森の使者の憂鬱④

 集落の長の住居の方から広がり始めた騒ぎは、瞬く間に集落中に伝播していった。

 不安と恐怖とで色めき立ったエルフの群衆は、現れた長に縋るように集まり、険しい表情で押し黙ったまま歩く長を先頭にした行列へと変化していく。

 威焔とコーゼルの周囲にもその原因を生んだ情報は伝わってきた。



 聖地により近い隣の集落が壊滅した。



 明確な情報はそれだけだったが、彼らが恐慌に陥るには十分な内容だった。

 何故、誰が、どうやって――そんな馬鹿な!

 そんな言葉がそこかしこで飛び交うが、彼らをそうさせるだけの含蓄と実践を目の当たりにしている威焔も、同じ疑問に駆られた。

 集落の徹底した隠蔽だけが彼らの防御ではない。

 エルフの一人一人が訓練された戦士であり、魔術士なのだ。

 そんなエルフの集落を壊滅させられるのだとしたら、どんな技術と戦力が必要になるのか、威焔にも想像ができなかった。

 未だ見ぬ人の文明の利器がそれを可能にしたのか、それとも強力な魔物が現れたのか。

 いずれにせよ、エルフの森全体の存亡に関わる事態であり、人の社会の勢力図を一気に塗り替える大事件の予兆にもなる。


 集落の長の目的地はすぐに分かった。

 用件の見当はつかないが、間違いなく森の使者であるモーリの元だろう。

 そう考えた威焔は、狼狽するコーゼルに別れを告げ、借宿に走った。

 幸か不幸か、その行く手を阻む者は誰もいない。

 誰も彼もが我先にと長の元に集ってしまったので、ものの数分で借宿に辿り着けた。

 急いで入り口の扉を開き、モーリとマルセリーがいるであろう寝室の扉をノックして、返事を待たずに声をかける。



「マルセリー! モーリもそこにいるか? 客が来る。急いで準備しろ!」

「イエンちゃん? どうしたの?」

「いいから早く!」



 スッと開いた扉の隙間からマルセリーがちょこんと顔を出し、不満を前面に押し出して上目遣いに威焔を睨み付け、睨まれた威焔はハッとして渋面になる。



「ん、よろしい」

「わりぃ。慌て過ぎた。ありがとな」

「いいのよ、貸しにしとくわ。それで、どうしたの?」

「もうすぐ長が来て説明があると思うけど、どうやらぼくらの次の目的地が壊滅したらしい」

「……は?」


  ガタン



 部屋の中から聞こえた物音はモーリのものだろう。

 そう判断し、ぽかんと口を半開きにして固まったマルセリーに、威焔は困った顔で一言だけ告げた。



「……な?」



 目を合わせたマルセリーは苦笑いして頷いた。





 ガンガンと乱暴に扉を叩く音が響いたのは、それから間もなくのこと。

 何を憚ることもなく、御使い様みつかいさまと大声で長が呼ぶ。

 扉の向こうからは、呻くような、祈るような、「御使い様」「お助けください」「どうかお導きを」などと口にする多数の声が聞こえてくる。


 威焔が出迎え、長とその従者2人だけを招き入れると、3人を居間のテーブルへと案内する。



(集落の半分……より、少し多いくらいか)



