馘首

十三  PCディスプレイ 15.6インチ部分 


 都の代表で甲子園の常連でもある私立高校の生徒だけで組織された「山口組ユース」は若さに任せた粗暴な同盟で、喧嘩上等を掲げ、ひたすら他の同盟に戦争をしかけるのを方針としていた。いずれ、どこかの大手同盟に滅ばされると大人たちはたかをくっていたが、意外なことに、しぶとく生き残り、勢力も無視できないほど大きくなっていった。外交はまったく行わず、戦争という手段においても、同盟員たちが相手の町への到着時間もろくに合わせられないほどのレベルであったのだが、ともかく豊富なプラクを所持していた。兵隊をいくら無駄死にさせても、すぐに新兵を補充し、出軍させた。

 後に発覚するのだが、山口組ユースはその資金を恐喝によって集めていた。虐げられていた同級生の親がいつのまにか自分の口座から数百万円が引き落とされていることに気が付き、警察に通報することで事件が発覚した。

 世間では、「いじめ」の問題として捉えられたが、この世界にも原因があるとされた。未成年にも課金をすること、さらに、その課金をあおるようなゲーム構造が批判の対象になった。テレビ・ニュースでアナウンサーが「プラスチッククッキーが」などと話すのをこの世界のプレイヤーたちは、いくぶん不思議な気持で聞いていたようだ。ホワイト・ライオットの同盟員は「この世界もメジャーになったな」、「つぎはプラクって言い出すんじゃないか」と茶化すような書き込みをしていたが、大輔はこの世界そのものに対する攻撃の様相を呈してきたことを笑い事として受け止められずにいた。伝えられている内容の不正確な部分が特に気にかかった。有料であることが原則のような報道は誤解を招くと思ったのか、インターネット上のニュースサイトにこの世界を擁護するコメントを書き込んでいった。――プラスチッククッキーは基本的には購入するものではなく、造るものなのです。金銭の多寡がすべてのような説明は、この世界を正しく伝えていないです。――。この世界は人と人がつながる素晴らしさとかを伝えてくれる大切な場なんです。山口組ユースのような奴らは本当に例外的な存在だということをわかって欲しいです。

 大輔の広報活動も虚しく、この世界を運営するゲーム会社は素早い決断を下した。ホワイト・ライオットが存在し数多のデータを蓄積させたサーバー2を九月三十日付けで閉鎖すると発表した。この世界はサーバー1から4まであり、それぞれが同質のサービスを提供している。サーバー2が閉鎖されるだけでは、この世界そのものがなくなるわけではなかった。だが、今度は世間一般がこの世界について理解しておらずまた理解する気もないことが功を奏し、運営会社の決定で問題は解決されたとみなされた。

 大輔たちサーバー2の主たちは十月一日よりサーバー4のマップに移住することになった。従来から運用されていたサーバー4のマップ上にそれぞれが新規に一つの町のみが割り当てられ、使用の有無に関わらず購入したプラクのみが補填されることになった。


 十四  スマホ 3.4インチ部分


 アルバイトを終えた帰りの電車で、大輔はサーバー2閉鎖のニュースを知った。ホワイト・ライオットの掲示板に貼られた運営会社の告知文を読み、すぐに大輔は私の縁でドアに強く一度打ち付け、「嘘だ!」と声を荒げる。座り込み、あたりを見回し、文字通り天地がひっくり返るような重大な事件が起きたのに、車内がいつもの夜とまるで変わらないことにあらためて戸惑いを覚えていた。

 サーバー2の主たちは、当然、運営側の決定をやすやすと受け入れることができなかった。自分たちは責められるところはなく、訴訟を起こすと息巻く者もいた。彼らはせっかく、獲得し、育てた町をすべて失うことに怒りを覚えていた。隣人が誰になるかもわからない見知らぬ土地で暮すのはとてもつらいことだった。あまりに理不尽な決定であったため、こんなことがまかりとおりわけがなく、さすがにどこかで運営側は考えを改めるのではと皆がどこかで思っていたが、運営会社が方針を転換する気配はなかなか表にでなかった。ついに何人かのプレイヤーは運営側に抗議のメールを送ることをしたようだが、運営側の弁護士は有料分のプラクはサーバー4でも使用できることを理由にそれらの抗議をつっぱねた。騒いでいる人間の中で、弁護士相手に法律論を戦わすことができる者はいなかった。

