ホワイト・ライオット

六  PCディスプレイ 15.6インチ部分


 ホワイト・ライオットに加入後、大輔は三つの町を新たに自分の支配下においた。三つの町は一度の戦争で落とした。北西地区の方面部隊長「ポンペイウス」に誘われ、個人プレイヤー相手に共同で戦争をしかけた。この個人プレイヤーはマップ上に表示される町の名の脇に絵文字の日の丸を必ずつけていて、それがポンペイウスの気に触った。ポンペイウスは町を三十以上保持しており、大輔ぬきでも、五つの町しか持っていない相手にはたやすく勝つことができたはずだった。ポンペイウスは北西方面部隊長の役割として、新人の実地研修を兼ねて、大輔と共同作戦を行ったのだ。ホワイト・ライオットは中期計画として、同盟の規模の拡大に努め、この世界のオフィシャルサイトで発表される同盟間順位トップ五〇内に入る目標を立てていた。ホワイト・ライオットは、リクルート活動に制約があり、どうしても同盟員の大幅な増加は難しかった。同盟の規模を拡大するために、個々人がより強くなる方法を選ぶほかなかった。大輔はこの戦争の後に、プラクを増産し、兵を集め、さらに一つの町を落とした。プレイヤーに見捨てられた町を加えることで、大輔の持つ町の数は十に達した。この世界では、二桁の町を持って、はじめて一人前だと言われており、大輔はこの戦果をひときわ喜んだ。大輔は新しく支配下においた町でも内政に力を入れた。プラクを廃材と交換し、ソーラーパネルステーションとプランクトンクッキー工場を増設することに努めた。既存の町ではプラクを貯めては募兵を行って、兵力の増強を図った。大学とアルバイト、それに睡眠以外の時間はすべてこの世界に費やすようになっていた。家に帰るとすぐに私の電源をいれ、私の前で食事をし、私の前で眠りに落ちることさえあった。

 ホワイト・ライオットと大輔が勢力の拡大を急いでいるのには理由があった。「戦神たち」と「魚鱗の陣」との戦争が他の同盟を次々と巻き込みはじめ、大戦の様相を呈してきていた。

 この世界を扱うブログの報道によれば、当初、戦神たちと魚鱗の陣は「平成維新だ、この野郎」に対して共同作戦を展開する予定でいた。実際に、池袋の居酒屋で幹部同士が集まり、作戦を立案するまではよかったが、金の支払いの段階で、プラクで換算して送付しようとした戦神たちとそれをよしとしなかった魚鱗の陣とのあいだで口論となり、この世界で勝負を決することになった。馬鹿馬鹿しいことであったが、ホワイト・ライオットが、相互不可侵条約を結んでいた戦神たちの外相に照会してみると、プラグで払うというのは冗談半分で言い出したとの弁解はあったもの、概略は事実だと認めた。

 戦神たちと魚鱗の陣はともに古くに結成された同盟で、多くの同盟と友好的な条約を結んでいた。両者とも同盟順位が共に三〇位程度の中規模同盟であり、単独の戦力は伯仲しているがために、外交戦でいかに他の同盟を引き入れるかが勝敗を決することとなった。それぞれの外交担当者は関係をもつ同盟に共闘、援助を熱心に働きかけた。ホワイト・ライオットも戦神たちから、相互不可侵条約の遵守はもちろん、即時の参戦を要請された。また、魚鱗の陣からもメッセージが届き、新たに不可侵条約を締結すること、または事態の静観を求められた。

 この件について、ホワイト・ライオット内の掲示板で全体会議が開かれた。戦争がはじまった経緯がどうであれ、これまでの関係から戦神たち側で参戦すべしとの意見を書き込むものがいた。二つの同盟がさかんに行っていた外交戦の結果、トップテン内の同盟のいくつかが両陣営にわかれて参戦しはじめていた。戦闘が拡大していくのは必至の情勢であった。いずれ、参戦しなければならないのならば、早い段階から主体的に血を流すべきだと強く主張するものもいた。

 参戦を否とする意見も多かった。ハナゲバラも同じ考えだった。ハナゲゲバラは戦争の原因も、その後の両同盟の行動も気に食わないと書き込んでいた。愚かで、信義のない戦争だと断じて憚らなかった。

 参戦派はなかなか譲らず、一度目の全体会議で方針を決定することはできなかった。その後も、同盟内では活発な議論が交わされていった。学内やアルバイトの行き帰りにも議論の流れを追うために、大輔はついに決意し、スマートフォンを買った。わたしだけでは、部屋にいる間だけしか、この世界にいることができなかった。部屋の外でも、大輔はこの世界に入ることを望んだ。大輔のとなりの町が魚鱗の陣に属しており、いざ戦争となれば最前線を請け負わねばならなかった。つねに最新の情報を追っておくのが自分の責務だと大輔は感じていた。いざとなれば、食事を抜いてでも、最新型の機種代を上乗せされた電話料金を払うしかないと覚悟していた。

 大輔はともかく己の戦力の拡充を急いだ。北西方面は大輔以外には、方面長のポンペイウスを含めて五、六人の同盟員しかおらず、開戦となると、圧倒的に兵力が不足していた。ポンペイウスであっても、大手同盟の幹部と比べるとその戦力は見劣りがした。北西方面の手薄さは幹部のあいだでも認識されており、緊急時規則により、北東方面と南西方面から援軍が送られることが定められてはいたが、全面的な戦争になった場合、彼らが他の方面まで助けるような余裕があるかは疑わしかった。また、大輔は端から他人の援助をあてにすることに違和感があったようだった。戦力の拡大のために最も時間を要しない手段は、プラクを日本円で購入し、そのプラクで兵隊を徴兵することだった。ちょうど、運営会社は夏休みを前にしてプラグのセールを行っていた。ただ、日本円をゲームで使うことは、空いたペットボトルに水道水を入れて持ち歩く大輔には、越えてはならない一線であった。大輔の中ではスマートフォンの購入代とゲーム内の課金は明確に区別されるべきものであった。プラグを購入してしまえば、この世界の魅力は半減してしまう。貧乏性の大輔がこのゲームに魅力を感じたのは、無料でも十分に楽しめるし、課金して楽しんでいる金持ちを打ち負かすことも可能な点であった。大輔は今までと同様、自らの努力で道を切り拓くことにした。毎日、付近の町に斥候を出しては、無人となったもの、どこの同盟にも入っていないものを探すことに努めた。いつまでも結論のでない会議の様子を追いながら、いざそのときに備えて、少しでも自分の戦力を拡大することに勤しんだ。