 扉が開いて閉まるまでの間に外の状況を確認して、頭の中でその視覚情報を反芻し、数をカウント、見えた範囲での装備の把握を行う。

 こうした観察は彼の癖であったが、不測の事態に備えて意識的に、念を入れて行った。

 逃走経路確保のために、警戒心を伝えるために、魔力感知も行っている。

 長たちが威焔の警戒をどのように受け止めたのかは判然としないが、硬い表情を終始崩すことなく、案内に従って居間の席に着いてくれた。


 長たちが椅子に座ると、威焔はモーリを呼びに寝室へと向かい、代わりにマルセリーが借宿に備え付けられていたハーブティーを携えて居間に入ってきた。

 その雰囲気は威焔とは真逆。

 表情は柔和で、微笑みを湛え、所作は舞うように優雅な曲線を描く。

 白磁のティーポットからティーカップへと、ハーブティーを注ぐ姿にも品が漂う。

 マルセリーが差し出すティーカップを受け取った従者2人は明らさまに顔を弛緩させ、長は解れた緊張に苦笑いを浮かべて礼を述べた。

 供されたハーブティーに3人が口を付け終わった頃、モーリと威焔が居間に姿を現し、比較的落ち着いた空気の中で長の話が切り出されることとなった。



「お待たせしました」

「御使い様、お疲れのところ申し訳ございません。聖地からの緊急の指令をお伝えに参りました」



 二の句を告げさせぬ長の切り出しに、モーリは頷いて続きを促す。

 エルフの社会では聖地の言葉は絶対的な権威を持ち、指令、つまり命令とあらば、それを受ける者には原則として拒否権が無いことを意味している。

 落ち着いていた空気が再び緊張で張り詰める。



「既にお耳に入っているかと存じますが、ここより北の集落が何者かの手によって壊滅させられたとのこと。

 巡回中であった御使い様の一人によってその事実が確認され、聖地へ報告が上がったのがつい先ほどのことだそうです。

 被害状況はその集落の結界および集落内の建造物全戸の破壊、全備蓄食料、全住民の喪失と予想されております。

 全エルフに聖戦に備えた待機命令が出されており、近隣の集落と御使い様には被害集落の詳細な調査との情報収集が別途命令されました。

 お客人……マルセリー様も、これに全力で当たるようにと。

 聖地からの指令内容は以上になります。

 情報の漏洩によって混乱を招いてしまった罪は追っ」

「いやいい。どうせ伝えねばならなかったのだ」



 長の言葉を遮って黙らせ、一拍を置いてモーリが続ける。



「聖地側の集落がそのような被害を受けた以上、近隣の集落との合流が必要になるでしょう。

 私は使者としては最も新参になりますので、長殿は指揮権者と他の集落との合流の段取りについて聖地に確認をお願いします。

 その際、モーリ・メルルリアの名の使用を許可します。

 既に同様の提言は挙がっていることも予想されますが、聖地との対応をよろしくお願いします」


「承知しました。ではまた後ほど」

「ご苦労さまです。オーガよ、長殿をお送りしろ」



 一瞬、マルセリーから怒気のような気配が放たれ、モーリが緊張を露わにしたが、既に席を立った長たち3人の視界には入らずに済んだようだ。

 すぐに動き出した威焔も、素知らぬ顔で長たちを玄関の外まで案内して送り出し、そっと胸を撫で下ろす。



「面倒くさいことになりそうだなぁ……色々と」



 口をへの字に曲げ、はらはらと舞い降り始めた雪を眺めながら、威焔は借宿の中へと引き返していった。




 威焔が居間に戻ると、その目に飛び込んできたのは、不貞腐れたマルセリーに縋り付いて謝罪するモーリの姿。

 全く怒気のないマルセリーと半泣きのモーリという構図は、威焔の帰還によって一瞬時間が凍りついたように静止し、威焔のへの字口を苦笑いへと変じさせた。



「ほら、モリちゃん」

「うう……その、オーガよ……」

「イエン!」

「ひゃいい! イエン……どの……さっきはすまなかった……」



 マルセリーに尻を叩かれながらおずおずと頭を下げ、上目遣いに見つめてくるモーリの視線を受け止めながら、威焔はどこか嬉しそうに「はいよ」と一言だけ告げ、モーリたちとテーブルを挟んだ向かい側、先ほどまで長たちが座っていた椅子に腰掛けた。

 にこにこと笑う威焔の様子に居心地が悪くなったのか、モーリはぶっきらぼうに椅子を引いて座り、マルセリーは苦笑いしながらその隣の椅子に腰を下ろす。



「……なんだよ! 気持ち悪いな!」

「んー? 二人が仲良くなったのが嬉しいだけだよ? それとアレだ、謝罪の意味は全然分からんけど、モーリはぼくのこと嫌いだろ? 無理して好きになろうだとかしなくていいよ」

