第33話

 その日は随分と平凡でよく晴れた夏の日だった。

 今日もツァルツェリヤはたった1種類、赤いカーネーションだけで構成された花束を片手に下げ、熱さなんてまるで感じさせないような涼しい顔でかっちりとした白い軍服を着て。赤いマフラーを風になびかせながら颯爽と初月夜の森にある小さな教会を目指していた。


 建ててから長い年月が経っているのか、どこか古い建物なものの。その教会は白く壁が塗り直されベルはきちんと磨かれて大事にされているのがわかる。

 首に下げていた、マフラーと同色の赤い紐につるされた鍵を使って教会の中に入る。集会などで使われるはずのそこはきちんと掃除されていて、大理石の床はかつかつとブーツの音が鳴り響く。たくさんの木でできた古ぼけた長椅子と、奥には蛇が退治され影族と人間が手を結ぶステンドグラスが飾られている。その前に普通は神父が立つ教卓。誰もいない、無人の教会には無意味なものばかりだった。


 けれど決して無意味ではない。ここには大事なものが隠されているのだから。

 教卓の下にある微妙な穴。そこに指をひっかけて昔から強かった力でもって開ける。隠し扉だった。ぎいいいっと簡単に開くそれは、飯島和音と北見蓮が2人がかりでやっと開けていたものだった。

 そんなずいぶん昔のことを思いだしている自分は随分と感傷的になっていると苦く笑って、ツァルツェリヤは柔らかく目を細めた。


 地下へと続く階段になっているそこを降りていくため、隠し扉を閉める。目を閉じて数秒立てばまるで明かりがあるのと同じように階段の隙間まで見える。影族の性質とは便利なものだ。ふっと口元を緩めてかつん、かつんとツァルツェリヤにしてはゆっくりと階段を降りていく。いつも速歩で行動しているツァルツェリヤの行動に、部下たちが見たら目を丸くすることだろうと思う。まあでもそんなことはどうでもいいのだ。だって今日は特別だから。


 走って降りたくなるのをわざとゆっくり降りていたのは亜芽に対しての嫌がらせだった。こんなに自分は落ち着いた。君が眠っている間に。迷宮についても資料をたくさん集めて詳しくなった。君が眠っている間に。部下だって増えて、今では師団総長ではなく風紀副委員長だ。君が眠っている間に。今日はすごく熱くて、マフラーつけているとくらくらしちゃったよとか。君が眠っている間にも何百回と季節は過ぎていったんだよとか。言いたいことはたくさんあった。だから。


 やがて底についたツァルツェリヤはにこりと笑って、意味の分からない文字らしきものを書かれた布が放射線状に絡まった棺のような形の結晶に向かってその名前を呼んだ。


「みかちゃん」


 返らない返事、ぴくりとも動かない四肢。床に置かれた結晶の中に眠る髪にまみれた黒い軍服の青年、自分の半身と言える大事な家族。

 そんなことは知っていった。周りに散らばった花束の残骸は枯れているものもあれば瑞々しくまだ咲いているものもある。毎日毎日ツァルツェリヤが持ってきたものだ。赤いカーネーション。この日本とかつて呼ばれていた国の外の国の言葉では「あなたに会いたくてたまらない」という意味があると知って。

 逢いたい、会いたいよ。声を聞きたい。君の心音を感じたいよ。そんな意味を込めて。

 自分でも相当な執着心だなと思う。それでも、亜芽を想わずにいれた日は1日もない。


「今日でちょうど200年目。ヒナゲシってば、人間と完全な協定を結ぶまでにここまでかかっちゃったんだよ。まったく、ひどいよね」


 でもおかげで風紀委員会はもうすぐ解散するんだ。ぽつぽつと文句を呟きながら、亜芽に近づき。その結晶で阻まれてはいるが顔に手を寄せる。反応を示さない亜芽を見るのはこの200年の間に慣れてしまった。それでも、それでもそのぶっきらぼうな言い方と自慢げに笑った顔を思い出して、それだけを頼りに生きてきたのだから。とんっと結晶越しに額同士をあわせるように頭を預けて。目を閉じてツァルツェリヤは囁いた。


「『おはよう、みかちゃん』」


 この200年間、ずっと言いたかった言葉だ。いつも『おはよう』といいたかった。それでも言わなかったのは、それが合言葉でありただ亜芽と約束した『200年後にまた会おう』という約束をしていたからに他ならない。

 みかちゃんの願いはぼくの願いだ。そう己に言い聞かせて、必死に抑えていたから。


 ぴしっ。みしししっ。ばきん。


 その言葉を皮ぎりに、結晶にひびが入っていく。結晶の棺を飾っていた符布はぱらりと地面に落ちる。まるでその役目を終えたかのように文字が消えているのがわかった。

 もはや遮るもののない亜芽の身体をぎゅっと抱いて、その長いまつ毛がふるりと震えたのを見て。ツァルツェリヤはもう一度呟いたのだった。


「おはよう、みかちゃん!」

「……ん、はよ。エリ」


 200年ぶりに聞いた声はかすれていたが、確かに亜芽はツァルツェリヤの名前を呼んで。

 ふわりと2人はこぼれるように、自然と口が緩むままに笑いあったのだった。




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