 大輔は常にこの世界に身をおいていたいはずであったが、不思議なことに、大学には毎日通い、授業にもきちんと出ているようだった。大学に入学して一年数ヶ月が経っていたが、体調不良以外の理由で大学を休んだのを見たことはない。

 大輔は平日の昼間は大学に行き、夕方から夜にかけてスーパーマーケットで働いていた。土日もスーパーマーケットでレジをうち、二週に一度の土曜日には、夜間にファーストフードの定期清掃のアルバイトもしていた。生活費を稼ぐにはまだ足らず、夏期休暇か冬季休暇には昼間に日雇いのアルバイトもしていた。十分な仕送りのない大輔の生活は苦しく、贅沢は望めなかった。生活の厳しさを抱えつつ、この世界ではプラクを必死になって貯めているのだから、気が休まる暇もないだろう。大輔が求めているものを完璧にこなすには二人分の人生を必要とするようにみえた。大学の授業を休みたいと思うことはよくあるようで、そのころはじめたSNSにもよくその旨を書き込んでいた。一度や二度、休んだところで、単位や成績に影響がないことぐらい、大輔もわかっていた。だが、徹底的にケチな性分の大輔は、入学料や授業料をあわせたうえで大学の授業の一コマを換算すると、三八〇九円になると聞いて以来、休むことなど考えられなくなってしまった。おまけに、卒業に必要な単位以上の、取得単位の上限まで取得すれば、その単価は二一〇二円まで下がると聞かされてからは、そちらを目標として捉えるざるをえない性質だった。

 ただ大輔は目先の損得だけに囚われて、授業に出ているわけではないようだった。周囲の学生へ強い反感や四六時中揺れることへの不安などが大輔を駆り立てているようでもあった。大輔の通う大学では、震災からまだ三月も経っていないのにコンピュータ室では『ワンピース』が違法にスキャンされ、図書館はセックスする学生に封鎖された。時間と電気が無駄に捨てられるばかりだと大輔はSNSで頻繁に怒りも吐露している。

 大輔はことあるごとに、東大のサイトにアクセスし、今年の入学式に、総長が行ったスピーチの原稿を読んでいた。ボランティア相談会で怒鳴られたのちに、いろいろと検索で調べているうちに行き当たったものだ。このスピーチはいま、大輔が抱えるぼんやりとした考えを言葉で形にしている上に、後押しもしてくれていた。

 

 この春、東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。また、これまで皆さんの大変な受験勉強を支えてこられたご家族の皆さまにも、心からお祝いを申し上げます。

 本年度の入学式は、例年とは大きく異なり、武道館での開催ではなく、この小柴ホールで代表の皆さんだけに集まってもらう、小規模な式典としました。これは言うまでもなく、東日本大震災とその後の状況を考慮したものです。今年は入学式を中止する大学も少なくなく、東京大学もさまざまな可能性を検討してきましたが、最終的に、このような形で実施することとしました。

 東日本大震災による人的被害は、昨日の段階で、死者が一三一三〇人、行方不明者が一三七一八人という数に上っています。想像を絶する数字です。ただ、数字というものは全体の規模感を直観的に理解するには有用ですが、往々にして、現実の被害の生々しさを抽象化してしまうきらいがあります。一三一三〇人、一三七一八人という数字をみる時に、この大きな数字を構成している一人ひとりの方々が、ついこの間まで皆さんと同じように生活を送り、喜び悲しみ、生きていらしたことを想像してもらいたいと思います。それが一瞬にして失われたことの重さを、深く受け止めて下さい。また、幸いに命をながらえた方々も、治療を受けたり不自由な避難生活を送ったり、生活再建の厳しい現実に直面しています。皆さんがこれから知識というものにかかわっていくときに、そうした「現場への想像力」をつねに持ち続けてもらいたいと思います。

たしかに、被災された方々や被災地という現場への想像力をたくましくすればするほど、皆さんは、その重さに打ちひしがれ、茫然自失に陥るかもしれません。しかし、だからといって、現場への強い思いから逃げるのではなく、その重みに耐えて前に進んでいくのが、知識というものにかかわる私たちの使命です。今日、大震災による被害がまだ続いている、決して終わっていない中で入学式を迎える皆さんには、この地震によって起こった事実を、たんなる数字や紙の上の知識、抽象化された知識としてではなく、生きた体験として自らの心に刻み込んでもらいたいと思います。それによってこそ、皆さんがこれまで学んできた知識、そしてこれから学ぶ知識を、本当に人々に幸せをもたらす力として成熟させていくことが出来るはずです。

 ほとんどの皆さんにとって知識というのは、受験勉強の中で抽象的なものであったと思います。それはそれでよいのです。知識というものは抽象化されることによって、多くの人々に時代を越えて伝えられていきます。また、直接的な経験とは切り離された知識を、集中的に蓄積していく時期というのも、人生の中で間違いなく必要です。大学でのこれからの勉強もまだ、すぐには現場とのかかわりを意識することは難しいかもしれません。しかし、そうして学んだ知識が現場と強いかかわりを持つことを、これからの人生の中で皆さんは、いずれ気付いていくだろうと思います。

 私自身の学生時代の経験を振り返ってみると、知識が社会の現場で具体的に意味をもつことを感じたのは、公害問題とかかわった時でした。「公害関係の立法過程」というテーマのゼミに参加していた時のことですが、法律の制定過程に影響を与えるさまざまなステイクホルダーについて、ゼミ生がそれぞれ分担して東京大学新聞に記事を書くことになりました。私は労働団体を担当しましたが、その折に熊本県の水俣に行って、原因企業の労働組合の人たちへのヒアリングを行ったことがありました。これは、私が最初に自分の勉強の成果を公表したという意味で、思い出深い機会なのですが、それ以上に、自分が学んでいる知識が社会的・現実的なものであることを、はじめてはっきりと意識した機会でした。皆さんにも在学中に、どういう形であれ、自分の知識が現場とかかわる経験をしてもらえると、素晴らしいと思います。

