第15話「仲良きことは」


「もう来るんじゃねーぞ」

 皿や茶椀やらの破損分に老板と女童の治療費、さらに琉樹ら近くの席の勘定分まで抜かれ、すっかり軽くなった銭袋とともに男が小街に放り出されたのは間もなく。

 入った時は青かった空に、いつしか淡い朱色が忍び寄っていた。

 幾重にもなった輪の中心に琉樹と珪成はいた。老板と女童が何度も何度も頭を下げている。その様子を楓花は胸前で両手を硬く握りしめたまま見つめていた。隣に立つ志均は、腕を組んでその様子を眺めていたが、「ちょっと失礼」そう言って、人の輪をかき分け始めた。楓花も慌てて後を追う。

「随分なご活躍でしたねえ」

 輪の最前列に出た志均が、のんびりとした声をかけると、兄弟が同時に振り返った。

「医生、いつからいらしたんですか」

「珪成が啖呵を切ってる辺りからですよ。余りの立派さに見惚れていました」

 キッと、琉樹が志均の背後にいる自分に鋭い目を向けて来て、楓花は慌てて目を逸らした。「――そういうことかよ」派手な舌打ち。きっと、全てバレてしまったに違いない。ごめんなさい大兄、ごめんなさいっ! 楓花は視線を外したまま、心で謝罪の言葉を繰り返した。

「で? 何しに来た?」

「それは随分な。久方ぶりの楽南、我が家への行き道を忘れたと寄り道をされても困りますから、迎えに上がりました」

 にっこりする志均に対し、琉樹は渋い顔。体ごと向き直り、ついっと志均の側に歩み寄り、

「何でここが分かった」

 早口で、耳打ちする。志均は平然として、

「さっき『楽南で今話題の茶坊はどこだ?』と聞き回っていたじゃないですか。妓楼で」

 その言葉に、琉樹は慌てて咳払いする。

「え、何ですか? 師兄」

「何でもねーよ」

 そこへ鉦の音が市に響き渡った。とたんに人々の足が早まり、店内では片付けが始まる。この鉦音三百が鳴り終わると、楽南の城門は閉ざされる。

 やがて日が暮れ、続いて打たれる暮鼓六百が終われば、各坊の出入口である坊門が一斉に閉じられた。その間一更(約二時間)。

 閉門後、坊外へ出ることは原則禁止であり、大街をうろつく姿を楽南の警備を司る衛士に見咎められれば、厳罰に処されるのだ。

「もうこんな時間。帰らないと」

 身を翻しかけた珪成に、琉樹は慌てて、

「おまえは行かねえのか、珪成」

「師兄がお持ち下さった空心菜を大蒜にんにくで炒めて差し上げないと、老師の大好物ですから」

 大きな目が、日の光に輝いている。

「明朝お伺いしますね、医生。では晩安おやすみなさい!」

 言うが早いが身を翻し、何度も何度も振り返りながら、珪成は走り去っていった。

「沙門は葷食禁止だろうが。『葷酒不可入山門(酒・大蒜などの香味野菜を食した者は、寺に入ることを許さない)』の碑は草に埋もれちまったのか。全く生臭坊主め」

「妓楼帰りにその山門を潜った身で、よくそんなことが言えますね。さて――」

 毒づく琉樹にそう言い、志均は珪成と逆へと歩きだした。その場でたたずんでいた琉樹だったが、やがて大股で志均に追いつき、

「なあ、ちょっと飲んでこう。『朋遠方より来る』。旧交とやらを暖めようじゃないか」

「朋ねえ……」

 強引に肩を組んで来た琉樹に呆れたように言いながら、志均は笑みをかみ殺している。

「あ、私なら大丈夫です! そこで車を拾いますから!」

 楓花は急いで声を上げた。もちろん大兄と話したいけど――この二人が仲良くいてくれると、何故なのか安心できるのだ。そこへ図ったように通りかかった車に、急いで手を上げた。

「気をつけて」

「はい、大丈夫です。じゃあゆっくり楽しんでくださいね」

 志均が御者に行き先を告げながら、かなり多めのお金を握らせているのが見えた。本当は歩いて帰れるけど、それでは納得してくれないだろう。ここは仕方ない――楓花は見てないぞとばかりついっと目を逸らした。

 そこで琉樹と目が合った。口を開きかけて――でも、なんて言っていいのか分からない。

「では参ります」

 御者の声とともに車が動き出した。背後では「どこへでも。お供しますよ」「いいね。さて、どこに行くかなー」そんなやりとりが聞こえてきて、口元が綻んでしまう。

 鉦は、朱が滲む空に高らかに響いていた。

 


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