第3話 うっかりミス

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 私に対する興味はクラスの外にまで広がっていて、廊下を歩けば皆が『あれが……』と言った目で私を見た。

 マキちゃんが称した通り、私は『教科書通りの子』と見られているみたいだ。それが、『勉強が出来る』と言った先入観を植え付けるのか、どういうことか『優等生』とまで思われてしまっている。

 なので、私はボロを出さぬよう必死だった。学校に通い出してから三日しか経っていないと言うのに、家では予習・復習を余念なく行い、付け焼刃であっても、知識を頭の中に詰め込み続けた。

 ……が、誰だってうっかりミスすることもある。


「――紀子さん。そ、その下着何……?」


 体育の授業を次に控え、休憩時間中にそれは起こった。

 授業はC組とD組が合同で行われ、着替えは男女それぞれのクラスに分かれる。女子はD組で着替えることになっていて、私がセーラー服脱いだその時……隣にいたマキちゃんが目を丸くしたのだ。


「え?」


 何が? と、私は目線を下に向けた。

 白い胸を包むのは、深紫のレースのブラだ。特に問題はないは――


「あ゛……っ!?」


 家の中では四十五歳になっているため、下着などはその感覚で選んでいた。

 深紫と明るい紫の二色は、十七歳が身につけるものとしてはマセすぎている。

 脱ぐことはないし、との思っていたのは事実だけれど……そう言えば、体育では服を脱ぐんだった……。


「イイコちゃんだと思ってたけれど、紀子さんって、結構……なのね」

「え、い、いやこれはその……!?」


 同じクラスの子、隣のクラスの子が一斉に私の方を向いている。


「こ、これはその、し、下着がなくてね……」


 しどろもどろになって言うと、マキちゃんは「ああ」と納得したような声をあげた。


「そう言えば、親戚のおばさんの家で下宿してるんだっけ。

 じゃあそれは、おばさんのってこと?」

「そ、そう!」私は動揺しながら答えた。

「何かオバさんっぽいなって思ったけど、それなら仕方ないわね。

 って、もしかして下も……?」


 マキちゃんの猫のような目が妖しく光った。


「う、うん……」


 しまった、と思った時はもう遅い。

 私の少しお気に入りの、深紫のバックレースのショーツは隣のクラスの女の子まで周知させられることになってしまったのである――。

 また、体操服の生地は薄い。しかも、あろうことか透けやすい白色だ。


「林谷さん、だったっけ」

「はい……」

「その、事情は分かるんだけど……もう少し、抑えたのにしてね?」

「はい、申し訳ありません……」


 体育教師の吉田先生ですら、地味な白色だ。

 大人ならまだしも、子供がひけらかすのは喜ばしいことではない。

 唯一の救いは、ブルマじゃ無いと言うことだろう。もしあれだったら、レース部分がはみ出てやしないか、と常に気を使わなきゃいけないところだ……。

 それでも悪目立ちしているのは変わらず、初めての体育はまるで身に入らなかった。


 また、体育の授業が終わってからも、それは続く。

 よく見れば、白いセーラー服から透けていたのだ。今まで気づかなかった男の子たちも、女の子から話を聞いたのだろう。全員の視線が私の胸元、背中に向けられている気がしてならない……。


「見せてもいいのなら問題ないけど、透けブラは気をつけなきゃいけないよー?」


 四時間目が終わり、食堂から戻って来たマキちゃんは私の席に椅子をつけた。

 その手には、食堂で購入してきたばかりのパンと、コーヒー牛乳が握られている。


「学生の頃、白い下着を付けていた理由が分かった気がするわ……」

「え?」

「え、ああ、いや……こっちの話!」


 他の子はどうだったか知らないけれど、私の場合は白しか選択できなかった。

 今時の子のような黄緑や黄色、ピンク色の下着がタンスの引き出しに入っていようものなら、ただちに両親を前に正座しなきゃならないだろう。

 けど、これはちょっと困った。

 白色の下着なんて殆どないし、それもクタクタのものばかり。思えば私服もそうで、今時の服なんて持っていない。


(週末、主人に連れていってもらおうかしら)