 それでは、私たちは、このたびの東日本大震災がもたらした事態に対して、どのようにかかわることができるのでしょうか。皆さん、そして皆さんのまわりの人たち、そしてすべての国民が、また世界の多くの人々が、自分がこの惨禍に対して何を出来るのだろうかと、自ら問うてみたことと思います。私も、個人として、また東京大学として、何が出来るのか、ずいぶん悩みましたし、今も考え続けています。人々が、肉親を失った悲しみと、あるいは生活基盤を破壊された苦しみと格闘している時に、大学の拠って立つ知識というものが何を出来るのか、無力感を感じることもあります。また、知識よりも、食料、水、毛布、あるいはガソリン・灯油といった援助物資の方が、はるかに目前の役には立つように感じます。

 そうした中にあって、東京大学でも、ボランティアとして活動しはじめている皆さんがいることを、心強く感じます。もちろん、ボランティアの活動では、必ずしも自分たちのこれまでの知識が役立つわけではありません。子どもたちへの教育や医療支援、あるいは法律相談など、自分の知識がすぐに役立つこともあれば、家の中に流れ込んだ汚泥の除去や瓦礫の片づけ、あるいは介護や物資の積み下ろしなどの作業に直面して、とまどうことが多いかもしれません。しかし、そうした作業こそ、今を必死で生きている人々が切実に求めているものであるのを知ることは、皆さんがこれから、知識のあり方、社会が必要としている知識の多様さを考えていくために、得難い経験となるはずです。

 こうした活動を紹介すると同時に皆さんに申し上げておきたいのは、このように、被災地の現場で実際に行動することは大切ですが、被災地に行かなければ何の役にも立てないのだと考えるのは、間違っているということです。被災地の状況は、いまメディアを通じていろいろな形で伝わっており、すさまじい被害の光景はもちろん、被害の苦しみ、悲しみ、その中での人々の勇気、思いやり、きずな、さらにこれから復興に向けて求められている事柄など、皆さんは十分に理解しているものと思います。そうした現場からの情報を自分自身の中で徹底的に消化し、吸収し、そのようにして、いわば「身体化された現場」との緊張感を、皆さんがこれから知識を学ぶ時に、またそれを社会で生かしていく時に、絶えず持ち続けることも、このたびの惨禍に対する行動として同じく重要なものです。

この東日本大震災がもたらした惨禍からの復興には、これから長い年月がかかるだろうと思います。そして、それは、日本社会全体の活力の復活の動きとも重なっていく、非常に大規模なものとなるでしょう。いま入学したばかりの皆さんも、大学を卒業してからも長く、直接的にしろ間接的にしろ、この復興のプロセスにかかわっていくことになるはずです。また、ぜひともかかわっていただきたいと思いますが、そうした見通しを持てば、今あせることはありません。

 すぐにボランティアなどの行動に出るのもいいでしょう。そのための枠組みを東京大学も準備しつつあります。昨日、大学として救援・復興支援室をスタートさせましたので、これからの現地への継続的な支援の窓口になると考えています。しかし、この大学という場にあって、じっくりと自らの知的な力を磨き続けることも大切です。現場への想像力、現場との緊張感さえ忘れなければ、皆さんは被災地の復興に、そしてこの国の未来に、さらには世界の人々のために、間違いなく大きな貢献が出来るはずです。

 皆さんのこれからのご健闘を祈って、式辞といたします。 

  

  七  スマホ 3.4インチ部分


 大輔はミクロ経済学、経済学史の授業に毎日出て、丁寧にノートをとり、期限通りにレポートを提出した。

 経済学の目的は、生産や消費の流れ、規則性を見出し、その効率性を高めて、国民の幸福に資することだと学んだ。そうであれば、今のこの時代にこれほど必要とされる学問はないはずであった。経済学部は他の学部から、勉強しない学部、勉強してもあまり意味のない学問だと思われていたが、それはとんでもないことであった。少し、勉強してみれば、これほど役に立つものはなかった。大輔は全員が教養として、マクロ経済学の単位ぐらいはとるべきだと考えていた。たとえば、サンクコストの概念などは、原発の問題について語るのであれば必須の概念のはずだった。

 大きな災害が起き、どこかのある地域では、経済学を学んだのは自分ひとりになってしまうことを大輔はよく想像していた。トレードオフやインセンティブといった基礎的な経済学の概念でさえ、誰も知らない社会の中で、自分の知識が役立ち、希われる。そこでは自分は唯一無比の経済学者だった。人びとは大輔に教えを請い、指導を仰ぐ。そんな日が来ないとは絶対にいえない。これからは、絶対はない。たとえば、政治家、弁護士、一流企業に勤める人間などが皆、国外に脱出してしまい、馬鹿ばかりが残されることだってありえた。大輔はその日を想像して、気を引き締めた。

 雨の日に、大輔は米を送ってくれた和哉と美希に電話をかけた。パパと二人で、ジャスコのくじ引きで当てたのよ。すごいでしょう! 電話に出た美希ははしゃいでいた。ありがとうと再び大輔は礼を述べた。父と母の暮らしも余裕があるものではないことを大輔は知っていたので、心底申し訳ないと思っていた。そうそうと、美希は裏の小さな公園が立ち入り禁止になったことを教えた。放射線の量が既定の値を越えたのだった。「遊具も古くなっていたしね。ここらはもう子供もいないし、たぶん、このまま閉鎖されちゃうんじゃない?」。赤ん坊のころはよく遊びに連れて行かれた公園であったが、物心がついたころにはあまりに身近にあるのと、滑り台と砂場の遊具だけでは物足りないのとで、見向きもしなくなっていた。だが、宇都宮の南まで放射性物質が拡散しているとの事実は、大輔にとって、着々と世界は崩壊に向かいつつある証左とも思えた。「そっちは大丈夫なの? 鼻血とか出ていない?」と大輔は訊いた。「平気よ。どうせ、私らは煙草も吸うし、お酒も飲むしね。パパなんていまだにスカック菓子を毎日一袋も二袋も食べちゃうしで、いまさら放射能なんてね」と美希は笑っていたが、笑い飛ばせる話として大輔には受け止められなかった。それで、東京に越してくればいいと口にした。「ありがとうね。でも、大ちゃんのアパートじゃ、狭くてどうにもならないじゃない」と美希は笑った。早く働いて、二人を呼べるようにするよと続けると、美希は笑いながらも涙混じりに「また、一緒に暮らせるといいね」と漏らした。

