第六章:赤

一頁:依頼

「それは無理だ。出来ない」




 大切な物は、失ってから初めて気づく。




「俺を……俺の血にしてくれ」




 安易な選択は、後悔を生む。




「やめてくれ!」




 人間とは、そんな当たり前をいつも忘れる生き物だ。







 夕刻になっても夏の日差しは、陰る事なく、地上を蒸している。

 放課後、亀城薫は、親戚である三島みしま玲子れいこの元を訪れていた。

 彼女は、薫の父親のいとこ、三島健二けんじの妻である。

 先週、五歳の一人娘のあいと、夫の健二を相次いで亡くしていた。


 喪失感を絵にしたようなリビングには、必要最低限の家具しか置かれていない。

 以前訪れた時には、家中の至る所に、子供向けのおもちゃが敷き詰められていたが、全て片付けられてしまっている。

 玲子は、マグカップに紅茶を入れて、テーブルに着いている薫の前に置いた。


「ありがとう。おばさん」


 玲子は、事務的に笑みを返すが、生気の類は失われている。

 二十代の後半。瑞々しい盛りであるはずなのに、纏う気配は、死期を間近にした老人に等しかった。

 街を歩けば、皆が振り返った美しさは、もはや見る影もない。

 玲子は、薫と向かい合ってテーブルに着くと、表情に覚悟を咲かせた。


「薫君。今日来てもらったのは、頼みたい事があるからなの」

「頼みって?」

「娘は、化け物に殺されたの」


 玲子は、左手の薬指にはめた金の指輪を弄りながら、双眸に確信を宿していた。


「化け物に? ワードの事?」

「亀城のお家は、グリムハンズだっけ? 怪物を倒す力を持ってるんでしょ?」


 玲子は、健二と結婚する際、親戚にグリムハンズが居るため、一連の事について教えられている。

 亀城の血筋を継ぐ者は、比較的グリムハンズが生まれやすい。

 健二は、グリムハンズではなかったが、子供が生まれた場合、グリムハンズに覚醒する可能性もあるので、玲子には、一連の情報が知らされたのである。


 世界の裏側を跋扈する怪物の存在。

 娘と夫を失った玲子の精神状態を考慮すれば、何か適当な理由が欲しいはず。

 だからワードの名前を出している、という風には、薫は思わなかった。

 玲子は、瞳の内に、平静と覚悟を秘めている。

 やるせなさに押し潰された人間に、出来る物ではない。

 妄言と切り捨てる事は、薫には出来なかった。


「どうしてそう思うの?」

「一年前、娘が交通事故にあったのは覚えてる?」

「もちろん。覚えてます」


 一年前、健二が愛を幼稚園まで迎えに行った帰り道だった。

 酒気帯び運転の車が歩道に突っ込み、健二が庇う間もなく愛だけが轢かれてしまう。

 すぐに救急車で病院に運ばれた愛だったが、危篤状態に陥った。


「医者には絶望的と言われたわ。けれど夫は、ふらっと居なくなって、彼が帰ってくると娘は、峠を越えていた」

「その話は、僕も父さんから聞かされたよ」


 亀城家でもしばらく健二の話題で持ちきりであった。

 健二は、悲しみをきっかけに治癒系のグリムハンズに覚醒したのではないかとか、治癒系のグリムハンズの知り合いがいて治療を頼んだのではないかと。

 しかし健二は、頑として詳細を語りたがらず、愛に起きた奇跡は、次第に話題から消えていった。


「私は、あの時奇跡が起きたと思ってたの。でも夫の喜びの裏には、恐怖があったのを今でも覚えてる」

「恐怖?」


 一体、何に対して?

 健二が出て行った事と関係があるのだろうか?