 ホワイト・ライオットは悲しみに打ちしがれた。大戦は収束し、大手同盟が一挙に内政に力を入れ始めたがために、同盟間順位を三十位以下に落としてはいたが、同盟内の雰囲気のよさは変わらなかった。ちょうど、この夏に、東京のどこかでホワイトライオットフェスタを開こうという計画が動き出していたころでもあった。

 ホワイトライオットフェスタで、新執行部のお披露目がされるはずだった。ハナゲバラの提唱により、七月一日よりホワイト・ライオットは民主制に移行していた。六月の終わりにインターネット上のアンケートサービスを利用した総選挙が行われ、盟主への投票がなされた。選挙の結果はハナゲバラの圧勝で、選挙管理委員会を努めたチャオブーによれば、ほぼ満票に近い得票率だった。ハナゲバラは就任演説で、一年したら、自分は身を退き、後進に譲ることを明言し、さらに規定により各方面の部隊長と参謀を任命した。各方面の部隊長が副方面長を選ぶかたちがとられ、北西方面の部隊長ポンペイウスは、大輔を副方面長に選んだ。用兵が巧みな上に、いつもきちんと相手に宣戦布告を行い、夜に奇襲をかけたりはしない、騎士道精神にあふれた人物であると推挙理由には書かれていた。この推挙に大輔ははじめは戸惑ったようだ。まず、辞退を考えて、ポンペイウスにその旨のメッセージを書くまではした。たとえば、同じ北西方面の「山本浩二8番」みたいに、面白い書き込みをして皆を笑わせることが自分にはできない。支配している町の数も少ないし、実戦経験にも乏しい。だが、ポンペイウスが自分のスタイルを支持してくれたことが大輔の心に響いたようだった。今、すぐにはできなくとも、努力しだいでは、面白いこともいえるようになるかもしれない。立場が人を作るということもあるだろう。逡巡した挙句、大輔は推挙を受けることにした。就任に際しての書き込みでは、高校の先生に贈られた「早く成長するものは早く枯れ、遅く成長するものはいつまでも枯れない」の言葉を引いて、ホワイト・ライオットの北西方面における着実な発展を誓ってみせた。大輔は篠崎から、今年のお盆は危ないと聞かされていた。皆が休みをとる時期には大きな戦争が起きやすい。大戦は終わったが、この世界において約束や信義はいとも簡単に反故にされるという不信感が色濃く残った。ホワイト・ライオットのように大戦から距離を置き、力を蓄えている同盟は他にもある。「夏に何かが起きるはずだ。それを俺は楽しみにしている」と篠崎は言っていた。大輔も夏の大戦をこの世界の集大成にするつもりだった。誰よりも紛争の危険を早く察知し、守るべき者は守り、攻めるべき者を果敢に攻める。ホワイト・ライオットの誰一人として死にはさせない。副方面長の責務を果たすためであれば、何だってやれた。己のすべてをホワイト・ライオットに捧げよう。虎となり咆哮し、龍となり翔んでやる。

 そこまで意気込んでいた矢先にサーバー2の閉鎖が一方的に決まったのだった。大輔は国民生活センターに消費者相談をしたが、無料でプレイをしていたオンラインゲームという時点で、真剣にはとり合ってはくれなかった。ゲームのデータについては、他からクレームはあることはあるが、まだ法的保護に値するところまで議論は高まっていないと言われた。これは単純なゲームの話しではないのだ。多くの人間の生き方の問題なのだと大輔は私に向かって叫んだが、消費者センターの女は聞く耳をもたず、それどころか、微かに笑った気配さえあった。それから大輔はまた例のごとく、感情の昂ぶりから支離滅裂なことを口にしはじめていた。相談員は警戒し、この会話は録音していると告げた。大輔はとたんに態度を豹変させ、ごめんなさい、ごめんなさい。僕は今、平常心ではないんです。普通じゃないんですと詑びをいれ、あわてて会話を打ち切った。