 電話のあと、隣の建物が間近に迫る窓を開けた。少し離れたところに立ち、建物との隙間から見える外灯を凝視して、雨粒が光り輝いてはいないことを確認した。いつもは寝る時間であったが、このままだと眠れそうにもなく、また、眠りたくもなかった。近くの公園まで、散歩に行くことにした。私を手にして、大輔は部屋をでる。そのまま走り出しそうな勢いで階段を降りていく。大輔は、三日間の緊急対応番を無事に終えて、開放感を覚えていた。ホワイト・ライオットは不戦の方向に意見を集約しつつあったとはいえ、突発的な戦争が起こる可能性は否定できなかった。開戦となった場合、一次応戦するのは緊急対応番の大輔の役目だった。三日間、大輔は緊張を強いられていたのだ。

 大輔の足は高速沿いにある細長い公園に向かっていた。コンビニエンスストアの前をとおり、ガードレールで仕切られた狭い歩道を進んでいった。

 深夜の公園ではダンスの練習に精を出す若い男がひとりいた。ヘッドフォンをつけた男の、スポーツウェアの衣擦れする音がシュ、シュと響いていた。大輔はベンチに腰を下ろした。背中に触れるものがあり、振り返ると紫陽花が花を咲かせていた、外灯の下ではそれは赤にも青にもみえた。公園沿いを走る高架の道路から車のライトが漏れ光り、踊る男を照らしていた。大輔は立ち上がると自動販売機まで行き、午後の紅茶を買った。ベンチに腰をおろして、午後の紅茶をゆっくりと呑んだ。雨が上がり、地面から水蒸気が上がっている。高架の上を走る車のライトが断続的に水蒸気を照らしだした。――世界はどうしてこうも美しいのだろうか。大輔は唐突に目の前のすべてを唐突にたまらなく愛おしく思った。SNSに「世界は美しい。それを見いだせないのは愚かだ。生きていてよかった」と書き込んだ。この美しさのためならば、どんな犠牲を払っても構わない。立ち上がってそう叫びたくもあった。

 ダンサーが踊りを終える。彼はヘッドフォンを外して、地面に転がり、荒い息を吐いていた。ダンサーの周囲を靄が覆う。

「上手だね」

 そう大輔は声をかけた。

「サンキュー、フロアー」

 寝転がったまま、男は両手をたかだかと掲げた。

 そのやりきった姿を大輔はずいぶんと長い間、見つめていた。


 八  PCディスプレイ 15.6インチ部分 


 梅雨は明けたが、この世界の状況は悪化する一方であった。戦神たちと魚鱗の陣の戦争は大手同盟が介入することによって全面戦争の態を呈してきていた。

 戦争に巻き込まれた北西地区の町々では連日のように支配主が入れ替わっていた。ただ単に一つの町を単に二人の人間が争うのではなく、複数の同盟が共同戦線を張って、大量の兵を投入し、執拗に激しく戦っていた。よほど、ひどい戦いであるのか、不戦を表明しているホワイト・ライオットの大輔のところにも幾度ともなく救援要請がきた。

 かつては、この世界では大戦は起こらないといわれていた。各同盟、特に古くからある大手同盟間では網目のような条約が結ばれており、これが足かせになるとみられていたのだ。たとえば、A同盟がB同盟それにC同盟とのあいだで、相互援助条約を結んだとする。相互援助同盟の締結国は、敵から侵略を受けた場合に共に戦う義務を相互に負う。仮にB、C間で戦争になった際は、条約の性質からAはどちら側にたっても参戦できない。また、BがDから侵略され、さらにD側にCが加わったとしても、Aは参戦できないとみられていた。つまり、この世界においては、多くの同盟が参戦することで、結果的に戦争がより限定的になっていき、やがて鎮まるものだと考えられていた。

 ただ、それは、各同盟が条約を遵守するという前提があってのだった。一度、参戦し、兵を出して、町を奪い、奪われ、旗がゆらめき、折られという高揚感を味わってしまうと、遠い過去に条約を結んだ同盟が相手側についたとしても、戦争をやめる理由にはなりがたかった。盟主が同盟の遵守を望んでも、好戦的な同盟員に「もう、今さら、後戻りは赦されない」、「動くも死、動かないのも死。ならば、俺は前のめりで死にたい」などと勇ましい言葉で詰め寄られると、彼らを抑え、平和を説くのはさらに困難が伴った。武闘派の脱退による新同盟の設立、過激派によるクーデーターも多く見られた。条約は次第に重さを失い、簡単に反故にされるようになった。きっかけとなった戦神たちと魚鱗の陣はともに、相手方陣営の最優先の標的にされて、すでに死に体であったが、もはや、彼らの存亡はさほど意味をもたなかった。これが白木屋の支払いをめぐる諍いであったことなど誰もが忘れていた。各同盟はすでに怨恨や欲望をぶつけるべき具体的な敵のすがたが目前にあらわれていた。自分の町を取り返すために、相手の町を奪取するために戦争は続けられた。