 学校の予定表を見ると、今月の末に“課外学習”がある。

 この日は私服となるので、普段着として着ているダボダボの服はもちろん、他の四十代の服なんてダサくてたまらない。


「ん?」私はふと首を傾げた。

「え、どうしたの?」

「い、いや何でも無いよ。さ、食べましょう」

「紀子さん、今日からお弁当だって言ってたけど、それ自分で作ったの?」

「ええ、そうよ。とても、あの人混みの中に飛び込む勇気がなくてね……」


 私はそう言うと、飾り気のない平らな弁当箱の蓋を開いた。

 すると、たちまち中に留められていた匂いが、ふわりと浮かぶ。うーん、美味しそう。半分は白いご飯、残り半分はおかず。卵焼きに鮭に、ミートボール……お弁当自体久々なのと、高校生っぽいものをスマートホンで調べた結果こうなった。

 少し地味な内容にもかかわらず、マキちゃんは目を爛々と輝かせている。


「すっごーいっ!? これ全部、紀子さんがつくったの!?」

「そ、そうだけど」

「ね、ねっ、ちょっとつまんでいい?」


 言いながら、マキちゃんは卵焼きをひょいと摘まんだ。

 そして、私が「え、ええ」と頷くよりも早く、口の中に放り込んでいた。


「んっ、んーっ! 美味しーっ!

 紀子さんの卵焼き、凄い美味しいーっ!」

「そう、かしら?」

「うんうんっ! 何だろ、何か懐かしいって言うか、お母さんでしか出せないような……。

 ああ、お袋の味ってやつだ! 凄い年期入ったような、味わい深いの!」


 そりゃあ、三十年も主婦やっていたのだから……なんて言えるはずもない。

 マキちゃんの指は遠慮がなく、私のおかずの半分を胃袋へと運び込まれることとなってしまった……。

 お返しにクリームパンの半分貰ったのだけど、白ご飯とは絶望的に合わない。


 次の授業は世界史の授業で、その次は英語だ。

 厄介揃いの科目を前に、私は一つ景気をつけようとコーヒーを買いに席を立った時、教室の前の扉――そのすぐ横の机の上に座っていた男の子に、ふと目がいった。

 一番ヤンチャな雰囲気を漂わせている野山くんだ。切れ長の黒い目、シャープな顎は男前に見えるけれど、雰囲気がちょっと怖い。しかし、物を壊すようなことをしない、むしろ服装以外の規範を守っているような男の子だった。


「ボタン、取れかかっているわよ」

「んあ? ああ、体育の時に取れちまったんだよ」


 白いカッターシャツの一番上のボタンが外れかかっている。

 突然話しかけられて少し面倒くさそうな口ぶりだけど、邪険にする色は見えない。私がポケットからソーイングセットを取り出しすのを見て、野山くんは「おい!」と声をあげた。


「じっとしてなさい。このままだと、だらしなく見られるわよ」


 私の声に、野山くんはどうしていいのか分からないと言った様子で周りに目配せした。「させてやれよ」ヤンチャ仲間に冷やかされ「るせぇ!」と声を荒げる。

 私はそれらを聞き流しながら、白の糸と針を用意し、取れかけのボタンをぷつりと外す。


(んんー、針穴に糸がすっと通るわ!)


 以前は悪戦苦闘していたのに、と私は嬉しくなり、チクチクと針を通しながらつい笑みを浮かべてしまう。


「……手慣れてんな」野山くんは、そんな私を見ては目を逸らすを繰り返す。

「基礎教養よ」私は嬉しそうに答えた。主人もよくボタンを取って帰ってくることが多い。


 野山君は何か複雑そうな顔を浮かべながら、何度か私とニヤニヤしている仲間に視線を往復させる、ふと何かを思い付いたように口を開いた。


「アイツの世話は大変だろ」

「アイツ?」私は何のことか分からなくて見上げた。

「アイツだよアイツ」くいっと顎を向けた先には、机に突っ伏しているマキちゃんがいた。


「ああ」

「面倒だったら無視していいからよ」

「そう? 私は助かっているわよ。――はい、おしまい」


 私はボタンをかけようとすると、少し唸ったもののされるがままになっていた。

 仲間に冷やかされるの彼を背にしながら、私はコーヒーを買いに出かけたので分からなかったんだけど、後からマキちゃんから聞いた話では、一番上までボタンを留めているのを見た古典の辰巳先生が『ついに改心したか! 偉いぞ!』と、嬉しそうに野山くんの背中を叩いていたらしい。

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