第33話「菩薩様」


 楓花の声に、琉樹は肩越し振り返って笠を少しだけあげた。珪成も顔を楓花に向けたまま、目だけでそちらを見る。

 瞬時に三人が背を向けたその門に、その人は入っていった。門番に慣れた様子で挨拶をしている声が聞こえて、それが知れる。

「やっぱりか。余りにも予想通り過ぎて、かえって拍子抜けだな」

「え? どういうこと大兄?」

「それは帰ったら話す。確証はまだないけど、多分間違いない。まあ今日はこんなもんだろ。志均の話も聞きたいし、そろそろ帰るぞ」

「でも師兄、まだ陳丁に関することは何も。それに何の確証もないままでいいんですか? もう少し調べた方が」

「別に、今すぐ誰かの生き死にがかかってるわけでなし、そんなに急がなくていいだろ。もう閉門近いしな」

 そういう琉樹が一瞬だけ自分に目を投げたので、あ、私が居ない方がいいってことね、と楓花は納得する。私がいると身軽に動けないもんね……そんなことをちょっとだけ苦く思いながら、

「じゃあ行きましょうか。でも二人とも、あんまり無茶しないでね、心配だから」

「了解」

 そこで珪成が勢いよく立ち上がり、通りに目を投げながら、

「北坊門から入ったので、抜けるなら南か西ですよね」

 ちなみに今、十字路の北東角に三人はいる。柳邸はその向かい南東角にあたる。

「南街に帰る態の方が自然だろ。じゃあ西門から出よう。せっかくだから、ちょこっと中を覗いてから帰ることにしよう」

「――待って、何か聞こえない?」

 一人地に座ったままの楓花が、そう言って辺りをきょろきょろとしだした。兄弟は立ったまま身動ぎ一つせず耳を澄ます。やがてガラガラという音が次第にはっきりとし、近づいてきた。車輪の音だ。音は南からこちらに向かって北上してきて、柳邸の脇から砂塵とともに牛車が姿を現した。三人の目の前で右折して、柳邸の前に停まる。

 両脇に簾がかけられている四角い箱の後ろが観音開きに開いた。

 木履を履いた太い足がにょっと現れ、大柄な男がそこから降りる。相当な重量のようで、彼が降りたとたん車体がぎしっと大きく揺れ、車高が明らかに高くなった。

「うわ、まさに熊ね」

「あれが柳でしょうか?」

「曲刀を持ってるから多分そうだ。――しっかし随分ものものしい車だな。四面とも壁って」

「そうね。小窓はあるみたいだけど、あれじゃせっかくの春の景色が楽しめないわよね」

「ですよね。あ、もう一人いるみたいです」

 駆け寄った門番が、大男の傍らに踏み台を置いた。やがて背中を丸めた男が扉から現れ、大男の手を借りて車を降りる。恰幅のいい白髪の老人。

「もしかして――あれが陳丁ですか?」

「それにしては衣装が庶民的じゃない? 地味に白衣だし、光沢もないみたい」

「格好は変装か動くからかで替えてる可能性がある――っておまえら、もしかして顔知らないの? 楽南の有名人なんだろ!」

「ねえ大兄、楽南に一体どれだけ有名人がいると思ってるの?」

「豪商なんて、僕たちには縁のない人ですし」

 息もぴったりに突っかかってくる二人に、琉樹は天を仰ぎ、

「……志均、おまえ何でここに居ないんだ!」

 そう言って大げさにため息をついた。

 その姿を見て――ああは言ったものの確かにちょっと心苦しい。せっかく連れてこられたのに、私だけが何の役にも立たないんじゃあ……そう思った楓花は、通りの向こうへ必死に目を凝らした。

 確か菩薩――って呼ばれてるのよね? 全体的にぽってりとしていて、確かに衣装は高価ではないけれど、くたびれてもいない。きちんと着ているからか、なんとなく威厳がありそうな感じはする。よく見ると肌艶もいい。なんだか耳障りなダミ声だわ。もうちょっと顔が見えれば……。菩薩の姿を思い出しながら、チラッとこっちを見てくれないかな、一瞬だけでいいから――必死に思っていたらいつしか身体が前に出ていて――ふとこちらを振り返った老人と、思いっきり目が合った。


 しまった! 


 楓花は慌てて俯いた。だが直後に珪成が鋭い声を上げる。

「あのご老人、こっちに来ます!」


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