。


「違う。お前は、化け物だ」


 ――お母さん、なんでそんな事言うの?


「お前は、化け物だ」


 ――お父さん、なんで怒っているの?


 思い出せ。お前の罪を。

 思い出せ。お前のとがを。


 ――なんで、みんな私の傍にいてくれないの?


 炎がゆらゆら揺れている。

 赤から黒へ。黒から白へ。

 炎は、炭に。炭は、灰に。

 皮は爆ぜ、肉は焼け、骨は砕け、後に残るは灰ばかり。

 誰のせいだ?


 ――私じゃない。


 お前のせいだよ。


 ――あなたは、誰?


 お前の罪だよ。


 ――私は、何も悪い事してない。


 母を殺した。

 父を殺した。

 叔母も、従兄弟も。

 友達も。

 なのに、お前は、いつだって罰から逃げるんだ。

 警察からも、逃れたね。

 あの時罪を濃くはするべきだったのに。


 ――私は、悪くない。


 お前を欲する男達にも、身体を許す事はなかった。

 髪の毛一本だって触れさせなかった。

 罪人の汚れた身体なぞ、くれてやればよかったのに。


 ――私は……。


 仲間に出会って満足げ。

 奪ったものの重さも忘れて、毎日楽しくヒーローごっこ。

 忘れたとは言わせない。

 お前が起こした業火の罪を。


 思い出せ。


 両親を焼いた日の事を。

 あの時二人は、何と言った?

 お前を見て、何と言った?

 さぁ、思い出してごらん。


 ――あの時……お父さんとお母さんは。


「しっかりしろ!」


 ――違う。そんな風には言ってない。


 もっとよく思い出せ。


「エリカちゃん!」

「沙月さん!!」


 ――うるさい……うるさい。


 雑音に耳を傾けるな。

 自分の罪を見据えろ。

 忘れるな。

 罰から逃げるな。

 お前は、何人殺した?

 お前は、どんな罪を犯した。

 もう夢すら見なくなって忘れたか。

 あの言葉を――。


『化け物』


 ――あなたは、誰?


 私は、お前。

 私は、あなた?

 あなたは、私。

 私は、あなた。

 私は、化け物。

 だから救われちゃいけないんだ。

 幸せになっちゃいけないんだ。

 きっとずっと闇の中で、そうこんな闇の中に居続けて、自分を許しちゃいけないんだ。


「エリカ!!」


 誰?

 化け物を救おうとするのは?

 なんでだろう。

 胸が痛い。

 頭も痛い。

 でもね、救われては、いけないんだ。

 私は、化け物だから。

 だから叫び続けるんだ。

 この闇の中で。

 永遠に――。


「お父さん! お母さん! ごめんなさい!! 許してえええ!」


 それが咎人には、お似合いだ。


「エリカしっかりしろ! エリカ!」


 だから、優しい声の人、もう私の名前を呼ばないで。

 私に救われる資格なんか――。


「しっかりしろ!」


 甲高い音と共に、真っ暗だったエリカの視界に光が差し込んだ。

 頭が杭でも打ち込まれたように痛み、左頬も刺すような痛みを訴えてくる。

 状況が呑み込めない。

 さっきまで何をしていたのか、今自分がどんな状態なのか。


「エリカちゃん、大丈夫?」

「沙月さん。僕だよ。薫だよ」

「エリカ。俺が分かるか?」


 はっきりと分かるのは、身体を抱く確かな温もりと、不安げに顔を覗き込んでくる仲間の姿。


「きさらぎ……せんせい?」


 一番泣きそうな顔をしている人の名前を呼んでみる。

 すると彼は、如月正太郎は、安堵の笑みを浮かべながらエリカの身体を固く抱きしめてくれる。


「よかった……帰ってきた」


 エリカの思考を覆っていた霞が徐々に晴れていく。

 そして思い出す。ワードと相対した事を。

 敵に炎を放った瞬間、それ以降の記憶がエリカにはない事を。


「先生。何があったの?」


 問い掛けるエリカの瞳の焦点は、合っている。

 呼吸は、荒く疲労が見て取れるが、意識も平常を取り戻している。

 生徒の無事に、安堵の嘆息を漏らしながら正太郎は、赤くなったエリカの左頬を擦った。


「ワードの出した粉末の幻覚作用にやられたんだ。煙は、少ししか吸い込んでなかったみたいだな。悪い。ほっぺた痛いだろ。しこたま引っ叩いたからな」

「うん。すごい痛い。頭と同じぐらい」

「痛いのは、生きてる証拠だ」

「その台詞ムカつく」

「だけどお前のおかげで正体が掴めたよ」

「正体分かったの?」

「ああ。あれはシャーロック・ホームズに出てくる悪魔の足だ」

「悪魔の足?」

「モーティマーという男が自分の兄妹を殺すために使った毒薬だ。妹の恋人であるスターンデールがアフリカから持ち帰ったもので、燃やした煙を吸った人間は、発狂して最悪の場合、死に至る」


 正太郎の説明に、マリーは目を見開いていた。


「そうか。私がコーンウォールの生まれだから……」

「あの作品の舞台になったのは、イギリスのコーンウォール。静養に来ていたシャーロック・ホームズが事件に巻き込まれる話だ。コーンウォール出身のお前がよく出入りしていたここが狙われたんだ」