 薫が首を傾げるも、玲子は気にせず続けた。


「先週の事よ。怪物が来たのは」

「怪物は、どんな形をしてた? はっきり視認出来たの?」


 ワードは、通常人の目には映りにくいが、グリムハンズやワードの存在を知っていれば普通の人間でもワードの姿を認識しやすくなる。

 人間の深層心理が物語というフィルターを通して揺蕩たゆたう力に干渉した末に生まれたのがワード。

 表層心理でも存在を認知していれば、グリムハンズの有無は関係ない。

 また一定以上の力を持ったワードなら、人間に恐怖を与える目的で自ら姿を晒す事もある。


「ええ。出来たわ」


 薫の問いに答える玲子の目尻が嫌悪に跳ねた。


「石と肉が混じり合った大きな人型……奴は、手にしていた錆だらけの剣で娘の喉を裂いて、その血を浴びたの。警察に話したけど、着ぐるみを着た変質者の犯行とされたわ」


 葬儀に参列した時も、健二と玲子からは、犯人について、そう聞かされていた。

 けれどあの時は、亀城の人間だけではなく、事情を知らない人も数多く参列していたため真相を言えなかったのであろう。


「でも、あれは違う。あれは着ぐるみなんかじゃない。ああいう生き物なのよ」 


 ワードと間近に相対した時に抱く不快感は特有だ。

 仮にワードという存在について詳細を知らなくとも、一目でもワードを目撃すれば、あの異形の姿は、一生忘れられるものではない。

 ある程度事情を知る人間がそうだと言うのなら、真実と捉えるべきだろう。


「おじさんの反応は?」


 薫は、聞いてしまった事を後悔した。

 失念していたのだ。

 健二の顛末を――。


「呆然としていただけ。そして夫は、葬儀が終わったその日の夜、首を吊ったわ」


 健二は、愛が亡くなってすぐだった事もあり、密葬となった。

 また彼の遺言でもあったと、薫は、父親から聞かされていた。

 娘を失った悲しみに耐え切れず、自害したように見える。

 けれど娘を失った悲しみで命を絶ったのではない。

 玲子は、そう考えているからこそ、今日薫を呼んだのだ。


「きっと夫は、あの怪物と契約をして娘の命を救ったのよ。そして一年後に求められた対価が娘の命だった」

「愛ちゃんの? なんでそんな」


 命を救ってから、救った対象を殺すという行為。

 一見不可解な行動だが、ワードであるなら、物語に縛られているからだろう。

 しかし薫の思い当たる限りで、そんな物語を読んだ覚えはない。


「あの化け物を許す事は出来ない。殺したい。でも私には、力がない」

「僕には、ある。力になるよ」

「あの人は、怪物との会い方を知っていたんでしょ? 怪物に、あの子を救うように頼んだんでしょ?」


 可能なのだろうか?