 サーバー4への移住後にも、ホワイト・ライオットを立ち上げようとの話し合いが行われてはいた。ただ、いずれの場所にそれぞれが新しい町を与えられるのかも不明のままでは、どうも、話が具体性に欠けた。さらに、再び一つの町から出発しなければならないのはやはり面倒であり、もうこの世界をやめるかもしれないと言い出すものもいた。だいたいが大輔よりも以前にこの世界をはじめており、そろそろ飽きがきていたのも否めなかった。ハナゲバラさえも、希望を見出せませんと書き込んでいた。大輔は驚き、盟主自らそんなことを言わないでくださいとメッセージを送った。ハナゲバラからはそうですね。頑張りますと返信がくるものの、その覇気のない文面に不安はいっそう高まった。

 いくつになっても夏は良いことはない。大輔はSNSの日記にそう一言かきこんでいる。

 

 十五  スマホ 3.4インチ部分


 レジ打ちの仕事を終え、入念に手を洗う後ろ姿をどうにか覗き見ることができた。あらためて、やせ細った、貧相なからだだとわたしは思った。夏休みはどうするのだと店長がうしろから声をかけていた。お盆はできれば田舎に帰りたいと思っていることをついに大輔は口にすることができた。店長が何も言わないので、大輔は田舎の夏について訊かれてもいないことをつらつらと語った。暑いことは暑いが、夜には気温がきちんと下がること、観光客が見に来るほど大きなものではないが、精霊流しがあり、そのあとに父と母と一緒にサイゼリヤに行き、ステーキを食べるのが恒例行事であることを甲高い声で泡を飛ばすようにして話した。父親の具合が悪いことは、休みの口実のように響くような気がしたのか、口にしなかった。大輔にはそういう誠実なところがあった。「休みたいなら、もっと早く言って欲しかったな。もうシフトを組んでしまったよ」と店長は言うのみで、休みについての承諾ははっきりとはしめさなかった。さらに、地震直後も君はずっと田舎に帰っていたし、実家がよほど好きなんだねと嫌味を口にした。大輔は店長の態度にむかっ腹が立った。これだけ毎日シフトに入っておいて、夏休みはとらせないなどありえなかったし、地震直後は非常時であったはずで、それをとやかく言うのは人として間違っているように感じていた。こういう相手に対して、父の病気のことをあえて口にしなかったような温情をかける必要はなかったと後悔もしているようだった。

 店長が売り場に戻っていったために、大輔はホワイト・ライオットの議論を追おうと、ロッカーのリュックサックの中に手を入れて私のことを探しだそうとしている。指を伸ばして、ポケットティッシュや教科書、ノートの頁と頁のあいだまで調べた。「あれ?」。大輔はリュックサックをロッカーから出すと、そこに顔を突っ込むようにする。「あれ?」。「あれ、おかしいぞ」。「ふざげんなよ」。「ありえねえよ」。いくら探しても、私のことが見当たらない。ついにリュックサックの中身をすべて長机の上にぶちまけて調べたが、やはりわたしは出てこない。「なんだ、これ?」。「やっぱり、夏だよ。夏なんだよ。油断していたぜ」。大輔は屈みこんで這いつくばるが更衣室の床にも私の姿はない。アルバイトの同僚が何しているのだと声をかけてきたが、無視を決め込んだ。店の電話を手にして、私に電話をかけるが、私は音を鳴らすどころか、振動さえしない設定になっているのは大輔自身が知っているはずだった。レジに行く前に、この世界の掲示板で、相互条約の国際法的解釈について、誰かが書き込んでいたのを確認したのを大輔は覚えている。掲示板では、サーバー4に移ったあとでも、従来の条約の効力が存続するのかが議論されていた。大輔自身は当然に効力が生じるとの考えだった。たとえば、世界中の人間が火星に移住することになったとして、日本人のコミュニティをアメリカ人のコミュニティが攻め込むことが赦されないというのが自然な解釈のはずだった。その自分の考えとそっくり同じことを誰かが書き込んでいたのをみて安心したのちに、国際政治の授業をとるべきだったと後悔しながら、きちんと鞄の所定の位置にスマートフォンを戻したはずだった。それが勝手に消えてなくなることなど現実社会においてはありえなかった。誰かが盗んだ。大輔はそう確信した。体の中心が熱っせられていくのを意識する。いつものように頭の頂点がのぼせ、沸する。