 戦争の拡大の原因を技術面に求めるむきがあったが、大輔はこの意見につよく引きつけられた。悪魔の新技術だと書かれていたが、確かにうなずけた。自分の町と標的の町を入力すると、攻撃までに要する時間を自動的に算出できるウェブサービスが何者かによって立ち上がっていた。この世界では、複数の町から出兵がなされた場合、はじめに兵が到着してから三分以内に戦争が行われる。三分以内に到着しない兵は戦闘に参加できない。元治安部隊の移動速度で縦横五〇日の距離をもつ広大なこの世界で、移動速度の異なる治安部隊と市民兵を組み合わせて、複数の町から標的の町に到着時刻をあわせて出兵するのはそれなりに複雑な計算が必要だった。各人の計算時間を確保するために少し先の到着時刻を同盟内で打ち合わせても、日常生活においてさまざまな事情を抱える同盟員たちが必ずきちんと所定の時間にログインし、約束の時間に間に合うように出兵するとは限らなかった。一方、守備側は常に応援を受け入れることができた。攻撃を受けるほうは、敵が着陣する一時間前にはアラームが届くが、攻撃側は守備側の応援については知る由もない。この世界の戦争は、相手の町に着陣しなければ相手の兵力がわからないという意味でも、守備側に圧倒的に有利になっていた。実際に、北西地区でもホワイト・ライオットの同盟員が個人プレイヤーに攻められたことがあり、大輔ともうひとりで応援兵を出し、守備側の戦力を甘く見ていた攻撃兵を殲滅してみせた。ただ、報復戦のときは、夜型の生活を送る同盟員たちと敵の町への到着時刻をあわせるのが難しく、結局、大輔ひとりで戦争をする羽目に陥って、撤退を余儀なくされた。あのときは翌日に英語の中間テストがひかえていたために、大輔も時間を十分に割くことができなかった。中間テストはテキストで配られたキャプテン翼の英語版から出題されることが予告されていた。吹き出しが空欄になり、正しいセリフを挿入するだけでよいのだが、大輔は日本語版のキャプテン翼を読んだことがなく、本来の英語の実力だけで受験しなければならなかったのだ。

 それが、くだんのウェブサイトの登場で、状況が大きく変わってしまった。たとえば、同盟内の掲示板でのやりとりで、どこの誰の名前が気に食わないという気分の盛り上がりから実際に攻めるまでの具体的な時間と手間が圧倒的に減じた。この世界の住民のうち、大半を占める怠惰で二次関数を解けない愚か者たちがとんでもなく遠方から兵隊を出せるようになった。この世界にはもともと、戦争など一度もしたことがない者も多くいた。自分の町の内政にひたすら徹するだけでも楽しめたし、主のいない町、放置された町を接収することで支配する町の数を増やせた。それがひとつのウェブ・サイトの登場により、途端に、好戦的な状況になってしまった。

 盟主ハナゲバラは各同盟に対しても自制を呼びかけていたが、この世界はすっかり戦争に熱狂しており、その呼びかけに耳を傾けるむきは少なかった。ハナゲバラはホワイト・ライオットの同盟員に対しては、この戦争に加担しないことを徹底させていた。納得が行かないものは脱退してもよいとまでいい切っていた。同盟内での不満の声はそれほど大きくならず、当初見られた好戦的な意見も次第に萎んでいった。ホワイト・ライオットの世論形成に寄与したのは、ハナゲバラが積極的に受け入れた難民たちであった。ハナゲバラは同盟の方針に逆らった脱退者、壊滅した同盟の生き残りを積極的に受け入れた。彼らは戦争よりも、内政や同盟内の親交に力を入れたい平和主義者であり、ハナゲバラの主張に強く賛成する書き込みを多くしていった。四六時中、この世界で、警戒しなければならない日々、次々と町が落とされていく仲間たち、獲得した町も荒れ果てていて、プラグの生産量はほとんどない。戦争に敗れれば、この世界でこの名前で生きることは赦されない。別の名で、辺境で新たに一からはじめなければならない。降伏したくとも、大手同盟の中には賠償金として、プラグを要求するところが出始めている。戦争に破れた同盟は降伏するために皆で日本円を出しあい、プラグを購入することさえあるという。この戦争に勝利はない。勝利を続ける大手同盟であっても、ある一定数以上になると必ずといっていいほど分裂を起こした。この世界には同じ同盟に加入するもの同士は戦争ができないとの設定以外の統制システムが用意されていなかった。同盟内で禁じられているのに勝手に戦争をはじめるもの、過度な援助を求める者などを制御できない。結局は内ゲバ的な戦争がはじまり、同盟は瓦解していく。

 ハナゲバラの不戦の方針は、かえってホワイト・ライオットの同盟順位を上昇させることとなった。同盟員の兵力を合算して算出される同盟順位について、大戦前はトップ五十位圏内を行き来していたのが、トップ三十以内を確実に確保するようになった。三月に一度、プレイヤーサイドが勝手に開催する先進同盟首脳会議への出席資格が与えられる二十位以内も見えてきた。解散、消滅した同盟が多く出たこともあるが、亡命者を多く受け入れたことによって、同盟員が急増したことも無視できない要因であった。また、各人はハナゲバラの方針に従い、内政を充実させ、戦争に頼らずとも、戦力を着実に充実させていた。戦争により多くを失った難民には同盟内でプラクの援助を行い復興を支援し、復興を果たした難民が今度は支援する側に回るという好循環が生まれていた。

 外は嵐でも、ホワイト・ライオット内のやりとりは温かく、優しさに溢れていた。プラクがほしい人間には滞り無く行き渡り、僅かでも攻撃を受ける気配があると相手の倍の応援兵が集まり、威圧した。盛岡市に住む同盟員がひとりおり、市役所職員として、復興に奔走する彼の元を皆でお盆に訪れる話題で盛り上がっていた。


 九  スマホ 3.4インチ部分

 

 大学の昼食の時間、スーパーマーケットの休憩時間にはかならず私からこの世界にログインし、掲示板の新たな書き込みをむさぼるように読んだ。新たな書き込みがなければ、昔の書き込みを読み返した。大輔が自ら何かを発することはなかった。そこで問われていること、たとえば「携帯電話の家族割りって、住所が違っても適用されんだっけ?」といった問いに対して、経験に基づく回答を持っていても、書き込みをしなかった。ただ一度だけ、各方面長の報告の中で、北西方面長が、我が方面の躍進は相沢商業二組三番さんの存在が大きいなどと言及したために、そんなことはないですよとだけ書き込んだことがあった。褒められて黙っているのはさすがに印象が悪いと思った。大輔は本当はもっとそこでなされている会話に参加したかった。だが、面白いことを考えて書き込むのは苦手であったし、ある事件のことで気が塞いでいた。人と触れ合うのが怖かった。最後の楽園で、狂った人間であるのが露見するのを恐れた。