 ワードと都合よく出会い、奇跡を願う事は。

 少なくとも薫は、その術を知らなかったし、父親から聞かされた事もない。

 だが、方法は置いておくにしても、やはり玲子の目撃証言から推察するに、この事件にワードが絡んでいるのは間違いないだろう。


「お願い薫君。あの怪物を退治して」

「調べてみるよ。任せて」


 このまま見過ごす事は出来ない。

 家族を理不尽に奪われる痛みは、嫌というほど思い知っている。

 復讐の代行を願われているのに、薫には、不平も不満も戸惑いも、一切存在しなかった。

 まして殺人犯は、公には存在が認められていないワード。

 大切な家族が合法的に復讐する機会を得られるのだから、手を貸さない理由はない。







 玲子と約束した翌日の放課後、童話研究会の部室を訪れた薫は、エリカと涼葉に叔母からの依頼と事の経緯を伝えた。


「――というわけなんだ。協力してもらえないかな?」

「いいよ。もちろん」


 エリカは、快諾してくれたが、涼葉の方は、煮え切らない態度だ。


「如月先生が帰って来てからの方がいいんじゃないかしら?」


 正太郎は、三日前からドイツに行っており、帰りは一週間後になると言われていた。

 観光旅行でない事は察しがついていたが、肝心の理由を三人は聞かされていない。


「いいよ。あんな人いなくても」


 エリカは、白雪姫の魔法の鏡の一件以降、正太郎に対して棘のある態度を貫いており、理由不明のドイツ旅行が決定的にへそを曲げさせた。


「エリカちゃん。いい加減すねるのは、やめた方がいいわよ?」

「だって、あんなに隠し事ばっかしてる人知らないもん。ドイツに何しに行ってるわけ? 涼葉さんは知ってるの?」

「知らないけど……」

「ほら、やっぱり。最低」

「気持ちは、分かるけど……」


 涼葉が毎日のように諌めているが効果は芳しくなかった。

 薫もエリカの気持ちが分からないではない。

 エリカの態度は、目に余るものがあったが、彼女が正太郎に寄せていた信頼は、薫や涼葉の比ではなかった。故に割り切れないのだろう。

 そのため二人とも、あまり強くエリカをいさめられなかった。


「僕も正直先生の帰りを待ちたいんだけど……あれから、おばさんと連絡が取れないんだ」

「家には?」


 涼葉に問われ、薫は重い声で言った。


「いない。鳥達にも探させてみたけど、僕の能力の効果範囲内には居なかった」

「じゃあ玲子さんは、何処に?」

「一人でワードを探しに行ったんだと思う」


 ワードが絡んでいるという疑惑が薫と話した事で確信に変わり、居ても立っても居られなくなったのだろう。


「どうやって? 玲子さんってグリムハンズではないんでしょう? 素人さんがワードを探せる方法なんてあるのかしら?」

「分からない。亀城家は、結構グリムハンズの発生率が高くてさ、僕の父親もグリムハンズなんだけど、ワードを探すならグリムハンズに頼らないとダメだって」

「ちなみにお父様は、どんな能力なの?」

「僕と同じ桃太郎だけど、助演級で三匹の家来。イヌ・猿・《サル》・キジへ変身出来るんだ」

「なんか、かわいい!」


 ここまで会話に参加していなかったエリカの喰い付きが急激によくなった。

 にゃん子の愛で方を見るに、かなりの動物好きである。

 ひとまずエリカの機嫌もよくなったところで、薫は、敢えて三匹の家来について話題を広げた。


「ネクストページで、それぞれ三メートルぐらいに巨大化するけどな」

「そのネクストページってなんなの? グレーテルさんも言ってたけど」


 正太郎は、ネクストページについてエリカに説明する事なく、ドイツに行ってしまった。

 もちろん正太郎は、説明しようとしたのだが、エリカの方が拗ねて拒絶してしまったのである。

 ついでに、ネクストページを教えるいい機会だと、薫は思った。


「グリムハンズの力がレベルアップした状態って言うのかな。ファーストページとネクトページって言って、二つの能力が使えるようになるんだよ」

「二つか。でもどうやって?」

「使ってるうちに覚醒する事が殆どかな。僕もネクストページ使えるようになったのは、四ヶ月ぐらい前からだし」


 きっかけらしいきっかけがあったわけではない。

 妹の死を経験する前には覚醒していたから、強い感情がトリガーでもなかった。

 正太郎や父親にも尋ねてみたが、正確な覚醒の条件は、未だ解明されていないらしい。

 二人とも薫と同様に、ある日突然ネクストページが使えるようになったと語っていた。


「だからどうやってっていうのは、はっきりした事は言えないな」

「どっちがどっちなの?」

「犬猿雉に血を経口摂取させて操るのがファーストページ。血の犬猿雉を作るのがネクストページ」

「なるほど……私のネクストページどんなのだろう」

「私のも気になるわね。早く覚醒するといいね、エリカちゃん」

「うん。そうだね。早く使えるようになりたい」


 そう、エリカと涼葉は、まだネククスページにも覚醒していない新人だ。

 薫としては、ベテランの正太郎抜きでワードと対峙する状況は、出来るだけ避けたい。

 桃太郎のおじいさんとの一件で、自身の未熟さをうんざりする程、知らしめられた。

 しかし、中途半端な知識しかない玲子が単独で動いている以上、あの時よりも悪い結果に転ぶ可能性だってある。


「まぁとにかく僕としては、なるべく早く動きたいって言うのが本音だ」

「亀城君の言う通りね。先生が帰ってくるのは来週だし、次の被害者が出る前に手を打った方がいいかもしれないわ」


 涼葉の提案にエリカも乗り気らしく、今日一番のテンションの高さだ。


「そうしよう! それで先生を見返すんだ!」


 やる気を出してくれるのはありがたいが空回った時の怖さも、薫はよく知っている。


「沙月さん。あんまし、そういう風に構えないでよ」

「だって!」

「黙ってやるとなんか言われそうだし、一応先生にも相談するよ。その上で僕達で動く。それでいいだろ?」


 同意を求めると、エリカは弾けるように破顔して、頷いた。


「分かった……薫君が持ってきた話だし、薫君の判断に従うよ。部長だけど」

「最後の一言……」

「私も亀城君の指示に従うわ。先輩で副部長だけど」

「僕は、あんた達の事がちょっとだけ嫌いだ」


 一抹の不安に駆られる薫だった。

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