 大輔は立ち上がり、角中のロッカーの前に立つ。私は大輔が個人的な好き嫌いで犯人を見誤ることを危ぶんだ。角中は制服のポケットにいつも二つ折りの携帯電話を忍ばせていて、レジ打ちをしているときも四六時中、パッカン、パッカンとうるさいほどに頻繁に開けて見ている。明日から、それを同僚のスマートフォンに差し替えるほど、あの男もバカではないと考えるべきだ。売ることが目的だとしても、角中はその手間さえ嫌うであろう。

 続いて、大輔はランのロッカーの前に移動する。犯人がランであると考えるのは大輔にとって痛ましいことに違いない。ただ、状況的には、就業時間が終わってもレジのところで同僚と馬鹿話をしている角中よりも、三十分前に仕事を終え、すでにスーパーマーケットを去っているランの方が状況的に犯行は容易かった。彼女が熱心に行っている位置ゲームは、従来型の携帯電話向けのサービスは終了し、スマホ向けに切り替わるとインターネット上のニュースで知ったばかりでもあった。運営側の決定に翻弄される身として、ランにもその考えを聞きたいと思っていたところだった。 

 大輔は、ランに対して怒りの気持ちをもったのだろうか。その表情は怒りというよりも、悲しみに近いようにみえた。ランはスーパーマーケットの仕事のあとにも、居酒屋で働き出していた。大輔も夜に働くことを考えはじめていた。二人共仕送りはなく、苦しい生活を送っていた。地味な性格で、水商売や、キャッチセールスといった実入りのいい仕事もできずに、ただ時間を費やさなければならなかった。その中で、唯一の生きがいであるゲームができなくなる辛さを大輔は慮っていたのかもしれない。大輔はずいぶんと長い間、天井を仰ぎ見ていた。 

 店長と角中がバックヤードに戻ってくる。大輔は店長の前に立ちふさがり、ランの住所を教えてくれないかという。

「えっ? ランちゃんの住所を?」と店長は聞き返した。

「そうです」

 と大輔は答えた。それがなんでもない、当然のような風を装っているつもりのようだった。

 店長は声にならないため息のようなものをわずかに漏らすと、座るように椅子を勧め、角中に部屋の外に出るようにいった。「店長、そろそろ、はっきりしてやった方がそいつのタメですよ」。そう角中は言い残し、廊下に出ていった。

「なんで、ランちゃんの住所が必要なんだ」

 と店長は訊く。大輔は口ごもり、ちょっと、借りたものがあってという。

「ふたりとも明日もシフトに入っているだろう。その時じゃだめなのか」

「ええ。それではダメなんです」 

 それから店長は大きく息をはき、大輔の勤務態度を褒めはじめた。遅刻、早退もなければ、途中で煙草休憩を勝手に取ることもしないと言った。「角中みたいにな」と店長は小さく笑うが、大輔は機嫌を取るような様子がかえって不気味で笑う気になれなかったようだった。この冗談を含めて、店長が以前から大輔に言い渡そうとしていた内容を口にしはじめているようにみえた。その芝居がかった口調は準備されたものをなぞるだけの滑らかさが感じ取れた。大輔がこれまでの人生の中で何度か大人たちから受けてきた断絶の端緒がみえはじめていた。

 私はそのとき、大輔が手の届く範囲の店長の机の上にいた。店の鍵などが入った手提げ金庫の下に挟まっている。大輔がレジを打っている最中に店長は大輔のロッカーを開け、リュックサックの中から私を探し当てた。店長は大輔が勤務先の悪評をブログに書き込んでいる証拠を掴みたかったのだ。店長は前々から他のアルバイトや本部から、店の中のことを書き込むアルバイトがいると教えられていて、対策をとる必要があった。誰かから名を上げられなくとも、犯人が大輔であるのはだいたい予測がついた。店長が私のロックを解除しようとあれこれいじっているあいだに、パイナップルが腐っていたという苦情の客がきたとアルバイトが駆け込んできたため、いそぎ、私の上に手提げ金庫が置かれた。