 事件の日、大輔の心は浮かれ、弾んでいたはずだった。大学の授業が連続で休講となり、一度部屋に戻り、アルバイトの時間までこの世界にログインできることとなった。普段は、午後の早い時間に自分の部屋にいることなどなかった。一度、家を出ると、大学からアルバイト先まで直接行くために、部屋に戻るのは夜中の十一時ごろになるのが常であった。

 帰宅を急ぐ電車の中で、突然、地震警報が鳴り響いた。いっせいに、私を含めて誰も彼もの携帯電話が音を出していた。皆が身構えるが、揺れはこない。じりじりとした時間がやがてすぐに緩む。静まり返った車内で、まず女子校生たちが会話を再開する。席が空いているのに議論に夢中になるあまり、立ったままであったサラリーマンたちが再び声を大きくする。「ドアが閉まり発車します」。自動音声がアナウンスをする。大輔はふらつきながら立ち上がり、電車から飛び降りた。誤報であったとの確信をもてずにいた。高架橋の上を走る電車の中で地震に遭いたくなどなかった。大輔はやたらめったに私に入力をはじめる。気象庁、地震ナウ。地震。またか。揺れ。

 他にホームに降りた女がひとりいた。女はベンチの椅子に腰をおろしていたので、大輔もその隣に座りこんだ。

「こわいですよね」

 女のほうから、大輔にそう話しかけてきた。学生ではなく、働いている女にみえた。きちんとした格好をしていて、ブランド物のバッグから社名の入った紙袋が覗いている。彼女の中でもっとも子供じみたものである携帯電話からぶら下がったキティのストラップが揺れている。

「本当に誤報でよかった。わたし、こわいんです」

「まだ、誤報って決まったわけじゃない。ちょっと、今、気象庁のホームページで確認しています」

 大輔も他の乗客たちが電車に乗り続けたことが信じられなかった。――冷房の効いた車内にいることがそれほど大切なのか。彼らは、散々報道されたことを忘れてしまった。それを分析し、今後の活動に生かそうとしないんだ。だから、死ぬんだよ。津波警報を軽くとらえて、死んだ人間が多く出たっていうのにさ。中には一度逃げて、財布を取りに戻って被害にあった人間もいたんだろう。浅ましいよな。馬鹿だよな。大輔はブツクサと言いながら私を遣い、気象庁のホームページにアクセスした。今さきほど、福島で震度四の地震があったことを大輔は知る。

「地震があったんだ。福島だ!」

 と大輔が女をみたとき、すでに女は電話で誰かと話していた。彼女は迎えに来てくれるように小さな声で、泣くように頼んでいた。電話から男の声がもれ聞こえている。

「迎えに来させるなんて危ないよ。とんでもない話だ。死ににこさせるようなもんだよ」

 大輔は突如、声をはりあげた。相手が愛する人間であるならば、線路沿いのもっとも危険な地域にわざわざ呼び寄せるなどおかしな話だとだけ大輔は言いたかった。だが、女は怯えるだけであった。女は立ち上がって歩き出していた。「大丈夫じゃないかも」と女が携帯電話に向かって小声で囁くのが、大輔の耳に入った。大丈夫ではないというのは、自分のことを言っているのだと大輔は知る。さきほど、隣に座った奴の顔をみて、こいつは不細工で、お洒落じゃないと判断して、それで、女は逃げている。

 大輔は女のあとを追った。どういうことですか、大丈夫じゃないって、僕のことですかと迫る。その自らの声の甲高い響きがもう後戻りできないのだと何かを諦めさせる。一年生のころ、愛用しているリュックサックを、後ろの座席でとやかく言ってからかってきた女の同級生とトラブルを起こし、学生課で厳重注意を受けた過去を大輔は誰も読まないSNSで綴っている。「ぶっ殺す」と女を追い回したために、今度やったら、退学もありうると警告されていた。あのときと、同じ熱が大輔のからだの中心に育っていた。熱は頭のてっぺんにもあり、女を追い、階段を一歩一歩降りていくたびに体の中心のものとあわさってはさらに熱せられる。熱の波動が大輔をより狂わせていく。女は壁に追い詰めれていく。背後にパチンコ屋の広告が貼られていた。赤い髪のかつらをつけた胸の大きな若い女が微笑んでいる。その隣で、実在する女が怯えていた。それが余計、頭にきた。なぜ、震える。女よ。なぜ、涙を流さんばかりなっている。俺たちは正しく現実を認識している同志ではなかったのか。ふいに、うしろから腕を強く掴まれた。掴むだけではなく、さらにからだを捻じろうする。痛い。いてえよ。ばかやろう。振り返ると見知らぬ中年の女が立っていた。女は犬でも叱るかのように大輔に向かってコラ!メッ! と言い放った。

「もう、行きなさい」

 中年の女は女に告げた。女は会釈のようなものをすると、駆けていった。大輔は自分の手を握ったままでいる女の顔をまじまじと凝視した。見覚えのない女であったが、彼女ははわかっているというように大輔に向かって大きくうなずいてみせた。

「あなた、うちの息子にそっくりね」

 中年の女は大輔の目を捉えたままいう。白髪をおかっぱにした女は踝まであるスカートを履いていて、紙袋を下げている。さきほどから遠巻きに事態を見守っていた駅の利用客たちが、若い女が逃げたところで安心し、階段の上と改札の外に向かって消えていく。

「同じ病気の人って、顔も似てくるっていうけど本当にそう。その上半身だけキツツキみたいに動いて怒るところまで似ている」

 中年の女性は怒っているのか、笑っているのか、定かではない。今度は大輔が動けなくなる。女の魂胆があまりにわからなかった。ちょっと、ねえ、あなた、きをつけてね。女は大輔の腕をつかんだまま腕を上下に激しく振った。

