二頁:破滅の再生

 ドイツ某所にあるワード研究所の正確な所在地は、極秘とされ、幾度も訪れた事のある正太郎ですら、毎回ベルリン・テーゲル空港からの車中、目隠しをされる。

 到着までに六時間を要したが、前回は七時間。その前は、五時間だった。

 これは、正確な場所や空港からの距離を正太郎に測らせない為の予防策である。


 研究所は、職員以外の来客のために用意された宿泊施設と、グリムハンズやワードの研究施設が併設されており、どちらも窓が一切なく、施設の外に出る際には、必ず目隠しをし、係員の誘導に従う必要がある以外は、何の不便もない。

 特に宿泊施設の方は、高級ホテルのそれに等しく、数々の調度品に彩られており、ここで撮った写真を人に見せたら国際的な機密施設とは思われないだろう。


 無論、施設内は、撮影禁止で、スマートフォンの類は、没収されているのだが。

 そのため正太郎は、宿泊施設のロビーに備え付けられたアンティークの固定電話で薫と話していた。


「なるほど。そういう事か」 

『一応報告は、と思ってさ』


 薫から事情を聞かされ、正太郎をまず襲ったのは後悔だ。

 エリカの事を薫と涼葉に押し付ける形でドイツに来てしまったのが悔やまれる。


「悪いな。しんどい思いさせて。エリカとは、帰ったらちゃんと話すから」

『日本に帰ってきたら、すぐに仲直りしてよ』

「分かってる。本当に悪い」

『それで、僕達だけでやってもいいかな?』

「正体が分からないから、首を突っ込めとは言いたくないが――」


 帰国してから一緒に対応するのがベスト。

 とは言え、グリムハンズやワードのついての知識を持っている依頼人が失踪している現状も放置出来ないだろう。

 事が下手な方に転ぶと、ワードの顕現が強まる可能性もある。


「話を聞く限り、今手を打たないとまずそうだな。お前の親父さんは?」

『居れば一緒にやってもらうけど、先生と同じく海外に出張中なんだよね』

「じゃあ手伝ってもらえないか」

『でも報告はしたよ。先生と同じセリフだった。父親としては、首を突っ込んでほしくないが、グリムハンズの師匠としては、しっかりやってほしいって』


 薫の父親である亀城和弘は、そういう男だ。

 息子への愛情は人一倍深いが、同時に力持つ者としての責任を果たしてほしいとも考えている。


「なるほどな。あの人らしい」


 正太郎の口元が、ほんのりと笑みを灯した。


「俺も和弘さんと同じだ。しっかりと、だけど安全にやってくれ」

『分かった』


 薫の声は、力強い決意が籠っている。

 しかし一転、今度は、うかがうような声を上げた。


『そういえばさ。先生は、普通の人がどこに居るかも分からないワードを探す方法って分かる? 父さんはグリムハンズに頼るしかないって言ってたけど』

「親父さんと同意見だ。グリムハンズの協力仰ぐしかねぇな。例えばワードの気配そのものを探知出来るグリムハンズなんてのも居るぞ」

『じゃあおばさんは、ワードの気配を探知出来るグリムハンズに会いに?』

「ただ相当レアだぞ。世界に百人いないんじゃないかな」

『そんなに少ないの!?』

「おまけに、大半がワードの居場所をピンポイントに言い当てるような便利な能力じゃない」


 探知能力と言っても、能力者を中心とした数百メートル以内の範囲に居るワードが、どの方角に潜んでいるかを感じ取る。

 または地図を見て、この地域の数キロ四方のどこかに居るはずという程度の精度だ。


「探知能力者が範囲を絞って、お前や涼葉みたいな能力のグリムハンズが索敵するのが、ワードを探すには、一番手っ取り早い方法だ。その手の連中を頼る以外の方法は、俺でも知らん」