「私のせいで……」

「違う。マリー、お前のせいじゃない。いいな?」


 正太郎の言葉は、暖かい。

 救われたばかりのエリカには、一層深く理解出来た。

 けれど重荷が全て消え去ったわけではない。

 幻覚の最中、聞こえ続けた罪を咎める言葉が今でもエリカの心を蝕んでいる。

 それでも――。


「気にするなと言っても難しいだろうが、今は、ワードを倒す事に集中するんだ」


 正太郎の言うように、今は敵を倒さなくてはならない。

 自分の苦しみに負けず、使命を果たさねばならない。


「分かった……」


 マリーの力強く頷いた。

 エリカは、上体を起こし、正太郎から離れて床に座り込んだ。

 座った状態なのに、まだふらつきが残っている。

 立ち上がれるようになるまでは、しばらくかかりそうだ。


 正太郎がエリカの身体を支えようと両手を伸ばすが、エリカは、視線でやんわりと制する。

 正太郎は、伸ばしていた右手で、エリカの頭をポンっと優しく叩いてから、纏う気配を歴戦の戦士へと変じさせた。


「続きを話すぞ。この悪魔の足って言う植物は、実在しないんだが、成分については、いくつかの説があって、その一つがLSDではないかと言われている」


 被害者の体内から発見されたLSDに似た未知の成分。

 これは、ワードの放った粉末が燃焼した事によって、発生したものと考えて間違いない。


「悪魔の足は、燃焼する事で毒性を発揮する。厨房にしかない物。火だ。奴が厨房に出現し、撒き散らした粉末がコンロの火で炙られて――」


 この惨事が引き起こされた。

 マリーは、拳を握りしめ、青い瞳を憎悪の赤に染めている。


「あいつが恵理子を……私の大切な……」


 ドスンっと、岩が歩いてぶつかってきたような重い音がエリーゼの入り口のドアから響いた。


「先生。何? あの音」

「お前が気絶した時、厨房の裏口から店に入って、裏口の扉を俺のイバラで封鎖したんだ」

「じゃあ……」

「裏口からの侵入は不可能と見て、正面に回ってきたんだな。しつこいね」


 これだけのグリムハンズが居るというのに、執拗に追跡してくるという事は、やはり狙いは、マリーと見ていい。

 さらに攻撃を受けたエリカだから分かる事がある。

 あのワードの幻覚は、一人の力で抗うのは不可能だ。

 幻覚を見せられた時点で、確実に戦闘不能となる。

 どう戦うのが最善なのか?


「先生、どうやって倒す?」


 エリカに問われ、正太郎は、すまなそうに彼女を見つめた。


「エリカのグリムハンズは、相性的に論外だ。かと言って接近戦も危険だしな」


 またもワードの身体がドアにぶち当たり、蝶番のネジが一本吹き飛んだ。

 耐えられて、あと一回か、二回が限界だろう。


「外に誘き出すのもダメだな。大勢の人間を発狂させる危険もある。店の中に奴が入ってきた瞬間、俺と亀城のグリムハンズで拘束。マリーのグリムハンズで仕留めるぞ」

「マリーのグリムハンズって?」


 エリカの疑問に呼応して、マリーの手に赤い布が形成される。

 マリーは、それを首に巻き付け、右手をかざすと同時に、対物ライフルが手の中に現出した。


題名級タイトルクラスグリムハンズ。赤ずきん《ロートケプフェン》。ファーストページは、地球上に存在する全ての銃火器を自由に取り出す事。ネクストページは、どんな銃火器の性能も、百%理解して使いこなせる。例えそれを私自身が使った経験がなくても」

「ヨハネスのワードを倒したのも、この力なの?」

「赤ずきんと、彼女を救った猟師の象徴。ただ銃器は、自分が所有してるものじゃないと、取り出せないから銃も弾代も自分持ち。攻撃力も銃の性能依存。銃は、いろんな意味で目立つから、特に日本では、使い勝手がいいとは言えない」


 マリーは、対物ライフルを構えて、今にも砕かれようとしている入口の扉に向けた。

 正太郎と薫は、人差し指の付け根を噛み切り、グリムハンズ発動の用意を整える。


「先生」


 もう少しで戦闘開始。そんな場面で涼葉が突如声を上げた。


「私にもやらせてください」

「お前のグリムハンズじゃ――」


 親指姫サンベリーナは、感覚を共有する分身を作り出す力。どう評価しても戦闘向きとは言えない。

 突然の提案に正太郎も戸惑うが、涼葉は、ライフルケースからコンパウンドボウと矢の入った矢筒を取り出した。

 戦う術を持たない事をずっと悩んでいたのだろう。

 そして結論を用意してきた今、彼女の想いを否定するのは、教師の仕事でも師匠の仕事でもない。


「いいだろう。タイミングは、マリーと合わせろよ」


 正太郎の指示に頷くと涼葉は、マリーの右隣に立ち、数瞬視線を合わせて微笑を交わした。

 涼葉とマリーがドアに注視し、弓を引き絞り、トリガーに指をかけた瞬間、山羊のくぐもった声が木霊すると同時に、ドアが打ち破られた。


「顕現せよ! シャーロック・ホームズ、悪魔の足!」


 正太郎の言霊により、ワードの姿がより鮮明に顕現していき、異形は、山羊の断末魔のような鳴き声を上げた。


茨姫リトルブライヤローズ!!」

「桃太郎ネクストページ!!」


 幻覚剤を撒かれまいと、放たれたイバラと三匹の家来は、人類の知覚速度を遥かに逸脱して、ワードを拘束する。

 刹那の間を置く事なく、涼葉の矢とマリーの銃弾がワードの上半身を捉えた。

 しかし矢も弾丸も表皮を貫く事なく、運動エネルギーを失っていく。

 仕留め損ねた――。

 誰もが絶望し、次の一手を模索しようとした時、


「ミスしたまんま――」


 エリカの咆哮が店内を轟き、


「終われるかっつーの!」


 ワードの表皮で留められた矢を特殊警棒で打ち据えた。

 常人を超越した馬力によって送り出された一矢は、ワードを貫き、茶色の光球へと昇華させた。

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