「……ッ!」



 にこにこしたまま威焔が言うと、モーリは気まずさで窮まったように視線を威焔とマルセリーとに往復させて泳がせ、固まってしまった。

 納得が行かないという顔のマルセリーに視線を移して、威焔は続ける。



「なあ、マルセリー。好き嫌いなんて誰にでもあるもんでさ、それは他人に押し付けてどうにかなるもんじゃなかんべ? マルセリーがぼくを高く評価してくれるのは嬉しいけどさ、今回のはモーリに失礼だよなあ……?」

「ご、ごめんなさい。目だけで怒るのやめてください……」

「おね」

「失礼といえば、モーリ」



 気色ばんで勢いよく立ち上がろうとしたモーリを目と言葉で制して、威焔は更に続ける。

 その目にはマルセリーが言うように、先ほどまでの喜色は消え去って冷たい怒気が揺れ、その視線に射抜かれたモーリは三度目の硬直を味わうことになった。



「あ、わりい」



 一瞬で消えた視線と緊張。

 モーリの頭は急な状況変化に追いつけず、反射的に懐のナイフを威焔に抜いて放った。

 唐突な行動は隣にいたマルセリーはもちろんのこと、モーリ自身も止めることができず、「あ」という声を置いてナイフはモーリの手を離れてしまう。

 ナイフは差し出されていた威焔の右の手の平に吸い込まれ、刃の半ばまでを埋める形で肉を刺し貫く。



「イエンちゃん!」

「大丈夫。痛いけど大丈夫。……モーリ、いいから座ってくれ。大丈夫だから。

 あ、マルセリー、お茶淹れてくんない? 3人分・・・

「え……ちょ……っと……ああもう! 大丈夫なのね!?」

「うん。ごめんなー」



 威焔は手を突き出した姿勢のままマルセリーを見送り、椅子にへたり込むモーリを見て安全を確認すると、ナイフの柄、手の平を天井に向けてテーブルに右手を押し付け、左手で一息にナイフを引き抜いた。

 声は押し殺せたものの、全身に脂汗が噴き出す。

 テーブルの上の血溜まりに突っ込んだ右手はそのまま、その上に左手を重ねて治癒魔法を発動させ、流れ出た血も魔力として消費し、掃除の手間を省く。

 モーリにとっては見慣れない光景だ。

 彼女が知る治癒魔法とは違い、威焔の左手には魔力の光が灯らず、テーブルの上の血がキラキラと輝いてみるみる消えていく。

 左手で覆われた右手が露わになると、そこにあったはずの傷は跡形もなく消え去っていた。



「治った……のか?」

「おう、治した。ほれ」



 改めて差し出された右手をモーリはまじまじと眺め、傷があった場所を押してみたり、手の甲を確かめてみたりして、傷が消え去ったことを確信するとようやく安堵の表情を浮かべる。

 両手で握った威焔の右手に額を置いて、肺に溜まった重い空気を吐き出す。

 触れたその手はあちこちに色んなタコができてゴツゴツとした感触を返し、筋張っていて硬く、熱いくらい温かい。

 初めて触れた彼の手に、自分と同じ何かを感じ取って、モーリは改めて自分の取った行動に恐怖した。



「イエン殿……ごめんなさい……ッ!」



 自分の手に縋って震える少女を前に、中途半端に前のめりな姿勢の威焔は、身動きを封じられてしまって困り果てた。



「まあ、うん。ぼくも悪かった。ごめんね」



 モーリは返事をする代わりに頭を横に振って応え、さらに身を竦めて小刻みに震えている。

 威焔の右手を掴んだままで。



 途方に暮れた威焔をモーリが解放するのは十数分後、マルセリーが新しいティーセットを抱えてきた後となった。

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