『じゃあ叔母さん、どうやって探す気だ?』


 ワードの知識を持ちながらもグリムハンズを持たない依頼人の失踪。

 対応するのは、新米グリムハンズの生徒達。

 正太郎がドイツに居り、いざという事態にも対応出来ない状況。

 不安材料は、ことのほか多い。


「なんにせよ、お前等だけじゃ、こっちも不安だ」

『信頼出来ない?』


 突き刺すような薫の言葉だが、声音から本心でないのが分かった。

 正太郎の反応を試している。


「意地の悪い言い方するな。そんなんじゃねぇよ」

『分かってるよ。ごめん』


 電話越しに、薫の安堵が伝わってくる。

 正太郎は、生徒達を信頼しているが、同時に心配もしている。

 だからこそ危険を最小限度に留めておきたい。


「頼れる知り合いに、手伝いを頼んでみるよ。お前達は、調査を続けてくれ」

『分かった』

「やばい相手だと思ったら戦う前に逃げろよ。絶対無理すんな」

『了解』


 薫との通話を終えた正太郎は、もう一本電話を掛けてから、老年の男が着いているテーブルに向かった。

 恰幅が良く、濃紺の三つ揃えに身を包み、数十年と伸ばし続けた膨大なひげを濡らさぬように、ちまちまとコーヒーを啜っている。

 ライリー・コープランド。ワード研究所の主任研究員であり、正太郎とは、旧知の中だ。


「すいません。コープランド博士」


 会釈しながら正太郎が同じテーブルに付くと、コープランドは、くしゃりと破顔した。


「構わんよ。早速、君から貰った日本におけるワードの出現データについてだが」


 テーブルに置かれた書類を手に取った瞬間、コープランドから笑みが消え失せる。

 正太郎は、肺に溜まった重みを一息に吐き出すと、テーブルを指で叩き始めた。


「十年前とパターンが同じだと?」

「君の予想通り、神災級ドラゴンクラスワード復活の兆候だろう。そして、この出現パターンと完全に一致する前例がある。恐らくは――」

「ウロボロス。またあいつが」


 正太郎の瞳が赤い憎悪に染まった。

 生徒達には見せた事がない、彼等の知らない如月正太郎がここにいる。

 エリカは、薫は、涼葉は、今の正太郎を見たら、どんな言葉を掛けるだろう?

 きっと恐怖か、畏怖か、嫌悪だ。

 どれほど今の自分が醜悪かを理解しながらも、溢れる感情を止める事が出来なかった。

 正太郎が発する汚泥のように淀んだ殺意に、コープランドは言葉を飲み込んでいる。


「十年前の再現って事かよ」


 正太郎の瞳が見据えるのは、近い未来に差し迫った脅威ではなく、過去だった。


「あいつは、殺せないんですか?」

「神話より出づるは、擬神。あれらは、物語という概念を超越している。人が文明を得てより受け継がれた影響力は、世界を飲み干し得る」

「この世界に揺蕩たゆたう力が古来より伝わる概念がいねんまとい、顕現けんげんしたモノ」


 地球上に存在するモノの中で限りなく神に近い存在。

 故に人は、彼等を神災級と呼んだ。


「本来の神には及ばずとも、人から見るそれは、神と変わらぬ。無限も、億も、人にとっては、同じ膨大に過ぎん」

「人じゃ、抗えないという事ですか?」

「抗い得ずとも人は、諦めが悪い。私は、人間の潔さの欠片もない所がたまらなく好もしい」


 コープランドは、書類をテーブルに投げ捨てると、コーヒーカップを口に運びながら微笑した。


「いくら封印しようとも、ワードとの戦いは終わらない。神話を語り伝え、新しい物語を紡ぐ。人間が生きる限り、それらが失われる事はない」


 人類が存在し続ける限り、新たな物語が世界中で生まれ続ける。

 知性は、人類を繁栄させた最大の武器である。

 しかし知性こそが揺蕩う力に形を与え、ワードという怪物を生み出してしまう。

 文明と文化を手にした人間は、同時に悪夢と邂逅かいこうしてしまったのだ。

 全ての人が一斉に信仰を捨てる事も、物語を紡ぎ、語り聞かせる行為を止める事も出来ない。

 人が人であり続ける限り、ワードもまた、人類の天敵として寄り添い続けるのだ。


「揺蕩う力もまた無限に問しい膨大な存在なのだろう。この星、あるいは宇宙そのものの終わりの時まで消える事はない。あれが真に揺蕩うだけの存在となるには、人という種の滅亡を待たねばならん」


 百年前、突如地球上に発生したあらゆる技術で観測出来ず、しかし確かに地球上に存在する揺蕩う力。

 揺蕩う力より生じた異能グリムハンズ異形ワード

 百年かけても人類は、真実に辿り着けていない。


「揺蕩う力も、それを生み出した者達も、一体何なんでしょうか? それらに最も近い存在が神災級なんでしょうか?」

「正太郎、私にも分からんよ。いや、誰にも分からん。仮に分かった所で些末さまつな事。我々の状況は変わらない。災害のメカニズムを理解し、被害を小さくする対処は可能でも、災害そのものの発生を止める手段を人間は持たない」


 人類は、何一つ理解出来ないまま、綱渡りのように百年生き延びてきた。

 ならば、真実さえ分かれば、人の叡智でなら取り除ける?

 これほど、おこがましい考えもないだろう。

 人は、人が思うほど、愚かでないが、同時に人が思うほど、全能な生き物ではない。

 ただあるがままに、今の状況を自然と受け入れ、上手く付き合い続けていく。

 それが人類に与えられた、唯一の選択肢だ。


「だが、正太郎。君なら大丈夫だと、上手くこの苦難と付き合っていけると、私は信じているよ」

「そんな大役、気が遠くなりますがね」

「ヒーローは、大変だな」

「言ってくれますね」


 正太郎が苦笑すると、コープランドは、温和な微笑を返した。


「大丈夫だよ、正太郎。我々は、十年前のあの時とは、何もかも違うのだから」

「だと、いいんですがね」


 声音こそ冴えなかったが、正太郎の表情は、幾分かの喜色をたたえていた。

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