第32話
ぱたんと閉じて出ていった扉に、亜芽は手渡されたハンカチを大事そうに懐にしまった。
その大切なものを扱うような仕草にすらもやもやとした感情がわき上がってきて、ツァルツェリヤは亜芽に寄り添う。まるで6年という歳月を取り戻すようなそんなくっつき方に、この間散々くっついてたのにまだ足りないのかこいつと亜芽が若干引き気味に思ったことは秘密である。その様子を見ていたヒナゲシはもっと引きつりそうだったが、内心にとどめる。
そしてかわりに、黒い板状の……リワインド・インパクト以前はスマホと呼ばれ流通していたそれに似たものをとり出す。
飯島和音がいなくなったことにより、遠慮なく亜芽の隣に座ったツァルツェリヤはそれを見て、首を傾げる。はて、以前の螢丸はスマホなんて持っていなかったはず。
「みかちゃん? なにそれ」
「蛇神殿?」
「これ、『端末』。学園……あー、うちの王に連絡とるからちょっと待って」
そういうと、亜芽はソファーから立ち上がり、なんのためらいもなく思いっきりそれを赤い絨毯の敷いてある大理石の床へと叩きつけた。本来、スマホや端末と言った精密機器に分類されるものは丁寧に扱うべきであり、間違ってもこのように床に叩きつけるものではない。
壊れて割れたんじゃないかとおそるおそる亜芽をうかがったヒナゲシとツァルツェリヤだったが、それをなした当の本人はひょうひょうとした態度で。すると映写機能を上面に叩きつけた端末からはぱあああっとホログラム式に桜の絡んだピンクの髪に露出の多い少女が映しだされる。呆然とそれを見るそんなヒナゲシとツァルツェリヤの耳に異様に明るい、ハイテンションな声が届く。
『はいはいはーい! ごっきげんよう亜芽君! 元気だったぁー? あゆぅ、亜芽君がいなくて超さみしかったぁっ!』
「はいはい。陛下に繋げ」
『えー、亜芽君が冷ぁたい!! あゆ泣いちゃうよぉ。うえーん。セントラルラインに接続接続ぅ!』
「(ノД`)シクシク」の泣き顔文字を前面に出しながらの少女と会話する亜芽は心なしか不機嫌そうだった。苛立っているのが丸わかりで、とっととしろとホログラム式に投影されている存在、普通はナビロイドと呼ばれる人工知能を持ったアバターがいるのだが、亜芽の端末は特別製でナビロイドではなく亜芽に憑いている獣神なのである。
獣神とは末席の神でありながら最古の神の御気に入りということでちょっと特殊な立ち位置にある神のことである。その本性は獣の姿で、行動もすべての獣の仕草をすると言われている。この獣神、いまは少女の体をとっているが本来は男で、亜芽に案外嫌われているという事実がある。亜芽のせっつく声に、しぶしぶですと言わんばかりに女王にラインを繋ぐ。唖然としているツァルツェリヤとヒナゲシにぱちんとウインクをする少女に、亜芽が嫌そうな顔で「俺の家族に色目使うんじゃねえ」と呟いた。
『青の女王へお繋ぎしまぁっす!』
「電話でいい」
『そうゆうことは早く言ってよぉ!!』
いまなら取り返しつくからいいけどさあ(≧◇≦)っと顔文字を乱舞させながら言う少女は、ぶつんと消えた。黒い画面に映し出され、数回のコールの後に鈴を転がしたような少女の声がした。彼女こそが青い髪につり眼がちの碧の目。声は鈴の音、花も恥じらうほど妖精も裸足で逃げ出すほどに美しい、その存在全てが1つの芸術作品であると言わんばかりの。影族の中でも容姿に優れているヒナゲシすら足元にも及ばないような美貌としか言いようのない姿を持つ、混血の王。椿己みかんである。姿は見えないので、亜芽に聞いた限りだが。ただ、とんでもない天災であると眉をひそめていた。
「我が君におかれましては大変ご機嫌麗しく存じ上げます。今回は休暇を戴きたく」
「――――」
「はい、大丈夫です」
「――――――――――――――」
「はい。問題ありません、それと俺を結晶に閉じ込めていただきたいのですが、結晶呪縛鎖布を貸していただいても?」
「―――――」
「ありがとうございます、ではまた300年後に」
ぶっつとあっけなく切れた通話。それでいいのか、300年も不在で構わないのかと言いたいことはたくさんあったが、それよりもヒナゲシの口をついたのは計画の是非だった。
「青の女王ということは、彼女が混血の王か?」
「ああ。結晶呪縛鎖布も問題なく借りられるし、休暇も『好きにしろ』との仰せだ」
「みかちゃん、けっしょうじゅばくさふって何?」
「これで封じると身体が結晶に包まれたみたいになるんだ。合言葉を言うまでその中での時は止まる。つまり」
「蛇神殿はそのままの姿で200年間封じられるということか」
「おう」
その通りと深く頷く亜芽に、本当にそれでいいのかと問いたくなる。もちろんこれが最善策で、定石であるということはわかっている。でも、それでも。
幼い彼らに全てを背負わせて、やっと再会できた家族にまた離れ離れになれというのはどこか違う気がした。といったら亜芽は鼻で笑うのだろう。そうした本人が何を言うかと。どの口がそれをと。それでも。深々とソファーに座ったまま、ヒナゲシは亜芽に頭を下げた。
「蛇神殿、本当にすまない。ツェリもだ」
「まったくだ。人間と影族の戦いなんてまったく興味もねえっていうのに巻き込まれた。なんとかして欲しいもんだ。……まあ、あんたたちにはそれができないから俺みたいなのに頼る羽目になるんだが。でも」
「みかちゃん?」
「あんたはエリを助けてくれたんだろう? 俺たちは人間とも影族とも違う。受けた恩は忘れない。ましてや家族が受けた恩だ。俺はそれに報いて見せる」
「蛇神殿……」
頭を下げたヒナゲシの顎を人差し指と親指でくいっと持ち上げて底知れない黒い自分の瞳と合わせると、当然のように亜芽は言い放った。その婀娜っぽい顔にしばし見惚れていたが、亜芽の腕に抱き着いているツァルツェリヤの視線が痛くなってヒナゲシはそっと目線をそらした。別に今は何も悪いことをしたつもりはないのだが、妙に罪悪感があった。
「みかちゃん」
「ん? なんだエリ」
「みかちゃん、みかちゃん、みかちゃん」
「なんだってば」
えへへ、呼んだだけ。嬉しそうに笑みながら、亜芽にぴっとりとくっついて。ツァルツェリヤはすり寄ったのだった。まるで犬がじゃれるにも似たその行動に、亜芽も苦笑しながら頭を撫でてやる。そんな折に。亜芽の耳元でツァルツェリヤは優しい声で呟いたのだった。
「また、200年後に会おう。大好きだよ、ぼくの家族。大事なみかちゃん」
「……ん。俺も好きだぜ、大事な家族だからな」
ふわりと笑いあって、2人は決別を決めたのだった。
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