第11話

 何かが起こる日は、とことん何かが起こるものだ。

 昨日の夜。いつもより多くキスをした。

 昨日の夜。いつもより多く抱きしめられた。

 昨日の夜。何度となく、「好き」と言われた。

 全ては予兆だったのだろうか。合鍵をねだったのも、彼が自分のことを話したのも、まぁちゃんがあんなことを言ったのも。

 夕飯を食べた後、2人でシャンパンを飲んだ。その時、彼は自分のことを話した。どんな子供だったか。血液型や好きな色、恋愛遍歴まで。好きな食べ物はハンバーグだった。

 そして、軽く酔いの回った彼は私を押し倒す時に言ったのだ。

「俺のこと好きになって」

 と。

 答えられなかった。

 また私は誰かを捨てて姿を眩ませる日が来るかもしれない。昔、家族を捨てたように。だから。

 うちの父と母は本当に優しい人だった。家族仲も悪くない、むしろ良好で、笑いの絶えない家だった。しかし、私は目の前の夢のために勢いと若さだけで家を出た。後にも先にも、若さで何かをしたのはこれだけだった。それまで築き上げてきた物の全てが一瞬で無くなり、気がつくと昔のイイ子の面影もない女に成り果てていた。大酒を飲み、火遊びを繰り返すような女になって、得たものなんて大して無い。有って無いような人脈とそのテの仕事でもあるまい、世間で役に立たない経験値のみ。自分ばかりがどんどん汚れていくようで、でも他に何も知らなくて、同じことを繰り返した。昼間適当な時間に起きて、さして面白くもない話を書き、夜になるとネオンの街に身を投じ、知らない腕に抱かれる。来る日も来る日も、自分が汚れていると知らない初対面の人間ばかり。

 樹と出会ったのも、そのうちの1日だと思っていた。こんなに長く関わることになるとは思っていなかった。彼にご飯を作るとも思っていなかった。

 こうして何度も、同じ腕の中で朝を迎えると思っていなかった。

 すやすやと眠る彼の腕からそっと抜け出す。彼の目元には、涙の跡がついていた。この涙は何の涙か。私がつけたものなのだろうかなんて、考えたのは何のつもりか。

 適当に服を取って朝焼けのベランダで煙草を吸う。寒いけれど、紫から赤に変わっていく空がとても綺麗で、どういう訳か涙が出た。

 怖い。広すぎる空が真っ赤に変わっていくのも、自分のことを好きだという男を見るのも。

 空が赤から黄色に変わる頃、背後で戸の開く音がした。

「やよいさん、寒いよ」

 そう言って彼は私を背後から抱きしめた。

「おはよう」

 ベランダの壁で何本目かわからない煙草を揉み消した私は、振り返らず応える。

「いいの?タバコ、まだ長いよ」

 時々、本当に人の事をよく見ていると思う。

「いいの」

「ありがと」

 基本、人といる時は吸わないようにしている。身体が資本の彼の前では尚更だ、と思ったのを知ってか知らずか。一言の礼で妙に擽ったい気持ちになった。

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