「うちの息子は刑務所に入れられちゃったわ。女の子を消火器で殴っちゃったのよ。ボーンって」

「お、俺はそんなことはしないです。今だって、暴力を振るうつもりはなかった。でも、あの人が、あの女が頭がおかしいんだよ。誤解なんだ。なんで、俺が悪いんだ?」

「うちの息子も普段はとてもやさしい子だった。でも、それは母親の贔屓目だったのかもね。あの子は女の子が落としたハンカチを追いかけて渡してあげたら、私のじゃないって言われて、それは、どうやら、本当に違ったみたいだけど、息子は嘘をつかれたと思ったみたいなの。それに女の人は息子が変な方法で声をかけてきたと勘違いもしたみたいで、冷たくあしらったそうよ。それで、息子はキレちゃったってやつ? ドスンと一発!!! ボーンじゃない、ドスンよ。一発だったわ」

 中年の女はふたたび、大輔の手を掴んだまま、上下に振った。

「だから、あなたも気をつけてね。いい、わかった??」

 あのババアの方こそ、頭がおかしいんじゃないか。大輔は今になってそう思い返す。激高している若い男に近づいていって、止めようという神経もそうであったし、あの滅茶苦茶な手の振り回し方は常軌を逸していた。手を握られたときのぬめりという気味の悪い感触は思い出すと肌が粟立った。あのとき、とんでもないことをしたという記憶は、あの中年女性のせいで作られたものなのかもしれない。あのババアのせいで、自分が重罪を犯した気でいる。単に、若い女の人に話しかけて、向こうはナンパか何かと勘違いしただけの、小さな諍いごとに過ぎないのだ。そう大輔は考えたかった。

 篠崎も大輔に同じようなことを言ってくれた。

「その手の勘違い女はたくさんいる。地震警報への対応をみても、もともと被害者意識が強いんだ。自分だけが可愛いタイプの女だよ。大輔ちゃん、逆に、それぐらいのトラブルで終わって良かったんじゃないか。変に事件になったり、裁判沙汰になったら、大変だぜ」

 篠崎は携帯電話の番号を扱う古物商であった。いきなり電話をかけてきて、大輔の携帯電話の番号を売ってくれと迫ってきたときは、さすがに人をあまり疑わない大輔も相手にせずにすぐに電話を切っていたが、ある日の電話の際に、大輔のPCから流れるこの世界のBGMに気がついて、「この世界か。俺もやっているぜ」と言い出して、おまけにサーバ4まであるこの世界の中でサーバー2でプレイしていると聞いて以来、篠崎の電話には出るようにしていた。最初は大して面白いゲームだとは思わなかったけれど、同盟に入ると面白いよなと篠崎がいうと大輔は我が意を得たりとばかりに私を強く掴み、本当ですよねとうなずく。「これはよく出来たゲームですよ。伝説になるんじゃないかな」。大輔は篠崎に電話の番号は売るつもりはないとはっきりと明言してあった。大輔の携帯電話の番号は覚えやすい良番だという篠崎の言い分に怪しげなものを嗅ぎ分けるほどの分別は大輔にもあった。ただ矢鱈滅多に携帯電話に電話をかけて、何かしらの鴨を探しているだけだと見抜いてはいた。ただ、篠崎は「いいんだ。それよりも、ゲームの話をしようぜ」と言った。互いに、情報交換の貴重な機会だろうという篠崎の言い分は確かに肯うべきものだった。

 篠崎との会話で明かしていたが、大輔は過去にも、こういう奇妙な年上の知り合いを持っていたらしい。地元にいたときに、中古ゲームソフトを扱う店の店長と仲良くなり、ときどき、呼び出されて、店で一緒に昼飯を食べていた。この店長は裏で無修正のアダルトビデオも取り扱っていて、大輔が地元にいるうちに逮捕されてしまった。その顛末を聞いて、篠崎は「大輔ちゃん、俺を胡散臭く思いすぎだよ。仲良くしようぜ」と笑った。大輔は表面的には自己主張が少なく従順であり、根拠のない自信に満ちあふれてもいないがために、ある種の大人に好かれるのだろう。

 篠崎は南東方面で二十の町を支配しており、いくつか同盟を渡り歩いたが、現在は南東の鷲という地域限定同盟に所属していた。大輔は警戒心から自分の所在を明かさなかった。調べてみるとホワイト・ライオットは南東の鷲といかなる同盟も結んでおらず、交戦歴もなかったが、何がどう作用するかわからないのがこの世界であった。 

 ホワイト・ライオットの掲示板では、「俺のリア友に「屋根の上の笛吹」に入っている奴がいて、どうやら、あそこは盟主が結婚することもあって、解散するらしいよ」といった類の書き込みがときおりなされた。大輔は篠崎という知己を得ることで、ついにそれが自分もできるようになるかもしれないと密かに期待していた。相変わらず日常会話には参加できていなかったが、この世界上で起きた重要なことに関する書き込みであれば、自分にもできるし、誰も不快にはならないはずだった。

 先週の日曜日には、スカイプを利用して先進同盟首脳会談が開催されていた。そこでの和平交渉は決裂し、次回の開催日も決められていない状況ではあったが、大戦は終わりつつあるというのが、篠崎の見方だった。ホワイト・ライオット内でも、同じことを言い出す人間がいた。みなが平和の素晴らしさに気がついたのではなかった。この世界は再び大きく壊れ、大々的な戦争を続ける余裕を失ってしまった。

 この世界では、戦争によって主が交代した町は、ソーラーパネルステーションも、プランクトンクッキー工場も、一割の割合で生産力が損なわれる。戦争そのもののによる破壊と、支配主が交代することによって、適用法規の変更などが生じ、生産活動にも滞りが出てくるとの解釈がプレイヤーの中ではなされていた。その町の主が戦争に敗れて再び主が変われば、さらに、町の生産力は一割落ちた。戦時においては、当然インフラの回復よりも、募兵にプラグが使われるために、町の生産力の回復は遅々として進まなくなる。結果的に戦争が激しい地域では、算出されるプラグが加速度的に減少していき、募兵できる数も限られていく。それがこの世界のすべての地域で起きていた。多くの同盟を巻き込んだ大戦によって、「内政の一年」の成果はすべて無駄となった。ホワイト・ライオットが戦時中に同盟順位を上げたのは、他同盟がその生産力を落としていったことが主因だった。

