第34話「心の内」

 ――どうしよう……。


 さあっと顔から血の気が引いたのが分かる。

 せっかく二人に変装までしてもらってるのに(珪成に至っては女装までさせてるのに)、役に立たないどころか、足を引っ張るなんて――! 

「手を貸して」

「え? あ、はい、小姐」

 驚いた顔で振り返った珪成だが、すぐに心得たとばかりに頷いて、手を差し出してくる。楓花はその手を取って立ち上がり、正面を見据えた。

 ずんずんという音が聞こえてきそうな勢いでこちらに迫ってくるご老体は、「あれ菩薩?」と隣の二人に訊きたくなるほど、何の遠慮もなしにギョロリとした目を自分に向けている。


 こ、怖い……。でも小姐設定なんだから、ここは私が前に出ないと!


 傍らから一歩前に出た琉樹が肩越し振り返った。それに「任せて」の意志を込めて一瞬だけ見返して、楓花は再び正面に向き直る。

 足は震えそうだし心臓はバクバクだが、その全てを押さえ込み、僅かに首を傾けて「これ以上はない」というくらいの笑顔を作ってみせる。

 おっ、とばかりご老体が足を緩めた。そうして「いかにも商売人」という抜かりない笑顔を作り、楓花の正面で足を止める。

「このような道端で、いかがされた」

 顔は笑っているが、鷹揚なダミ声は笑っていない。


 ここはできるだけ優雅に、今こそ養父母に鍛えられている立ち居振る舞いを!


「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。家の者と北市に遊んだ帰りなのですが、気分が悪くなってしまい、こちらの木陰でしばしお休みさせていただいておりました」

 そこでそっと胸元に手を添え、目を伏せた。

 その手にしっかり心臓の鼓動が伝わってきて、ますます息苦しくなる。ここは深呼吸、深呼吸……。優雅、優雅……。念仏のように心中でそう唱えていると、

「それは難儀でございましたな。しかし北市帰りにしては、随分お荷物が少なくいらっしゃる」

 思わず息を呑んでしまい――すると突然、『困ったときは、とりあえず笑顔を作って一呼吸置くのです』という養母の言葉が浮かんできた。そうだった――楓花は慌てて笑顔を作って、顔を上げる。

「ええ、余りに荷物が多くなりましたので、先に持って帰らせました」

 そうしたらなんだか滑らかに口が動いて、そんな自分に驚く。

「さようでございましたか。よいお品がたくさんあったようで、何よりですな」

 ご老体はにこにこと頷いている。なるほど人のよさそうな笑顔。


 だけど――自分を見る、ご老体の目は。


 会ったことのない祖母は西域の人で、男に騙されて永寧みやこに連れてこられて売られた、と聞いている。碧眼白皙の美しい人だったということだけど、何故か自分にその血が強く出てしまった。美しさと胸の大きさは継がなかったけど!

 だけどこの、そばかすが目立つやっかいな白い肌と、色素の薄い目と髪に、ごくまれにそそられてしまう輩がいるのだ。信じられないことに。


 そしてこの人は、そういう目で私を見ている。


 ぞわっとする。まるであの、極寒のただなかにいるかのような――。

「しかしお顔の色がまだすぐれないようだ。よろしければお休みになっていかれては?」

 親切めいた作り笑顔に透けて見えるに吐き気がする。でも今は、ちゃんと立っていないと――楓花は再び「優雅」の呪文を心中で唱えながら、

「まあ、あちらにお住まいでいらっしゃいますの? それはお家の前で、大変失礼いたしました。ですがおかげさまで、随分気分も良くなりました」

「いえいえ。我が家でしたら存分におくつろぎいただけるのですが……。まあ身内の家です。手狭ではございますが、お茶くらい用意させましょう」

「ご親切にありがとうございます。ですが、先に返した家人がそろそろ迎えに来る頃合い。大街に出ないとすれ違ってしまいます。せっかくお気遣いいただきましたのに、本当に申し訳ございません。もしよろしければ――ご親切な貴方様のお名前をお伺いできますか?」


 ずんぐりした後ろ姿が遠ざかり、やがて門内に消えたのを見届けて、珪成が勢いよく振り返った。

「楓花さん凄い。まさに小姐でした。お見事です」

「本当だな。口を挟む隙も無かった。志均の投資も無駄じゃなかったってことか」

 珪成だけではなく、琉樹にまで感心したようにそう言われて嬉しくなる。極度の緊張と大いなる嫌悪感から解放されたこともあり、楓花の口は滑らかに、

「惚れ直した?」

「調子に乗るな。――ぶっとばすぞ」


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