第14話「騒動」

 なんだか気まずく思いながら前を見ると、「やれやれ」と声が聞こえてきそうな笑みを浮かべた志均がいる。

 「困ったものですね」と口を動かして、楓花はぎこちなく彼に笑いかけた。

 沈黙を破ったのは、琉樹の声だ。


「お前は本当に好きだなあ、それ」


 きっと、機嫌を損ねた珪成に、琉樹が酥餅クッキーを勧めたんだろう。口内でほろりと崩れ、甘味が広がる酥餅は彼の大好物だ。礼物おみやげに持っていくと、いつも飛び上がって喜んでくれる。

 よかったよかった、とばかりに志均と顔を見合わせて笑い合った、その時である。


「隣に来いと言ってるだろうが。客の言うことが聞けねえっていうのか、この小娘!」


 どすの聞いた声が、店内を震わせる。続いて女の叫び声も。

「やめて下さい、放して!」

「お客さん、乱暴はおやめ下さいよ」

「うるせえ!」

 怒鳴り声とともに、小柄な老人と衝立が、隣席に吹っ飛んできたのが分かった。 茶碗や小皿が几から落ち、派手に割れる。「こっちへ!」鋭い声で囁く志均の言葉に従い、楓花は急いで腰を上げ、中腰で志均の背後に回り込んだ。

 周りの客たちが一斉に逃げて行く中、珪成は足元に倒れ込んできた老人を抱き起した。

「大丈夫ですか!」

 うめき声を上げる老板てんしゅらしき男の頬は赤く腫れ、その向こうで図体のいい、いかにも悪人顔した坊主頭が店の女童の腕をつかんで引き寄せようとしていた。かん高い悲鳴が店内に響き渡った。

 老人を床に寝かせた珪成は勢いよく立ち上がり、

「その手を放せ! 自分より弱い者に力を奮うなんて――いい大人が、恥を知れ!」

 恐怖を微塵も感じさせない凛とした口調で言い放った。

「何だとこの孺子こぞう!」

 だが所詮は子供の戯言、相手が凄んでくるのは当然のなりゆき。

 男は掴んだ女の手を乱暴に振りほどくと、ゆらり立ち上がって、珪成に近づいてくる。

 口元を引き締めて身構える珪成だったが、突如後ろへと身を引かれた。

「子供が大人の話に口を出すんじゃない」

 そう窘めるのは、隣に立った琉樹である。

「でも師兄――」

 そう見上げた頭一つ高い琉樹でさえ、男を前にしては華奢に映ってしまうほどだ。

大哥にいさんの言うとおりだぜ、孺子。で?」

「『で?』、とは?」

 男の呼びかけに、琉樹は問い返す。

「こぉんな大衆の前で恥をかかされた落とし前、どうつけてくれるんだ? とりあえず誠意を見せてもらおうか。いくら出す?」

 その言葉に、「何だって!」珪成は色を成す。だが背後から発せられた声は、扱く冷静に、

「頭にあるのは色と金か。本当に、どうしようもない大人だよな」

「何だと! 俺を誰だと思ってる」

「知らねえな。誰?」

 怯む様子のない相手に男は調子が狂っているようだったが、これで黙るはずとばかり、

「聞いて驚け。俺様はあの、陳丁様に右腕として重宝されている岳様よ」

 名を聞いた琉樹は眉を開き、ほう、と感心したように声を上げる。何度も頷きながら、

「ああ。陳丁といえば確か、最近話題の江南(長江下流域の地を指す)出の大富豪か。確かにあの人は凄えな」

「だろうが」

 得意顔の男。

 だが、

「そういうお前は『ただの人』だろうが。子供相手に、大衆の面前で主人の名を出しやがって、主従の道に悖るってもんだぜ!」

 声が投げ付けられた直後、情けない男の声が店内に響き渡った。投げつけられた小皿を避けるまにその後ろに廻った琉樹が、その右腕をひねり上げ、背を思いっきり踏みつけて男をひざまづかせたからだ。

「人の平穏な時を邪魔しやがって、この落とし前はどうつけてくれるんだ!」

 そう言って、更に手と足に力を籠める。うぎゃあと、いっそう情けない声が店内に響き渡った。

 何が何だか分からない、とばかりの老板と女童の隣で、珪成は喜色満面で一言。

「さっすが師兄」

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