「もう、元治安部隊五万が戦う会戦とか、そういう規模の戦いはおきにくいだろうな。こんなゲームをやっているのは貧乏人ばかりだから、プラクを買うって言ってもたかがしれている。五万人の元治安部隊を買うには、百万円が必要だ。千人規模の大手同盟が一人あたり、千円だせば集まる額だといえばそうだが、まあ、無理だぜ。千円払えっていうならやめるっていうやつがばかりだろう。所詮、オンラインゲームなんてそんなものだ。むしろ、それぐらいの態度でいいんだよ。金を払ってまで遊ぶもんじゃない」

 南東の鷲はこの大戦において、戦神たち側に立って参戦していた。ただ、彼らの参戦の仕方は利己的で、マキャベリズムに富んだものであったようだ。積極的に他同盟に援軍は要請して受け入れるものの、自分たちは他の同盟への援助はいっさい行わず、ひたすら己の勢力拡大に努めていた。辺境の町々が魚鱗の陣側の兵站基地と化している可能性を故意に広めて、他の同盟からの援助を募ったうえで掃討作戦を展開し、町々を自分たちのものにしていた。その甲斐あって、今では、南の辺境にある町のほとんどには南東の鷲の旗がはためていた。

「俺たちの作戦に邪魔はほとんど入らなかった。中央でドンパチやっている間に、端っこの奴らをどんどん駆逐していった。魚鱗側で参戦している同盟の奴らはもちろん、個人プレイヤーも攻撃していった。最後は戦神側で参戦している同盟の同盟員の町も落とした。間違えたことにしてな」

「ひどいな。賛成できないよ」

「ひどいかもな。でもな、その町が落とせれば、俺たち鷲が南東三地区の町をすべて支配下にすることができたんだ。知っているか? 地区をすべて支配下に収めると、マップに同盟旗が表示されるんだぜ。俺たちは「スラムダンクZ」とか名乗るそのおっさんに南西に一つ新しい町を用意するから、交換してくれってはじめは頼んだんだ。俺も仕事でもやらないぐらいに丁寧な文章でメッセージを出した。でも、そのおっさんはこの町に愛着があるからイヤだって言いはってな。それでまあ、最後は実力行使よ。なかなかガッツのあるやつで、多分、プラクを大量に購入したんだろうな。何の仕事をしている奴かは知らないが、五十万近く遣ったんじゃないか。いくら攻めてもとにかく兵隊が減らなくて、甘く見ていた分大変だったぜ」

「ますます、ひどいですよ」

「あのな、これは戦争ゲームなんだぜ。戦争以外に何をするんだよ? サーバー2は反戦自衛官みたいなわけのわからない奴らが多すぎるぜ」

 南東の鷲では、スパイを遣って、敵として想定される町に対して諜報活動を行っていることまで篠崎は自慢気に話して聞かせた。

「毎晩、夕飯を食べに行っているスナックの女が俺の遣っているスパイだ。もう、酒に声をからした四十六のおばさんなのに、十八歳の女のふりをさせている。――このゲーム、ネットで評判を聞いてやってみたけど、やり方がよくわからないよ、あたしも初期のガンダム大好きで、あなたのハヤト(ジュード)って、名前、超ウケたから、とりあえず、メール送ってみたの――。みたいメッセージを相手の町の主の童貞に送らせて、徐々に仲良くなるわけよ」

 篠崎の女スパイは資材に困っているようなフリをして、プラクを支援させたり、兵隊はどれぐらい募兵しておいた方がいいのだと質問して相手の兵力を聞き出したりしていた。もっともひどいときには、一緒にあの町を攻めよう。二人の町にしようと約束をし、出兵したとたんに、スケベが兵隊を空にさせた町を落としたこともあったと篠崎は楽しそうに語っていた。

 篠崎は、約束通り、携帯電話の番号を売る話しはいっさいしなかったが、やはり、信用できる相手ではなかった。大輔はそれに気がついたのちは、ホワイト・ライオットを含む自分のことについて語ることはいっさいせずに、ひたすら、篠崎から話しを聞き出すことだけにつとめた。他にもいろいろなゲームをやっているらしい篠崎はどこでどう情報を仕入れているのか、同盟順位三位の「猫達」内で参謀をつとめるグレイシア伯爵が、二位の「バトルオブこの世界」に引き抜かれるのも、同盟順位一〇位の「ボルケーノ」が解散するのも事前に耳にしていて、大輔に教えてくれた。大輔はそれらの情報をホワイト・ライオットの掲示板で書き込み、情報通だとずいぶんと持ち上げられた。相沢商業二組三番さんは派手さはないけど戦い方も堅実で、新人への援助も惜しまないナイスガイです。北西方面長のポンペイウスにそう褒められ、大輔は浮かれた。ハナゲバラも、よかったら、長いもの限定しりとりとか、方言限定しりとりとか、いろいろやっているので参加してくださいと書きこんでいたので、大輔は思い切って「長いもの限定しりとり」の「運動会のつな」のあとに「長芋」と書いて、図らずも笑いをとったりしていた。

 他同盟でなされている殺伐としたやりとりや、裏切り、結果的に起こる内戦の様相を篠崎から聞いていた大輔は、ホワイト・ライオットの素晴らしさをあらためて強く感じた。不戦の方針を示されたときは、はっきりいえば、物足りなさを覚えてもいた。こそ泥みたいに、同盟から抜けた町、放置された町を掠め取るだけでは得られない満足感が大戦にはあるはずだった。大戦に参加するために、他同盟への移籍を真剣に考えた時期もあった。数十名が全力でぶつかる会戦を経験してみたかった。だが、平和が一番だと思い直した。みんなが何かに怯えることもなく、のんびりと、楽しく生活できる。それ以上の価値はない。感極まり、大輔は唐突に、ホワイト・ライオット最高! と同盟の掲示板に書きこんだ。そのあとも、何人かが、最高!、最高!、と続き、大輔はますます、熱いものがこみ上げてきた。大輔はこの世界にずっといたいと希った。現実社会との接点は寝る時間だけでよかった。あとは、ずっとこの世界で、羽ばたき、咆哮していたかった。

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