「ただ、スーパーマーケットは接客業で、ハキハキした口調や、感じの良い態度も必要になってくる」

 大輔はうなずいた。自分が誰もに好かれるようなタイプではないのは十々、わかっているだろう。一年以上勤めたのに、いまさら、そんなことをいわれるいわれはないとも思っているに違いない。それから店長は大輔に映画を見たり、本を読んだりすることはあるのかを聞いた。これが感受性とか情緒に対する問いであるのは感づいていたのだろうが、どちらもあまり好きではないと大輔はぶっきらぼうに答えた。友達と遊んだり、恋人とデートをすることはあるのかも尋ねられた。友人も恋人もいないと答え、どうして、そんなことを訊かれなければならないのか、プライバシーの侵害ですと声を荒らげた。店長はその点について頭を下げるものの、表情の底に隠された冷ややかなものは変わらなかった。大輔は何度か味わったことのある、あの冷たく昏いものが迫ってきているのに怯えはじめていた。私は大輔がこの世界について語リ出すのを危惧した。自分は仲間もいるし、そこではそれなりの役目を持っているのだと言い出すのを身構えた。

「どうして、ランちゃんの住所が知りたいんだ?」

 と店長が再度きく。

「いや。べつに。それはもういいじゃないですか」

 店長は壁にかけられた時計を見上げた。本部からの通達で、閉店後の店は空調の電源を切らなければならない。すでにバックヤードの室温は上がり、息苦しいほどになっていた。二週に一日しか休めない店長は店を閉めて、一刻も早く家に帰りたいだろう。店長は何らかの決断をくだそうとしている。多くの人間が関わる、とても重要な問題があるのだと大輔は小さな声でいう。自分はある方面で責任のある役職についていて、スマホがないと緊急対応ができないのだと付け足した。それから、田舎に帰るのは二、三日でもいいのだ。だから、いいだろうと口走った。また、いつものように支離滅裂になりはじめている。相手に意見したかと思えば途端に媚びる矛盾が出始めている。「もう、いいです。勘弁してください」と大輔は口にする。店長は大きく息を吐いた。クリアファイルに入ったシフト表をずいぶんと長く眺め、それからわざとらしく、再び、大きく息を吐いた。

「前に、生理ナプキンを買ってくださったお客さんからクレームが来たのはいつだった?」

 店長は大輔にそう訊いた。入ってすぐのときだから、ほぼ一年前になりますと大輔は答える。ただ、あれは、紙袋に入れるのか入れないのか、客の答えが聞こなかったんです、それで、何度も聞き返したら、向こうが何か勘違いしてクレームになってしまっただけですよ。俺も確かに慣れていなかったけれど、あの客も端から感じが悪かったんです。次の方どうぞっていっているのに、明らかに俺のところに来たがらなかった。あいつは、クレーマーですよ。クレーマ。他人に文句をつけるのが大好きなクソみたいなクレーマですよ。ああ。すみません。すみません……

「人が足らなくて困っているんだけどね。でも、明日から来なくていいよ。言っている意味はわかるよね?」

 ついに店長がそう口にした。どういうことですか? と大輔は聞き返した。店長はすでに立ち上がっていて、何も答えなかった。実務家の店長は馘首を言い渡すところまでしか考えていなかったし、馘首にしてしまえば赤の他人であって、自分が配慮すべき相手ともみなしていなかった。いつのまにか、他のアルバイト達がドアを開けて覗きこんでいた。角中が「今日のことをブログに書くなよ」と声をかけ、みんなに笑いが起きていた。大輔は彼らの元に向かう。アルバイト達は慌てて散らばり、逃げた。大輔は彼らを襲ったのではなく、ただ出口に向かっただけだった。大輔は何もいわずにそのまま去っていった。それが私が見た最後の大輔のすがただった。

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